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2010-05-30

『ボックス!』は、目指した場所が頂点でない中途半端な物語

 市原隼人さん主演の『ボックス!』を観た。
 こないだ「ミュージック・ステーション」でRIZE with 隼人の「Laugh It Out」を聴いたことをきっかけに『ボックス!』の存在を知り、明らかに私が好きな類の話だったので、期待半分、不安半分で鑑賞。

 物語は、天才型のボクサーであるカブと、努力型のボクサーであるユウキ、この2人の男子高校生を中心にした、夢と挫折と栄光の物語。努力を知らない天才が努力の凡才に負け、挫折するが、復活してハッピーエンド。典型も典型、ど典型の少年漫画的スポ根物語。要するに、はっきりいって、松本大洋さんの『ピンポン』。しかも、劣化版ですわ。
 この手の「少年漫画的スポ根もの」は、主人公の天才ぶりと、挫折と復活の3点に最も強い明かりを当てる。なので描き方としては、主人公がいかに天才かを序盤で描き、観客をその輝きで魅了してから、挫折のどん底に叩き落し、そしてそこから這い上がる主人公のさらなる輝きで感動させるわけだ。実際、『ボックス!』もそう展開する。
 カブの天才ぶりは序盤で描かれる。しかし、カブは天才なだけで努力をしないから輝きが鈍い。そこで挫折させ、自己を見つめ直すきっかけを与え、復活させることで真の輝きを引き出す。が、『ボックス!』は、そこに無駄があって感動が台無しになっている。
 展開が「挫折→復活」の典型なのは悪くないんだけど、なぜかその展開を2度繰り返すのだ。長期間の連続ドラマならそれもいいだろうけど、約2時間の映画で「挫折→復活」を2度繰り返すのは無駄でしかない。斬新さに「ええーっ! また負けるのぉ!?」と驚いてしまった(1回目は稲村、2回目はユウキ)。この手の「努力せずして強い天才の主人公の物語」が面白いのは、挫折した後に真の強さを掴み取るから良いのに、2度も負けたら「あれ? 実は口ばっかで本当は弱いんじゃない?」と疑いを抱いてしまう。『ボックス!』が正にそうで、2度目の「復活」にはインパクトが弱く、後半の展開はもうどうでも良かった。

 登場人物全員の存在感が薄いのも悪い。何でカブがボクシングをやってるのかわからないし、勉強の成績優秀なユウキが何でボクシングをやろうとするのかわからないし、丸野が何でマネージャーをしたいのかもわからないし、ボクシング部の先輩が弱いくせに何でボクシングが大好きなのかもわからないし、とにかく何から何まで存在感と存在価値がない。
 まず、衝撃的な筈のカブの初登場場面がとんでもなく駄目な演出で台無し。ユウキと女性教諭の耀子がチンピラに絡まれているのをカブが颯爽と助けるその場面は、照明が明滅する電車の中で描かれるんだけど、明滅のせいで、ただ単に見辛い。いかにカブが強くて魅力的か、それを初っ端から観客に刷り込ませる必要があるってのに、明滅でフラッシュ効果を出すわけでもなく、はっきり見せないという驚きの馬鹿演出。
 そもそも根本的な大問題として、肝心要であるボクシング場面が全く魅力的に描かれていない。『ボックス!』はボクシングを軸として展開する青春物語である以上、ボクシング場面が最大級に面白くなければ全ての展開に価値がなくなってしまう。それが「登場人物全員の存在感が薄い」ということ。丸野にしてもユウキにしても、行動のきっかけがカブのボクシング姿の美しさなんだけど、演出が駄目なために「あれのどこに惹かれるの?」としか思えない。
 しかしもっと根本的には、物語がちっとも面白くないってことが問題だ。たとえば、物語を盛り上げるためだけに、丸野を病死させる悪趣味さ。挫折して堕落したカブに自己嫌悪の悔し涙を流させ、奮起を後押しさせるために、丸野は病死“させられる”。「物語を盛り上げるために死ぬ展開のある感動物語」が私は大っ嫌いだ。丸野が死ぬ必要ちっともないし、そもそも丸野が心臓病を患っている病弱な設定だって必要ない。映画版では丸野の存在を丸ごと削る脚色をしても良かったと思うくらいだ。百歩譲って物語的に必要なのだとしても、カブのボクシング姿が魅力的でないため、病気を押してまでマネージャーをやる意義が見えず、いきなり丸野が脈絡なく病死した感じしかしない。ついでにいうと、丸野を演じる谷村美月さんが病弱に見えないのも大問題。いないだろ、あんなにふっくらとした病弱キャラって。
 敵役として重要な稲村が変人にしか描かれていないのも盛り上がらない原因。原作も同じなのかね? 都合良く使われているだけのライバル役。結局、よくわかんないままカブに負けるし。顧問に嫌々なる耀子に至っては、本当に何のために存在しているのかさっぱりわからない。最終的にボクシングが好きになったのかどうかもよくわからない描き方。あれじゃ単なる嫌味な教師だよ。

