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2010-10-30

カナザワ映画祭2010のまとめ

 のんびりとした<カナザワ映画祭2010 世界怪談大会>の体験記も終わり(終わるまでに1ヶ月経ってしまった。のんびりにも程がある)、何か今年の一区切りが付いた感じがする。まだ早いけど、「嗚呼、もう今年も終わりかぁ」と。

 今年の<カナザワ映画祭>で何よりも驚いたのは、爆音上映の威力だった。本当に侮っていた。わかった気になって批判的な感想を述べていたのが恥ずかしい。
 特にジョン・カーペンター監督の『ゼイリブ』と『パラダイム』の爆音上映には大興奮した。両作とも今まで何十回も観ていた筈なのに、全く知らなかった魅力が爆音上映にて知ることができた。爆音上映にてカーペンター監督作の真価を体感できた。カーペンター監督の音楽がダンスミュージック好きにとても評価されていて、クラブで使われることだってあるのに、音楽だけを大音量で聴くのと、映画そのものを爆音上映で観るのとでは全然違う。いつか「カーペンター監督作の爆音上映大会」を開催してもらいたい。<カナザワ映画祭>で行ってもらうのが理想だけど、他のどこでもいいので。
 意外だったのは、『スクワーム』。まさか『スクワーム』が爆音上映にピッタリだったとは思わなかった。耳をつんざくようなニョロニョロの叫び声がインパクト大だった。
 あと、『ポゼッション』の爆音上映も凄かった。何が凄いって、イザベル・アジャーニさんの発狂演技が爆音上映にて凄くなっていたこと。TV画面での鑑賞なら早送りする可能性のある地下道の場面なんて、椅子に固定させられる劇場鑑賞だと拷問のようで、しかし爆音上映がアジャーニさんの演技を神経に突き刺し、未知の娯楽へと発展させていた。本当に素晴らしかった。
 しかし、その他の作品は大したことなし(『吸血鬼ゴケミドロ』は爆音上映で観なかったけど、爆音上映がピッタリだったろうなぁ)。爆音上映すれば何でも価値が上がるわけじゃないのがよくわかった。作品毎に微調整をしているんだろうけど、それ以前に作品との相性が重要。
 作品との相性が抜群の時の爆音上映の威力は凄まじい。最新設備のシネコンでも敵わない。爆音上映は、まさに映画を体感する上映方式だ。その快感を覚えると、あの作品もこの作品も爆音上映で味わいたい……と考えてしまい、普通の映画上映を寂しく感じてしまう。麻薬のように危険かもしれない。

 「世界怪談大会」という副題通り、怪奇に溢れた作品揃いで良かったけど、スケジュールの組み方はイマイチだったような気がした。昨年の方が巧かったと思う。
 『邪願霊』、『女優霊』、『リング』、『降霊』は連続上映してほしかったなぁ。心霊表現の進化がわかり易いし。
 作品の上映順には何か意図があったのだろうか? あったとすれば、私は気付かなかった。

