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2009-11-04

『私の中のあなた』は、空っぽの私の物語

 キャメロン・ディアスさん主演の『私の中のあなた』を観た。
 日本で大人気の「難病もの」なんだけど、そこはさすがに腐ってもアメリカ映画、邦画の「難病もの」とは違い、設定が正しく「現代的」であり、単なるお涙頂戴に終わっておらず、観る前から「これなら面白そう」と期待を抱ける。そんな「難病もの」は、邦画では『ちゃんと伝える』くらいしかないのだから、期待はかなり大きかった。

 2歳の頃に白血病であることが発覚した娘を助けるため、その両親は、ドナーが完全一致する移植用に遺伝子操作で新たに子供を“創る”。しかし、その“創られた”子が、自らの人権を訴え、姉への移植手術を拒否する訴訟を両親相手に起こす。両親は驚く。まさか妹は姉を助けたくないのか? 移植手術を拒否することは即ち姉を死なすことにしかならないからだ。しかし実は、姉妹には誰にもいえない2人だけの秘密の決意があった――

 粗筋だけ見ても、物語は掃いて捨てる前から腐っている邦画の「難病もの」と一線を画する。デザイナーズ・ベイビーを扱っているだけでも、邦画からするとSFみたいな設定だ。実際、『私の中のあなた』で重要なのはその設定。
 誰かを助けるために、身代わりとなって用意された存在。これは、たとえばスティーヴン・スピルバーグ監督の『A.I.』も似たようなものだ。だからたとえば『私の中のあなた』は、舞台が科学の発展した未来で、妹がアンドロイドで、姉の死後、妹にその脳を移植し、姉の肉体は死滅しても心は生きている――そんなSF設定だったとしても似たような内容で作れてしまう。つまり『私の中のあなた』は、SFでは特に珍しくもない使い古された設定で、その姿形を変えただけのものでしかない。なのに面白いと思えるのは、登場人物それぞれに視点を変え、立場の違いから事態がどのように見えるかを描き分けている語り口の巧さにある。
 物語は、日本じゃ考えられない話だけど、想像はできるし、考えさせられる問題を孕んでいる。長女を助けるために妹を“創り”、その身体をいじる、一見すると非道な両親は、もちろん非道なわけがなく、物凄い葛藤を抱えている。病気の姉、その姉を“助けるためだけ”に存在する妹、その両者の間で存在感を失っていく弟、子供たちも三者三様に悩みを抱えている。特に、妹が両親を訴えてからは家族間がギスギスしてしまう。が、みんな、良かれと思って行動している。少しでもみんなの幸せのために、最善の行動を採ろうとしている。家族の周囲にいる、親戚や医者たちも、解決には程遠いけど、最善を尽くす。素晴らしい人間ドラマだ。
 ありふれた物語をSF的設定で作り、見事な語り口で描いた物語は、とっても感動的で、また衝撃的だ。が、それは原作である『わたしのなかのあなた』の話。映画はお世辞にも成功しているといえない。

 まず、映画は原作の脚色に失敗している。意味不明の場面がかなりある。長男が夜の街を徘徊している場面など、長男絡みの場面は、その行動の説明が全くなく、「何じゃこりゃ?」と、原作を読んでいないと意味不明すぎる(特に長男が病院の屋上から絵を破いて捨てる場面は意味不明な上に非常識だ)。弁護士がいきなり癲癇でぶっ倒れるのも意味不明というか不要だ。何つーか、気分だけの場面が多い。それに何よりも結末。原作と全く異なっているんだけど(死ぬ人が違う)、あれじゃあ「私の中のあなた」という題名の意味がない。
 「私の中のあなた」は、単純に考えると、「死んでもあなたは私の中に生き続けている」という古今東西使い古されたありきたりの意味に捉えてしまうけど、実は違う。原作だと、文字通りの意味で、「私の中のあなた」なのだ。そして原題である「My sister's keepper」の意味を考えると、映画の演出は納得できるものじゃない。原題を直訳すると「私は姉の番人」となるから、これまた簡単に考えると「確かに、妹が姉の命を守ってるものなぁ」と思えるんだけど、原題の意味はそうじゃない。よくある兄弟の世話を巡っての親子喧嘩の内容みたいなものなのだ。
 「あんたのお姉ちゃんなんだから、助けるのは当然でしょ!」
 「私だって好きなことしたいよ! 私が好きなことしちゃ駄目なの!? 私はお姉ちゃんの番人なわけ!?」
 まあ、そんな感じの会話に登場するような、「私は姉の番人」であって、間違っても『ボディガード』みたいなものではない。つまり、鼻で笑って、「はっ、知ったことか」というような嫌味の意味がある。原題にはそーゆー辛辣な意味があって、同時に誰もが考える優しい意味もあって、原作にはそれがあって映画にはない。映画はただ単に甘々だ。