 とにかく『ボックス!』は、約2時間の中での脚色(取捨選択)を間違えてしまい、大失敗している。カブの挫折は1度だけにすべきだった。そこで削れた時間で、もっと丸野の魅力を描くべきだった。丸野を病死させるのなら、少なくともユウキと同程度に丸野の描写を増やさないと意味がない。そうしていないから、『ボックス!』の展開は何もかもがおざなりテキトー極まりない。2度も負けるからテンポが悪く、結果的に上映時間が水増しされている。登場人物がテンポを悪くしているのもある。物語に何の貢献もしない耀子や丸野が登場する度にテンポが悪くなる。
 演出が悪いのもある。とにかくカブの初登場場面は駄目すぎだし、ボクシング場面が魅力的に見えない。殴り合いを魅力的に見せられていない時点で大失敗でしょ。ボクシング場面を魅力的に演出できないなら、その他のドラマで頑張ればいいんだけど、脚色が駄目だから、何もかもが駄目。ボクシング場面以外の場面はとってもセット(作り物)じみた撮り方になっていて、ボクシング場面こそが活き活きと演出されてはいるんだけど、肝心なところで止めの画にしたり、意味がわからん。丸野が「死んだら天使になってカブを見守る」といったのなら、最後の稲村との闘いでは丸野を天使として映すとか、それくらい恥ずかしい大袈裟な演出があっても良かったのに。
 最も呆れたのは、最後。「稲村を倒したか!?」と思うところで、暗転。いきなり後日談に切り替わり、思い出として稲村を倒した場面が描かれる。何あのテンポの悪い演出? さらにその後日談に愕然。カブはボクシングを辞め、お好み焼き屋を始めましたとさ。って何そのショボい結末ーっ!? 結局、『ボックス!』は何を描こうとした作品なんだ? あの結末じゃ、それがちっとも見えんわ。才能を巡る物語なのか、ただの青春ものなのか。

 市原さんも高良健吾さんも相当に訓練したんだろう、と感心するボクサーぶりで良かった。そこは予想以上に素晴らしく、本当に「おおーっ!」と感心した。でも、何度も繰り返すけど、演出や脚本が悪いから、「光り輝いて見える」ことはなかった。もったいないなぁ。
 原作は読んでいないから原作の評価はできないけど、映画版に限っていえば、はっきりって『ピンポン』以下。『ピンポン』も出来の悪い映画ではあったけど、「才能」というテーマがブレていない物語であるため、中途半端に恋愛要素まで入れてしまった『ボックス!』よりは遥かに面白い。無論、北野武監督の『キッズ・リターン』とは比較にもならないね。
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テーマ : 映画館で観た映画
ジャンル : 映画

tag : ボックス!