 作品の選別は、良かったり悪かったり。映画を楽しむことへの新しい発見があったりなかったり。微妙。これも昨年の方が巧かった。
 今さらだけど、鶴田法男監督の『ほんとにあった怖い話』から「ひとりぼっちの少女」、「霊のうごめく家」、「夏の体育館」の3本を上映してほしかった。革新的な心霊表現として特に重要な作品だし、黒沢清監督の『降霊』よりも重要だと思う。映画祭のパンフレットには、霊能者から見た「最もリアルな心霊表現」と『降霊』について書かれていたけど、映画としては鶴田監督の方が表現が巧い。
 『降霊』がイマイチなのは、TVMとして作られた作品をスクリーンで観たのが駄目だったのか、元々が模索中の作品だったから駄目だったのかわからない。『降霊』は、物語からはみ出た部分が黒沢監督っぽくて素晴らしい。ドッペルゲンガーの場面と、少女の幽霊を殴る場面がそれ。どちらもその後、『回路』と『ドッペルゲンガー』に昇華するので、やはり『降霊』は習作のような感じがしてしまう。巧いは巧いんだけど、不自然さが残っていて、『邪願霊』にも劣る。
 結局、今の邦画に於ける「心霊もの」の人気作品を連続で観ると、『邪願霊』が未だ最も怖いことがわかって驚いた。観る前の印象では、『女優霊』か『降霊』の方が巧くて怖いと思っていたんだけど。
 予想外の上映となった『ポゼッション』が今回の上映作の中に見事にハマったことには驚いた。というか、強烈だった。『ポゼッション』の後に上映された『リング』が可哀相だった。と同時に、『ポゼッション』から『リング』という上映順は、結果的に見事な効果があった。どう見てもアジャーニさんの方が貞子よりも強烈だもん。タコのお化けを創り出すアジャーニさんより、怨念で人を殺すの貞子の方が遥かに常識人だ。それがわかっただけでも大きな価値がある。つまり、貞子は今はもう怖い対象にはならないってこと。
 貞子の動き、呪いのビデオ映像、『女優霊』の最後のお化けの動き、それらはワザとらしすぎて、もう古臭い。人間ならざるものの表現はやはり難しい。理屈的な幽霊より、理屈を越える変態や狂人の方が遥かに恐ろしい。幽霊が怖いのは、理屈が通用せず理解できないからだ。しかし惜しいことに『降霊』も『女優霊』も『リング』も恐ろしさが説明できてしまう。怖さを表現するために――観客への配慮から――「説明」をしてしまっている。それゆえに時代の流れに耐えられない。それは科学と魔法の関係に似ている。理解できない科学は魔法のようだけど、魔法も理解できれば科学で捉えられる。理屈でないカーペンター監督作と『ポゼッション』、理屈だらけの心霊邦画を一緒に楽しむことでそれがよくわかった。
 理屈でない変な作品は、佐藤肇監督作も該当する。『吸血鬼ゴケミドロ』と『怪談せむし男』の面白さも格別だった。意外やカーペンター監督作に近い魅力があることに気付いた。カーペンター監督作の後に観たからそう思えたのだろう。<カナザワ映画祭>効果だ。
 上映作品の中では佐藤監督作、カーペンター監督作、『ポゼッション』、邦画の「心霊もの」は関連付けて観ることが可能で、新しい発見があった。それ以外は、失礼ながらイマイチだった。
 中国の『夜半歌聲』は私には退屈だった。傑作と呼ばれている作品であることは知っているし、抗日や圧政に対する民衆の気持ちが反映されていることも知っているけど、その知識から「ふーん」と納得しただけの作品だった。怪奇な作品じゃないし。しかし、表面的な表現だけを捉えていては理解できないことがある。『夜半歌聲』はまさにそんな作品で、時代背景を知っているだけで感想が変わる。日本の心霊表現だって、昔ながらの「ヒュ~、ドロドロ~、うらめしや~」から『邪願霊』以降の変化は、歴史的な視野で社会文化論の考察をすることもできるだろう。そーゆー意味で観る価値はあるんだけど、今回の<カナザワ映画祭>にそーゆー視野はないので(作品の選別からそう思った)、特に感心も感動もなし。
 韓国の『チャウ』は酷い作品だった。何であんなの選んだのだろう? はっきりいって『TSUNAMI-ツナミ-』と同程度に酷い作品だよ。『クトゥルーの呼び声』も貴重な上映だったけど、面白くも何ともない作品だった。ま、上映作品の全てを傑作で埋め尽くすのは無理だから、ハズレがあっても当然。それも映画祭の楽しみ。

 そして何よりも『シェラ・デ・コブレの幽霊』だ。
 まず、会場付近のささやか過ぎるお化けの飾り付けが印象深かった。余りにワクワクしていたから、野外会場への移動中、兼六園下(21世紀美術館前)の交差点で信号待ちをしている際、信号待ちをしている人がみんな『シャラ・デ・コブレの幽霊』を観に来た観客に思えた。あっちから来る人もこっちから来る人もみーんな『シェラ・デ・コブレの幽霊』を観たさに集まって来ているんじゃないか、と。そしたら同じく信号待ちをしている人の中で「ここにいる人、みんな映画観に来てる人かも」といってる人がいた。それだけでテンションが上がり、楽しくなってしまった。
 今月号の『映画秘宝』にレポートが載っていたのでそれを読むと、あの寒空の下に600人程の観客が集まったそうだ。400人未満だと思っていたら、もっといたのね。本当に晴れて良かったよ(21世紀美術館のシアター21には絶対に600人も入らないし)。
 万全の態勢で2回目の鑑賞に挑んだんだけど、手強かった。慈善上映みたいなもんだから文句いっちゃ悪いけど、1時間以上待たされるとは思わなかった。でも、それも良い想い出になる。ソフト化された暁には、コメンタリーに苦労話の1つとして語られるかもしれない。
 もうね、この野外上映を成功させられただけでも東京国際映画祭なんかより凄いと思えますよ。

