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2008-08-10

『スカイ・クロラ』はいつも通りの押井守節だった

 『スカイ・クロラ』を観た。既視感ばりっばりの、『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』からずーっと続いている、いつも通りの押井守監督らしい映画になっていた。脚本担当が他人でも、結局は「終わらない日常」の物語だ。

 原作を読んでないので、原作に忠実なのかどうかはわからないけど、とりあえず中盤まではとっつき難いというかわかり辛かった。意味深な台詞、意味深な登場人物など、色々と裏設定があることはわかるんだけど、その説明が全くされないので、どんな物語なのかよく知らないで観た私は、設定くらいは知っておくべきだった、と激しく後悔。
 物語は盛り上がらないし、キャラデザはいつも通り地味だし、声優の演技とアニメーションに抑揚がないしで、ちっとも面白くない。物語が何か深刻で暗いことだけはわかるんだけど。
 しかし、中盤以降からちゃんと「説明」があり、わかり辛かったのは、わかり辛くさせているからであることがわかる。つまり、わかり辛い部分は後半へ張った伏線だったのだ。だから中盤以降(特に後半)には、TVの2時間サスペンス・ドラマ並の「説明」がある。

 「完全なる平和」を実現した社会が舞台となっていて、しかし平和を実感するためには逆説的に戦争が必要で、といって平和を実感するためだけに本当に戦争するわけにはいかないので、戦争請負の企業が擬似的な戦争を繰り広げている――そんな世界の物語。主人公たちは「キルドレ」と呼ばれ、戦争を行うためだけに存在する、「永遠に子供のまま」の子供。変わらない日常を“演じさせられている”主人公たちは、しかし考えることを禁止させられているわけじゃないので、その「永遠」に思い悩む。「永遠」を終わらせるには、死ぬしかない。しかし「キルドレ」にとって「死」は、終わりでなく、繰り返されるものなのだ。
 そんな設定の物語であることを理解すれば、なるほどなぁ、と腑に落ちる。押井監督が単なる「戦時下が舞台のラヴ・ロマンス」なんて作るわけないもん。ちょっと哲学じみた部分があって初めて押井監督作品ってとこがある。だから『スカイ・クロラ』はちょっとわかり辛い。そのわかり辛い部分をわかり易くするために、別の設定を加えてみる。「TVゲームの“中”の世界の話」と考えてみる。ゲームのジャンルは、シューティングだ(カプコンの『1942』とか)。
 暇な毎日を面白くするために、ゲームをする。ゲームの緊張感や達成感が、暇な毎日を充実させる。ゲームは偽物でなければならないし、娯楽として成立していなければならないが、登場キャラは“やられたら”ちゃんと死ななければならない。でも、“やられる”度に何もかも最初からやり直しになるゲームなんて、面倒だ。だから――「キルドレ」は、「死」を“演じ”、コンティニュー機能を使うように、また“始まる”。コンティニューを使えばそれまでの装備や経験値を引き継げるから。そんなゲームの、何度死んでも簡単に復活するキャラクターに魂があったなら、キャラクターが自意識を持ったならどうなるか? 『スカイ・クロラ』はそれだけの話だ。
 要は、『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』であり、『マトリックス』のバージョン違いであり、『攻殻機動隊』でいうなら「ゴースト」が囁いた、って話だ。筒井康隆さんの『虚人たち』みたいであり、『エヴァンゲリオン』の綾波レイばっか出てくるような話だ。
 
 『スカイ・クロラ』を「ゲーム世界の話」と想定すると、「プレイヤーはどこにいるのか?」という疑問が生じる。まあ、そこを描くとミもフタもなくなってしまうだろうが、プレイヤーがいることを想定するなら、世界はもう1つ増える。スクリーン(ゲーム画面)の外だ。
 二次元世界のキャラクターが、自分たちのいる世界が二次元世界であることに薄々気付きながらも、実存に思い悩む物語――そのように考えてしまえば、どれだけ切なくて残酷な物語も、哲学的な台詞も、全てが馬鹿馬鹿しく、無意味だ。現実の問題を扱っているならまだしも、「二次元の“中”の世界の実存の物語」なんだもん。ゲームやアニメや漫画のキャラの実存に思いはせるなんて、思春期前の子供か、実存を履き違えた大人か、空想世界にどっぷり浸かったオタクくらいのものだ。「この世界は本物?」や「自分は何?」なんて疑問は、「自分探し」をしている人にしか意味がない。
 世界のゆとりにツッコミを入れる「自分探し」は、世界に「隠された部分」があるからできる。だから『スカイ・クロラ』は意図的に世界を隠している。隠さなければ『スカイ・クロラ』は成り立たないからだ。中盤以降に次々と明かされる真実は、だから全然足りてない。基本的に押井監督の映画は「世界を隠す」ことで「自分探し」をしてばかり。そして「自分探し」は、大人はやらないものなので、基本的に若者のすることと決まっている。だから、『スカイ・クロラ』は「若者しか共感しない」物語だ。そして、押井監督の映画は以前から「自分探し」をしている物語ばかりなので、押井監督は普通に作っているだけで勝手に若者向けの作品を作れてしまう。