2010-05-25

『シャッター・アイランド』は、お子様向け超不親切映画

 マーティン・スコセッシ監督の『シャッター・アイランド』を観た。予告編からして脳がどーとか錯覚がどーとか騙す気満々のミステリーであることを強調していたので、物凄く期待していたんだけど、同時に不安でもあった。レオナルド・ディカプリオさんとスコセッシ監督の組み合わせで良作が未だにないから。

 物語は騙す気満々の「結末は決して口外しないで下さい」系なんだけど、実はちっとも大したことない。
 精神を病んだ犯罪者ばかりを収容する、孤島にある刑務所から1人の女囚が姿を消した。その捜査をするために連邦捜査官のテディが刑務所を訪れるんだけど、捜査をしてみれば謎だらけ。そもそもテディは、妻を殺した放火魔がこの刑務所にいると知り、捜査を買って出たのだった。が、それも謎だらけ。つーか、物語の進行がとてもギクシャクしてる。それもその筈、実はただ単にテディ自身が精神を病んでおり、妻を殺したのテディ自身で、映画の大半が現実逃避の妄想でしたとさ。ちゃんちゃん。
 全力でネタバレをしちゃったけど、別にいいのだ。ネタバレしたからって何一つ価値は下がらないし、そもそも価値なんてちっともない。古今東西に溢れている「夢オチもの」でしかなく、最後には驚きよりもガッカリな落胆しか残らない。

 この手の「夢オチもの」は、どうしても演出が似通っている。ヒットしたわかり易いところで、『シックス・センス』や『ジェイコブス・ラダー』や『エンゼル・ハート』か。幻覚の場面を細かく挟み、怪しい雰囲気を出す。あと、「夢オチもの」はミステリーとして作られる以上、主人公が精神的に病んでいることが多いので、どうしても暗いじっとりした感じになる。
 主人公の精神が病んでいる「夢オチもの」である以上、物語の核には必ず悲しい出来事や陰惨な出来事が絡む。最後の最後にそれが解き明かされ、観客はその真実に驚き、感動したりする。同時に、謎とヒントを小出しにして、最後まで引っ張るだけ引っ張って「夢オチかよ!」となるんだから、呆れもする。夢オチのための謎であり物語であることが多いから。この手の「夢オチもの」で心底面白いと思えたのは、ロベール・アンリコ監督の『ふくろうの河』だ。何十年も昔の短編だけど、短編ならではの瞬発力が良い。未だに『ふくろうの河』を超える作品はない。
 夢を扱う怖い話に筒井康隆さんの「」という短編がある。ジークムント・フロイトカール・ユングさんなんかをよく租借した上での夢の恐怖譚で、筒井さんの凄さが軽く理解できる傑作。知りたくない記憶に触れるという意味では『シャッター・アイランド』も似ているんだけど、『シャッター・アイランド』に決定的に足りないのは、その禁忌となっている記憶の描写。思い出したくもない記憶を巡る物語である以上、ミステリー要素は当然としても、恐怖の描写がもっと強くないといけない。テディの触れたくない記憶は、悲しみから封印され、その封印を解くことが恐怖となるんだから、核となる記憶に近付くことを徹底的に嫌がらなきゃならないのに、全くそーゆー感じじゃない。

 ロボトミーがどーとか描いているけど、結局は思い出したくもない記憶を巡る物語なのに、その「思い出したくもない」恐怖が演出されていない。ありふれた幻想場面を挟む程度で、それも「あー、これが何かヒントなのね」くらいの価値しかなく、見ているだけで悲痛な気持ちを抱くようなものではない。デニス・ルヘインさんの原作は読んでいないので原作の評価はできないけど、スコセッシ監督の演出は駄目も駄目駄目、大駄目だ。
 とにかく映像が酷い。物凄く酷い。代表的な場面を挙げると、暗い牢屋の通路をテディがマッチを灯して恐る恐る進む場面。マッチの灯り程度は不要なくらいに明るいですから! どんだけ鳥目なんじゃい! 暗いとディカプリオさんの顔が映らないからか? 雰囲気だけで、いかに画面に気を配ってないかがわかる台無し場面。スコセッシ監督って、あんなにも下手クソな監督だったっけ?
 また、ディカプリオさんの演技も酷い。ずーっと眉間に皺寄せたしかめっ面ばっか(つか、最近は他の作品でも同じだけど)。神妙な表情となるとしかめっ面。ベン・キングズレーさんはさすがの名演なのに、主演のディカプリオさんと来たら、自己主張が強いだけの三文芝居。ディカプリオさんはもっと巧かった筈なのに。
 あと、音楽。うるさいよ。全編に意味もなく神妙で重々しい音楽を流してて、場面を盛り上げるどころか、邪魔。出だしから音楽で緊張感を煽りまくり。まあ、確かに出だしから物語はひっかけに入っているわけだから、間違ってはいないのかもしれないけど……
 テディの最後の台詞は、何もかもを悟った上での、意味をどうとでも理解でる台詞で、意味深というよりは姑息なありふれた手法。最後の台詞が衝撃的という意味で似たような『母なる証明』も映画としてはどうかと思うけど、そっちの方が遥かに衝撃的だ。『ミスティック・リバー』のルヘインさん原作であるから、本当は喪失と後悔の悲痛な物語だろうに、演出が何もかも全て台無しにしている。