 最後のまとめ、映画祭全体の感想。
 色々と批判点もあるけど、やはりとっても楽しい1週間だった。何を観るかで悩むのが楽しくて、朝起きて今から観る作品にワクワクして、観終えてから仲間と作品の感想を言い合うのが楽しくて、寝る時も翌日に観る作品のことでワクワクして、気付いたら1週間があっという間に終わっていた。本当、あっという間だった。
 だからこそ、終わり方に不満を感じた。「気付いたら何となくフェードアウトしてる」って感じの終わり方だし。「これにて閉幕!」と終わりを実感できるような演出があれば良かった。何かねぇ、寂しいのですよ。たとえば高橋洋監督の『恐怖』をクロージング上映にできていれば良かったのに。それはねだりすぎか。
 果たして今回も日本中に、いや世界中に自慢できる映画祭だった。自分では何もしていないけど、自分のもののように自慢したくなる。まさか自分が住んでいる地域でこんな素晴らしいイベントが開催されるとは夢にも思ってなかったので、かなざわ映画の会にはどれだけ感謝してもし切れない。開催に係わった全ての方々、本当にありがとうございました。そしてお疲れ様でした。来年も期待してます。
 それにしても、年々ハードルが上がってる気がする……

映画祭に使った金額:
・チケット代金    32,000円
・野外上映時の募金 1,000円
・サポーター賛同金 10,000円
          計 43,000円
 地元民でこれだけ使ってるんだから、他地域からの観客はどれだけ使ってるんだか……熱意に感心します。そういえば、9/23に「買いすぎてチケットが9枚も残ってる」といってる女性2人組の観客がいた。その時点で残り5本しか上映されないのに。ちょっと面白かった。
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tag : カナザワ映画祭

2010-10-28

カナザワ映画祭2010体験記:8日目

 <カナザワ映画祭2010 世界怪談大会>の8日目(9/24)。遂に映画祭も最終日だ。最後に観たのは、『吸血鬼ゴケミドロ』と『怪談せむし男』。どちらも佐藤肇監督の作品だ。
 佐藤監督作は、『吸血鬼ゴケミドロ』しか観たことないので、『怪談せむし男』にはとっても期待している。

