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2010-09-26

『BECK』は、最も肝心な曲の音量が小さい愚映画

 映画版『BECK』を観た。堤幸彦監督作品だからガラッガラだろうと思ったら、1席の空きもない満員だったので驚いた。ええーっ!? だってあの堤監督作品だよ? 面白いわけないのに! などと思っているのに、「いかに面白くないか」を確認したくて観る私がいるのだから、同様の客が他にもたくさんいたって不思議じゃない。たぶんみんな「いかに面白くないか」を楽しみに観る人ばっかりなんだろう。
 予想通り、観客の大半は失笑していた
 
 物語は基本的に原作を踏襲している。平凡でつまらない毎日を生きていた主人公・コユキの人生が、偶然にロックと出会い、劇的に変わる。
 月刊誌で十年近く連載していた全34巻もある長い物語を約2時間に要約するのだから、自然と無理が生じる。だから、原作のどの部分をクライマックスにし、どの部分を省略するのか、そこが重要になる。映画版はその点で力一杯大失敗していた。大型フェスに出演し、メイン会場より上の動員を記録する――それが映画版のクライマックスなんだけど、『BECK』の物語としてのクライマックスを考えれば、そこをクライマックスにすべきじゃなかった。
 そもそも原作は、かなりバイアスのかかったロック漫画だ。ビジュアル系やスタジアム級のロックバンド、アイドル系の音楽を小馬鹿にしていた(と私は思っている)。それが納得できるロック好きには面白い(というか爽快な)漫画だ。その1人だった私は、毎月の『月刊少年マガジン』を楽しみに待ち、単行本も買った。が、アメリカのギャングや音楽業界が絡んでくると、さすがにその荒唐無稽ぶりに無理が生じてきた。連載は立ち読みで読み続けたが、単行本は、途中から買うのを止め、全て売り払った。
 コユキが天才であることに問題はない。天才の主人公が大活躍する物語は面白い。それがファンタジーだからだ。ファンタジーに現実味は求めない。というか、漫画なんて基本はファンタジーなんだから、妙な現実感はいらんと思うのだ私は(特に「恋愛もの」とか)。重要なのは、「その世界観ならではの法則が守られていること」だと思う(それを人によっては「現実味」というのかもしれないが)。そーゆー意味では、漫画版の『BECK』は「セカイ系」に近い。
 まず『BECK』では、ロックは、それ自体がファンタジーとして登場する。コユキは最初、アイドル好きだった。そこへ、「得体の知れない何か」――人生に衝撃を与え、その後の人生を一変させるもの――としてロックが登場する。ということは、人生に多大な影響を与えられるなら、『BECK』のテーマがロックである必然性はない。つまり、コユキが最初はガッチガチのメタル好きで、AKB48を偶然聴いて衝撃を受け、「よし、俺は将来アイドルのプロデューサーになって、全世界を感動させるようなアイドルを育てるんだ!」と、設定を全てロックからアイドル業界へと変更しても基本的に『BECK』の物語は成り立つ。
 となると、『BECK』を支えているものは、ロックに対する単なる初期衝動にすぎない。ロックである必然性は全くない。グランジからオルタナティブ、そしてオアシスの登場に多大な影響を受けたロック好きにとっては、日本のロックはクソで、名前を出せばB'zグレイミスチルなんかが「ロック」を語っていることにムカついていた。あれは「ロック」でない、と。そこへ、その辺りの「ロック」を仮想敵とした少年漫画『BECK』が現れた。おかしな「ロック」を倒し、頂点へ上がって行く――とても少年漫画らしい展開。そーゆー意味での初期衝動があり、しかし途中からそれが成り立たなくなってしまうのが漫画版『BECK』だ。