 結局、脳がどーとか錯覚がどーとか、やたらと仰々しく強調された予告編からしてアホだったわけだ。脳? 錯覚? 確かに映画の内容は精神を病んだ主人公の話だから、それも納得できる。しかし、わざわざ本編開始直前までしつこくそれを繰り返すのはウザい。配給会社の宣伝担当は馬鹿なんじゃないか?
 あと、何が最悪かって、超吹き替え版とやらもあるそうだけど、そんなどうでもいいことに金を使う余裕があるのなら、エンドクレジットに流れているダイナ・ワシントンさんの「This Bitter Earth」の歌詞を字幕にしろよ! あの歌でもって映画は完成されるってのに、その最後のピースを字幕も付けずにただ流しているだけ。配給会社は馬鹿だ! あの歌詞を理解できるのとできないのとでは余韻が全く異なるんだよ! 下手すりゃ映画の価値そのものが変わるんだよ!!
 予告編といい、上映前の余計なお世話といい、超吹き替え版といい、配給会社は親切に映画の理解の手助けをしているきかもしれないけど、逆で、配給会社が全力で足を引っ張って作品の価値を最大限に下げている。そういう意味で、とっても可哀相な映画だ。

テーマ : 映画館で観た映画
ジャンル : 映画

tag : シャッター・アイランド

2010-05-22

あ! れ? 違った

 友人宅で晩御飯時にTVを付けたら、グリーン・デイの「Minority」が流れたから、「おっ! グリーン・デイだ! やった!」と思って聴こうとしたら、全然違うバンドの似ている曲だった。それは、「ミュージック・ステーション」に出演していたRIZE with 隼人の「Laugh It Out」て曲だった。
 RIZEってまだ生き残ってたんだ。ドラゴン・アッシュがまだ生き残っているのと同じくらいの驚きだ。未だにこんな古臭いミクスチャーなロックを聴いている人が大勢いることに驚く。
 自宅に帰宅して、YouTubeで確認したけど、やはり似ている。メロディとか、部分で聴くともちろん違うんだけど、全体の印象が。「パクリ」とまではいわないけど、中途半端に似ているもんだから、イラっとくる曲だ。しかも歌の内容が応援ソングときてて、ますますイラっとくる。何だろうね、見かけが強面なのに応援ソングって青春ぶりは。と思っていたら、映画『ボックス!』の主題歌だったのか。ていうか、『ボックス!』てどんな作品なんだ?
 検索してみたら、要するに北野武監督の『キッズ・リターン』と松本大洋さんの『ピンポン』を合わせたような物語なのか。私はその手の物語が大好きなので映画『ボックス!』を観ることに決めた。でも、何となく、面白くなさそうだ、とも思う。主題歌がRIZEだし。