 1本目は、『吸血鬼ゴケミドロ』。
 物語は単純。異星生命体による「侵略もの」だ。ただし、作品そのものは単純じゃない。とある旅客機がUFOのせいで制御不能になり、とある山へ不時着する。物語は基本的にその旅客機内だけで進行する。従って『吸血鬼ゴケミドロ』を強引に要約すれば、異星生命体による「侵略もの」の密室劇。まあ、出たり入ったりするので完全な密室劇ではないけど、『遊星からの物体X』と似たり寄ったり。
 登場人物は、人数は少ないけど、濃ゆ~く揃えられている。エゴ丸出しの政治家、妻を浮気相手として提供してでもその政治家の権力にすがり付く武器商人、自分の感情を殺して政治家に抱かれる武器商人の妻、人の命を実験台程度にしか考えていない医者、爆弾で自殺しようとしている馬鹿、存在価値が唯一よくわからない外人女性、そしてテロリスト……揃いも揃って嫌な奴ばっか。善人は機長、副機長、搭乗員だけ。それだけで普通に飛行機事故の「パニックもの」を作れるのに、異星生命体の「侵略もの」という要素が加わるのだから、とんでもない展開を見せる。
 印象は、中川信夫監督の『地獄』。無難な題材なのに、やり過ぎでとんでもなく凄い作品になった一例。その後に作られた2本の「地獄」は、中川監督の『地獄』を超えることは無理なだけでなく、足下にも及んでいない(あの石井輝男監督ですら無理だった)。それと同じくらいメチャクチャな地平の果てまでイってしまったのが『吸血鬼ゴケミドロ』だ。
 題名にもあるように、異星生命体の「侵略」は吸血行為によって行われる。ので、飛行機事故の「パニックもの」と異星生命体の「侵略もの」に吸血鬼まで盛り込まれていることになる。その上、反戦メッセージまで加わっているので、もうメチャクチャ。
 物語は、嫌悪感しか抱けない面々が大騒ぎしているだけで進行し、ずんずんと異常事態に発展する。通信が通じない状況らしく、外部の状況が一切わからない設定なのもいい。その異常事態を一身に担っているのが、テロリストを演じる高英男さん。「ゴケミドロ」に侵略される前もオカシイ感じが前面に出ているけど、侵略後が他の面子よりも際立っている。無表情な不気味さが巧く、その表情ゆえか、額に亀裂が入って水銀みたいな「ゴケミドロ」がドロリと出入りする特殊メイクは今見ても気持ち悪い。
 画面は、落ち着いた色彩と極彩色が巧く配置されており、後者の場面は、やり過ぎと思えるくらいに強烈。特に冒頭の真っ赤な空の色は、「まるで血の海を飛んでいるようだ」という台詞そのままで素晴らしい。最初から最後まで異常な作品だ。
 そして最後が良い。最後の最後で不時着した場所が実は街郊外から一山越えただけの場所だったことが発覚する。人のいる場所に出られた喜びも束の間、様子が異常なことに気付く。国道と思われる道路に車がたくさん停まっているんだけど、生きている人が乗っていない。その光景がずーっと向こうまで続いている。何か異常事態が、大きな規模で起きていると一目でわかる。そして画面は、宇宙から見た地球になり、そこへたくさんのUFOが飛来しているのを映して終わる。
 観客の大半が「実は山の向こうは人里でした」とわかる場面で笑っていたけど、そこは笑う場面じゃないと思うのだ。確かにコントのような展開だけど、私は感動した。いかにもなB級映画のいかにもな展開。細かい説明は不要とばかりのいきなりの衝撃的展開。そして衝撃的な結末。見事。
 いつまで経っても色褪せることのない、賞味期限の長~い傑作だ。

 2本目は、『怪談せむし男』。
 こちらも物語は単純。怪しい洋館で当然のように恐ろしくおぞましい出来事が連発する。『ヘルハウス』みたいといえばいえるけど、やはりそこは佐藤監督、一味間違っているような変な作品に仕上げている。
 幽霊屋敷のせいで異常事態が発生している物語なんだけど、進行は見るからに怪しい「せむし男」が担っているので、「せむし男」のドッキリ映画といえないこともない。題名通り、問題を起こしているのって「せむし男」だからね。
 後の『吸血鬼ゴケミドロ』でも印象に残るショットを作っていた佐藤監督は、白黒である『怪談せむし男』でも印象的なショットをたくさん作っている。アングルを傾けたり、天井からの俯瞰ショットを混ぜたり、家具の配置を巧みに使ってドッキリ演出を凝らしたり、巧い。物語は「何じゃそりゃ」としかいいようのないメチャクチャさで、怖いを通り越して笑える一歩手前なんだけど、やはり演出の巧みさ(または異常さ)がそんなことを気にさせないものにしている。
 しかも最終的には記憶に残るくらい嫌な怖い作品になっている。冒頭から焼死体が叫ぶ衝撃的な場面があり、驚かされる。最後の、葉山葉子さん演じる和子が燃え盛る炎の中に入る場面も気持ち悪い。「怖い」でなく「気持ち悪い」のは、和子が笑顔で燃えるからだ。悲鳴を上げて燃えるだけでも怖いのに、笑顔で燃えるというのが常識を逸脱しているので「怖い」を通り越して「気持ち悪い」になる。和子の等身大の写真の前に炎があるのを撮っているだけなんだろうけど、とにかくその場面が怖い。
 平然として恐ろしい事態に陥ることがどんなに異常なことか。これは今でも通じることで、たとえば『パラノーマル・アクティビティ』のようなモキュメンタリーの駄目な点は、「恐怖の対象を映さない」という一言に尽きてしまう。ギャーギャーと怖がる登場人物を映してばかりで、本当に怖いものを映したいのなら、怖い根源を積極的に映すべきなのに、「ドキュメンタリー風」というものを「状況を映すもの」と勘違いしている。状況を映さないと維持できないということは、とっても物語的であって、ドキュメンタリー的ではない。そこを理解している演出なので、『怪談せむし男』と『吸血鬼ゴケミドロ』の異常性は際立ち、歴史に残るのだと思う(というか、両作とも状況そのものが異常で怖い)。
 ところで、意外や満員に近いくらい客が入っていて良かったんだけど、何かクスクス笑ってる客が多かったのが気になった。何だろう、いつも感じるこの違和感は。確かに今からすると苦笑もの演出はあるけど、その大袈裟なところが良いのに。やり過ぎて笑わせる演出というものはあるけど(サム・ライミ監督が得意とするような)、『怪談せむし男』はそーゆーのとは違うと思う。たとえば中川監督の『地獄』なんて思わず笑ってしまうくらいにやり過ぎを超えたやり過ぎ作品だけど、私はただただ凄いなぁと呆気にとられて感心するのみだ。石井監督の『江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間』にしたって、最後の生首場面で爆笑している人多いけど、そーゆーシニシズムな態度は嫌だなぁ。
 題名からソフト化されないようなので(表面的な判断しかできない連中って嫌だねぇ)、とっても貴重な鑑賞になった。ありがたや。

