2008-10-06

『ダークナイト』は単純で真っ当なヒーローもの

 今、社会の底辺で喘いでいる人々が犯罪を起こし、同じく底辺の人々が被害者になるような事件がよく起きている。社会を揺り動かす事件は、しかし社会全体に影響は与えられない。影響を与えるのは、底辺の人々のことなど大して慮らない、上の上で過ごしている人々だ。政治家には、底辺に蠢く人々をダシにして、自分たちに都合の良い事案を通す者もいる。そんな社会で、徹底的に社会をぶち壊してくれるような悪人がいたら、怖いけど、痛快かもしれない。『ダークナイト』に登場するジョーカーは、正にそんな悪人だった。何もかもをぶち壊してくれる、完全悪といえる存在。

 社会を憎むでなく、社会から搾取してやろうと思うでもなく、ジョーカーの悪行は、ただただ「悪」を世の中に蔓延らせることだけが目的だ。金や権威なんてのは、オマケ。ジョーカーは、貧乏だけど、悪人の貴族なのだ。
 対してバットマンは、金と権威を持っているだけのヒーローだ。バットマンであるブルース・ウェインは、金と権威がなければ何にもできない。生まれながらのヒーローであるスーパーマンなんかとは決定的に違う。
 でも結局は、どっちも変人である点で、ジョーカーとバットマンは共通している。
 正義の味方と悪人は表裏一体――それは、昔から様々な物語で繰り返されたテーマでもある。バットマンとジョーカーは表裏一体。ゴジラは人間の敵だけど、敵の敵が来れば、人間の味方になってしまう。見方次第でいくらでも価値が変わってしまう。ジョーカーは、バットマンがいなけりゃ単なるこそ泥に過ぎないけど、バットマンという天敵がいるお陰で大犯罪者として活躍できる。正義と悪の共存関係、それが『ダークナイト』の要点だ。
 正義の味方がどれだけカッコ良くても、悪人に同じくらいの魅力がなけりゃ、正義の味方の価値は輝かない。昔から、正義の味方の物語――刑事ものなんかも含めて――は悪人を描くことに腐心して来た。悪人が馬鹿だと、それだけで物語はつまらなくなる。『ダークナイト』のジョーカーは、そうゆう意味では抜群に優れた、映画史上トップクラスの悪人といえる。対抗できるのは、『ダーティハリー』のスコルピオくらいのものだろう。
 
 バットマンは、正義の味方だけど、普通の正義の味方である警察からは煙たがられている。『ダーティハリー』のキャラハン刑事は凄腕だけど、やり過ぎるから、煙たがられている。主人公は、凄腕だけどやり過ぎの捜査をするから、組織から嫌われている――刑事もののお約束設定だ。現実的に考えれば、それは当然のことだ。
 同僚が、内心は「よくやってくれた!」と快哉を上げたいところだけど、組織のことを考えるとそうもできない。そんな場面が刑事ものでは必ずある。しかし、何でヒーローものにそれがないのだろうか? 警察組織の手に負えない犯罪者だからか? 確かに、スーパーマンやスパイダーマンなんかの敵は警察組織じゃ手も足もでない。でも、ジョーカーならどうだ? 警察だって何とかできる筈。超能力を使わないし、超人でもないし、高次元の科学兵器も使わない。悪知恵と度胸だけで渡り歩く犯罪者なんだし。
 『ダークナイト』で重要なのは、ジョーカーが現実的な犯罪者、という設定だ。

 『ダークナイト』にこんな場面がある。ジョーカーが道路の真ん中に立っていて、そこへバットマンがバイクで物凄い勢いで走り込んで来る、という場面だ。ジョーカーは、「轢き殺してみろ!」とバットマンを挑発する。バットマンは、一瞬は挑発に乗りそうになるが、踏み止まり、ジョーカーを避け、転倒してしまう。これ、刑事ものだと、ジョーカーの役割を主人公がやることが多い。根性なしの犯罪者に対して、「やってみろよ!」と。『ダーティハリー』のキャラハン刑事は、犯罪者に対し、「やれよ。楽しませてくれ」といった。『ダークナイト』では、刑事もの主人公と犯罪者が逆転している。
 逆転している象徴的な場面に、後半のこんな場面がある。バットマンに捕まり、ビルの外側にジョーカーが吊るされる場面だ。ジョーカーは、上下逆さまに宙吊りにされているが、カメラが上下逆さまにぐるりと回転し、ジョーカーの上下を補正して映す。実際は逆さまだから、衣服や頭髪は画面上部に向けて“下がっている”。それはとんでもなくわかり易い比喩表現の演出だ。バットマンは、「正義の味方」という思想に囚われ、いざとなると何にもできない。しかし、ジョーカーは、何でもできる。重力に対してすら、自由だといわんばかりに。ジョーカーの高笑いが印象的な名場面だ。こだわりがないからこそ、ジョーカーは、誰よりも強い。それは、正義の味方にこそ求められているものなのに。
 バットマンに自由はない。装備には開発費用がかかるし、完璧なものは造れず、いつも満身創痍だ。ジョーカーにはいつも1手先を指され、負け続き。恋人まで失ってしまう。自由がない、とジョーカーに笑われる始末だ。その上、「犯罪者がいなきゃ、お前だって俺と同じ狂人じゃないか」と揶揄される。それでも、一線は越えられない。それがバットマンとしての信念だからだ。
 『ダークナイト』と似たような点のある映画に、ブラット・ピットさん主演の『セブン』がある。『セブン』の最後の場面で、“何か”が入っている箱の中身を見て、戦くミルズ刑事は、悶絶するような葛藤の末、ジョン・ドゥを撃ち殺してしまう。それこそがジョン・ドゥの狙いだったにも関わらず、挑発に乗ってしまう。『ダークナイト』は、ミルズ刑事がジョン・ドゥを撃ち殺さず、逮捕する物語、といえる