テーマ : 音楽のある生活
ジャンル : 音楽

2010-05-21

口蹄疫を報道するマスコミと『ゾンビ』に出てくるマスコミ

 『ゾンビ』を観た。今度、「新世紀完全版」と銘打ったの5枚組のDVD-BOXが発売されるに当たって「HDリマスター/ディレクターズ・カット版」がレイトショー1週間上映されていたので、喜び勇んで観てきた。
 素晴らしい。「ゾンビもの」は無数にあれど、やはり『ゾンビ』が最も面白い。画面の興奮だけならグログロな『サンゲリア』や激走する『ドーン・オブ・ザ・デッド』の方が上だけど、映画の興奮は今でも『ゾンビ』の方が遥かに上だ。『ランド・オブ・ザ・デッド』も叙情的で素晴らしいけど、今でも「変な映画」っぷりが色褪せぬ『ゾンビ』の素晴らしさは、作ったジョージ・A・ロメロ監督でも二度と再現できないだろう。
 『ゾンビ』は、「ダラダラしてる」、「怖くない」、「物語に起伏がない」とよく批判されるけど、その批判点はそのまま『ゾンビ』の魅力でもある。ダラダラしてて怖くなくて物語に起伏のないところが『ゾンビ』の良さ。つまり、とんでもなく「変な映画」なんだよね。観る側が歳を重ねて人間的に変化しても、『ゾンビ』の方は動じることのない「変な映画」っぷりで、安心してしまう。久しぶりに会ったけど、おまえ変わってねーなー。

 『ゾンビ』には、絶望的な観点の博士が登場する。TVの緊急報道番組で、人間的に絶望的な極論を広げる。当然、騒然となる。単純でわかり易い批判精神ではあるけど、ロメロ監督のシニカルさがよく表れていて面白い。その場面から彷彿としたことがある。宮崎県で大問題になっている口蹄疫を巡るマスコミの報道だ。
 報道する側の怠慢があるのに、まるで東国原知事が大失態を犯したような報道がある。そこらのニュースサイトで確認できる、「ぶちキレた東国原知事」の件だ。正直、東国原知事がどの程度頑張っているのか知らないけど、とりあえず「検討している」ことはわかるし、何を検討しているのかもわかるのに、記者がしつこく食い下がって東国原知事を怒らせた。もちろん、怒ったことは失態だと思う。呆れて「はい、会見はここまでです」と終わらせても良かったのに、我慢できなかったのか、「ぶちキレた」発言をした。
 「ぶちキレた東国原知事」は何をいったか。マスコミで話題になっている要所だけかい摘むと、「我々は一生懸命、毎日、寝ずにやってるんですよ。けんか売っているのはそっちじゃないですか!」だ。寝ずに必死に頑張っている時に、下らない質問でしつこく食い下がられれば、そりゃキレますわな。2、3回の「検討します」という返答があれば、マトモな頭の持ち主なら、「ああ、これ以上は答えを引き出せないな」と思うんだけど、どうやらマトモな頭でない記者ばかりだったのか、しつこく食い下がった。たぶんあの会見を見た殆どの人は東国原知事に同情的になるだろう。しかし、マスコミはそうでもないようだ。
 たとえば『Newsweek』のブログにこんな記事があった。

Newsewwk→東国原ブチ切れと米原油流出

 上記リンクから抜粋。

 東国原知事は「寝ずに」とか「一生懸命」という言葉がイタい。心情は分かるが、具体性がないうえ、寝る間もないほど働いているかどうかは問題の本質と関係がない。最もトホホなのは「けんか売ってるのは・・・」発言で、全体として単なる感情論(つまりブチ切れ)以外の何物でもない。
 それに、重要な時期に寝ていないことを持ち出すと、メディアの餌食になるだけだ。2000年7月、雪印の集団食中毒事件で会見した当時の石川哲郎社長がエレベーターに乗り込む際、詰め寄る記者団に「私は寝てないんだよ」と言い放ち、その2日後辞任に追い込まれている。この1件はコミュニケーションの失敗例として危機管理コンサルタントが必ず取り上げるようになった。
 知事のブチ切れ会見もメディアの格好の餌食になり、テレビで大きく報じられた。ただ彼の場合、この手の言動に違和感がないので傷は浅い。むしろ功績があるとすれば、口蹄疫問題に国民の関心を一気に引き付けたことかもしれない。

