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2010-07-20

前々から思っていた

 前田有一さんという、凄いプロ映画評論家がいます。前田さんの「超映画批評」というサイトにて、その凄い仕事ぶりを確認できます。

 たとえば『借りぐらしのアリエッティ』の批評では、次のようなことをいっています(一部抜粋)。

 宮崎駿監督作品のとっつきにくさだけは別格だと私は思っている。この監督の作品はきわめて作家性が強く、毎回解釈に頭を悩まされる羽目になる。最近のものはどうもスッキリ楽しめないというのが私の大まかな印象である。
 今回彼は脚本を担当しているが、できればそれも他のスタッフにまかせたらもっと良くなったのではないかと思う。うっとうしいテーマ性が、そこから観客のフォーカスを微妙にずらして不協和音を発生させ、どちらも中途半端に終わらせてしまった。これはまずかった。いっそ少年とアリエッティのかなわぬ交流、恋のごとき感情の交感に焦点をあて、別れの切なさに見せ場を収束させる物語にしてほしかった。それでも十分に、作品の主題は伝わったはずだ。この作品のクライマックスは、王道に背を向ける近年の宮崎駿色が強すぎると私などは感じる。

 うーん、そうですかねぇ? うっとうしいテーマ性なんて殆どありませんでした。病弱な少年の翔がいう「君たちは滅びゆく種族なんだ」という台詞がそうなのかもしれませんが、あれなしにアリエッティの涙は描けませんし、先行き不安な別れとその切なさも演出できません。私は必要なものだと思いました。
 前田さんは頭が良いからか、難しく考えすぎだと思います。

 または『インセプション』の批評。次のようなことをいっています(一部抜粋)。

 現実と非現実の境界。真実(と信ずるもの)を知ったほうが幸せなのか否か。そんなややこしい哲学的問題を描く『インセプション』は、映画の内容もかなり複雑。『インセプション』は本来、前日には十分な休養をとり、ワンシーン、ひとつの台詞たりとも見逃さない覚悟で、3回くらいは見ないと作品の真意を理解するには至らないであろう、重厚な作品である。
 まず冒頭から感じるのは、編集が不親切設計で、その結果、作品世界のルールがきわめてわかりにくいということ。これは現実と非現実の境界をあいまいにするための意図的な演出だろうが、何の予備知識も無い場合、かなりの混乱が予想される。
 さらに「マトリックス」シリーズを見ている人などは余計な先入観がさらなる混乱の元になる。両者は一見似てはいるが、実はかなり根本的な部分で「ルール」が異なる。
 ユング心理学でいう、集合的無意識の共通、の概念をモチーフにしているのかなと思うが、私にとっては専門外なので詳しい方の解説を待ちたい。そうした教養のある方にとっては、きっと見ごたえがある作品であろうと予想する。
 信じたいものだけを信じたい。余計なことは知らないほうが幸せ。この映画の評価が異様に高い現状を見ると、今のアメリカ人はそんなふうに弱気になっているのだろうかと、じつに興味深く思えてくる。

 つまり、よくわからんかった、と。前田さん程のプロ映画評論家がわかり難いというのですから、どれだけ難解な作品なのかと身構えてしまいます。
 しかし実は『インセプション』はわかり易い作品なので、『マトリックス』やユングさんのことを散りばめ、鑑賞上のヒントをさり気なく出しています。「詳しい方の解説を待ちたい」と謙遜していますが、本当は前田さんだけで全てを語れるに決まっています。同業者に仕事を譲って経済効果を出そうと画策するあたり、何という巧者かと感心します。
 何よりも驚くのは後半の部分です。1本の映画から、アメリカ社会まで一刀両断。アメリカよりも日本の方が超弱気になっていますが、そんなことお構いなしに、それこそ「信じたいものだけを信じ」て社会批評にまで手を出すあたり、前田さんは単なるプロ映画評論家に納まるレベルの方ではありません。
 その証拠に、実は上記感想文の前には、

