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2010-01-21

『母なる証明』は、『ツイン・ピークス』のセンスなしアホ版

 ポン・ジュノ監督の『母なる証明』を観た。『ほえる犬は噛まない』、『殺人の追憶』、『グエムル』と今のところハズレなし(『20のアイデンティティ』と『三人三色』と『TOKYO!』は、ハズレギリギリだけど、オムニバスなので、見えないフリ)のジュノ監督最新作かつサスペンスだっつーから、とんでもなく期待して観た。実際、世評も大絶賛に近い高評価で、否応なく期待は高まるってもの。観る前から年間ベスト決定だと思った。

 邦題に「証明」とあるが、原題は「母」だけで、どこにも「なる証明」は入っていない。正直、邦題は余計な情報を与えてしまっていて、内容に合っていないと思う。
 物語は単純だ。アホな息子が犯した殺人を母親が揉み消す。そんだけ。今、盛大にネタバレをしました。
 問題は、どうやってアホな息子の犯罪を揉み消すかなんだけど、これが全く説得力がない。何せ捜査する「警察組織が馬鹿」ということを大前提にしているので、無理ありすぎるんだよな。韓国の警察は物凄く無能だ、といいたいだけの映画なのかもしれない。だから、題名は『母なる証明』よりも『真実の形』とかにした方がいーんじゃないか?

 前評判通り、面白い。すっごく面白い。
 初めは展開の緩さにイライラするんだけど、結末を観た後では、どうでもいいショットや展開がちゃんと伏線になっていること、全てが計算づくなのがわかって感心する。歴史的な大傑作だ、といっても過言でない。のだけれど、なーんか、素直に傑作ということはできない。
 まず、画面が悪い。物凄く意図的な画作りをしているんだけど、それがあまりにも意図的すぎて、ただ単に作為的にしか見えない。代表例が、開始早々のキム・ヘジャさんの奇妙なダンス。出だしで、「あ、これは駄目かもしれない……」と思ってしまったくらい、あの「映画的」な演出が駄目だってのもあるけど、何よりも撮影が悪い。最近のロケ撮影の良かった作品『イングロリアス・バスターズ』の出だしと比較すると、その差が歴然としている。
 そこだけでなく、全編通して画作りが悪い。夜の、女の子の後を追う場面にしても、そう。映画的で、映画ファンが大喜びしそうなものを意図的に撮っている、そんな感じが終始ずーっ漂っている。最後の場面なんて正にそれだ。想像もできない素晴らしいショット、に見えるけど、いかにも「映画的」すぎて、興醒めしてしまう。おかしいな、ジュノ監督って、あんなに「優等生」だったっけ?

 考えると、物語もメチャクチャだ。題名を素直に受け取れば、人間の心の闇を覗くようなサスペンスに思えるけど、アホな息子とアホな母親の衝動的にアホな犯罪劇と受け取れば、「親が親なら、子も子だな」という物語にしか見えない。実際、登場人物の殆どはアホだ。母親はアホな息子を盲目的に信奉する目が曇りきったアホだし、警察はアホな息子をちゃんと逮捕できないアホだし(捜査場面の警察なんて、完全にコントだ)、殺される女子中学生もアホだし、その援交客の男子学生なんてアホの世界から留学してきたかのようなアホだし、アホの息子の悪友も当然アホだし、韓国にはアホしかいないので、怖くて旅行できんな、と思う程に画面狭しとアホが大活躍する
 アホばかりなら、『母なる証明』の事件は起きて当然といえる。そして、真面目なサスペンスから逸脱したアホ映画と考えれば、ちょっと違う見え方もある。『母なる証明』は単なるブラックコメディ映画、というような。

 『母なる証明』をブラックコメディ映画として見れば、あの変な映画っぷりに納得できる。特にアホ息子が動揺して携帯電話をパカパカ開閉する場面は、「アホ」っぷりを強調する見事なギャグ場面だ。あれこそ本当にコントでしょ?
 『母なる証明』をブラックコメディ映画として見れば、近い感触の作品は、ルイス・ブニュエル監督の作品になるかもしれないし、デヴィット・リンチ監督の作品になるかもしれない。特に『ツイン・ピークス』に近い。意味もなく踊る場面もあるしね。
 奇人変人大集合ってものにしてはショボイのが困りものだけど、『母なる証明』は、ジュノ監督なりに不条理ギャグ映画を作ったんじゃなかろうか。私にはそのようにしか見えない。たぶん、そんなこと考える人は少数派だろうけど。

 真面目にサスペンスとして観れば、『接吻』の万田邦敏監督ならもっと素晴らしいものにできただろう、と思う。ジュノ監督の才能は凄いんだけど、『母なる証明』は、その凄い才能を見せ付けるだけのものでしかなく、いかに「映画的」であるかだけを考えた、正に「映画的」な映画。余りにも形式的に「映画的」すぎる。
 「映画的」を物凄く得意とする監督は、タランティーノ監督も同じで、しかし、『デス・プルーフ』からは「映画的」を超え、「映画」を撮っている。『イングロリアス・バスターズ』もちゃんと「映画」だった。ジュノ監督は、意図的に「映画的」を狙い、「映画ファン」を喜ばせる。でも、『殺人の追憶』は物語上に制約があったけど、自由に作れた『母なる証明』は、その自由さゆえに、完璧な形式を目指し、不自由な堅っ苦しい出来上がりになってしまっている。「ちゃんとしよう」と考えても「ちゃんとならない」リンチ監督に比べ、ジュノ監督はとっても優等生。その優等生ぶりが強調された「映画」らしい映画なので、映画ファンは喜んでしまう。羽目を外すところまでとっても優等生。「ほーら、こーゆーことすると、みんな喜ぶでしょぉ~」て感じに。
 ジュノ監督らしさはよく出ている。けど、どうせ羽目を外すなら、本気で遊ぶくらいでないと、途中で飽きてしまう。衝撃的な結末は、正に「衝撃的」を描いたもので、その恥ずかし気もない「衝撃的」には、思わず爆笑してしまった。世評ではサスペンスの大傑作のように褒めていると思うけど、音楽を「笑点」みたいな明るいものにし、登場人物が話す度に「会場にいる観客の笑い声」を流せば、印象は一変し、絶対にコントに見えると思う。そのくせお上品な映画なので、賞味期限は長くないだろう。
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テーマ : 映画館で観た映画
ジャンル : 映画

tag : 母なる証明

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プロフィール

ばっどていすとさんどいっち

Author:ばっどていすとさんどいっち
テクノ好き。
アンダーワールドのRez大好き。
映画大好き。
ジャッキー・チェンが生涯の英雄。
生涯1位作品は『ミミズバーガー』。
2位が『溶解人間』。
泣き虫で、馬鹿。
itsuka-omoi-dasu-bts@hotmail.co.jp

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