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2008-06-24

『フィクサー』はアクション抜きの『ボーン・アルティメイタム』

 ジョージ・クルーニーさん主演の『フィクサー』を観た。
 監督・脚本は、マット・デイモンさん主演の大ヒット作、『ボーン』シリーズの脚本を担当したトニー・ギルロイさんで、『フィクサー』が初監督作品となる。
 『ボーン』シリーズの脚本家が作ったからか、暗殺者と弁護士という主人公の違いはあれど、『フィクサー』は『ボーン』シリーズととても似ている。

 主人公マイケル・クレイトン(ジョージ・クルーニーさん)は、何者でもない。中年を過ぎ、老後の貯えを考えるようになって、何も持っていないことに気付いて焦るような、どこにでもいる人物だ。
 検察官を経て弁護士になり、キャリアは十数年にも及ぶというのに、「揉み消し屋(フィクサー)」として重宝されていても、その実は単なる「便利屋」扱い。貯えを心配して商売を始めれば、商売が軌道に乗る前に借金漬けになってしまう。
 描かれている物語は、数千億円もの大金が動く製薬会社と農家との巨額訴訟なのに、訴訟そっちのけで極めて個人的な視点で物語は進行する。はっきりいって、引き込まれるような物語はない。それが面白く思えるとしたら、語り口の勝利だろう。大ヒットを飛ばした脚本家だけはあり、引き込み方が巧い。サスペンス仕立てで観客を強引に物語へと引き込む。
 いきなり初っ端からクレイトンが爆破暗殺されそうになり、そこから数日前に話を戻して、何でクレイトンが狙われるに至ったのかを説明する。つまり『フィクサー』は、起承転結でいうところの「結」から始まるのだ。
 「ええっ! いきなり何なんだ!?」と観客に思わせてから「起」に戻って、改めて起承転結を進める。ありふれた手法だけど、効果的だ。ただし、それはミステリーやサスペンスに限った場合で、『フィクサー』はミステリーでもサスペンス(リーガル・サスペンス)でもない。
 
 題名の「フィクサー」は「揉み消し屋」という意味なので、いかにも「裏家業」って感じだし、危ない橋を渡って来た風な台詞もあるんだけど、実際に「裏家業」的な展開は皆無。
 クレイトンは凄腕の「揉み消し屋」っぽいのに、やってることといったら「借金に困って借金の工面」。しかも半泣きで。そこに親友であり同僚の法律事務所のトップ弁護士(トム・ウィルキンソンさん)が製薬会社の法務部長(テルダ・スウィントンさん)によって暗殺され、急展開。クレイトンも巻き込まれ、ようやく物語は進む。さあ、ここからが「裏家業」の本領発揮か? と思いきや、やっぱり地味。殺された親友の身辺を探っていると、不審者扱いで警察に逮捕。うーん、ちっとも凄腕の「揉み消し屋」っぽくない。畳み掛けるような展開もない。相変わらず金の工面に、家族の問題しか展開しない。そんな感じに物語はのんびり進み、それでも同僚殺しの真相を掴み――冒頭の爆破暗殺場面へと“戻る”。その時点で物語は結末間近。
 結局、最後まで「揉み消し屋」は描かれない。最後に一発逆転な見せ場はあるけど、それも別に「揉み消し屋」としての活躍じゃない。それなら何で題名が「フィクサー」なんだよ、騙された! などと思うかもしれないけど、それは日本人の勘違い。原題は、『フィクサー』でなく、『Michael Clayton』なのだ。そう、主人公の名前だ。

 何で「フィクサー」なんて題名にしたのか、日本の配給会社は馬鹿じゃないかと思うのだけど、まあそれはさて置き、『フィクサー』は、「揉み消し屋」でなく、マイケル・クレイトンの話だ。「何者」かになることを目指して挫折し、挫折したままずるずると過ごすしかないマイケル・クレイトンの話だ。
 企業訴訟がモチーフになっているけど、実際は主要人物が皆、「何者」かを目指して奮闘する「アイデンティティーの模索」がテーマだ。クレイトンは、「何者」かになれず、奮闘する。殺された同僚は、トップ弁護士だからこそやってきた己の所業を懺悔する。暗殺まで企む製薬会社の法務部長は、やっと得た地位を守るために己を捨てる。皆、形のない素晴らしい「何者」かを目指す。
 自分は、どんな人物なんだ――『フィクサー』には、こんな場面がある。クレイトンが息子に、「お前は素晴らしい人物になる。立派な人物に。信じろ」と語る。『フィクサー』がどんな映画か、その場面が全てを表している。

