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2011-07-19

ホラーとゾンビからコクリコ坂へ

 暑いので本屋でウロウロと涼んでいたら、荒木飛呂彦奇妙なホラー映画論』、『ゾンビ映画大マガジン』を見つけたので購入。本屋はやはりウロウロするものですな。

 荒木さんの『奇妙なホラー映画論』は、題名通り奇妙なホラー映画論でした。
 まず、まえがきで『プレシャス』をホラー呼ばわりします。あの『プレシャス』を。恐怖でしかない状況を描いているのだから、それはホラーである、と。これには驚きました。確かに、実際に『プレシャス』な境遇にあった人には、『プレシャス』を観ることはホラーな追体験です。なるほど。ここで荒木さんの主張に納得できた人は、続く荒木ワールドなホラー論を楽しめるわけです。見事なまえがき。
 そして、最終的に、ホラーは癒しである、といいます。『奇妙なホラー映画論』を執筆している最中に東日本大震災が発生したそうで、本書の幾分かはその影響下にあります。あとがきから一部を抜粋。

 子供たちに、「地震ごっと」(と名付けられてはいませんが)――テーブルを手で揺すって物を落としたり、庭で作った盛り土やおもちゃをバケツの水で流して、ふざけて遊んだりする行動が多く見られているそうです。
 もしそういう子供の遊びを目撃した場合、あなたがその親だったらどうしますか? 「こんな時に、そんな不謹慎なことをしてはいけない!」と叱り諭すでしょうか?
 でも、もしその「遊び」が子供の心の中にある恐怖や不安を「癒す」ための本能的な防衛行為だとしたら。確かに不謹慎ではあっても、必要な「遊び」だとしたら。本当に子供に伝えるべきは「地震ごっこ」をやめさせる事ではなく、人の心の痛みを教えることの方だとしたら。
 恐怖映画は一見すると、暗くて不幸そうで、下品で、そのうえ変な音楽まで流れていてレベルが低そうであり、異様な雰囲気さえ持っています。しかしすぐれた作品は何よりも――ここが大事な要素なのですけれども――「癒される」のです

この主張は、全面的にではないにしろ、正しいと思いました。
 つまり、映画で体験学習することもできる、ということです。いくら「癒される」とはいえ、そこに本物と思えるような恐怖が描かれてないのなら、それは単なる「感動もの」と変わりません。本当に感動するものは真実味があるのですから、荒木さんが『プレシャス』をホラーと呼ぶように、恐さも同時に秘めています。ですから、「癒し」とは、極端に要約すれば、学ぶことであり理解することなのです。
 題名に「奇妙な」とありますが、『奇妙なホラー映画論』は至極真っ当なホラー映画論でした。
 ただ、1つだけ欠点を挙げると、国内の恐怖映画(Jホラー)をかなり低く評価している点です。「トロトロした普通の日本映画」、「かったるくなる作品も多い」などいっており、ここはちょっと、ねぇ。トロい映画なんざ古今東西に余りまくる程にあり、別に国内作品に限ったわけではありません。むしろ海外作品の方が、母数の多さから、圧倒的に酷いと思います。

 『映画秘宝』を出している洋泉社からの『ゾンビ映画大マガジン』は、『ゾンビ大辞典』の続編的なものです。さあ読むか、と思っていたところで、親戚が亡くなり、葬儀へ行きました。
 斎場でかなり待たされるので、その空き時間を潰すために『ゾンビ映画大マガジン』を読みました。基本的にゾンビ映画のカタログみたいなものですから、パラ見。
 ここ十年くらいで300本以上もゾンビ映画が作られているそうで、それを頑張って追いかけている根気強さに感心します。凄い。真似できない。面白そうなのに国内盤として販売されていない作品がたくさんあるのだなぁ。
 読んで面白いのは、巻等の「新世紀ゾンビ映画座談会」。中原昌也さんの無重力じみた発言が相変わらず面白い。もっともっと中原さんに映画を語ってもらいたいのですが、本人が嫌がっているようなので、寂しい限りです。
 ちなみに、時間が経つのを忘れて『ゾンビ映画大マガジン』を読んでいたら、亡くなった親戚のご家族の方が近付いてきて、「何を読んでいるのですか?」と訊いてきました。
 さすがに「ゾンビの本です」とはいえませんから、「あー、映画……の本です」と濁して答えたのですが、「どんな映画?」と重ねて訊いてきましたので、表紙を見せ、「ゾンビです」と答えると、一瞬、相手の表情が「うっ」と引きつりました。そりゃそうだ。こんなだし。

 「いやぁ、日本では火葬が普通ですから、ゾンビの心配がなくて良いですよねぇ。あっはっはっはっは」とかいってみようかと思いましたが、故人が火葬されるって時にいうことじゃありませんから、思い止まりました(当然だ)。

 その後、宮崎吾朗監督の最新作である『コクリコ坂から』を観に行きました。『ゲド戦記』が駄作以前の「未完成品」と呼ぶべき作品でしたから、不安要素は大きく、しかしながら、脚本が(見るに見かねたのか)宮崎駿さんなので、安心要素も大きく、はてさて。
 既に評判は良くなく、「『ゲド戦記』と比べればマシ」という評価が多勢のようですが、私は大いに楽しみました。さすがは宮崎駿さん! 監督は吾朗さんですが、これは駿さんの作品でしょう。
 今現在公開中のどの作品よりも『コクリコ坂から』は見るべき作品です。図らずしも「東日本大震災後の作品」となり、そしてその存在意義を担っています。真っすぐで素直な、とっても宮崎駿さんらしい作品。もう日本には宮崎駿さん意外にこのような作品を育てられる作家はいないのかもしれません。
 駆け上がる者、駆け下りる者。上げる者、下ろす者。見上げる者、見下ろす者。何かを失い、何かを得る。立ち止まらず、躊躇しない人々。若者は、進む。ウジウジしている暇なんてない。手に手を取って、どんな亀裂だって飛んで渡ってしまう。交わらない視線が交わるハッピーエンド。色んな要素に宮崎駿さんらしさがあります。
 心に響いたのは、「少数派の意見を聞こうとしない者に民主主義を語る資格はない!」というような台詞です。ここまで明確にいいたいことをいった宮崎駿作品はしばらくありませんでしたので、少々驚きました。今の多くの日本の政治家に聞かせて上げたい台詞です。
 ただし、宮崎吾朗監督の実力の程は、まだまだ未知数って感じですね。『コクリコ坂から』から「宮崎駿」の存在を消し去って観ることは困難だと思うので。

 死を扱う本に出合い、人の死に出会い、死から大切なものを得る映画に出逢った日でした。意外と共通しているのは、「恐怖」の存在から生まれる「癒し」です。荒木さんは正しかった。
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ジャンル : 映画

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プロフィール

Author:ばっどていすとさんどいっち
テクノ好き。
アンダーワールドのRez大好き。
映画大好き。
ジャッキー・チェンが生涯の英雄。
生涯1位作品は『ミミズバーガー』。
2位が『溶解人間』。
泣き虫で、馬鹿。
itsuka-omoi-dasu-bts@hotmail.co.jp

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