 どちらも物凄く面白かった。『吸血鬼ゴケミドロ』はカルト映画として世界的にも有名なので、時代の差を感じることもない素晴らしく凄い作品だったし、『怪談せむし男』も負けずに凄い作品だった。どちらも物語がメチャクチャだってのもあるし、それ以上に演出が強烈だってのもある。
 作品は大いに満足できるものだったけど、映画祭としては寂しい限りだった。最終日だってのに、何にもなくて、閉幕という表現すら不用ないくらいに静か~に閉幕しちゃうんだから(最後の上映は『女優霊』だけど)。昨年はまだ『ラザロ』というクロージング上映作もあったのに、今年はそれもなし。そーゆーとこをどーでもいいと思ってるのか知らないけど、これは由々しき問題ですよ。事情や理由は知らないけど、祭りなのに、そこを手抜きするのは駄目でしょ。少しガッカリでした。

テーマ : 映画館で観た映画
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tag : カナザワ映画祭

2010-10-22

入ってほしいのに入ってない

 のんびりと、だら~と、1ヶ月遅れで<カナザワ映画祭2010>の感想を作りつつ、普通に新作映画も観ていて、しかし、昨年も同じだったんだけど、映画祭の後に新作映画を観ると、何か感覚がズレている気がする。映画館で映画を観るって、どーゆーことなのかと。まあ、それはいいとして、最近観た凄い映画の観客数が少ないのに驚いた。

 『エクスペンダブルズ』を公開初日の夕方に観に行ったら、観客数が私を含めて5人しかいなかった。話題作で、公開初日、最も人が多そうな夕方なのに、たったの5人って!? 筋肉は時代遅れだってのか!? ムキーッ!
 『SRサイタマのラッパー2』を公開2週目に観に行ったら、観客は私だけだった! 2週目に入ってることを考慮しても少なすぎだろ!? 金沢市では『SRサイタマのラッパー2』は特に話題になってないの? 色々と駄目な点はあったけど、『BECK』に比べれば数万倍は面白くて素晴らしい作品だったのに。『キャタピラー』が再上映までされているのと対照的だ。
 そのすぐ後の時刻から上映されている『恐怖』は、私を含めて4人。上映期間が1週間しかない上にレイトショーのみだってのに、少なっ! 高橋洋さんの初メジャー長編監督作だってのに、少なっ!! 遂に題名に「恐怖」を選んだくらい、本気の怪奇映画だってのに、皆さん興味ないんですかぁっ!?

 『ナイト&デイ』が大ヒットしているっぽいのは安心するけど、あれもどれだけ評価されるか……今最も面白い作品だと思うけど、物語というか脚本の端折りっぷりが低い評価に繋がるかもしれない。でも、それなら『エクスペンダブルズ』も似たり寄ったりだ。物語の筋道なんてどうでもいいことなんだけどね。そう考えると、『恐怖』の不人気も納得できる。端折りっぷりが凄いし。でも、『恐怖』も良い演出が何ヶ所もあったし、観る価値はあると思うんだけどなぁ。
 などと考えている今、石川県(シネモンド)での『恐怖』の上映は終わってしまった……石川県の映画好きにはエクストリームな作品を好きな人が少ないってことか……もったいない……

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2010-10-21

カナザワ映画祭2010体験記:6日目&7日目

 <カナザワ映画祭2010 世界怪談大会>の6日目(9/22)と7日目(9/23)。観たのは、6日目が『夜半歌聲』、7日目が『海魔陸を行く』。
 どちらも前日同様、客数は寂しいもので……