 結末は、製薬会社の法務部長に逆転の一発を叩き込んで終わる。してやったりだ。しかし、クレイトンの表情は晴れない。結局、最後まで自分が「何者」であれたのか、「何者」になれたのかわからないからだ。それでも、一番最後の場面には少し笑う。それは、『ボーン・アルティメイタム』の最後の場面を想起させる。
 ギルロイ監督の大出世作である『ボーン』シリーズは、「自分探し」の物語だった。『ボーン』シリーズに関わり続けて、影響されたのかもしれない。ただ、『ボーン・アルティメイタム』はほぼオリジナルみたいなものだし、『フィクサー』を同じ時期に作ったのもあって、相乗効果みたいなものがギルロイ監督の中にあったのかもしれない。
 『ボーン・アルティメイタム』の最後の場面、ニッキー・バーンズジュリア・スタイルズさん)がジェイソン・ボーン(マット・デイモンさん)の無事を知り、「にやり」と笑うところは、拍手喝さいものの素晴らしい締め括りだと思うが、『フィクサー』の最後の場面も、忘れ難い印象を残す名場面だと思う。
 全てをやり終え、疲労困憊の体で「50ドルで行ける所まで」といって、タクシーに乗る。車に揺られながら車窓を眺める――そこから画面が暗転するまでの約2分間、ずっとジージ・クルーニーさんのアップなのだ。親友の仇を討った達成感、疲労感、今後の不安感など、何ともいえない表情が続いた末、暗転する瞬間、微かな微笑を――自分らしくできたと――ちょっと楽しそうに浮かべる。

 さて、ギルロイ監督の手腕は、初めての割りに堅実だ。アカデミー賞レベル、かもしれない。しかし、実は肝心の脚本の出来が悪い。だって、ボロだらけだもん。少し考えれば、物語が成立しないこと気付くし。勢いとサスペンス仕立ての雰囲気だけで乗り切っている。
 何でボロが多いのかというと、ギルロイさんに詳細に製薬会社との巨額な企業訴訟を扱うだけの突っ込んだ知識がなかったからだろう。物語の展開が訴訟の上辺しか扱ってないのも、サスペンス仕立てにしたのも、それが理由だと思う。主人公は「揉み消し屋」なのに、肝心の「揉み消し屋」描写が皆無なのもそれが理由だろう。企業訴訟とサスペンスと人生訓、それらを過不足なくまとめるには相当の苦労があっただろうけど、大成功しているとはいい難い。
 台詞の構成は巧い。ギルロイさん、さすがは売れっ子脚本家だけはある。でもだからこそ、台詞ばっかに気が取られて、映画としての魅力に欠ける。
 欠点は多い。多いけど、それでも最後まで楽しめるのは、役者陣の熱演あってこそ。「何者」かを模索して右往左往する登場人物を、既に「何者」かである人気役者達が熱演する。それが何よりもの見所かもしれない。特に最後の場面のクルーニーさんは、今までも最高の演技だろう。『リターン・オブ・ザ・キラー・トマト』に出ていた人とは思えませんなー。

 『フィクサー』を観るなら、事前に『ボーン』シリーズも観ておいた方が楽しめると思う。
 
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テーマ : 映画感想
ジャンル : 映画

tag : フィクサー

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プロフィール

ばっどていすとさんどいっち

Author:ばっどていすとさんどいっち
テクノ好き。
アンダーワールドのRez大好き。
映画大好き。
ジャッキー・チェンが生涯の英雄。
生涯1位作品は『ミミズバーガー』。
2位が『溶解人間』。
泣き虫で、馬鹿。
itsuka-omoi-dasu-bts@hotmail.co.jp

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