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2010-12-03

主役になれない人はなれない

 基本的に殆ど興味ないニュースに、「裁判員による死刑判決」があります。その事実自体には興味あるんですけど、そのニュースには全く興味ありません。が、何か最近の「裁判員による死刑判決」で、裁判長が余計なこといったり、裁判員が心の苦しみを衆目に晒すニュースを見ると、「何か変なの」と思ってしまいました。
 死刑判決を下すことに、玄人と素人の差があるのでしょうか?

 人を殺すことに玄人と素人の差があるのは当然。手際良さや見栄えに差が出るから。
 ちょいと関係ないですけど、「暴力装置」という言葉も当然のものとして存在します。政治家がその言葉を使うことに対し、使い方に気を使ってないとか、時代遅れだとかの理由で叩くのは納得できます。一般的に「暴力」とは、バイオレンスですから。しかし「暴力装置」は、政治的で、バイオレンスとは意味が異なります。国家が暴力を支配するのは当然で、それが時代遅れな考え方だとしても、事実がそうなのだからしかたありません。そこに素人の出る幕はありません。
 死刑判決を下す前に、まず有罪と無罪を決める判決を行います。そこには明確に玄人と素人の差があります。しかしその次、死刑判決を下すのは、玄人でも素人でも構わないと思います。

 ある裁判員の1人が、死刑判決を下すのがいかに苦しいことだったか、こないだ会見していました。TVの報道番組でチラ見しただけなのでよく知りませんが、わざわざ世間に対して説明することに何の意味があるのかさっぱりわかりません。わかるのは、とってもTV的だなぁ、ってこと。
 「劇場型犯罪」という言葉があります。大掛かりで、まるで物語仕立てな犯罪のことを指します。しかしその実、「劇場型犯罪」は、TVドラマ程度です。裁判員の会見の報道も、とってもTV的。これが映画の一場面なら……駄作決定ですね。
 公開される作品の傾向から、日本人は命の尊さを扱った「感動もの」が好きなようで、裁判員の会見も、まるでドラマの一場面のよう。ただしそれは、TV画面に納まるのがピッタリの安っぽいドラマ。劇場の大きなスクリーンでそんな場面を見せられたら……かなりイラつきます。
 TV画面でこの裁判員の会見を見ると、とっても納まりが良い。報道番組の「大変でしたねぇ」みたいな労いコメントはもっと納まりが良い。TV的だなぁ、と。伝えるべきことが何もないことを見事に表現しています。
 ドラマだとしたら、クライマックスは、死刑判決を下した裁判員にあるのか、死刑判決を下された被告にあるのか。どちらにしても、クライマックスは、死刑判決の先にあります。
 ドラマは、死刑判決を下した時点から始まるでしょう。全国同時公開規模の邦画なら、確実にお涙頂戴の「感動もの」になります。しかし、もしもクリント・イーストウッド監督が監督したなら、魂の救済を描く、『グラン・トリノ』のような、よくわからないけど凄いものになるでしょう。いや、日本にも極僅かながら、万田邦敏監督の『接吻』のような凄い作品がありますけど。
 もちろん邦画以外にもTV的な映画は多くあります。とりあえず手持ちカメラの揺れを表現しとけばいいや、という安易な演出を見せる作品は全てTV的です。画面の揺れが登場人物の“精神的な揺れ”、という演出も今では安易な発想で、TV的です。日本で裁判員による死刑判決を映画にすると、たぶん画面は揺れに揺れまくるような気がします。
 TVの報道番組なら、ただ撮るだけでTV的であり、TV的であるということは、そのまま同時代的であることにもなりますから、何も考えないで撮れます。つまり、画面を揺らす必要がありません。しかし映画は、同時代的であることに不向きです。映画は、同時代的であることから何かを切り取ることに向いています。ゆえに、安易に画面を揺らしてはならない。逆にいえば、同時代的であろうとすれば、画面を揺らすのが最も手っ取り早いということになります。ペドロ・コスタ監督なら、裁判員の会見を明確に撮ることでしょう。カメラを固定し、見事なショットを的確な数だけ重ねて。ツァイ・ミン・リャン監督なら、静止画のようにひたすら被写体に接近して静かに撮るでしょう。

