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2011-12-12

『モテキ』は、動いているようで動いていない

moteki
 『モテキ』を観ました。
 原作を読んだことはなく、TVドラマ版はやっていたことすら知らず、監督や出演者が好きでもないのですが、予告編でミュージカル場面があることを知り、観ようと思いました。どんなジャンルの作品にもミュージカル場面があればいいのに、と思っているので、ミュージカル場面があるってだけで観る価値があると思ってしまうのです。

 物語は単純。モテない青年に大好きな女性が出来て、両想いになりたいと願う。
 あれ? 何か普通の恋愛話だ。ちっとも「モテ期」じゃない。「モテ期」という単語から私が思い描いたのは、嫌がっても次々と女性に好かれる状態です。押し寄せる女性を切っては捨て切っては捨て――そんな「ギャルゲー」な状態。ところが、原作とTV版は知りませんが、とりあえず映画版はそんなではありませんでした。嘘つき!
 森山未來さん演じる主人公・幸世は、中途半端にオタクっぽい青年です。中途半端である故にプライドが妙に高く、高い故に自虐的です。自虐的であるということは、「正しく反省をしない」ということですから、つまり幸世はとても子供っぽい。そんな付き合うのが面倒臭そうな幸世がモテるからこそ、物語となるわけですがぁ。
 幸世に対しては、基本的に長澤まさみさん演じるみゆきを中心に展開します。予告編では4人の女性が主役格として描かれていましたが、名目的にも好いてくれるのは、みゆきと麻生久美子さん演じるるみ子の2名だけ。この2人がまた子供っぽい。自分が何をどうしたいのか明確な考えがなく、生き方を他人に委ねている。
 どうでもいいのですが、予告編では真木よう子さんが「ツンデレ」を演じているように描いてましたが……「デレ」がどこにもありませんでした。嘘つき!
 要するに本作は、現状を打破したくない登場人物の物語です。幸世は恋愛の成就に奮闘することはありません。一方的に舞い込んできた「モテ」を享受し、それが離れるや、自虐的にふて腐れます。奮闘することも足掻くこともしません(いや、惨めにすがることはするか)。願うだけ。それを「等身大の物語」として見ることは可能です。「ああ、いるいる、あんな奴」と。しかし、どこにでもあることが驚きの躍動感を見せる、それを映画で観たいのですが。

 では、画面の躍動感はどうか。その点でも本作は非常に残念。
 本作を観たいと思わせたミュージカル場面、これがとても残念な出来でして。映画版を観た後でTV版にも同様のミュージカル場面があることを知り、YouTubeで見たら、そちらは『(500)日のサマー』にオマージュを捧げたようですね。これまた残念な出来映えでした。『(500)日のサマー』みたいなミュージカル場面を挿入したい、という構想が先にあり、それに従ったからか、幸せな感じが全くない。つまり、手続きを怠っています。
 『(500)日のサマー』では、行き交う人々がみんな笑顔で挨拶してくれる、という主人公視点でミュージカル場面が始まります。停車中の車の窓ガラスに映った主人公の姿が『スター・ウォーズ』のハリソン・フォードさん、という妄想的な演出がさらに乗り、そこから徐々に主人公の感情の昂りが身体的な動きへと移行します。現実世界でいきなりミュージカルを行う滑稽さを、ギャグになる手前で交わすために色々と手続きを取っています。画面の色合いもいい。
 対してTV版の『モテキ』では、ミュージカル場面は突如として挿入されます。手続きを怠っているため、幸せな感じが薄い。それに、踊りがテクニカルすぎます。アイドルオタクだから? いや、それにしても「振り付け」らしすぎます。森山さんの動きは見事だと思いますが、いきなりアイドルみたいにテクニカルな振り付けで踊られても、感情の昂りを表現できているとは思えません。
 映画版になるともっと駄目。出だしに、投げ捨てた鞄が後方の通行人に当たりそうになって驚かれる、という現実的な描写があり、その時点ではミュージカル場面はとても期待できると思いました。非現実的でなく、現実的なミュージカル場面なのか、とワクワクしたのです。ところがその後は普通に非現実的なミュージカル場面でした。出だしの現実的演出は何だったのかと。周囲が訝しい表情をしている中で主人公1人が踊り、その感情の躍動感が徐々に周囲へと伝播し、見事な集団のミュージカル場面へと発展する――私が最初に抱いた期待はそのようなものでした。
 TV版に『(500)日のサマー』を意識したミュージカル場面があると知り、映画版のミュージカル場面がダメなのも納得。映画版のミュージカル場面は、「ミュージカル場面を挿入するため」に作られたものだからです。つまり、ミュージカル場面である必要がない。それ故に躍動感がない。見ていて感情が昂るどころか下がる。
 また所々で見せる幸世の変にアクロバティックな動きは、変だから面白いのですが、物語を動かしません。俳優は動いているのに、映画的な躍動感はない。動くことが展開に繋がるというより、時間を浪費しているだけに思えます。
 ところで、本作のミュージカル場面にて『私の優しくない先輩』のミュージカル場面を想い出しました。あれも駄目だと思ってましたが、本作よりは遥かに巧かったなぁ。