 『夜半歌聲』は、中国の70年も前の古い怪奇映画。
 物語は、要するに「オペラ座の怪人」。
 とある劇場に、毎晩、綺麗な歌声が響く。歌っているのは、醜悪な顔をした怪人だった。彼は、昔は人気劇団の花形だったが、付き合っていた名家のお嬢様を横取りしようとした地元の権力者によって顔と地位を潰され、死んだことになっていた。残されたお嬢様は悲しみの余り狂ってしまう。お嬢様を想う彼は、怪人となり果てても、お嬢様のために毎晩歌っていたのだ。
 そこへ新たな劇団が興行に訪れる。その劇団の花形である青年は、新しい歌劇で巧く歌えず悩んでいた。青年は、怪人の歌声を聴き、その巧さから怪人に弟子入りする。
 怪人は、歌を教える代わりに、お嬢様を慰めてくれ、と青年に頼む。怪人となった自分はお嬢様の前に出られないから、自分の代役を演じてくれ、と。青年は、師匠の頼みなら否もない。お嬢様の幸せを何より願う怪人は、青年とお嬢様の仲睦まじい姿を見、喜ぶ。
 しかし、実は青年には彼女がいた。それを知った怪人は激怒する。このまま青年とお嬢様が結ばれることを願っていたからだ。先に確認しなかった怪人も悪いが、彼女がいると断らなかった青年も悪い。怪人は苦悩する。
 そして、事態はさらに悪化する。諸悪の根源である地元の権力者が、今度は青年の彼女を横取りしようとしてきた。彼女は、青年と付き合っている、と権力者の誘いを断った。それに激怒した権力者は、彼女を殺してしまう。再びの悪事に我慢の限界と、怪人は積年の恨みを晴らすべく、権力者の前に再び姿を現す。
 怪人は、大乱闘の末に権力者を退治するが、その怪物のような姿を恐れた町民に襲われる。町外れまで追い詰められた怪人は、青年に全てを託し、海に身を投じる。
 残された青年は、お嬢様と寄り添うのだった……
 映画祭のパンフレットによると公開当時はショック死した観客がいたらしいけど……え、どこで? 怪人の素顔が現れた時か? 全っ然、怖くないんすけど。悲恋+歌劇+アクションな作品で、怪奇要素は少ない。
 それに正直、大して面白くない。が、それも当然で、戦前の怪奇映画なんだから、物凄く出来が良くないと今でも面白さを維持できない。しかし既にこの時、ドイツにはフリッツ・ラング監督が『』を撮っているのだ。編集が雑だし、照明も工夫がなくて怪奇っぽさが表現できておらず、平凡な作品だと思う。後半のアクション場面は今観ても意外と面白いけど、それにしたってバスター・キートン作品に遠く及ばない。
 もちろんこんな感想がないものねだりなのは理解しているけど、今観る価値があるかといえば全くないと思う。脚本が雑で、戦前の極めて表面的な貞操観念による青年の考え方によって事態を悪化させるところは時代の差なのだろうけど、いやそれでも彼女が殺されたってのにあっさりしすぎだよ!
 面白くないとはいえ、『チャウ』と『クトゥルーの呼び声』よりは面白い。でも続編の方は観ないことに決定。

 『海魔陸を行く』は、日本の60年も前の白黒映画。
 物語は単純。魚屋から売られようとしているタコが海まで逃げ帰る話。
 要するに、『子猫物語』のタコ版だ。タコがグネグネと頑張る姿を眺めているだけ。つまり、映画祭のパンフレットには「驚異のドキュメンタリー」と記載されていたけど、「モキュメンタリー」だよね。だって、タコは「頑張ってる」というより、「むりやり頑張らされている」だけだし。むしろ可哀相。突かれたり、引っ張られたり……
 面白いといえるし、面白くないともいえる。とりあえず、何が怪奇なのかわからんかった。徳川夢声さんのナレーションがなければ絶対に途中で飽きて熟睡してしまうな(実際、睡魔を退けるのに苦労した)。
 観終わって、ふと「およげたいやきくん」を思い出してしまった。

