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2009-12-09
涙で前が見えない
ピクサーの『カールじいさんの空飛ぶ家』(通常上映版)を観た。で、その感想をば――と思っていたんだけど、実は途中からまともにスクリーンを見られなかった。いや、最初からか。
我ながら頭がおかしいんじゃないかと疑いたくなるほど、ボロボロと、ちゃんと締めても水が止まらない壊れた水道の蛇口のように、泣いてしまった。だくだくと泣く泣く。映画を観る時は、スクリーンがよく見えるように、基本的に眼鏡をかけているんだけど、涙を流しながら瞬きをするせいで涙の飛沫がレンズに付きまくり、レンズが汚れて見辛くなり、眼鏡をかけている意味が殆どなかったくらいだ。
本編前の短編はまだ大丈夫だった。本編が始まっても、台詞のあるカールじいさんの子供時代の描写もまだ大丈夫だった。その後、奥さんと結婚してからの無声劇あたりから、じわーっと泣けてきて、奥さんが流産してしまった描写のところで一気に涙腺が決壊。ぶわっとね。
その次の決壊タイミングは、たくさんの風船がぼんっと家の屋根から飛び出して、家が飛ぶ場面。あの色とりどりの風船の表現に泣け、街の人々が空飛ぶ家を驚き眺める描写――特に地面に空飛ぶ家の影だけを映して表現するショット――に泣けた。
奥さんのアルバムが何度も何度も効果的に使われる場面でも泣けた。
物語の重要なポイントとして、変化を恐れてはいけない――今、手に握っている大切なものを離さなきゃ、次の大切なものを掴めない――という展開が場面があるんだけど、そこでも泣けた。
途中の大冒険には、ハラハラしたし、笑えたけど(人間の言葉で喋る犬が特に! あれ巧いなぁ!)、カールじいさんの家との別れには、やはり泣けた。そして、その家のその後の姿の美しさと愛しさに泣けた。
もちろん、最後にも泣けた。これが最後だから遠慮しなくてもいいとばかりに。
幸いにして観客は多くなく、みんな私から離れた座席に座ってたので、いい歳した男がディズニーアニメでボロボロ泣いているのを見られて恥ずかしい思いをすることはなかった。
ピクサーの前作『WALL・E/ウォーリー』もボロボロと、普通の人なら泣かないような出だしからボロボロと泣けたけど、今度の『カールじいさんの空飛ぶ家』はそれ以上だった。何がそんなに私の感情を揺さぶったのか、正直ちょっとわからない。
私は、展覧会とかで絵を観に行って、「感動的な~」という表現を使って絵の評価をする人多いけど、本当に泣いて感動してしまうような奴なのだ。とにかく感動し易く泣き易い。漫画雑誌をコンビニとかで立ち読みしていて、感動してボロボロと泣いてしまって立ち読みどころじゃなくなることもよくある。油断していると、ディズニー映画の冒頭に表示される社名ロゴのCGムービー「シンデレラのお城」を見るだけで感動してしまうし(何度も見てるってのに)、ピクサーのロゴである「ルクソーJr.」を見るだけで感動してしまう(これまた何度も見てるってのに)。
条件反射的に泣くことも多い。「泣けてしまう場面」があると泣いてしまうのだ。たとえば、TVを点けたらドラマがやっていて、それがちょうど愁嘆場だったりすると、いきなりじわーっと来る。どんな物語なのかさっぱりわからないのに、「泣けてしまう場面」だからという理由で。さすがに条件反射だけで泣く場合は、「泣けた=素晴らしい」でないことは自覚しているので、「泣けた映画=素晴らしい映画」となることはない。最近のその代表例は、『沈まぬ太陽』(飛行機事故の遺族の場面)や、『風が強く吹いている』。条件反射で泣いてしまうと、後で「面白くないのに何で泣いてしまうんだ?」と思ってしまう。感動ポイントが激安なのかもしれない。
でも、『カールじいさんの空飛ぶ家』は、本当に感動した。考えると、その感動は、クリント・イーストウッド監督・主演の『グラン・トリノ』にとてもよく似ている。
『グラン・トリノ』と『カールじいさんの空飛ぶ家』は、似ている。主人公は、じいさんだし、頑固だし、他人を寄せ付けないし、過去に囚われている。他人の子供がそこに割り込み、主人公の人生をかき乱す。途中まではそれが鬱陶しかったのに、最後にはそれを守るために命を張る。そして重要なポイントとして、今のアメリカを表現している。『カールじいさんの空飛ぶ家』は、アニメ版の『グラン・トリノ』だ。『グラン・トリノ』にも嗚咽を漏らすぐらいに感動して泣いた。それならば、『カールじいさんの空飛ぶ家』も同様なのは当然だ。
しかし、涙のせいでせっかくの綺麗な映像を見逃したままでは意味がないので、また観に行きたい。最低でもあと2回は観る。1回は、音の良い映画館に場所を変え、親しい人を誘い。もう1回は、3D上映している映画館で観てみたい。せっかく3D版があるんだし、幸いにして3D上映をしている映画館が石川県には2館もあるんだし、そりゃあ3Dで観なきゃ損ってもんだ(が、イオンかほくでは観たくないなぁ。3D眼鏡が重くて嫌だし)。
今年観た映画で心から感動した映画は3本ある。『グラン・トリノ』、『愛のむきだし』、『マイケル・ジャクソン THIS IS IT』。これ以上増えることはないだろうな、と思っていた。でも、4本になった。たぶん、もう増えない。と思う。
ところで、感動の余波で、帰りに『WALL・E/ウォーリー』のBlu-ray版を買ってしまった。プレイヤーを持っていないくせに……