 SF要素、法廷劇の要素、「難病もの」、家族愛、恋愛、色んな要素が詰まっていて、とっても面白そうなのに、実際はとっても薄ぅ~い印象しかない。特に法廷劇の要素が寂しすぎる。はっきりいって、なくても構わないんだもん。盛り上げるためのフックにはなっているけど、それだけ。途中から放置プレイ。すっごい中途半端。
 何でそんなことになってしまっているのかというと、登場人物や物語や世界がみんな優しいように描きたいから。いや、そりゃあね、優しい世界の方がいいですよ? でも、そんな起伏のない物語を面白くするのはかーなり難しい。やっぱ敵というか嫌な奴が登場してくれないと盛り上がらない。だのに、『私の中のあなた』にはそんな要素が全くない。悪い奴といえそうなのは、せいぜいで母親くらいなんだけど、それにしたって本当の悪人じゃないし。みんな優しい人ばかりで、この世は優しいのです、めでたしめでたし……って、そんなの面白いわけないじゃん!
 結論としては、結末を変えてしまってのが何よりも悪い。原作の辛辣さが全くなくなり、ただただ優しいだけの物語で終わってしまっており、後味がさっぱりしすぎていて何も心に残らない。
 俳優人の演技は、みんな結構良い。ところが、感動できるようでできない。キャメロン・ディアスさんは、演技派への道を歩こうとしているのか、頑張っているけど、ちょっと似合わない。丸坊主にする場面なんて、感動的から程遠かったし。ケイト役のソフィア・ヴァジリーヴァも、メイクに助けられた感じ。ハゲっつーとゴスってのはお約束過ぎて止めてほしかった。アナ役のアビゲイル・ブレスリンは巧いけど、存在感は全くなし。何に困って訴訟を起こしてんだかよくわからない存在感。弟に至っては不思議ちゃん。存在が全く機能していない。その他にも、断片的に語られる脇役陣(弁護士や判事)の挿話が無駄なのも駄目。結末の挿話に、弁護士の勝率に関する会話があるけど、あれもさぁ、「君のお陰で93%になったよ」とかにした方が良かったのにねぇ……
 とにかく、優しい優しい映画なわけですよ。「私の中の」というよりは、「夢の中の」て感じの。その原因は間違いなく脚本にあるけど、監督が何よりも悪いニック・カサヴェテス監督だもんなぁ。全体的にぼんやりとした、登場人物の誰もが優しいだけの、現実的でない物語になってしまっている。これがたとえばスパイク・ジョーンズ監督なら、原作通りに、結末も同じようにして、冷たいと思えるくらい衝撃的な映画に作れたろう。

 とまあ、映画そのものが中途半端で批判してしまったけど、本当に批判すべきは配給会社(なのかなぁ?)だ。どこがというと、挿入歌の歌詞に字幕がないこと
 劇中には、何曲も挿入歌が流れる。登場人物が殆ど喋らない場面で、登場人物の心情や状況を代弁するように。その挿入歌の殆どに字幕がない。これにはね、「アホか!」と声(文字)を大にして怒りたい。
 『WALL・E/ウォーリー』の時にも似たような批判をしたから、『私の中のあなた』だけに限った話じゃないんだけど、もうちょっと挿入歌の歌詞にも気を配ってもらいたい。歌詞の意味がわからなきゃ、CMで流れているBGM程度にしか感じないでしょーが! 意味があって使われているってのに、何やってんのさ配給会社は! ケチらずに歌詞も字幕にしろ! 気になった人はサントラを買えってか?
 エンド・テロップで使われるヴェガ4の「Life is beautiful」にしたって、歌詞の字幕がありゃしない。手抜きとしかいいようがない。どうでもいい広告――「感動しました」を色んな有名人から集めたりするような――にお金を使うくらいなら、もっと映画の内容に気配りした方がいいと思うんだけどなぁ。まあ、そうしたところで映画が素晴らしく良くなるわけでもないんだけど。と、グチばっかだけど、それでも昨今の邦画の「難病もの」よりは何百倍も素晴らしいですよ
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テーマ : 映画館で観た映画
ジャンル : 映画

tag : 私の中のあなた

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プロフィール

ばっどていすとさんどいっち

Author:ばっどていすとさんどいっち
テクノ好き。
アンダーワールドのRez大好き。
映画大好き。
ジャッキー・チェンが生涯の英雄。
生涯1位作品は『ミミズバーガー』。
2位が『溶解人間』。
泣き虫で、馬鹿。
itsuka-omoi-dasu-bts@hotmail.co.jp

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