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2009-09-23

新世界秩序をカナザワ映画祭で

 カナザワ映画祭3日目は、『エッセネ派』、『ツァイトガイスト』、『ツァイトガイスト:アデンダム』、『ノストラダムス 戦慄の啓示』の4本を観た。

 『エッセネ派』は、さすがフレデリック・ワイズマン監督、軽ぅ~く傑作。
 変に生真面目な人ばかりがいる、禁欲的な宗教集団エッセネ派の内部事情を描いたドキュメンタリー。内部事情といっても、どこにでもある人間関係のグチグチした愚痴を映しているだけ。そんなの面白いか? 面白いのだこれが。
 宗教映画というとどうしても胡散臭い先入観があるけど、『エッセネ派』は違う。というか、ワイズマン監督の映画は皆、先入観がない。とある宗教団体の内部から描かれる事柄は、その他の色んな集団と何ら変わることがない。矮小なことに悩み、みんなで慰め合う。そのための集団。人間は弱く、孤独で、1人だけでは生きられない……そんなどこにでもある普通の人々を「エッセネ派」という馴染み浅い宗教団体で描く。しかし、「エッセネ派」というのは、題名にそうあるから「エッセネ派」なのであって、運の悪いことに題名を見逃していると「エッセネ派」ではなく、何だか黒い格好をしたキリスト教に関わりのある人々がグチグチと話している集団生活のドキュメンタリー、としか思えない。ワイズマン監督作品が面白いのは、そんな理解で十分なとこ。
 ワイズマン監督は先入観を持って撮らないけど、「こいつら面白い!」と思って撮っている。当たり前だけど、対象が面白くなきゃドキュメンタリーなんて撮れやしない。対象が面白くなくても撮れるのはTVのバラエティー番組くらいのものだ。「こいつら面白い!」と思って撮っているわけだから、できる限り面白い部分を撮ろうとしている。つまり、ドキュメンタリーだけどかなり作為的だ。偉そうに哲学的なことを話しているかと思えば、蝿が飛び交ってるのが気になって「蝿を殺していいか」と蝿叩きを振る修道士が映っている場面なんて、ワイズマン監督の意地悪さが滲み出ている。
 面白い場面を作るのと、面白い場面を撮るのは決定的に違う。そこが全くわからない可哀相な映画の最近の代表例は松本人志監督の『しんぼる』だ。ワイズマン監督も「面白い場面を作る」ことはあるだろうけど、基本的には「面白い場面を撮る」だ。対象に寄って寄って、しつこく撮る。上映時間は2時間くらいでも、撮影時間はその何十倍以上。ナレーションは入れず、効果音は使わず、意図的に挿入する音楽も使わず、字幕による説明もなし。だから『エッセネ派』は、どこで何が起きているのかよくわからない。妙に親近感の湧く、名字でなくて名前で呼んで良いか悪いかに悩んだりする、本人にとっては深刻だけど他人にとってはどうでもいいお悩みを抱えた修道士たちがグチグチ喋っているだけ。それを、ナレーションも字幕説明も音楽も使わずに映しているってことは、その修道士たちがただ単に物凄く面白い人々であるってことだ。普通の悩みを抱えているだけなのに、物凄く面白く見える。見えるように撮っている。見えるように編集している。上映時間の何十倍も撮り、その大半をばっさりと切り捨て、残った部分が映画作品となって観客の目に映る。さり気ないドキュメンタリーに見えて、『エッセネ派』はなくてはならないショットだけで成り立っている。愚痴をこぼしているのも、慰め合っているのも、蝿叩きも、切り捨ててはらないと判断された。ワイズマン監督は物凄く意地悪なのだ
 どこまで行ってもワイズマン監督の映画は「映画」で、決して「ドキュメンタリー」という枠組みで語るべきものではない。訴えるものも特にないみたいだし。それが改めて思い知らされる『エッセネ派』だ。極端な比較でいうと、森達也監督の『』の真逆にいる監督だと思う。
 あ、でも、物凄く感動して泣いている観客がいたなぁ。やはり、凄い監督だ。

