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2011-11-22

『無常素描』は、本物の涙で出来ている

mujo
 『無常素描』を観ました。東日本大震災の茫々たる被災の姿を、ただただ無力に写し撮ったドキュメンタリー映画です。スクリーンに映される映像はTV報道で何度も何度も見ましたが、それでも圧倒され、何をも思えない。そこへ、読経が響きます。とある僧侶が登場します。芥川賞作家でもある玄侑宗久さんです。玄侑さんは、東日本大震災の姿を「無常」と表現しました。

 延々と続く崩壊後の世界。「第三次世界大戦後の世界」という設定のSF映画のようですが、奇麗にデザインされた様式はなく、あえていえば『マッドマックス』な風景。いつ「サンダードーム」が現れてもおかしくないような……とかいうと怒られそうですけど。何にせよこれは、観ていてワクワクするような特撮映像ではない。
 劇映画ならば、いくら凄い災害場面であっても、延々と映し続けることはありません。見栄えの良い空撮で一発ドーンっと見せ付けるくらいでしょう。しかし本作は、基本的に「人間の視点」で事物が語られます。走る車から撮られた、長回しによる終わりのない横移動の1ショット。カメラのアングルに次々と絶え間なく現れ続け、消え去る風景。思いを馳せる暇もありません。東日本大震災のことを全く知らない方が観たとしても、先に面白い展開が待っているかもしれない、なんて想像力は、それが現実であることを無言のうちに強調するショットにて粉砕されるでしょう。
 本作は、「素描」という題名通り、淡々と被災地の姿を映すだけ。声高にメッセージを叫ぶこともない。地震発生の映像も津波が襲ってきた映像もなし。あった筈のものがなくなっている姿を黙々と映すだけです。
 泥臭い映像にはしかし、全く別の映像を想い出させます。黒澤明監督の作品です。たとえば『七人の侍』。土砂降りの雨の戦闘場面、と対照的な朗らかに旗がはためく場面。『八月の狂詩曲』の最後、土砂降りの雨の中を進むおばあちゃんの場面。人間は地面に這いつくばってでも生きるしかなく、その上を軽やかに生きる風に人間は絶対に届かない。そんな哲学とでもいうか、泥臭い映像美学が黒澤監督作品にはあります。本作が映す、崩壊し、動かず停止してしまった世界に於いて、軽やかに動くのは風に揺れる物ばかりです。鯉のぼりや、ボロボロのビニール袋や。それはとても「世界」を感じさせます。

 印象的な場面は殆どありませんが(全部が印象的ではある)、忘れ難い場面はあります。

 海の近くに住んでいたという母娘が登場します。
 親が「海の近くはもう住みたくない」といっているのに、その娘は「でも、海が好き。海の近くに住んでみて下さいよ」と語りかけるます。その娘の顔。にこやかに話しながらも、虚脱する表情。
 その娘の微笑みが長く映されます。

 とても明るい元気な中年女性が登場します。
 しかし、テンション高くしていないとどうなるか……と呟きます。常に断崖絶壁の淵で生活しているような、恐怖と紙一重の感じ。

 瓦礫整理をしているお爺さんが登場します。
 息子さんがどうにかなったのか、話している最中に号泣します。涙が溢れ、鼻水と涎が垂れ、顔がグシャグシャ。全身で泣いています。もう何を話しているのか聞き取れない。しかし、深い深い悲しみがあることは伝わります。ここでカメラは、お爺さんの顔をアップにせず、すっと引きます。劇映画ならば役者の見せ場であろう泣き顔のショットを、本作は慎ましやかに撮ります。
 その後、離れた場所から映されるお爺さんは、カメラに向かって手を振ります。悲しみの中、どう思って手を振ってくれているのか、わかりません。揺れる手に、風に揺れる鯉のぼりを想い出します。その軽やかさ。

 どこかの壁に貼り出されたたくさんの写真が映されます。カメラがすーっと引くと、そこは体育館の壁であることがわかります。広々とした体育館の壁を覆う、たくさんの写真。そして、体育館の床には、行方不明になっている沢山のアルバムが箱に入れられて並べられています。失われた記憶の置き場。
 色んなものが流され、壊された方々が、残された記憶を手繰り寄せようと時間に流されない記憶(写真)を探しています。

 今ある形が常にあり続けるわけではない、という感じに私は「無常」を理解しています。東日本大震災の被災地の姿は、正に「無常」であるわけです。
 玄侑さんが本作で語る話に、ラオスは竹で橋を作っている、というのがあります。洪水が発生したら橋が壊れるので、それならば最初から壊れてもガッカリしないように、竹で簡単に作り直せる橋を作っているそうです。これも正に「無常」であるわけです。「無常」であることを理解すれば、被害は最小限に抑えられる……玄侑さんは、そんな社会も良いのではないか、と語ります。
 この世には絶対はない。だから、何もかもが壊されたなら、また作りなおすしかない。その気力があるかどうか、それだけが問題です。しかし、作りなおすことができたなら、前よりも良くなるに違いありません。その兆しはまだ作品に現れていません。

 移ろい行く姿は、普段の街にも見られます。ちょっと見ない間に街並みが変わっていることなんて日常茶飯事です。変わる前の姿を思い出そうとしても思い出せない。覚えておこうと思っても、すぐに忘れてしまう。声高にメッセージを叫ぶわけでない本作は、「この姿を覚えておこう」とだけ静かに強く主張します。それが終わりのないように思える、被災地の映像なのです。ミシェル・ゴンドリー監督によるケミカル・ブラザーズの「Star Guitar」のPVみたいに、ミニマルな。十年後には、「あの頃はこんなだったなぁ」と思いだすことになるでしょう。
 異常事態が発生し、未だ異常事態から抜け出せないでいる日々、それをどうやって記録するか、その最善な作品だと思います。ミニマルな変化の繰り返しで大きなうねりが作り出されていることを実感する、見事な歴史の切り抜きです。従って、本作の賞味期限はとても長いと思います。
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テーマ : 映画館で観た映画
ジャンル : 映画

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プロフィール

Author:ばっどていすとさんどいっち
テクノ好き。
アンダーワールドのRez大好き。
映画大好き。
ジャッキー・チェンが生涯の英雄。
生涯1位作品は『ミミズバーガー』。
2位が『溶解人間』。
泣き虫で、馬鹿。
itsuka-omoi-dasu-bts@hotmail.co.jp

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