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2008-08-16

『片腕マシンガール』はとても真面目な映画

 大好きな部類の映画であり傑作であることが観なくてもわかりきっていた『片腕マシンガール』を観た。観なくても傑作であることがわかりきっているなら観なくてもいいんだけど、私んとこでは上映期間が1週間という不遇な扱いにガッカリしたのもあり、こんな傑作を観ないわけにはいかない、と思った。
 想像と寸分違わぬ面白さだった。首がポンポンと景気良くはね飛び、胴体が真っ二つに割れ、指がロケットパンチ並に飛び散り、血飛沫が霧となるくらい吹き上がる。ヤクザが出れば忍者も出て、健気で強い主人公はセーラー服を翻しながら、片腕をガトリングなマシンガンやチェンソーにアタッチメントして敵を文字通り粉砕する。
 しかも、元々がアメリカ映画だからか、英語字幕が付いていて、英語の勉強になるのでお子様にも大推薦! 中学生や高校生は是非とも観るべきでしょう! 
 素晴らしい。素晴らしすぎる。偏った妄想の見事な具現化。完璧な技術には程遠いけど(安っぽいから)、完璧な志で創ってあった。だからこういいたい。
 よくぞやってくれました! ありがとう!!

 まあ、世間一般はしかめっ面して、「何この映画? 馬鹿みたい」とか貶すんだろう。しかし昔、『セーラー服と機関銃』に興奮したのはどこの国でしたかな? 薬師丸ひろ子さんが機関銃を撃ちまくった後にいう決め台詞の「か・い・か・ん」て場面が、今でも「懐かしの名場面」みたいなTV番組で必ず使われることを考えても、みんなあーゆーのが好きなんですよ本当は。しかし『セーラー服と機関銃』には激情が足りなかった。もっとデカイ声で喚き散らしながら、血肉も散らしながら、「ゴガガガガガガッ!」ってやんなきゃいけない。子供の頃に映画館で観たけど、子供ながらに「物足りない」と思ったものだ。そしたらそれから20年以上経って、その欲求不満が解消された。お腹一杯でおかわりは無理な程に。
 この類の映画は、三池崇史監督の登場以前と以降で格段に質が変わったと思う。特に『極道戦国志 不動 』が最近の邦画ではターニングポイントになっていると思う。『片腕マシンガール』はその流れの中の1作であり、さらに過剰な激流へと流れを変る1作だ。
 物語は復讐譚で、かなり陰惨。イジメ、リンチ、殺害、復讐への復讐――虫や雑草以下の扱いを受けて悲惨に殺された弟の復讐を果たさんとする女子高生の物語。何でこんあ目に遭わなくちゃならないんだ、こんな世の中は間違っている。世間は理不尽で、その理不尽さに虐げられている人々がたくさんいて、声にならない叫び声を挙げている人々もたくさんいる。その叫び声、激情がマシンガンやチェンソーの爆音へと繋がる。『セーラー服と機関銃』は、そんな激情を受けてくれない。しかし、『片腕マシンガール』は受けてくれる。三池監督の作品にそんな激情を受けてくれる映画はないけど、井口監督にはある。
 
