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2007-12-21

いのちの食べ方

 『いのちの食べ方』を観ました。非常に面白く、ためになる上に、驚きの連続の映画でした。

 題名の「いのちの食べ方」から連想されるのは、「どうやって食べるのか」ですが、実際は「いのちの扱われ方」を描いた映画。原題の「OUR DAILY BREAD」は、直訳すると「日々の糧」という意味で、それは確か聖書の「日用の糧」で、人の生活に必要な物事を指しています(だったと思います)。つまり『いのちの食べ方』は、我々人間に必要とされる食物の運命を描いた映画なのです。もっとわかり易くいえば、いかにして食物は殺されるか、でもあります。

 驚きは、まず画面に映る様々な機器によってもたらされます。
 牛の皮を剥く装置、子豚を去勢するために子豚を固定する装置、魚を一瞬で解体する装置、地面にいる鶏を吸い込む装置が付いた車、木の幹を掴んで凄い勢いで振動させて木の実を落とすマジックハンドみたいなものが付いた車などなど、見たこともない「~をするためだけ」の専門装置群。中でも去勢する子豚を固定する装置は、「子豚を固定するためだけに専用の装置があるの!?」と驚かされました。マジックハンドみたいなものが木の幹を掴んで超振動させると、どしゃぶりの雨の如く木の実がザバーッと瞬時に落ちるのにも、「すげーっ!」と感嘆しました。
 人間の「もっと楽に、もっと簡単に、もっと無駄なく」という効率化を図る発想が産む作業の進歩には驚かされます。
 鶏や豚や牛がシステマティックに解体される工程にも驚きました。解体以前に、それらがシステマティックに育成されているのにも驚きました。

 そんな「いのちの扱われ方」が、まるでスタンリー・キューブリック監督の『2001年宇宙の旅』か『シャイニング』、ピーター・グリーナウェイ監督の『ZOO』か『コックと泥棒、その妻と愛人』かというくらいこだわった構図で映されます(公式HPで予告篇が観られるので、そちらを参照して下さい)。「いのち」を撮っているのに、全くない温もりのない構図。
 また、予告篇ではBGMやナレーションがありますが、実際はBGMもナレーションも説明の字幕も何もありません。タイトルすら出ません。おかげで何をしているのかさっぱりわからない場面が幾つもありました。ザバーッと落としていた木の実は何の実だったのか、今でも気になります。
 何をしているのか不明でも、「いのち」がどのように扱われ、人間がどのように「いのち」を欲しているのかはよーくわかります。ナレーションや字幕や音楽を排し、冷めた視線で撮ってあるからこそ、過剰な「いのちの扱われ方」が一層強烈に伝わります。これは演出の勝利でしょう。
 『いのちの食べ方』を観て何よりも驚かされるのは、その過剰さなのですから。
 扱われている「いのち」の数の過剰さは、人間が必要としている、つまり殺さずにはいられない欲望の強さそのものです。欲望の強さは、徹底的な効率化を求めます。効率化を推し進め、何もかもが機械化。生物を生かすのも、殺すのも。産まされ、生まれ、殺され、食物になる、生の始めから終わりまでが綺麗な一本線で描かれる。何もない、何もない生き方。もしもあれを自分に求められたらと思うとゾッとします。
 管理社会の恐怖は、映画でも昔からよく描かれてきましたが、『いのちの食べ方』も形は違えど管理社会の恐怖を描いています。テリー・ギリアム監督の『未来世紀ブラジル』やキューブリック監督の『時計じかけのオレンジ』、ジョージ・A・ロメロ監督の『ゾンビ』やウォシャウスキー兄弟の『マトリックス』などと並列してもいいでしょう。食べる側か、食べられる側か、という単純な考え方で観ても問題ないと思います。

 例えば、ひよこがパチンコの大放出さながらに何かの装置からベルトコンベアーにブワーッと溢れ出、それを係の人が手掴みでポイポイと何か区分けしている場面。最初は、「おいおい、そんな雑に扱っていいのかよ」と思いましたが、次々とコンベアーで運ばれてくる大量のぴよぴよ鳴いてるひよこ、それを鷲掴みして無造作にポイする係の人、タパパパパッと放出されるひよこ、それらを眺めているとぴよぴよやかましいのもあり、数の過剰さが可笑しく、笑いがこみ上げてきます。
 その場面↓