 光市母子殺害事件の遺族は、執拗に死刑を求めました。死刑が駄目なら釈放してくれれば私刑をするとまでいっていました。その考え方に是非はありますが、望まざる形で世間から注目される舞台へと押し上げられ、悲劇の主役に“させられた”後、自覚的に主役を演じ切ったことは素晴らしいと思いました。炭酸の抜け切った炭酸飲料のようなTV番組ばかりの中、TV的な枠には納まりが悪く、TVがその扱いに困る程の主役ぶりでした。
 少年犯罪の判決は、更生できるかできないかに重きが置かれています。人は本来は「正しい」行いができることを前提としているからでしょう。しかし、魂から穢れている場合、どうなるのでしょうか? 死刑が魂の救済となることもあると思います。
 また死刑には、生からの解放、という側面もあるかもしれません。生きているくらいなら死んだ方がマシ、というような。自殺がそうです。
 死刑制度の是非は、世界的に議論される大きな問題です。それは「暴力装置」という言葉とも無縁ではありません。国家に「暴力装置」はある。しかし、一般市民にはない。とするなら、裁判員制度での死刑判決はおかしな感じになります。一般市民に「暴力装置」の一端を担わせて良いのか、と。その責任を軽くしようと、裁判長は余計で無責任な一言をいってしまいました。
 「暴力装置」を一般市民的な感情で否定するなら、死刑判決には、どうしたって「魂の救済」という側面に光を当てるしかありません。自らの罪深さを自覚しながらも自らではどうにもできない罪人にとって、死刑は救いになるかもしれません。
 許されない罪を犯した者の「魂の救済」なんて必要ない、とも思えます。だからこその死刑でもあります。単なる「暴力」によって尊厳を蹂躙された被害者(とその遺族)の救済も必要になります。しかし裁判では、それは無視されても構いません。被害者(とその遺族)を救済することは、罪を裁くことと関係しませんから。
 今回の裁判員の会見には、そーゆー問題の一切を無視しているところがあります。苦労した、大変だった、辛かった。確かにその通りでしょう。今まで脇役で済んでいた人物がいきなり主役にされたようなものですから。無自覚に存在してれば良かったのに、自覚的になることをいきなり強要されるのですから、それは大変なことです。

 主体的ではあっても主役にはなれない――その自覚があるかないか。脇役には、覚悟は必要ありません。しかし、主役には覚悟が必要となります。死刑判決についての会見をした裁判員の人は、失礼ながら脇役のままであり、その自覚がないまま主役の舞台に上がらされて大失敗しているようにしか見えませんでいた。
 自分の人生でも主役になり切れない人は確実に存在すると思います。演出が下手なドラマには、脇役はCGで作った背景以下の存在感しかなく(たとえば山本寛監督の『私の優しくない先輩』とか)、意外と人生はみんなそんなもので、それが自覚的に晒される1つのケースが裁判員制度なのかもしれません。ただ背景だけがあり、その前に立たされて演技をするだけの人生というか。ですから、自分が主役でないから、好き勝手に振舞うことが許されると思っている人も確実に存在すると思います(その人の頭の中は、自分が主役だと思っているでしょうが)。
 死刑判決を下したわけでもないのに、世論という見えざる武器で他人を死に追いやることがあります。責務に追い詰められて自殺した政治家、加害者、加害者家族が今までにたくさん存在しました。これからも存在するでしょう。その人たちは、死ぬまでは「死んで当然」と思われていました。誰かに明確な判決を下されたわけでもないのに。何となくかたどられた世論によって、自殺へと誘導されたのです。つまり、世論という見えざる集団により、事実上の死刑判決を下したことになるのではないでしょうか。「自殺刑の判決を下した」というか。
 自殺した瞬間、世論は冷ややかに変化します。「別に何も自殺しなくても」とか、「あーあ、自殺しちゃった。無責任だなぁ」とか。日常茶飯事ですね。世論が心苦しさに涙することはなく、反省することもなく、ただ自殺した人に近しい人だけが世の無常を噛み締める。

 もしも裁判が世論調査のように判決を下すような制度になったとしたら、死刑判決は軽々しく増える可能性があります。集団という隠れ蓑を被され、個人でいることに不安を感じる必要がないからです。責任の所在が明確であっても、母集団の数が大きければ、それぞれの責任の質は小さく感じられます。その時に「世論が心の苦しみを衆目に晒す」はあり得るでしょうか?
 そのようなことを考えないまま「裁判員が心の苦しみを衆目に晒す」を報道するTVは、やはりTV的で、後に何も残りません。何も考えなくてもTV的であり、TV的であることが同時代的であり、同時代的であることが事実を表現できていると思っている傲慢さ。そんなTVが、今は多くの映画を作っているのですから、そりゃあ駄目な作品が多いのも当然です。死刑判決についての会見をした裁判員の報道を見て思わされました。
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ばっどていすとさんどいっち

Author:ばっどていすとさんどいっち
テクノ好き。
アンダーワールドのRez大好き。
映画大好き。
ジャッキー・チェンが生涯の英雄。
生涯1位作品は『ミミズバーガー』。
2位が『溶解人間』。
泣き虫で、馬鹿。
itsuka-omoi-dasu-bts@hotmail.co.jp

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