我ながら頭がおかしいんじゃないかと疑いたくなるほど、ボロボロと、ちゃんと締めても水が止まらない壊れた水道の蛇口のように、泣いてしまった。だくだくと泣く泣く。映画を観る時は、スクリーンがよく見えるように、基本的に眼鏡をかけているんだけど、涙を流しながら瞬きをするせいで涙の飛沫がレンズに付きまくり、レンズが汚れて見辛くなり、眼鏡をかけている意味が殆どなかったくらいだ。
本編前の短編はまだ大丈夫だった。本編が始まっても、台詞のあるカールじいさんの子供時代の描写もまだ大丈夫だった。その後、奥さんと結婚してからの無声劇あたりから、じわーっと泣けてきて、奥さんが流産してしまった描写のところで一気に涙腺が決壊。ぶわっとね。
その次の決壊タイミングは、たくさんの風船がぼんっと家の屋根から飛び出して、家が飛ぶ場面。あの色とりどりの風船の表現に泣け、街の人々が空飛ぶ家を驚き眺める描写――特に地面に空飛ぶ家の影だけを映して表現するショット――に泣けた。
奥さんのアルバムが何度も何度も効果的に使われる場面でも泣けた。
物語の重要なポイントとして、変化を恐れてはいけない――今、手に握っている大切なものを離さなきゃ、次の大切なものを掴めない――という展開が場面があるんだけど、そこでも泣けた。
途中の大冒険には、ハラハラしたし、笑えたけど(人間の言葉で喋る犬が特に! あれ巧いなぁ!)、カールじいさんの家との別れには、やはり泣けた。そして、その家のその後の姿の美しさと愛しさに泣けた。
もちろん、最後にも泣けた。これが最後だから遠慮しなくてもいいとばかりに。
幸いにして観客は多くなく、みんな私から離れた座席に座ってたので、いい歳した男がディズニーアニメでボロボロ泣いているのを見られて恥ずかしい思いをすることはなかった。
ピクサーの前作『WALL・E/ウォーリー』もボロボロと、普通の人なら泣かないような出だしからボロボロと泣けたけど、今度の『カールじいさんの空飛ぶ家』はそれ以上だった。何がそんなに私の感情を揺さぶったのか、正直ちょっとわからない。
私は、展覧会とかで絵を観に行って、「感動的な~」という表現を使って絵の評価をする人多いけど、本当に泣いて感動してしまうような奴なのだ。とにかく感動し易く泣き易い。漫画雑誌をコンビニとかで立ち読みしていて、感動してボロボロと泣いてしまって立ち読みどころじゃなくなることもよくある。油断していると、ディズニー映画の冒頭に表示される社名ロゴのCGムービー「シンデレラのお城」を見るだけで感動してしまうし(何度も見てるってのに)、ピクサーのロゴである「ルクソーJr.」を見るだけで感動してしまう(これまた何度も見てるってのに)。
条件反射的に泣くことも多い。「泣けてしまう場面」があると泣いてしまうのだ。たとえば、TVを点けたらドラマがやっていて、それがちょうど愁嘆場だったりすると、いきなりじわーっと来る。どんな物語なのかさっぱりわからないのに、「泣けてしまう場面」だからという理由で。さすがに条件反射だけで泣く場合は、「泣けた=素晴らしい」でないことは自覚しているので、「泣けた映画=素晴らしい映画」となることはない。最近のその代表例は、『沈まぬ太陽』(飛行機事故の遺族の場面)や、『風が強く吹いている』。条件反射で泣いてしまうと、後で「面白くないのに何で泣いてしまうんだ?」と思ってしまう。感動ポイントが激安なのかもしれない。
でも、『カールじいさんの空飛ぶ家』は、本当に感動した。考えると、その感動は、クリント・イーストウッド監督・主演の『グラン・トリノ』にとてもよく似ている。
『グラン・トリノ』と『カールじいさんの空飛ぶ家』は、似ている。主人公は、じいさんだし、頑固だし、他人を寄せ付けないし、過去に囚われている。他人の子供がそこに割り込み、主人公の人生をかき乱す。途中まではそれが鬱陶しかったのに、最後にはそれを守るために命を張る。そして重要なポイントとして、今のアメリカを表現している。『カールじいさんの空飛ぶ家』は、アニメ版の『グラン・トリノ』だ。『グラン・トリノ』にも嗚咽を漏らすぐらいに感動して泣いた。それならば、『カールじいさんの空飛ぶ家』も同様なのは当然だ。
しかし、涙のせいでせっかくの綺麗な映像を見逃したままでは意味がないので、また観に行きたい。最低でもあと2回は観る。1回は、音の良い映画館に場所を変え、親しい人を誘い。もう1回は、3D上映している映画館で観てみたい。せっかく3D版があるんだし、幸いにして3D上映をしている映画館が石川県には2館もあるんだし、そりゃあ3Dで観なきゃ損ってもんだ(が、イオンかほくでは観たくないなぁ。3D眼鏡が重くて嫌だし)。
今年観た映画で心から感動した映画は3本ある。『グラン・トリノ』、『愛のむきだし』、『マイケル・ジャクソン THIS IS IT』。これ以上増えることはないだろうな、と思っていた。でも、4本になった。たぶん、もう増えない。と思う。
ところで、感動の余波で、帰りに『WALL・E/ウォーリー』のBlu-ray版を買ってしまった。プレイヤーを持っていないくせに……
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tag : カールじいさんの空飛ぶ家
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