 そもそも「モテ期」の始まりは、いきなり殺傷事件の被害者となってしまったからです。「モテ期」が偶然やって来た、というより、「モテ期」を望んだ。そこから始まる物語が「死の直前に見た夢」と考えれば、誰もが閉じこもったままの物語で終わるのは納得できます。
 閉じこもり、前進しない。みゆきが魅力的だと描かれていますが、それは幸世が魅力的であることを説明しているだけで、幸世の説明なしにみゆきが魅力的であるとは思えません。幸世の感じる魅力がそのまま実態を持った女性として、便利に登場するだけ。主役格の4人は皆そうです。幸世の願望を補完する。みゆきは幸世に対し、幸世では自分が成長できない、と拒絶を示しますが、それは幸世にとっても同じ。むしろ成長できないことを望んでいる。暖かく今の自分を肯定してくれる相手、それを求めている物語です。とても不健全な恋愛物語だと思います。
 とにかく、動かない物語です。殺傷事件ですら物語の躍動感に繋がらない。

 音楽の使い方は面白い……ようで最後までノることはできませんでした。幸世がポップスに詳しい設定なのでしょうけど、物凄く浅い感じが……そこを狙っているなら成功ですけど。たとえば『ハイ・フィデリティ』のようにしても良かったわけです。作品中で流れている音楽がそのまま主人公世界を表現しているのだとしたら、幸世は、中途半端なオタクですらなく、自分がオタクっぽいと思い込んでいるだけ。「思い込みオタク」だから幸世は歪なんでしょうねぇ。
 演出も前半は凝っていたのに、途中で力尽きたのか、後半は普通。画面の作りも魅力的でない。全体的に明るい画面で、暗さが出ていませんでした。映画版なのですから、しかもちょいとドロドロした物語なのですから、色合いを強調した画面作りにしても良かったと思います。ぼやーっとしてました。ぼやーっとした物語だからそれでいいのか。
 歪じゃない登場人物が少ない作品でした。ですから登場人物で最も魅力的だったのは、ピエール瀧さん。本人そのままの役で登場ということもあってか、異空間的な存在感。
 私にとって肝心のミュージカル場面が物っ凄く中途半端な出来だったこともあり、作品全体が中途半端な出来に思えました。本作が2時間のTVドラマだったなら、凄いな、と思ったのでしょうけど。いや、やっぱ思わないか。途中で飽きましたし。
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テーマ : 映画館で観た映画
ジャンル : 映画

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プロフィール

ばっどていすとさんどいっち

Author:ばっどていすとさんどいっち
テクノ好き。
アンダーワールドのRez大好き。
映画大好き。
ジャッキー・チェンが生涯の英雄。
生涯1位作品は『ミミズバーガー』。
2位が『溶解人間』。
泣き虫で、馬鹿。
itsuka-omoi-dasu-bts@hotmail.co.jp

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