 しかし正直、不満はある。明るすぎる点だ。もっと暗い映画でも良かったと思う。そしたら井口監督の作りたかったものと違ってしまうけど……せめて終わり方は、きっぱりと終わらせてほしかった。続編なんて、考える必要はない。
 鬼畜な忍者ヤクザにも親子愛があるなら、その悲哀をちゃんと描いてほしかった。暴力は何も解決しない――そんな台詞を何度も出すのなら、敵にも悲哀があることを、形式的にでなく、ちゃんと描くべきだ。そして、主人公が“鬼”となった自覚を描くべきだった。
 最後、人質となっていたイジメられっ子を解放する時に明るく励まして送り帰すけど、「私は人の道から外れた鬼となった。だからこのことを誰かに喋ったら、あんたらも殺すよ! 私は常に、見ているからね」と脅して終わった方が良かったんじゃないだろうか? もしも続編を考えるなら、そうするべきだった。続編を考えないのなら、潔く自決で終わらせるべきだった。だから、続編を考えるにしても考えないにしても、不満は残る。
 『片腕マシンガール』が始まる前に、井口監督から鑑賞マナーの指導がある。曰く、大いに騒いで楽しもう、と。面白いと思ったら、拍手喝采で、笑って、楽しもう。しかし、人情的に問題のある場面も楽しもう、とはいわなかった。復讐が復讐を呼び、悲しく死んで行く登場人物たちは滑稽すぎる程に滑稽なんだけど、そこは笑う場面じゃない。鬼畜な忍者ヤクザにも親子愛があって、殺されてざまー見ろなんだけど、そこは笑う場面じゃない。例えば、『江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間』の最後の場面には悲哀がある。あそこで私は感動し、泣いた。そのことを誰にいっても、何であんな場面で感動するのかわからん、といわれる。「映画とは、凄いものを見せてくれるもの」が持論の私には、当然のことなのだ。しかし、『片腕マシンガール』では泣けなかった。

 想像と寸分違わぬ面白さ――それは褒め言葉のようで褒め言葉じゃない。想像通りで面白かったけど、想像通りのものを見ても感動はしない。あともうちょっと、あともうちょっと悲哀が描けていれば、問答無用の大傑作になったのに。虐げられる者には当然の如く悲哀はあって、しかし虐げる者にも悲哀はある。どちらの悲哀も描いて初めて、「暴力は何も解決しない」という台詞が活きる。別に『ランボー 最後の戦場』のボランティア活動家みたいに無抵抗主義を主張したいわけじゃない。暴力でしか解決できないことはあって、しかしその悲哀は描くべきだ、と思うのだ。
 過剰に過激なのは、はっきりいって誰にでもできる。『ランボー 最後の戦場』を観ればそれがわかる。あのシルベスター・スタローンさんでもできるんだよ? レイティングさえクリアしてしまえば、できない表現はない。だから、井口監督にはもっと独自の道を進んでほしい。井口監督にしかできないものがあると思うのだ。少なくとも、『片腕マシンガール』は井口監督にしかできないものじゃない。
 映画史に残るのは『片腕マシンガール』だ――と以前に書いたことあったけど、その認識は改める。映画史には残らないかもしれない。最近の女性大活躍映画としてなら、クエンティン・タランティーノ監督の『デス・プルーフ』の超傑作ぶりには遠く及ばないし、『片腕マシンガール』と同日に観た『接吻』の方が狂気と激情を描けていて傑作だった。それがちょっと、悔しい。

 あと、これは愚痴。私は何だかんだいっても爆笑して楽しんだんだけど、何か、他の観客の皆さんがとっても静かで……うん、静かだったなぁ。井口監督の鑑賞マナーのように大騒ぎしましょうよ、とは思わないけどさ、寂しいというか何というか。
 あの静かさが、カナザワ映画祭の盛り上がりにも関わっているのかもしれない。かなざわ映画の会の人がブログに書いた「地元と外の温度差が激しい」は、あの静かさにあると思った。かなざわ映画の会が果たすべき役割があるとしたら、「映画を楽しむ」という行為の復権かもしれない。そして井口監督も、そこに関わるべきなのかも。三谷幸喜監督の『ザ・マジックアワー』みたいに空々しいだけの大騒ぎを駆逐するために。
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テーマ : 映画感想
ジャンル : 映画

tag : 片腕マシンガール

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ばっどていすとさんどいっち

Author:ばっどていすとさんどいっち
テクノ好き。
アンダーワールドのRez大好き。
映画大好き。
ジャッキー・チェンが生涯の英雄。
生涯1位作品は『ミミズバーガー』。
2位が『溶解人間』。
泣き虫で、馬鹿。
itsuka-omoi-dasu-bts@hotmail.co.jp

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