 『ツァイトガイスト』と『ツァイトガイスト:アデンダム』も面白かった。陰謀論や社会の変革についてのドキュメンタリー映画だ。つまり、眉に唾を塗りたくって観る必要のある映画だ。
 2作品の内容を合わせて要約すると、今現在の世界を動かしている「システム」は欺瞞に満ちており、新たな「システム」を構築する必要がある、というもの。「システム」は大別して2つに別れる。宗教と、競争原理だ。
 宗教については、主にキリスト教を取り上げていた。その起源から、現在の状況まで。そして、詐欺紛いの作法が横行しているので、既存の宗教は使い物にならない、という話。うーん、でもなぁ、管理コストを考えると信仰を利用するシステムはとても便利だ。宗教のせいで争いが絶えないけど、デメリットよりもメリットの方が大きい。
 その争いについても、資本主義がいかんだの貨幣社会がいかんだのアメリカが全て裏で暗躍していただのいってたけど、要するに人間は競争原理で行動するから駄目なんだ、って話だ。これまた、うーん。確かに、争いはなくなってほしいけど、時には必要なことだってある。アメリカの戦争的な政治介入が全て駄目だったわけでもない。それに、競争原理だけでものを考えるのなら、国際貿易が上手に動いている間は、そう簡単に戦争を始めることはない。問題があるとしたら、そこを理解しない政治家や一般市民がいることだろう。
 後半からは、特に『ツァイトガイスト:アデンダム』は、かなりの時間を金融システムについて割いていたけど、おかしな点がいくつもある。大雑把にいうと、コストばかり問題にして、ベネフィットについて説明を避けている点だ。戦争についても、今時戦争で儲かるなんて思っているのは時代遅れもいいとこだし、アメリカが弱小国に対して国有組織を民間化させて儲けようなんてのは完全に陰謀論でしかない。ちょっと考えてみようよ、日本のゆうちょ民営化でアメリカがそんなに儲かるか?
 金融や財政関係の説明は、とぉっても詳しくしてあったけど、マネーサプライやマネータリーベースやマネーストックの扱いがごっちゃになっている。インフレ目標とハイパーインフレを区別なく扱ってるのも変だし、中央銀行の独立性についても間違っている。中央銀行が勝手に動いているのは、先進国じゃ日本くらいのもんじゃないの? 普通は、政府が政策を決めて、中央銀行がその達成に動く、でしょ?
 格差が生じてもいいから自由市場主義を選ぶ人々の方が選ばない人々よりも多い。しかし同時に、脱落した人々をみんなで救う必要性を感じている人々はもっと多い。ちなみに日本は、自由市場は嫌だし、脱落した人々をみんなで救うのも嫌、と感じている先進国唯一の国だ。レディオヘッドが喜びそうなグローバリゼーション批判もしていたけど、本当にグローバリゼーションは駄目なのか? 強国から搾取される弱小国、というのは確かにあるけど、それが長期的に続くことはない。弱小国が価値ある生産をしているのなら、他国がもっと良い条件で取引に参加するからだ。結果的に弱小国の収益は上がっていく。中国が好例だ。これがもしもグローバリゼーションがなかったら弱小国は強国の奴隷国家のままで、搾取され続けることになる。
 また、もっとより良い社会がある筈だ、というんだけど、そりゃあその通りだけど、人間は愚かじゃないんだから、今現在進行形でより良い社会に向かって邁進しているよ。エコエコやかましいのは利権のためだけじゃないんだから。それに『ツァイトガイスト』がいってるのは結局、社会主義と共産主義にニューエイジ思想と『マトリックス』を足して最後に『ゼイリブ』をパラパラと一つまみ、だ。ついでにいうと、人間の性善説を基本にしているから、駄目。さらに、どれだけ優れた社会になって優れた人々ばかりになっても、かならず落ちこぼれる人々が現れる。努力や勉強が嫌いって人は絶対にいる。人間性そのものを変革するには、あと1世紀程度じゃ済まないだろう。何で共産主義が全世界で成功しなかったのかを考えればそれがよーくわかる。たとえば単純に考えて、隣の家がPS3を買って、みんながそこに集まって遊ぶとする。1つの財産をみんなで共有すれば、みんな幸せ。でも、人間は所有欲があるから、自分だけのPS3が欲しいなぁ、と考えたりする。それが資本主義を支えるのだし、共産主義を成功させられない要因だ。『ツァイトガイスト』に登場する「ヴィーナス計画」とやらは、人間から欲望を奪うものでしかなく、それを成功させるには政府が途方もない資金を費やさなきゃ無理だろ。
 政府そのものがいらない、とも「ヴィーナス計画」はいっている。支配する、という概念自体が将来的にはいらない、と。しかし、どんな社会にも生産性ってものがある。その全てを機械に頼るようなシステムは、当分の間、実現不可能だろう。ならば、人間による生産性が存在し、個々人の生産性にはどうしても差が生じ、出来の良い人と悪い人が区分される。もしも「ヴィーナス計画」が出来の良い人ばかりを集めても、その中の下位何パーセントかの人々は出来の悪い人になる。これは今のところ解決できない法則だろう。理想論でならどんな幸せな未来でも描けるもんだ。
 基本的に社会はトレードオフで動いている。何もせずに何かを得ることはできない。フリーランチができる社会があるとしたら、それは夢の錬金術だ。でも、何もかもがゼロサムを基本としているわけでもない。何もかもがゼロサムゲームになるんだとしたら、グローバリゼーションは破綻してしまう。むしろグローバリゼーションが良くしている部分はたくさんある。
 『ツァイトガイスト』は、あれが駄目これが駄目と批判はするけど、解決策は全く提供しない。「こーんな凄い構想があって、それが実現したら凄いんですよ!」とはいってるけど、それは子供の空想と何ら変わらん。TVの中だけに存在する太田総理と程度は同じ。世の中は、たくさんの複雑な問題をたった1つの冴えたやり方で解決するなんてできないんだよ。
 しかし、そんな批判は『ツァイトガイスト』には通用しない。だって、「何事も完璧なことなんてない」と最後の最後に言い訳するんだもん。それなら、今が駄目だと断定することだってできないじゃないか! 長時間見せておいて、最後がそれ。ずるいなー。
 と、ケチばかりつけているけど、啓蒙映画としては良作で、面白かった。『ツァイトガイスト:アデンダム』の最後にローザ・パークスさんの映像が映り、ちょっと感動してしまうし。日本ではマーティン・ルーサー・キング牧師やマルコムXさんの方が有名だけど、私はパークスさんが好きだ。それでもマイケル・ムーア監督作品に比べたら啓蒙ドキュメンタリーとしての威力は低く、娯楽度は圧倒的に低い。単純で典型的なネオリベラリズム批判なので、少しでも興味のある人は、ツッコミ甲斐があり、夢中になるかもしれないけど。嘘と正しいことを巧い配分で混ぜてあるので、信じる人もたくさんいそう。
 映像がiTunesのビジュアライザみたいで、音楽が安っぽい(シンセにプリセットされているような)ブレイクビーツなのはイライラしたけど。

