--------

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2011-09-13

忘却の彼方から・2

 私にとって、今年の<WIRE>には、特別な意味が2つありました。
 まずは、東日本大震災。良い意味でも悪い意味でも日本が一つになった、神様が――いたとして――起こした迷惑極まりない、激大イベントです。
 もう一つは、知人の死です。<WIRE>に遊びに行く直前に、知人の死を知りました。死を知ったのが<WIRE>前で、死の“形”を知ったのが<WIRE>後です。
 両者共に、「踊ってていーのか」という疑問が湧き起こりました。大震災の発生時期が夏であれば、<WIRE>は開催できなかったでしょう。「遊んでいる場合か!」と怒られます。最初、今年の<WIRE>は開催されないな、と思いましたからね。開催されて良かったです。
 「遊んでいる場合か!」という怒りにも似た疑問には、「遊んでいる場合だ!」と返します。こちとらただ遊んでんじゃねーんだ! 考えながら踊ってんだよ!

 以前から、それこそ<レインボー2000>のような野外レイヴの頃から、ダンスミュージックで踊ることには意味がありました。レイヴカルチャーそのものの反社会的な存在感と、逆に地域と密着してイベントを起こすという親和的な社会性です。屋内でも、クラブなんかは、今じゃ深夜から明け方まで遊ぶことは反社会的な行為となっています。そうでなくとも大きな音でみんなが集まって半狂乱になって踊り楽しむ姿は、反社会的です。「よさこい」なんかは好意的に招かれるのに、レイヴは反社会的で駄目。正直、意味がわかりません。ただ、「よさこい」は一体感を楽しむものですが、レイヴは違います。
 私にとって、ダンスミュージックを踊り楽しむことは、音楽による一体感の楽しみはありますが、それぞれの差異を楽しむことです。バラバラでいーのだ、という実感を得られたのが、ダンスミュージックで踊ることにハマった要因でした。
 クラブでもそうですが、大きな場所で行う屋外レイヴだと、踊り方やノリ方が他とは異なる方をたくさん見ることができます。たとえば四股をずっと踏んでいる方や、暗黒舞踏のように怪しく踊る方や、様々です。みんなで同じ方を向いて、みんなで同じ動きをする必要がない。当たり前のようで当たり前でない音楽の楽しみ方、それはダンスミュージックに出会わなければ知らなかったことです。

 <WIRE>でも、私はいつも差異を楽しみにしています。音楽による一体感と同時に、バラバラでいーのだ、という一体感。しかし、差異を認めない、みんなと違うということを笑ったりする、狭量な方もたくさんいます。そーゆー人がいると悲しくなります。悲しくなって、そーゆー人の前であばばばばばばぁーっとメチャクチャに踊ったりします。そーゆー人がそれでどっかへ去って行くと、はっはっはぁーと勝ち誇った気持ちになります。いい歳して何をやっておるのだ私は、とすぐに落ち込みますが。
 みんなと一緒が楽しいこともあれば、楽しくないこともある。みんなと一緒でないことを笑ったりすることは、楽しくない。
 しかし、イギリスの暴動なんかを見ると、「バラバラで一緒は素晴らしい」は幻想なのかもしれない、とも思います。差異があることは、時として大変なストレスを生むのかもしれない。クラス毎に別れているものは、重なり合わない方が幸せなのかもしれない。言葉の差異なんか関係ない、音楽の力だけで一体になれる素晴らしさも幻想なのかもしれない。セカンド・サマー・オブ・ラヴ以降、三度のサマー・オブ・ラヴが起こらないのは、やはりサマー・オブ・ラヴなんて思想は幻想だっただけなのかもしれない。差異を愛するなんて奇麗事いってたって、その裏では人種差別や戦争がなくなっていない。幻想を愛する者だけが、幻想を現実だと酔いしれているだけ。

 東日本大震災が発生し、不謹慎ながら私は一体感を感じました。まあ、みんなで一体とならなければどうにもならない大災害だったからですが、「こんな時こそ躍進のチャンス!」と思いました。
 みんなが助け合い、この難局を切り抜けようとしています。その反面、差別や醜い足の引っ張り合いもあります。無駄な善意による自粛活動。TVメディアの駄目っぷりに愕然としたり。
 しかし、一体感は必要であっても、「みんなで一緒」である必要はありません。「バラバラで一緒」が一番です。一緒である必要すらありませんが、バラバラでも一緒になれる余裕はあった方がいい。意見が対立し合う者同士でも大局的には一緒になれるような余裕がほしい。それには細部にこだわる必要がある。細部なしに大きくまとまり合うことはできません。結局、イギリスの暴動は細部がなかったのではないか、と思います。
 たとえば何かの運動活動に参加する高揚感にも似ているのではないかと。昔、『ゴーマニズム宣言』で小林よしのりさんが克明に描いたように、達成目的があって運動活動に参加していたのが、いつの間にか運動活動そのものを目的としてしまう。目的のない目的。日常のない日常。または、日常しかない日常。
スポンサーサイト

テーマ : 音楽のある生活
ジャンル : 音楽

tag : WIRE

comment

管理者にだけメッセージを送る

プロフィール

Author:ばっどていすとさんどいっち
テクノ好き。
アンダーワールドのRez大好き。
映画大好き。
ジャッキー・チェンが生涯の英雄。
生涯1位作品は『ミミズバーガー』。
2位が『溶解人間』。
泣き虫で、馬鹿。
itsuka-omoi-dasu-bts@hotmail.co.jp

最近の記事
プルダウンリスト
プルダウンタグリスト
ブログ内検索
ブログ全記事表示

全ての記事を表示する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。