 原作がそんなバイアスのかかったロック漫画だったのだから、それを実写映画にすることはかなり難しいと簡単に予想できる。まず誰もが注目するのは、コユキの「歌声」。漫画では、「音」の描写を省き、成功していた。漫画だからこそ可能な、「読者の想像にお任せします」だ。実写版は、アニメ版はどうしたのか知らないけど、“撮ってしまえる”ことが実写の特権なのだから、コユキの「歌声」だって真正面から描写するものだと思った。でなければ実写版を作る意味がない。しかし。
 コユキの「歌声」は描かれなかった。歌う場面だけカラオケ風。予想してはいたけど、まさか真正面から堂々と逃げるとは思わんかった。その全力の逃走っぷりに感心したくらいだ。コユキが歌わない演奏場面は意外と良かっただけに、コユキの歌う場面との落差が激しかった。たぶん誰もが褒めると思う桐谷健太さんの千葉は良かった。存在感あったし、あのままプロとしても通用しそうなくらい(だって、ドラゴン・アッシュとか似たようなもんでしょ)。
 パンフレットを読んだら、原作者であるハロルド作石さんの要請に「コユキの歌声を描写しない」があったらしい。それならそれで、もっと別の演出方法があったのじゃない? 釣堀で歌う場面は、まるで「世界が震えた」ような特殊効果の演出をしていて、成功している。そこで歌声を描写しないのは、クライマックスへ期待感を引っ張るための布石だと思った。ところが、最後まで描かなかった。それどころか、最後のフェス場面では、英語字幕を表示させる演出だ。日本のカッコ悪い洋楽コンプレックスがモロに出た感じ。

 でも、まあいい。「歌声」が駄目なら、曲で勝負してくれれば。ところがこれもまた駄目。
 大型フェスに出場できるくらいの知名度があるってのに、バンド「BECK」の持ち曲は、ちゃんと描かれているのはたったの2曲。1曲はしつこいくらいに使う挿入歌「Evolution」。もう1曲はコユキの歌なしソング。これだけでどうやってフェスに出られるっての?
 いや、そんな現実感の話はどうでもいい。問題なのは、コユキの「歌声」がないのなら、せめてその曲は、メロディだけでも観客を鷲掴みにできるくらいの威力を持ってなきゃ駄目でしょ。もちろん『BECK』にそんな曲は1曲も登場しない(もちろんED曲のオアシスとOP曲のレッド・ホット・チリ・ペッパーズは除く)。

 肝心の曲が駄目となれば、他にできることは、音楽に対する姿勢をどう描くか。これは原作にも大いに問題がある。インセンティブとモチベーションが描かれていないのだ。コユキは、つまらない日常から抜け出すためにロックを始める。しかしそれは前述したようにロックである必然性がない。でも、出会ったのがロックだった、ということでそれはクリアするとして、次にモチベーションなんだけど、これも何でそこまで頑張ってロックにこだわるのか描かれていない。しかも全員。途中にフェスでゴミ拾いをする夢を見る、という絆を描くけど、それにてモチベーションとなるだろうか?
 コユキの歌い方を見ると明らかにオアシスをモチーフにしていると思うんだけど、日本にはなくてUS&UKロックにあるものは、所属階級の違い。少しのバンドを除けば、日本のロックには中流家庭の生まれだとか下流家庭の生まれだとかの違いを感じることはない。しかし、『BECK』が参照しているロックには、それが物凄く大きく影響している。そしてそれがロックに対する姿勢になっている。
 「人生に音楽がなければならない」のは唯一、千葉だけだ。その他の登場人物は、ファンタジーとしてのノルマが課せられているにすぎない。だから少年漫画としては、主人公は千葉がピッタリな筈。そうしなかったのは作者であるハロルド作石さんの作風なんだろうけど、そうしなかったために『BECK』という物語は、コユキが才能を発揮した後、求心力を失ってゆく(私にはそう感じられた)。