 記事内容は、原油流出問題に対するオバマ政権の対応を批判されたサラザール内務長官の発言と東国原知事の発言を対比させている。対比部分は、東国原知事の「一生懸命、毎日、寝ずにやってる」という発言と、サラザール内務長官の「下着の替えも歯ブラシも持たずに。我々はそれだけ切迫感を持っている」という発言。そしてさらに、2000年に雪印の集団食中毒事件で社長が「私は寝てないんだよ」と発言して辞任に追い込まれたことを東国原知事の発言と同列に並べている。その上で「この1件はコミュニケーションの失敗例として危機管理コンサルタントが必ず取り上げるようになった」と、東国原知事の発言がいかに失敗しているか批判している。
 さて、これは印象操作ではないだろうか? 確かに東国原知事の発言は、もうちょっと冷静になりなさいよ、と思わなくもない。しかし、だからといって雪印の社長の発言と同列に語るのは間違っているだろう。雪印の食中毒事件は「事件」であって、宮崎県の口蹄疫は「事故」だ。責任の取り方が全く違う。それに雪印の社長は、会社の経営者であり、運営方針を決める責任者であるから、「私は寝てないんだよ」という発言が「いや、お前がいうなよ! 不眠不休の対応くらい当然だろ馬鹿!!」と反感を買うのも当然だ。東国原知事の立場も同じか? 似ているようで全く違うだろ。
 問題の会見を見た普通の感覚の持ち主が思うことは、「常識のないマスコミがいるなぁ」であり、「これは……本当に切羽詰っている大変な事態なんだな」だろう。ブログ記事でも最後に「メディアの格好の餌食になり、テレビで大きく報じられた。功績があるとすれば、口蹄疫問題に国民の関心を一気に引き付けたことかもしれない」としているが、問題は、何が「メディアの格好の餌食」になったかだ。

 「メディアの格好の餌食」という表現からわかることは、マスコミが東国原知事の発言を「美味しいコメント頂きました。これで叩いてやれ~」という期待を抱いたということで、いかにマスコミの性根が腐っているか、ということでしかない。
 マスコミに課せられた重要な職務は、冷静な情報を報道することなのに、何だこの「メディアの格好の餌食」って。このブログ記事を作った山際博士さんがそう思って東国原知事を批判しているわけじゃないけど、マスコミ批判しているわけでもない。本当なら、「メディアの格好の餌食」なんて表現を使っている以上、「マスコミは、緊急事態だと喧伝しているくせに、緊急性を理解していない」とマスコミ批判をすべきなのに、明確にではないけど、やんわりと東国原知事を批判している。サラザール内務長官の発言や危機管理コンサルタントの例を使って、『Newsweek』らしさを演出して。しかし、雪印の社長辞任の例を持ち出した時点で考え方が根本的に間違っているのは明確だ。
 サラザール内務長官のように練った冷静な表現は、たぶん日本人には通じない。「何を冷静に気の利いた発言してんだよ。それどころじゃねーだろ!」と、むしろ批判されるんじゃないか。山際博士さんは危機管理コンサルタントの例まで出しているけど、多くの日本人は東国原知事の「ぶちキレ発言」の方に好感を抱くと思う。山際博士さんは、東国原知事の発言を「イタい」と評しているが、本当にそうだろうか? 私は嫌いだけど、世間一般が好む「空気を読め」という表現があり、それに則って考えるなら、「ぶちキレた東国原知事」の発言は、とっても「空気」に則った発言だ。山際博士さんがいう通り、東国原知事の発言は感情的で抽象的で具体的でないけど、往々にして大多数の人々はそーゆー発言を好むものだ。たとえば選挙時に語られる政治家の理念を思い出せばいい。殆どが感情的で抽象的で具体的でない。しかし、不思議なことに、そっちの方がきっちり数字で示せる具体的な政策よりも支持され易い。これは日本だけでなく、アメリカだって同じ。批判するのはいわゆるインテリ層くらいのものだろう。でなければ民主党が与党になれるわけがない。