 たとえば、日本経済の問題点を調べていけば借金の総額に誰もが唖然とする。だがより調べればそれが財務省による数字のトリックで、まだまだ挽回可能なものであることも同時にわかるだろう。ただし、より興味を持って追求していけば、そんな解決策を採用する政治はこの国にもう存在せず、もはや大増税の暗い未来しか事実上存在しないことを知ることになる。
 こんないやな気持ちになるくらいだったら、国や経済の事など最初から考えず暮らしていたほうが、よっぽど幸せなのではないか。

と、映画と本格的に無関係な政治批評をしています。これが『インセプション』を読み解くためのわかり易いたとえ話であるだけでなく、政治批評と政治提言になっているのです。いっていることを要約すると、何も考えない馬鹿は幸せ、となりますが。

 前田さんの政治社会批評はよく登場します。最近では、『トイ・ストーリー3』の批評にもありました。次のように(一部抜粋)。

 このシリーズは、おもちゃたちの視点で描かれるが、それを利用したテーマ性の高さも見事なもの。捨てられるおもちゃたちには、リストラ渦巻くアメリカの労働者たちの境遇が重ねられている。現在オバマ政権は必死に数字合わせでカバーしているが、かの国の失業率は最悪レベルである。
 この作品のおもちゃたちは、自分たちのできる事、生業をしっかりとわきまえており、「子供たちのために役立ちたい」「働く場所がほしい」と居場所を探し続ける。
 社会の中で生きる人間にとって、もっとも幸せなものは何かという主張が込められている。それは、失業の危機と隣りあわせの、現代のアメリカの労働者たちにも必ず届くメッセージである。

 世相を切り取った見事な批評といえます。しかし、失業に怯えるお父さんが子供を連れて『トイ・ストーリー3』を観に来たら、観終えてからが大変です。グッズをねだる子供たちと真剣に戦わなければならないのですから。子供を楽しませると同時に大人を励ますような映画を作るディズニーとは、親からすると鬼のような商売をする会社でもあります。
 前田さんのような観点で『トイ・ストーリー3』を観ますと、その結末は結局、「選ばれた者だけが勝者となる」という情け容赦のない物語です。大半の情けない大人は、捨てられる側に入るのですから。失業した大人は、とりあえず働かなきゃならないので、働く場所に文句いってられないと思うのです。従って前田さんのような社会批評的観点から『トイ・ストーリー3』を見れば、バズたちは、自らの境遇を自覚できない駄目な大人といえます。
 しかし、バズたちは納得してあの保育園に異動したわけではありません。そこで、バズたちは北朝鮮による拉致被害者みたいなものと考えてみます。実際は強引に拉致されたわけじゃありませんけど、結果的に拉致されたようなものですし、保育園を決死の覚悟で脱出しようとするのは脱北するようなものですし。『トイ・ストーリー3』を拉致被害者の会の方々に観てもらうとまた違う感想が出るのじゃないかと思います。『クロッシング』と同時に観てもらうと、びっくりするくらい異なる見方ができると思います。神様は、選ばれし者のところにしか現れないのです。
 『トイ・ストーリー3』は、大人も感動できる感動作かもしれませんが、非情で残酷な作品でもあります。

 まあ、何にしろ、前田さんは凄い映画評論家だ、ということです。日本の映画評論家社会の裾野の広さに驚きます。
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テーマ : 映画関連ネタ
ジャンル : 映画

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プロフィール

ばっどていすとさんどいっち

Author:ばっどていすとさんどいっち
テクノ好き。
アンダーワールドのRez大好き。
映画大好き。
ジャッキー・チェンが生涯の英雄。
生涯1位作品は『ミミズバーガー』。
2位が『溶解人間』。
泣き虫で、馬鹿。
itsuka-omoi-dasu-bts@hotmail.co.jp

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