 というわけで、原作に致命的な失敗があるので、映画版ではそこをクリアすべきなのに、悪化させていた。コユキの存在感のなさは、コユキが画面に映っているだけで邪魔と感じるくらい。「BECK」は基本的にレイジ風やレッチリ風のバンドなのに、そこにオアシスが得意とするオーケストレーションを使ったバラッドを歌うのがコユキなので(と私は思っている)、明らかにコユキが邪魔。これは原作も同じ。千葉とコユキの両立って、最後の最後まで巧くいってなかったもん。もうね、コンセプトを間違えたとしかいいようがない。高橋留美子さんの『うる星やつら』のように、早々に主人公を変えてしまえば良かったのに。ホント、大失敗だよ。
 千葉には辛うじて「ロック」にこだわる理由がある。しかしそれとてヒップホップで問題ない筈だ、『8 Mile』のように。なんでヒップホップが「違う」になるのか、原作でも描かれないままだった。ただ単にハロルド作石さんがヒップホップに興味ないだけなのかもしれない。私からすれば、何の才能もなく、それでも何かを表現したいのなら、それこそヒップホップに走るべきじゃないか、と思うのだけれど。それにもう、レイジのようなミクスチャーこそが古臭いと思えるんだよね。ヒップホップの側からも、ネプチューンズによるN.E.R.Dような下手なロックよりも遥かにロックな存在いるし。
 そもそも参照点としてレッチリとオアシスを挙げているけど、その両者は全く異なる存在でしょ。オアシスが好きだったストーン・ローゼズなんて、ライヴが凄い下手クソで、「こいつらにできるなら俺らにもできる!」と思われるようなバンドだった。ステージの上でカッコ付けてるアーティストが主体でなく、フロアにいる観客こそが主体なんだ、というのがあの頃の流れだった。だから、『BECK』のバンドたちが変なのは、「演奏が巧くて歌も巧い」という点になる。個々のスキルは下手クソなのに、全員で演奏をするとなぜか凄い――それを表現すべきなのに、『BECK』で追い求めているのは、「スキルの巧さ」のみ。そこが完全に間違えている。つまり、『BECK』は参照点として最近(といっても古いけど)のバンドを挙げているけど、感性は古臭いままなのだ。ここも原作同様に致命的な失敗といえる。

 何もかもが駄目となれば、思い切った演出を行うしかない。それが「コユキのカラオケ」なんだろうけど、いや、同じ批判されるならもっと良い方法がある。歴史上の名曲を演奏パクする――だ。オアシスの「Don't Look Back In Anger」をそのまま流して、演奏している真似すりゃいーんだ。演奏している真似、歌っている真似。物真似芸だね。観客は呆気にとられるだろうけど、「コユキのカラオケ」よりゃマシだろ。
 堤監督はまだまだですな。

 色々と呆れてしまう『BECK』だけど、その上で個人的にさらに呆れてしまった、というか許せないのは、ED曲であるオアシスの「Don't Look Back In Anger」の音量が小さかったことだ!
 私は、どうせ『BECK』は駄作に違いないと確信して、「Don't Look Back In Anger」を大音量で聴くことだけを楽しみに観に行った。映画館は、石川県で最も音響の良いコロナシネマ。劇中の音楽の音量も大きく、低音もズシンと効いて、こりゃED曲を聴くのが楽しみだ――と思っていたら、ななな何と、エンドロールの音量が劇中よりも小さい! あ・の・なーっ! あんだけCMで「Don't Look Back In Anger」が流しておきながら、その曲の音量が小さいって、どーゆーことよっ!
 さらにいえば、オアシスの曲を使うなら、「Don't Look Back In Anger」より、「Whatever」の方が『BECK』の内容に合ってるぞ!
 ホント、最後の最後まで駄目な映画だよっ! 始まって早々に「早くED曲聴きたいなー」と本編はどうでもいいと思っていた私のような観客は、絶対に怒っているよっ!
 映画『BECK』は、賞味期限切れもいいとこだよ!
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テーマ : 映画館で観た映画
ジャンル : 映画

tag : BECK

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プロフィール

ばっどていすとさんどいっち

Author:ばっどていすとさんどいっち
テクノ好き。
アンダーワールドのRez大好き。
映画大好き。
ジャッキー・チェンが生涯の英雄。
生涯1位作品は『ミミズバーガー』。
2位が『溶解人間』。
泣き虫で、馬鹿。
itsuka-omoi-dasu-bts@hotmail.co.jp

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