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2008-08-04

『ミラクル7号』の不格好ぶりこそ格好良い

 『ミラクル7号』を観た。物凄く号泣した。涙が止まらず、Tシャツが腹の辺りまで濡れる程だった。でも、はっきりいって、出来損ないの映画。

 チャウ・シンチーさんの映画は、基本的にパロディで、今作もパロディ満載というかパロディだけで成り立っているんだけど、セルフパロディまで入っていて、そこにはかなりがっかりさせられる。これみよがしに『少林サッカー』や『カンフー・ハッスル』のパロディが入っているのはファンサービスなんだろうけど、ちっとも笑えなかった。
 骨格となっているパロディは一目瞭然、スティーヴン・スピルバーグ監督の『E.T.』だ。そこに『ドラえもん』や『ミッション・インポッシブル2』なんかも入っている。ここら辺はいつも通りのシンチー節の「やりすぎ」ですな。物語のバランスを崩すくらいの笑いを入れるのがシンチーさんの持ち味とはいえ、今作では滑り気味。
 シンチーさんのパロディは、「これこれこんな作品を作ってみたい」という思いが前面に出ているので、いつもパロディを超える。それが「やりすぎ」なわけだ。今作では、「『E.T.』みたいな映画を作ってみたい」という思いを実現した。だから、そこに整合性なんてない。謎の生命体「ミラクル7号」ことナナちゃんが何なのか説明されない。だって、「『E.T.』みたいなもの」でいいんだもん、そこに細かい説明なんて野暮だ。
 だから観終わると、ポスターにでかでかと書かれているように、「で?」と思う人は多いだろう。結局、何だったのナナちゃんて? うん、そんなこと、気にしてないんだよ、シンチーさんは。ナナちゃんは、実はどうでもいいんだ。メインとなっているのは、親子愛なんだもん。そこを発展させるためだけに、ナナちゃんはいる。

 始まりと終わりに、ボビー・ヘブさんの「Sunny」て曲が流れる。実際に劇中で流れるのはそのカバーのボニーMさんのディスコ・バージョンだ。
 今までシンチーさんの映画でディスコの曲なんて、しかも英語の曲なんて使われていたことなかったと思うんだけど、何であんな曲が使われていたのか。「Sunny」の歌詞を見るとその理由がわかる(私の意訳+省略している)。
 
サニー、昨日の僕は土砂降りの雨だった
サニー、君が笑ってくれると痛みも消える
暗い日々は過ぎ去り、明るい日々が訪れる

サニー、太陽の花束をありがとう
サニー、愛を与えてくれてありがとう
君は全てを与えてくれた
おかげで身長が3メートルも伸びた気分

サニー、真心を教えてくれてありがとう
サニー、何から何までありがとう
僕は風に吹かれる砂のようだったのに
君が手を握ってくれると岩みたいになれた

サニー、君の笑顔にありがとう
サニー、優しい輝きにありがとう
君は、僕の燃える火花
君は、僕がなりたいもの

僕の輝き、僕の真実
愛しているよ


 この「Sunny」、一見すると単なるラヴ・ソングなんだけど、実はボビー・ヘブさんがお兄さんへの思いを綴った曲。そのお兄さんは、ケネディ大統領暗殺があった翌日、強盗に殺された。国中が深い憤りと悲しみに包まれている最中に、強盗に殺された。やるせないよなぁ。なくして初めて思い知る大切さなもの、ヘブさんにとってお兄さんの存在がそうだったかどうかは知らないけど、お兄さんを喪失した感情が歌になった。それが、「Sunny」。
 日本では単なるダジャレとして日産サニーのCMに使われたから、知っている人は多いだろう。日本は洋楽を歌詞を気にもせずCMに使うことが多いよな。ムカつくよ。『ミラクル7号』はそんな酷いことをしていなかった。ちゃんと歌詞の内容をわかって使っていた(と思う)。
 親子の互いを思いやる気持ち、ナナちゃんへの愛情、それらを結ぶ色んなものへの慈しみを表現しているのだ。挿入歌で表現するなんて、今までのシンチー映画にはなかったよね?