 放っとけば「勝手に若者向けの作品になる」ってのに、押井監督は今回ばかりは「今時の若者へ向けたメッセージ」が明確にあったようだ。が、それは嘘臭い。
 まず、リセットが効く人生って時点で駄目。だって、生きるのが嫌になったら、死んでリセットできるんだもん、『スカイ・クロラ』では。そんなこと描いてない? いやいや、どう考えたって、リセット可能な人生だよ。ヒロインのクサナギが「私を殺して」というのが正にそう。主人公はそんなクサナギに向かって生き延びることを説得するけど、コンティニューが効く世界なんだし、無意味。
 自分だけが生き残ってしまう悲哀も、ただ単に年寄りの感傷でしかないよね。長生きはするもんじゃない。それだけの話だ。だから、本当に年寄りの登場人物――整備士の婆さんと、ダイナーにいつもいる爺さんだけが、真に悲しい目をしている。
 戦争を描いているけど、それは偽物だ。戦争をしているのも偽者。こんな物語を、生きる希望を見出せない若者に向けても、「いいなぁ、コンティニューできる世界なんて、羨ましい」とか思われて逆効果じゃないか? カッコばっか戦争を真似して(主人公が最後の戦闘に行く時なんて、カッコつけて敬礼なんかする)、何の感動があるっての? 『スカイ・クロラ』の物語を素直に「戦時下のラヴ・ロマンスもの」と受け取れば、感動はあるかもしれないけど。同じ「生きろ」て台詞でも、宮崎駿監督の『もののけ姫』と比べたら隔絶の差がある。
 また、キャラクターを共感し易く描いていないのも問題だ。主人公がクサナギを抱擁する場面では、クサナギが泣き出すのだが、泣き顔がすっごく可愛くない。「クールなヒロインが泣く」というイベントは、アニメやゲームではかなり重要な場面となる筈なのに……ヒロインの泣き顔がちっとも可愛くないアニメ作品ってそんなにないと思う。例えば、無駄に泣き顔に力を入れていたTVアニメの『CLANNAD』なんかと比べると、押井監督は絶対に共感させたくないと根底では思っているんじゃないか。

 物語の駄目さ加減は、押井監督の責任じゃないかもしれない。脚本担当が今のところ駄作しかない伊藤ちひろさんだし。面倒な設定は、みーんな台詞で「説明」させるし。この「説明」がまた、本当に「説明」なんだよね。長々と、「何でそんなことを今喋らなきゃなんないの?」と思えるくらいに、わかり易く「説明」してくれる。過剰なくらいに「説明」してくれる。その「過剰」こそが『スカイ・クロラ』を押井監督の作品にしてもいるんだけど。
 しかし、物語だけでなく、肝心要のアニメーション自体の出来が悪い。特にCGの出来が酷いPS3のゲームの方が圧倒的にキレイなCGを見せると思う。CGに頼り過ぎて、しかもそのCGが低レベルで、それが今時の作品といわれてもなぁ。戦闘場面、宮崎監督の『紅の豚』の方が全然上だし。アニメーションとしての魅力不足なのは、同時期に公開された、CGに頼らない作画が特徴となっている宮崎監督の『崖の上のポニョ』と比較すると、特に顕著になる。と同時に、作品自体の魅力の差が顕著になる。
 宮崎監督と押井監督の違いは、大人と青年の違いだ。宮崎監督の登場人物は基本的に殆ど悩まないが、押井監督の登場人物は悩んでばかり。例えば『崖の上のポニョ』なら、ポニョは「わたしはポニョだもん!」で貫き通す。そこに理由はない。ポニョはポニョだから、という単純な“思い込み”だ。しかし押井監督の登場人物は、「私とは一体何なんだ?」と自問する。本当に今の自分は自分なのか、と。答えはない。要は、同じ成長物語を描いても、押井監督だと「自分探し」になっちゃうってこと。宮崎監督だと、「『自分探し』なんてやってる暇あるか!」となる。この違いは物凄く大きい。
 宮崎監督は、子供目線のようでいて、大人目線でものをいう。押井監督は、大人目線のようでいて、子供目線でものをいう。また、宮崎監督は世界の「隠された部分の向こう」を見せないけど、押井監督は見せようとする。『スカイ・クロラ』は押井監督らしく、虚無的ではあるけど、希望をちゃんと描く。描くが、その希望は「何もかもを知った後」にしかないのだ。「何も知らなくても希望はある」と断言してしまえる宮崎監督とは、そこが大きく違うところだろう。

 『スカイ・クロラ』は実写で撮っていたら、物凄く面白くなったかもしれない。『アヴァロン』よりも実写向けだもん。そう、『スカイ・クロラ』こそ実写で撮るべきだった。巨額の製作費で、最高水準のCGを使い。
 はたまたスラップスティックなパロディアニメを作るか。自己言及の嵐で。久々にコメディの押井監督作品を観てみたい。
 押井監督も既に「アニメ界の世界の巨匠」なんだし、好き勝手に作ってもいいと思うんだけど。そろそろ「押井守ワールド」を総括するような物語の映画を1本は作ってもいいんじゃないか。それが『スカイ・クロラ』でないことだけは間違いない。

 ところで、これから観る人に忠告!
 物語はエンドクレジットの後にもまだ続くから、エンドクレジットが流れたからといって、さっさと帰らないように。
 ただし、物凄く蛇足なので、観ないで帰った方が良いかもしれない。『スピード・レーサー』の最後みたいなもんで、物語をさらにわかり易くしているだけで、余韻を楽しみたいなら、エンドクレジットの後の展開は観ない方がいいだろう。
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テーマ : 映画感想
ジャンル : 映画

tag : スカイ・クロラ

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プロフィール

ばっどていすとさんどいっち

Author:ばっどていすとさんどいっち
テクノ好き。
アンダーワールドのRez大好き。
映画大好き。
ジャッキー・チェンが生涯の英雄。
生涯1位作品は『ミミズバーガー』。
2位が『溶解人間』。
泣き虫で、馬鹿。
itsuka-omoi-dasu-bts@hotmail.co.jp

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