 『ダークナイト』の最後、バットマンは全ての罪と悪意を1人で背負い、逃亡する。そうでもしなきゃ世論を操作できないからだ。そこまでしてバットマンが守るものは、「象徴」だ。目には見えない、しかし人々の目印となるべき思想や主義や規範。その外側にいるバットマンは、ヒーローではあっても、ジョーカーと同じ存在にすぎない。

 『ダークナイト』は、出だしの銀行強盗の場面以外、映画的興奮を味わえる場面は実は少ない。例えば、病院爆破の場面は、空撮なんかすべきじゃなかった。アクション場面も、肝心のアクションがわかり辛い。
 あれだけ成功したのは、ひとえにジョーカーを演じたヒース・レジャーさんの演技力と(本当に素晴らしい)、映画2本分は詰め込んである脚本の面白さによる。クリストファー・ノーラン監督の代表作となるのは間違いないけど、脚本を遥かに超える出来には仕上げられていない。
 音楽は、ハンス・ジマーさんとジェームズ・ニュートン・ハワードさんらしいものになっている。シンセを多様し、メロディよりも低音のリズムを重視した作りで、迫力がある。部分的にはナイン・インチ・ネイルズっぽい。ジョーカーの場面の音楽は、殆どノイズで、それがジョーカーの特異性を際立たせていて良い。観てすぐにサントラCDを買った。
 ヒーローものとしては、ほぼ完璧な映画だと思うけど、人間が描けていない。思想と、状況と事象を積み重ねえるだけで終わっている。詰め込みすぎて人物描写の掘り下げまではできなかったんだろう。そこまでできていたら、「ヒーロー映画」という枠組みなしの大傑作になった。映像の威力や音楽から、十年は傑作であり続けるだろうけど、それ以上となると、色褪せると思う。
 でも、たぶんこれ以上のヒーロー映画は今後現れないんじゃないかな?

 『ダークナイト』にそこまでの価値を与えたのは、映画の外側――アメリカの社会的事情――があると思う。アメリカは、バットマンなのか、ジョーカーなのか。面白いのは、バットマンもジョーカーも悪意の「象徴」となっているところだ。行いが正義か悪かという表面的な違いはあれど、二者とも行動理念の根源には悪意がある。だからこそ、ジョーカーは、超人的な悪人でなく、「普通の犯罪者」でなければならないのだ。
 アメリカで『ダークナイト』が大ヒットしたのは、何となくわかる気がする。そして、日本で大ヒットしなかったのも。日本は、ヒーローなんて信じないのだ。そりゃ当然か。いい歳こいた大人が、いつまでもヒーローなんて信じられるわけがない。
 ヒーローは正義の「象徴」だけど、バットマンは「象徴」になろうとしない。「象徴」は、国旗でも国歌でもいいし、日本なら天皇でもいい。今の日本の政治が国民にとってどうにも“乗れない”のは、「象徴」がないせいだ。「象徴」は素晴らしいけど、便利だから恐ろしい。悪くない人でも悪人に仕立てなければならなかったりする。バットマンは、それをよくわかっているから、全てを1人で背負って逃亡する。
 逃亡したバットマン――それが真の正義のための行為であることを知る、バットマンの背中を見つめる子供の視線、あれが『ダークナイト』を問答無用のヒーローものにしている。あの視線がなければ、『ダークナイト』は「バットマン」を利用しただけの犯罪映画になってしまう。
 「世の中の真実を僕だけが知っている
 これに勝るヒーローものの興奮はない。

 結局は「信じる力の強さ」を高らかに宣言し、現実と空想を見事に繋いで見せた『ダークナイト』を作ることができるアメリカが羨ましい。日本では、絶対絶対絶対に無理だ。

テーマ : 映画感想
ジャンル : 映画

tag : ダークナイト

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プロフィール

Author:ばっどていすとさんどいっち
テクノ好き。
アンダーワールドのRez大好き。
映画大好き。
ジャッキー・チェンが生涯の英雄。
生涯1位作品は『ミミズバーガー』。
2位が『溶解人間』。
泣き虫で、馬鹿。
itsuka-omoi-dasu-bts@hotmail.co.jp

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