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2009-04-03

『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』は既に古典

 ブラッド・ピットさん主演の『ベンジャミン・バトン数奇な人生』を観た。ピットさん主演作としての、またデヴィッド・フィンチャー監督作としても、最高傑作じゃないだろうか。
 簡単にいえば、ティム・バートン監督の『ビッグ・フィッシュ』とロバート・ゼメキス監督の『フォレスト・ガンプ』の想像力に、ポール・トーマス・アンダーソン監督の『マグノリア』の構成力を足して、最後の味付けにダニエル・オートゥイユさん主演の『八日目』を振りかけた映画。どうせだから歌って踊る場面があったら完璧な映画だったかもしれない(私的に)。

 中身は赤ん坊でも、見た目(顔だけだけど)が90代くらいの爺さんとして生まれ、普通の人生と真逆に、歳を経るにつれ見た目だけが若返るベンジャミンの文字通り数奇な人生。数十ページしかないF・スコット・フィッツジェラルドさんの短編小説を3時間近くある長編へと構築し直し。
 空想的な要素がまず主軸にあるので、フィンチャー監督よりもバートン監督の方が『ベンジャミン・バトン』に向いているような気もするけど、フィンチャー監督はバートン監督のようにはせず、それは間違いなく正しかった。つまり、奇抜さや斬新さや先鋭的な語り口を選ばなかった。たぶん、かなりのフィンチャー監督ファンはその点でガッカリすると思う。『セブン』と『ファイト・クラブ』を愛する者なら特に。
 フィンチャー監督は、前作の『ゾディアック』と似た方法で撮っている。つまり、最初から古典を作ろうとしている。『セブン』や『ファイト・クラブ』に見られた先鋭的な演出をほぼ封印し、それこそ『ゴッド・ファーザー』のような古典を目指している。その証拠に、画面にしっかりとした“黒”が映っていることが挙げられる。少しは安易なショットがあるけど(ピットさんとケイト・ブランシェットさんのプロモーション映像みたいな場面)、大半は練りに練ったショットばかり。先鋭的なフィンチャー監督は、『ベンジャミン・バトン』に存在しない。しかしその代わりに、映画らしい映画を撮ろうとする熱意は今まで以上だと思う。それを巨匠欲と見る向きもあるだろうけど。

 ピットさんの演技も素晴らしい。今までで最も静かな演技を求められ、ちゃんとそれに応えている。老人であってもカッコ良く、青年であればさらにカッコ良く、それはおすぎさんが大喜びしそうなくらいで、『リバー・ランズ・スルー・イット』や『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』の美青年ぶりを想い出す。観終えた今、ピットさん以外にベンジャミン役はない、と思うくらいだ(いや、企画だけは動いていた、トム・クルーズさんも捨て難い)。
 ブランシェットさんも素晴らしい。大して好きでもない女優だったのに、気付いたら見惚れていた。バレリーナとして絶頂を迎えている頃のデイジーの、人間とは思えないあの美しさ! 『ロード・オブ・ザ・リング』から抜け出たような(この表現は間違っているな)! 絶対にCGで美しさをパワーアップさせてるよ!
 そんな美男美女が、幸せの絶頂を迎える場面の、本当に幸せそうなこと。3時間近くある長い映画だけど、『ベンジャミン・バトン』は、その幸せの絶頂に向かって作られている。そして、あとはそれをいかに綺麗に崩すか、と。

 人間は、赤ちゃんで生まれて、赤ちゃんみたいになって死ぬ。『ベンジャミン・バトン』は、そんな当たり前の事実を少しだけ変えて描いているにすぎない。
 原作版では、ベンジャミンは、見た目も知能年齢も老人で生まれ、そのまま比例的に若返って行く。映画版では、見た目と知能年齢は反比例している。見た目と知能年齢を折れ線グラフにすると、見た目と知能年齢が交差するのが、40代後半。ベンジャミンとデイジーが一緒に幸せに過ごすのがその年代で、だから映画版は、そこが最高潮となるように作られている(が、そこは最も面白くない部分でもある)。時が進み、また見た目と知能年齢が離れると同時に、ベンジャミンとデイジーも離れてゆく。
 40代後半を頂点として描きたいのなら、原作版同様に見た目と知能年齢を比例させても問題はなかった。が、そうすると、物悲しい物語になってしまう。原作版はとっても冷笑的だから。子供の頃から知能年齢が高くても良いことはないし、年老いているのに見た目が若くても良いことはない、普通が一番だ、と。しかし映画版では、最も悲惨な年代の話をすっ飛ばしている。デイジーと別れた後の、見た目が子供になってしまう年代の部分を。そこから、映画版は原作版と反比例したテーマを描こうとしていることがわかる。「どんな人生でも素晴らしい」ということを。
 映画版には善意しか存在しない。脚本を担当したのが『フォレスト・ガンプ』のエリック・ロスさんだからか、「普通って何?」という物語になった。短編だから可能なアイデアを、感動でコーティング(それでごまかしているわけだけど)。「どんな人間だって、最後は平等なんだよ」ということを、不平等な人々を使って描いている。時間は、どうあっても不可逆。逆転して見えるベンジャミンの「数奇な人生」も、「普通」なのだ。

 魅せることに夢中になっていたフィンチャー監督は、物語ることを始めたのだろう。その確かな演出力により、十年以上経っても鮮度は落ちないと思う。観客が年老いてから再び観ると、感想は変わるかもしれない。既にして古典となっているのだから。
 3時間近くあるけど、所々に挟まれる挿話がアクセントになり、飽きることはない。その演出ばかりは今までのフィンチャー監督印が味わえる。特に面白いのは、雷に7回打たれたという老人の挿話だ。いきなりスッと意味もなく挟まれるんだけど、それが妙な味になって、笑える。最後に○○○が降ってきて驚く『マグノリア』ほどの展開はないけど、最後に主要登場人物が順番に紹介される演出は、『八日目』みたいだった。あっさりした終わり方だけど、とっても幸せな気分になる。少しは無駄な場面があるけど、「少し」としか思えない、長いのが納得の映画。日本の無駄に長い映画は見習ってもらいたいものだ(『感染列島』とか)。
 そして『ベンジャミン・バトン』が感動的な映画として成功しているのは、主演がピットさんだからでもある。もしも主演がアダム・サンドラーさんだったりしたら……かーなり違ったものになっただろう。たぶん、もっと原作寄りで、出だしはダウンタウンのコントのようになってしまいそう。

 もしも日本で『ベンジャミン・バトン』を撮るとしたら、最も巧く撮るのは宮崎駿監督だろうな。

 ところで、何で題名は『ベンジャミン・ボタン』じゃないのかね? 『ペット・セメタリー』みたいなものなのか? そっちの方が面白いのに。
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テーマ : 映画館で観た映画
ジャンル : 映画

tag : ベンジャミン・バトン

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プロフィール

ばっどていすとさんどいっち

Author:ばっどていすとさんどいっち
テクノ好き。
アンダーワールドのRez大好き。
映画大好き。
ジャッキー・チェンが生涯の英雄。
生涯1位作品は『ミミズバーガー』。
2位が『溶解人間』。
泣き虫で、馬鹿。
itsuka-omoi-dasu-bts@hotmail.co.jp

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