 『ゾンビ』で描かれるマスコミは、「冷静に! 冷静に!」といっている当人たちが最も混乱している。口蹄疫に関する報道も、報道する側が混乱しているようにしか思えない。『ペット・セメタリー』のように、殺処分した牛や豚が「あの世が一杯」だからって凶悪化したゾンビとして戻ってきたらどうするんだろ? マスコミは大混乱で、嘘と真実がない交ぜになった情報を流し、世間をさらなる混乱に落とし込むと思う。
 口蹄疫で困っている国民は、たぶん報道する側よりも冷静で、情報をちゃんとわかっているだろう。検討中といわれれば、どうにもならないことくらいわかっているだろう。それを全くわかっていないのは、「知る権利」とやらを振りかざすマスコミだけじゃないのか? 『ゾンビ』はマスコミを戯画化して描いているけど、思ったよりも戯画化されてなかったりして。

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2010-05-17

民主党はヤクザなのか

 会社の出張から帰宅し、今朝、TVの情報番組を見て驚いた。
 国会で、民主党の三宅雪子議員が自民党の甘利明議員から押されたために転倒した。こりゃ幸いとばかりに、三宅議員は、翌日からは車椅子や松葉杖を使って国会に登場し、痛々しさを存分にアピール。当然のように民主党は、「言論に暴力で対抗した」と自民党を超非難。自民党は「暴力なんてなかった」と反論するも、民主党は「嘘つくなー!」とギャーギャーわめき散らし、学級崩壊ならぬ国会崩壊。
 ……先週にこんな面白い――いやいや、嘆かわしいことが起きていたとは、全く知らなかった。

 本当に怪我をしたのか知らないけど、あれ、どう考えてもヤクザの手口だよね? 軽くぶつかっただけなのに、「あ痛たたたた! おー、いてぇ。あー、こら骨折したなぁ。おう、コラ、どうしてくれるんじゃい。慰謝料よこせや」とイチャモンつけてるのと変わらん。
 「暴力」がどこにあるか、暴力を振るったとされる甘利議員の当時の動きを見れば明確で、甘利議員は、前にいる邪魔な議員を押し退けようとしただけで、倒そうとはしていないし、押し退けられた議員は三宅議員でない。押し退けられた議員から押されるようにして倒れたのが三宅議員だ。バーゲン・セールに詰め掛けた人々の押し合い程度の動きなのに、それを暴力といっちゃあ、バーゲン・セールの場は本当に「戦場」といえる。
 勿論、本当に怪我をして、嘘偽りなく大変なのかもしれない。でも、それをわざわざアピールしている時点で、当り屋と変わらない。動くのも大変なら入院するか国会に出席しなくても良いわけで、そうしないのは、怪我をアピールして、イチャモンつけたいからだ。「言論に暴力で対抗した」と非難する民主党自身、暴力で言論を封じ込めている。

 しかし、話題になっている三宅議員の怪我の真偽は問題でない。怪我した姿を自作自演といって、その点ばかりを批判している人は馬鹿だ。そんなことはどうでもいいだろうに。そこばかり非難するってのは、逆にいえば、とっても非難し易い事柄を提供されている、ってことじゃないの? 民主党は、被害者という名の暴力で言論封鎖を行った。部分的にだけれど、それは上手く実現できている。
 重要なのは、今回の騒ぎで強行採決が余り問題になっていない点。たとえば公務員法改正案。大丈夫なのか? ちょいと前に話題になっていたけど、公務員の新規採用が半減するとかで、それは公務員法改正案にも関係しているのだろう。ぱっと見、天下りがなくなるっぽいので喜ばしいようにも思えるけど、高額所得者である年配層が辞めないので、その層は人数が多いから、天下りがなくなったところで財務的には高くつくでしょ。その分のしわ寄せが新規採用枠に来ているんじゃないの? 新規採用枠は、まだ組合員でもない人々の枠だから、減らしても選挙の票に響かないし(浮動票はごそっと減るけど)。公務員法改正案、このままの形だと、大いに問題ありでしょ。
 強行採決→紛糾→三宅議員転倒問題→大紛糾。で、我々国民は当然のように頭が悪いので、現在大問題になっている事柄に夢中になりがちだから、強行採決の内容に注意を戻せない。まあ、たぶんそこまで考えてはいないだろうけど、問題のすり替えとして強引に三宅議員の転倒を大問題に仕立て上げた民主党は、支持率が下がって必死で見苦しいのは間違いないけど、巧くやったなぁ、と思う。

