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2008-05-18

樋口監督版『隠し砦の三悪人』は、なぜ裏切らなかったのか

 樋口監督版『隠し砦の三悪人』は、なーんだ、出足から苦戦してたのか。

毎日jp→映画興行成績:「三悪人」3位と苦しいスタート

 黒澤監督好きと映画好きをほぼ無視し、熱心に映画を観ない層を対象にアレンジしたにもかかわらず、その層を相手に苦戦とは。それなら黒澤監督版に忠実なアレンジをした方が良かったんじゃないか? まあ、黒澤監督版そのままにリメイクしたからって売れる保障はないけど。
 樋口監督版みたいな時代劇、近いところだと北野武監督の『座頭市』がある。観客が熱狂的に映画を観ない若者主体なら、時代劇は既にファンタジーだってことを明確に打ち出した。その認識は正しい。正しいが、それだけで面白いものができるわけはない。
 『座頭市』と比較し易いのは、トム・クルーズさん主演の『ラスト・サムライ』だろう。現代的で、娯楽的で、そしてファンタジック。北野監督版『座頭市』よりも、『ラスト・サムライ』の方が「現代の時代劇」をちゃんと作れていた。作り手が日本人でなかったからだ。
 クリント・イーストウッド監督の『硫黄島からの手紙』や、アレクサンドル・ソクーロフ監督の『太陽』も、考えようによってはファンタジーだ。韓国映画の『火山高』でもいい。外国人に日本を形作られる仮想現実的現実。
 もしも『隠し砦の三悪人』をスティーヴン・スピルバーグ監督がが作ったら……まあ、『インディ・ジョーンズ』シリーズみたいになるだろうけど、最高に面白くなったろう。

 樋口監督版は、あれでもハリウッド映画の派手さを目指してはいる。ただ、それがいわゆるブラッカイマー映画を志向しているんだよなー。
 こないだ観た『相棒-劇場版-』もブラッカイマー映画だった。無意味に派手な展開と爆発。樋口監督版は、爆発で始まり、爆発で終わる。観客を飽きさせないためだけの、派手さ。空虚で、リズム感がなく、静と動のメリハリがない展開。そんなのを模倣する必要はないのに(したつもりはないだろうけど)。そこを模倣するには、今の邦画ではまだまだ力が足りなすぎる。骨格が細いのに、やたらと筋肉を付けちゃった感じ。しかも、本来は太い骨格をわざと細くさせて(黒澤監督版の最も肝心な部分を排除して)。
 徹頭徹尾ブラッカイマー映画なら潔いけど、実際はブラッカイマー映画であることを隠すために、現代邦画の病理ともいえる展開を盛り込んでしまった。
 
 時代劇だからわかり辛いけど、樋口監督版に於ける登場人物の関係構造って、例えば『踊る大捜査線』で見られるような、キャリアとノンキャリアの関係だ(表層は「官と民」で、「民衆の力」が描かれていても)。最近の邦画って、人間関係をキャリアとノンキャリアの縦割り社会で描いてばっか。しかも、二者の融合を必ず図る。
 最初は「侍なんて!」と反目していたノンキャリア組の武蔵は、いつの間にか雪姫率いるキャリア組に融合している。そこには、「キャリアにも話のわかる奴はいる」という「理解」の訪れが不可欠なんだけど、樋口監督版にその「理解」は訪れない。その代わりとして訪れるのは、「慕情」だ。樋口監督版の後半は、「愛情ぱわー」が炸裂しまくり。
 いくら娯楽映画といっても、何から何まで「愛情ぱわー」で片付けるのは、アイデアなしの手抜きというんじゃないか? しかし最終的には、「縦割り社会」が登場し、「慕情」は、「慕情」のままで終わり、「恋愛」へ発展しない。どうせファンタジーなんだから、「縦割り社会」の壁を勢いで飛び越えさせてこその娯楽だと思うんだけど……そんなアイデアがなかったんだろう。
 かくして樋口監督版は、見上げる、見下ろす、その運動法則で人間関係から物語までが動く。黒澤監督版にそれはなかった。黒澤監督版の「三悪人」は、最後まで「三悪人」だからだ。ステレオタイプの人物像しか作れてない樋口監督版では、 「裏切り御免」という台詞までもがステレオタイプにしか響かない。明らかに物語の展開を間違っている。

 例えば樋口監督版の設定で適切な展開を考えるなら、雪姫を最初から男として登場させてれば良かったんだ。
 雪姫が姫様らしくなる後半から物語の吸引力が落ちるのは、最初に姫様であることが示されているからだ。それならば、前半の隠し砦内での話を全部なくし、最初から男として登場させ、女とわかる展開を中盤まで一切出さない。女であることが観客にもわからないようにする(キャスト見りゃ嫌でもわかるけど)。雪姫の正体がわかった時の、武蔵の「驚いた」と「騙された」を観客も共有できるし、そこで初めて雪姫の「裏切り御免」に価値が出る。
 そして雪姫と武蔵の関係は、恋愛感情でなく、友情で結ぶべきだった。友情だったら、武蔵が「裏切り御免」をいうのも似合ったのに。恋愛要素がなけりゃ人気が出ない、というのは間違った認識だろ。艶はあっても湿っぽさのない男と女の友情物語の方が、今は人気出ると思うんだけど。
 黒澤監督版と樋口監督版、二者をはっきりと区分けたのは結局、主題歌にも使われている、この「裏切り御免」という台詞の使われ方だ。樋口監督版ではネガティヴに、黒澤監督版ではポジティヴに使われている。「裏切り御免」という台詞を誰にどこでどのようにいわせるか、その選択で『隠し砦の三悪人』の出来が左右されたといっても過言でない。
 黒澤監督版の「裏切り御免」は義理・人情・武士道から発生するもので、そこには型にはまらない痛快さが表現されている。しかし樋口監督版の「裏切り御免」は、裏切ること自体が型にはまっている。
 ファンタジーといえども、キャリアとノンキャリア(または、官と民)の壁を易々と越えるのはリアリティがないし、越えさせるアイデアもない。だから落としどころとして、「裏切り御免」で片付けなければならないのだ。つまり、樋口監督版の「裏切り御免」は、想像通りの予定調和でしかなく、その言葉からイメージされる痛快さは微塵もない。ハッピーエンドではないが、万人が納得のゆく「まぁ、そうなるわな」という展開。
 「裏切り御免」は、何も裏切ってないんだ。

 樋口監督版は、黒澤監督版の雪姫の決め台詞を武蔵相手にいわせるべきだったな。
 「姫は楽しかった。この数日の楽しさは、城の中では味わえぬ。装わぬ人の世を、人の美しさを、人の醜さを、この目でしかと見た。礼をいうぞ!」
 まあ、樋口監督版には人の美しさも醜さもないし、楽しさもそんなにないんだけどさ。
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テーマ : 映画関連ネタ
ジャンル : 映画

tag : 隠し砦の三悪人

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ばっどていすとさんどいっち

Author:ばっどていすとさんどいっち
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アンダーワールドのRez大好き。
映画大好き。
ジャッキー・チェンが生涯の英雄。
生涯1位作品は『ミミズバーガー』。
2位が『溶解人間』。
泣き虫で、馬鹿。
itsuka-omoi-dasu-bts@hotmail.co.jp

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