 6日目、7日目はどちらも地味ぃ~だった。観たのがそれぞれ1本ずつ古い作品だったってのもあるし、白黒だったってのもあるかもしれない。珍しいというだけの価値しかなく、今観ても面白いわけじゃなかったのもある。観客数も当然のように少なく、盛り上がらず……何か、今年の<カナザワ映画祭>は尻すぼみに終わるような気がして不安になる。
 しかしそれは杞憂で、翌日の最終日はまた物凄く盛り上がるのだった(少なくとも私の中では)。

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2010-10-18

カナザワ映画祭2010体験記:5日目

 <カナザワ映画祭2010 世界怪談大会>の5日目(9/21)。観たのは、『おらぁカッパだ』、『空気の無くなる日』の2本。同時上映なので、料金は1本分。ありがたいことです。
 今年は昨年と異なり連休が2日間しかなかったため、5日目からはシネモンドでの上映のみ。爆音上映は3日間で終わってしまい、つまり<カナザワ映画祭>の売りの1つがなくなったわけで、客数も激減。正直、映画祭が行われているとは思えない閑散さ……

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2010-10-10

カナザワ映画祭2010体験記:4日目

カナザワ映画祭2010 世界怪談大会>の4日目(9/20)。観たのは、『パラダイム』、『降霊』の2本。
 21世紀美術館にて爆音上映で観られるのはこの日で最後。昨年よりも連休が少ないから、21世紀美術館での上映日数も少ない。寂しい……が、この日が最も素晴らしい爆音体験だった

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2010-10-05

夢は踏みにじられ、砕けるものだ。その残滓にこそ価値がある

 韓国映画『TSUNAMI-ツナミ-』を観たら、その余りの駄作っぷりに驚いてしまった。上映時間が3時間もあるダラダラと長い作品で、肝心要の巨大津波が登場するまでに1時間以上はかかるため、前半ですぐに飽きてしまう。しかし、観終えて上映時間を確認したら、実は2時間しかなく、さらに驚いた。体感的に1時間も余計に長いと感じるなんて、余程の駄作だよ?
 本当につまらなくて下らない物語が、本当につまらなくて下らない人物によって構成されており、ずーっと「死ね、早く死ね、みんな死ね」と呪詛の念をスクリーンに送っていた。韓国映画の悪い部分を総動員したような駄作。
 そんな駄作をさらに駄作色に上塗りしたのが、主題歌。エンド・クレジットが始まったら日本語の歌が流れ出す。「超日本語吹替え版」とはいえ、ED曲まで日本語に吹替えたなんてことはさすがにないと思われるので、「最近話題になっている韓国のアイドルグループが特別に日本語で歌ってるのかな」と思ったら、AKB48の曲だった。これがまた酷い曲でねぇ。つーか、韓国のアイドルが人気なら、そのアイドルに頼んで日本語で歌ってもらえば良かったのに。AKB48とは意味がわからん。
 さっさと死んでほしいムカつくキャラ満載のアホみたいな映画の主題歌として楽曲を提供しちゃ駄目でしょ。私のように全くAKB48に興味のない奴が間違って聴いてしまい、こんな感じに罵倒しちゃうんだから。

 その歌詞に「夢は逃げたりしない、諦めなければ~」というのがあった(確かそう聴こえた)。みんな好きだねぇ、そんな感じのフレーズが。松本零士さんと槇原敬之さんによる、「夢を裏切る裏切らない論争」がまだ記憶に新しいし、「夢は逃げない」ってフレーズは高橋歩さんの「夢は逃げない、逃げるのはいつも自分だ」が有名だ。だからAKB48による主題歌は物凄く安直な歌にしか聴こえない。
 夢の自己実現かぁ……大量殺戮が夢の奴いたらどーすんだよ。「あのフレーズに励まされてここまできました」なんて犯行後にニコニコと語られても困る。叶ってほしくない夢もあるだろーに。そもそも夢は必要かなぁ? それがモチベーションに繋がるなんて、『BECK』の感想でも述べたけど、説得力ないと思うのだ。
 たとえば小さい頃から何らかの夢を抱いていたとして、その夢を実現できなかったら、自分から諦めたり逃げたことになるだろうか? もちろんそれはある。しかし、そもそもその夢が自分に向いていなかった可能性だってある。それなのに、「諦めなければ~」や「逃げるのはいつも自分だ」なんて言葉が流通していると、実現できなかった責任は自分にあるみたいだ。

