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2010-01-08

『アバター』は、マイケル・ジャクソンが絶賛しそう

 ジェームズ・キャメロン監督の『アバター』を観た。
 12年ぶりのキャメロン監督の新作というだけでなく、最新鋭の3D映画となれば期待は否応なく上がりまくる。正直、「『タイタニック』の監督」という括りだと全く期待しないんだけど、「特撮技術が衝撃的だった『ターミネーター2』の監督」という括りだと期待するなという方が無理ってもんだ。
 で、期待には間違いなく応えている。監督としての技術力より、特撮技術の凄さで。

 簡潔に感想をいうと、マイケル・ジャクソンさんが大喜びしそう、だ。ジャクソンさんがまだ生きていたら『アバター』を大絶賛していると思う。遂に人間でなくなったジャクソンさんは、生前から人間を憎んでいる節があったし。「わかる、わかるよ! ダッ! 人間なんてぶっ殺せばいいよ! フゥーッ!」と叫んでそう。そして、「ダッ!」や「フゥー!」というブレスにナヴィ族の威嚇「シャーッ!」が加わっていたことだろう。
 もうちょっと具体的に感想をいえば、ジャクソンさんの歌「Heal The World」にケン・ラッセル監督の映画『アルタード・ステーツ』をたたっ込み、宮崎駿監督が思い切れなかった『もののけ姫』を思い切った映画、だ。今さらだけど、『もののけ姫』で『アバター』の結末をやってくれればスッキリしたのに、と思ってしまうが、それをしないのが宮崎監督で、やり切ってしまえるのがキャメロン監督なんだろう。宮崎監督至上主義な私からすると、「あー、これが『トトロの森』だったらなぁ」とか考えてしまい、その森を焼こうとするんだから、「そりゃー、殺されてもしかたないわな、人間は」とナヴィ族に肩入れしてしまう。うん、ナヴィ族がトトロに思えたよ。
 話が脱線した。つまり、物語はそんな感じなのだ。エコで感情的。子供にもわかり易く、勧善懲悪。余計な伏線や捻った設定はなし。色んな物語から拝借したパッチワーク。ほとばしる既視感。なので、世評には「映像は凄いけど、物語はダメダメ」という感想が多いと予想される。

 確かに物語はダメダメだ。『アバター』は、主人公が人間として責任を取らない、単に現実から逃げただけの物語だ。オードリー・ヘプバーンさん演じるアン王女がグレゴリー・ペックさん演じるブラッドレー記者と駆け落ちする結末の『ローマの休日』だ(宮崎監督の『ルパン三世 カリオストロの城』でたとえてもいい)。それはそれで夢見た結末ではあるけど、そんなもんは夢でいいわけで、誰も望んでないんだよ。いくら「未体験の映像」のためとはいえ、ちょっと物語が雑すぎるよなー。
 キャラの設定と設置も雑で、全てが類型的すぎる。つまり、キャラそれぞれの立ち位置は絶対的で、別の領域と交差することがない。とっても古めかしい作劇だ。大佐なんて典型的な筋肉バカだし。そもそもさぁ、ナヴィ族のどこに惹かれたの主人公は? 鹿みたいな顔が真っ青なってる生き物なんだよ? 「実はこんなサイド・ストーリーがありまして……」ってなりそうだけど、そんなのは画面に説得力があっての話。『アバター』を日本で萌えアニメとして作れば、かなり説得力のあるナヴィ族が描けるとは思うけど。
 でもまあ、物語が雑なのは意図したものだろう。『アバター』の主軸は、「感動的な物語」なんかにはなく、「未体験の映像」にある。物語は、「未体験の映像」を効果的に、また飽きずに楽しめるためにある。物語の途中、主人公は、「アバター」である時とそうでない時のどちらが「真の自分」なのかわからなくなる。そこから『クラインの壷』のような展開をやろうと思えばできたろうけど、キャメロン監督はやらなかった。できる限り「未体験の映像」に注意を注いで欲しいからだ。
 だから『アバター』にとって重要なのは、テキトーな物語を批判することでなく、「未体験の映像」を批判することだ。