 『ノストラダムス 戦慄の啓示』は、説明の必要がないくらいの、宗教映画。皆様、大笑いしておりました。尻尾星人とかね。ただ、何がいいたいんだかさっぱりわからない構成なので、かなり苦痛な映画でもある。殆どノストラダムスと関係のない内容だし。でも頑張れ、幸福の科学。私は応援しているぞ(映画だけね)。

 3日目は、面白かった。『エッセネ派』から『ノストラダムス 戦慄の啓示』まで続けて観ると、1本の物語展開が浮かび上がるからだ。色んな悩みがあって、人間はちっぽけで、競争したりあくせくしたりしてばっかで、そこから脱却することを目指さないと、世界は滅んでしまうから、1人1人の努力しだいで世界はもっとより良い世界に変革できる! そーゆー物語を1日がかりで見せられるわけです。それを考慮してタイムスケジュールを組んであるのだろうから、カナザワ映画祭、さすが。朝から晩まで1日中観てないといけないのが難点だけど。
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テーマ : 映画館で観た映画
ジャンル : 映画

tag : カナザワ映画祭

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プロフィール

ばっどていすとさんどいっち

Author:ばっどていすとさんどいっち
テクノ好き。
アンダーワールドのRez大好き。
映画大好き。
ジャッキー・チェンが生涯の英雄。
生涯1位作品は『ミミズバーガー』。
2位が『溶解人間』。
泣き虫で、馬鹿。
itsuka-omoi-dasu-bts@hotmail.co.jp

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