 身の程を知ることは重要だと思う。努力を重ねて叶えられる夢があれば、どれだけ諦めずに努力を重ねても絶対に無理な夢もある。「諦めなければ~」や「逃げるのはいつも自分だ」という言葉は、人によってはとっても励まされる強い言葉となるだろうけど、逆に絶望の底に追い込む強迫観念ともなる。そんな時に重要なのは「身の程を知る」だ。
 たとえば『BECK』で最も駄目なのは、「身の程を知る」ことに対する恐怖感が真摯に描かれていない点。何者かである主人公が大活躍する物語は面白いけど、何者でもないことを知った主人公が頑張る物語だって面白い。『BECK』が描くべきだったのは、後者であるべきだった。そうでないから最後まで仲間の大切さを描き切れなかったのだ(それはそのまま映画版に悪化して受け継がれている)。『BECK』は、音楽を描くことには成功したかもしれないけど、「バンドとしてのケミストリー」を描くことには大失敗していた。
 諦めたり逃げたりしなければ見えないことだってあるだろう。それが本来の自分の姿だったりするかもしれない(良し悪しは別にして)。日本人の大半は直接的にも間接的にも仏教徒だろうに、こだわりを捨てることを真摯に教えない今の教育や風潮はいかがなものかと思ってしまう。肩の荷を下ろさせてくれない社会があったら嫌だよ。
 社会的に考えれば、順風満帆に社会を動かそうと思えば経済成長をしなければならないんだから、誰も彼もが肩の荷を下ろすようじゃ困ってしまう。でも、疲れた時にふと休めるくらいの余裕を与えてくれる社会であってほしいものだとも思う。結局それは流動性を高めるということでもある。そう考えると、『BECK』は既得権益にとってもこだわる古臭い思考の物語であることがわかる。

 映画の出来はさて置き、「夢の自己実現」を巧く描けていたのは、『ロード・オブ・ザ・リング』かなぁ。あの作品の大ヒットにより、少しは改善されたかと思ったけど、強迫観念な「夢の自己実現」はまだまだ健在だ。
 ボロボロになりながらも、小さな欠片となってでも残った夢があれば、それこそが大事で大切なものだと思う。でも、人の心は難しいもので、夢がボロギレのようになってしまえば今まで以上に必死にこだわり、身を滅ぼすこともある。
 そして、最後に残るのは「何もない自分」だと思うので、いってしまえば「諦める自分」や「いつも逃げてばかりいる自分」かもしれないので、そんな自分を労わり、その上で途方に暮れず、とりあえず一歩を踏み出せることだと思う。そーゆー意味では、AKB48の主題歌は「戻る場所がある安心感、それゆえに辛い時でも挫折せずに頑張れた」という内容なので、映画の内容に照らし合わせば、「愛する人は亡くなったけど、常に心に想いはあり、辛いけど前を向いて頑張れる」という主題を代弁するピッタリな曲と思える。が、それなら「夢は逃げたりしない、諦めなければ~」という部分が余計だ。
 どうでもいい微妙なことだけど、なーんか気になってしまい、ちょっと嫌だなぁと思ってしまった。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

2010-10-04

カナザワ映画祭2010体験記:3日目

 <カナザワ映画祭2010 世界怪談大会>の3日目(9/19)。観たのは、『スクワーム』、『ポゼッション』、『リング』の3本。
 この3本を続けて観ると、『リング』が最も常識的で普通の作品であることがわかる。あれだけ世界を騒がせた「貞子」も、大群のニョロニョロと発狂したイザベル・アジャーニさんが同列に並ぶと、「ちょっと物静かな純和風女性」にしか見えないのだから驚いてしまう。「TVからの登場」も、それが常識となるまでに消費されてしまい、今では驚きも恐怖もないのだから。
 表現することに於いて重要なのは、「簡単に消費されないようにすること」なのがよーくわかった連続の3本だった。

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テーマ : 映画館で観た映画
ジャンル : 映画

tag : カナザワ映画祭

プロフィール

ばっどていすとさんどいっち

Author:ばっどていすとさんどいっち
テクノ好き。
アンダーワールドのRez大好き。
映画大好き。
ジャッキー・チェンが生涯の英雄。
生涯1位作品は『ミミズバーガー』。
2位が『溶解人間』。
泣き虫で、馬鹿。
itsuka-omoi-dasu-bts@hotmail.co.jp

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