 さらに、鶏を吸い込む車に吸い取られる鶏の場面。養鶏所で、地面にいる鶏が次々に吸い取られる。コ、コケーッ! とわめきながら、たぶん何が何だかわからないうちに吸い取られてるんだろうな。吸い取られた鶏は、車の後ろに排出口があって、そっから蛇口の壊れた水道みたいにダバババッと放出され、カートンに詰め込まれてゆく。この詰め込み係の人がまた雑な感じで、鶏の頭とかはみ出ているのに気にせず、一杯になったカートンを次々に片付ける。ひよこ同様、こけこけやかましいのもあって、笑えます。
 が、カメラがパンすると、作業の手元だけを映していたカメラのフレームが養鶏所全体を捕え、数百匹いると思われた鶏が、実はだだっ広い養鶏所の地面を隙間なくびっしりと埋め尽くし、数万匹はいることがわかり、驚きに笑いが止まります。

 原題の「日用の糧」は、人が一日に必要とするだけのものを指します。一日に必要なだけを求めなさい、と。蓄えがあると、人は満足してしまって神様にお祈りするのを忘れるかもしれません。だから、今日一日に必要なものを与えられたことに満足し、感謝すべきだと。そして、今日与えられたなら明日も与えられるだろう、明日も与えられるなら明後日も与えられるだろう、と未来への希望が湧きます。人間が糧を作るのではなく、神様が与えてくれている、その感謝から深い信仰が育まれます。
 私はキリスト教信者ではないので勝手なことをいいますが、この「日用の糧」にある考え方は、管理社会の発想そのものです。監督は、いかに人間は過剰にものを欲しているのか、と批判的に撮っていますが、それは批判になっていないのです。なぜなら、人間は欲するものだからです。強欲に要求はしないけど、ちゃんと与えてくれなきゃ神様を崇めないよ、ってことです。今では忌み嫌われる共産主義も、人間に欲さえなければ、ちゃんと機能できたかもしれません。
 過剰に与えたら堕落するし、過少に与えたら裏切る。管理する側はその見極めをちゃんとしなきゃまずい。食料だって、供給過多だと賞味期限が切れてズルするし、過少だと顧客から苦情が殺到する。見極めを失敗している組織はたくさんいますよね。糧は、食料だけでなく、給料や愛情でも構いません。何にしろ、管理する上での考え方です。
 ですので私は観ている間中、流れ作業で牛を解体したりひよこを鷲掴みしている人の賃金はいくらなのか、そんなことばかり気にしてました。人間だって今や効率化の中で動かされています。職探ししている人なら、賃金がいいならひよこの鷲掴みしたい、という人だっているでしょう。クリエイティブな仕事ではありませんが、考えようによっては、命を奪うのは何よりもクリエイティブな作業です。例えば1世紀、2世紀前の人が『いのちの食べ方』に登場する装置を見たら、その命の奪い方に感嘆するでしょう。

 『いのちの食べ方』は、「日用の糧」という原題からも、現代の過剰すぎる食文化を批判的に捉えていることがわかりますが、意図を「説明」していないので、捉え方は千差万別。私のようにあれこれ考えて観ることができるので、面白い。人によっては部落差別に繋げて考える人もいるでしょう。描かれていることそのものを好意的に見る人は少ないと思われます。
 ただ、『いのちの食べ方』を観て、可哀想とか思ってはいけません。そーゆー人には、「人間はとっくの昔に、神様という、人間にとって最も便利な世界最高の管理システムを作り上げているじゃないか、今さら何いってんの?」と思います。可哀想だなんて、安易な責任放棄です。

 描かれていることがそのまま日本の食品文化に当てはまるわけではありませんが、少なくとも食品となる「いのちの扱われ方」はわかるので、教材としても使えるでしょう。人によってはショッキングな動物が切り開かれる映像があるので、PG-12指定にもなっています。いますが是非、子供にもオススメです。
 また、画面の構図のせいもあり、ある種のアートムービーにも見えるので、黄金分割な構図好きの人にもオススメです。マイケル・ナイマンやジェフ・ミルズがBGMを付けたら完璧なアートムービーの出来上がりは間違いなしです。
 ついでに、観られる機会が限りなく低いフレデリック・ワイズマン監督の『』も、これを機に観られるようにしてほしいものです。
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テーマ : 映画感想
ジャンル : 映画

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プロフィール

ばっどていすとさんどいっち

Author:ばっどていすとさんどいっち
テクノ好き。
アンダーワールドのRez大好き。
映画大好き。
ジャッキー・チェンが生涯の英雄。
生涯1位作品は『ミミズバーガー』。
2位が『溶解人間』。
泣き虫で、馬鹿。
itsuka-omoi-dasu-bts@hotmail.co.jp

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