 超が付くような貧乏なのに、心は錦。シンチーさん演じる父親は、息子のためになら粉骨砕身で頑張る。自分が無学で苦労しているから、息子には将来を作ってもらいたくて、エリート学校へ通わせている。その影で父親シンチーさんは物凄く苦労している。
 今までもシンチーさんの映画は「貧乏」が描かれてきたけど、今作の「貧乏」はリアルだ。建設中の高層ビルの天辺で、ビルの淵に腰かけ、みすぼらしい弁当を食べる父親シンチーさんの描写が印象的。『カンフー・ハッスル』のような、笑顔が絶えないバイタリティに溢れた貧乏長屋、そんなものは映らない。金持ちと比較される貧乏、そんな現実が描かれる。
 そこに登場するのが、謎の宇宙生命体ナナちゃんだ。ナナちゃんの力で何もかもが巧く行くかと思いきや、むしろ悪化。結局は、物事を良くしようと思うなら、汗水垂らして努力するしかない。『ミラクル7号』は、『E.T.』ライクなガジェットに身を包んでいるけど、中身はド根性映画。
 貧乏だけど、勉強すれば、偉くなれる。他人を羨むな。学んでも考えないと馬鹿になる。考えても学ばなければ危険だ。そんなごく当たり前のメッセージ、それが『ミラクル7号』の核になっている。でも、最後に、ベッタベタの展開ではあるけど、役立たずかと思われたナナちゃんが奇跡(ミラクル)を起こす。

 何から何まで、類型的。どっかで見た展開に、どっかで見たキャラクターに、どっかで見た結末。予定調和も甚だしい。駄目な邦画と何ら変わらない。しかし、なぜか感動的。それは、シンチーさんの描く「細部」には魂が込められているからだと思う。アホな描写ばかりだからわかり辛いけど、普通にシンチーさんの演出力は優れている。予定調和とわかっていても感動させられるものに昇華させている。『少林少女』がどうして空前の駄作になってしまったのか、ちゃんとシンチー映画を見直せといいたいよ(手遅れだけど)。
 ただし、『ミラクル7号』には細部しかない。細部だけが集まっている。だから伏線も辻褄も理屈も何もかもを無視している。描きたいテーマがあって、そこだけに注力しているため、バランスがとんでもなく悪い。出来損ないと思う所以だ。そこが一般的な観客に受けないだろう。バタ臭いというか、そんな印象で避けられるような気がする。
 それでも、『少林少女』や『三丁目の夕日』なんかには絶対にないものが『ミラクル7号』にはある。バランスが崩れているからこそ、素晴らしい。本当はそれが本質なんだよね。『三丁目の夕日』にしたって、「現代よりも、昔の方が良かった」って感傷は、「バランスが崩れていた方が良かった」でもあるんだ。だからこそ、『ミラクル7号』では、建設中の工事現場ばかりが映る。それは、これから始まる活力かもしれないけど、「整ったものなんて糞食らえ!」という活力だってあるからだ。
 バランスの崩れ方、魅せ方、涙腺の刺激の仕方、隅々まで神経が行き届いた見事なワーキングクラスの映画だよ。

Bobby Hebb 「Sunny」

 「Sunny」は無数にバージョンがあるんだけど、やっぱり本人のが一番。

Boney M. 「Sunny」

 『ミラクル7号』で使われていたのはこのバージョン。
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テーマ : 映画感想
ジャンル : 映画

tag : ミラクル7号

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プロフィール

ばっどていすとさんどいっち

Author:ばっどていすとさんどいっち
テクノ好き。
アンダーワールドのRez大好き。
映画大好き。
ジャッキー・チェンが生涯の英雄。
生涯1位作品は『ミミズバーガー』。
2位が『溶解人間』。
泣き虫で、馬鹿。
itsuka-omoi-dasu-bts@hotmail.co.jp

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