 特撮の技術に関しては絶賛するしかない。本当に凄い。CGの技術力は遂にここまできたか、と感心するばかり。ありえない空想世界が本当に実在しているかのような質感がある。衛星パンドラでロケしてきたと思えてしまう。12年間も新作を出さなかっただけはある。
 が、しかし、『ターミネーター2』でのCGの使い方や、スティーヴン・スピルバーグ監督の『ジュラシック・パーク』や『プライベート・ライアン』を観た時程のインパクトはない。凄いは凄いんだけど、3D効果を加えなければならなかったために、真に革新的な映像にはなっていない。それに、3D効果のせいで、逆に画面に奥行きがなくなっている
 いうまでもないことだけど、3D効果で立体的に見えても、実際に我々が「見ている感じ」とは全く異なる立体感で、つまり現実的な立体感にはまだまだ程遠い。「2Dな3D」というか、「写実的な萌え漫画」な感じ。写真を見ればわかるけど、写されたものはレンズや撮り方による――ピントの合わせ方で全く異なる写真になる――ので、事実と真実は異なるものだし、人によって捉え方が異なるものだ。現時点での3D技術は、「みんなの事実」を扱える程度の技術力でしかなく、「誰か1人の真実」を扱える程度には到達できていない。それは扱う人の感性や考え方によって異なるけど、たとえばキャメロン監督でなく、ブライアン・デ・パルマ監督やデヴィット・リンチ監督やデヴィット・クローネンバーグ監督が3D映画を撮ったら、キャメロン監督とは異なる方向性の3D映画を撮るだろうけど、まだまだ技術がそれを実現させられる域にない。できることはピントをどこに合わせるのか、程度のものだろう(3D効果はそんなもんだったりするわけで)。となると、3D効果は、実はとても映画をつまらなくするものなのかもしれない。
 『アバター』は物語と同様に、演出も面白くない。特撮技術は凄いけど、記憶に残る程に素晴らしいショットは皆無。超大作なのに、映像の印象は「物凄い金のかかったTVドラマ」だった。特撮技術が凄くて現実味があるけど、やたらとピントの合った夢のようでもある。だからむしろ、のっぺりと平坦な画面になっている。「立体感が凄い」という人はいるだろうけど、そんなものを映画に求めても――少なくとも今の技術力では――面白いとは思えない。本当に凄い3D映画は、それこそSF映画のように、ヘッドホンのようなものを頭に付けて、脳に直接働きかけるような機械が開発されてからだろう。それまではどこにピントを合わせるか、それだけが問題になる3D映画しか作られない(それでもアトラクションとして面白いといえば面白いんだけど)。そしてそれによって映画は確実に面白くなくなる。

 昨年は、「3D映画元年」といわれた。『アバター』は確実にそれを印象付ける映画ではある。そう、まだ「元年」に過ぎない。『アバター』ですら、最初の一歩に過ぎない。ここからもっと凄い映画が登場するだろう。
 本当に凄い3D映画は、今現在大活躍している人気監督でなく、もっと若い、まだ無名に近い――または無名の――監督が作ることだろう。現状の3D映画はピントの合わせ方に終始するだけなので、全く考え方の新しい監督――または専門の技術者――が登場しない限り、本当に凄い3D映画は観られないと思う。「未体験の映像」は、まだ『アバター』にはない。CGの技術は物凄いけど、日進月歩の技術開発を考えれば、予想の範囲内だ。
 全体的なイメージが『エイリアン2』の別世界の物語にしか思えない点からも、『アバター』は、観客からすると大して凄くない。時間も無駄に長い(30分は確実に無駄)。
 映画館によっては3Dメガネが鑑賞の妨げになるだろうから、物珍しいのが好きな人以外は、2D版を観た方がいいと思う。物語が面白くなくても3D効果で楽しめるけど、3Dメガネによっては観るのも我慢ならないかもしれないし。
 ここから新しい世界が始まる――そんな期待は全く感じられない映画だった。私としては、残酷さとエロさに3D効果を特化した映画の登場を期待しとうございます。
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テーマ : 映画館で観た映画
ジャンル : 映画

tag : アバター

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プロフィール

ばっどていすとさんどいっち

Author:ばっどていすとさんどいっち
テクノ好き。
アンダーワールドのRez大好き。
映画大好き。
ジャッキー・チェンが生涯の英雄。
生涯1位作品は『ミミズバーガー』。
2位が『溶解人間』。
泣き虫で、馬鹿。
itsuka-omoi-dasu-bts@hotmail.co.jp

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