 ヤクザは、チンピラよりは遥かにマシな存在だと思う。「少なくとも昔ながらのヤクザ」は、義理、人情、任侠を重んじていた。チンピラは上役から何か受けないとマトモに活動もできない。民主党は、ヤクザなのか、それとも単なるチンピラなのか……当り屋レベルなんだから、チンピラか。となると、上役のヤクザは官僚になる。結局は官僚の思惑通り?
 などと民主党批判な心配をしてみたところで、自民党も未だに駄目なままだし、みんなの党も実は不安要素たくさんあるしで、応援したい党がいない状態なんだよねぇ。ま、与党になって1年も経っていないから、民主党が潜在的にも徹底的に駄目なのか判断しかねるけど……

 それにしても、国会崩壊の様をTVで連日放送していたのかと思うと、日本の情報番組の質も低いなぁ。「余りにも低レベルなので、放送できません。見たい方はネットでどうぞ」というような皮肉っぽい番組が1つでもあれば面白いけど。
 あんな当り屋紛いの行為をTV放送されること承知で堂々と行っている面の皮の分厚さは、子供への悪影響が気になってしかたない心配性の私からすると羨ましいものだ。授業中に騒いじゃ駄目、という躾けは、政治家が半狂乱で喚き散らして国会崩壊させている様で無効化されやしまいか。子供にから見て、「なーんだ、偉そうにしてる大人でも授業中に騒いでるじゃねーか」と思われるでしょ。国会崩壊させている連中には、青少年の倫理観を説教する偉い大人も混ざっているのだ。子供だって、お前らにゃいわれたくねぇ、と思うに違いない。
 アニメや漫画やゲームや映画を規制したきゃ好きに規制すればいい。勝手にして下さい。しかしね、国会のTV放送も青少年の倫理観や情操教育に悪影響を与えるので、未成年の視聴を禁止するか、TV放送を禁止べきだ。偉そうにサブカルメディアの悪影響を訴える人々は、まずは国会TV放送禁止から取り組んでもらいたい。そんな発想がないようなら、そいつらの考える「悪影響の規制」とやらは、単に利益を生むための悪巧みでしかない。

 三宅議員が自作自演したかしてないかなんてどうでもいい。しかし、そこから見え隠れするものには、本当にムカつくよ。

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2010-05-14

『ウルフマン』は、デル・トロさんのコスプレ映画

 ベニチオ・デル・トロさん主演の『ウルフマン』を観た。
 最近は原題をそのまま邦題として使うけれど、昔のままに『狼男』じゃ駄目なのかね。『ウルフマン』とわざわざ表記されてたので、実はマイケル・J・フォックスさんの『ティーン・ウルフ』みたいなノリの、意図せず狼男になったけどその驚異的な身体能力を使って難事件を解決する「ヒーローもの」なのではないか、と期待した(予備知識ゼロで観たので)。『ヘルボーイ』のヘルボーイをトム・ウェイツさんが演じているというか(私は最初、ロン・パールマンさんでなく、ウェイツさんが演じていると思い込んでいた)、狼男みたいな顔したデル・トロさんが狼男をする適材適所すぎる配役に、パロディ要素が強いものとばかり思い込んでいたので。そしたらそのまま普通に狼男だったので拍子抜け。
 が、その程度の予備知識で観たからか、意外やちゃんとしたモンスター映画になっていて驚いた。さすがはジョー・ジョンストン監督作。

 物語は、原作である『狼男』を一応は踏襲している。兄が殺され、真相を探っているうちに狼男菌に感染して狼男になってしまい、したくもない殺戮をしちゃって、悩むんだけど、殺されて終わり。そんだけ。
 さすがにそのままだとリメイクする意味ないから、新しい味付けとして、全力でモンスター映画にしている。一言でいえば、「四足歩行の毛むくじゃらな超人ハルク」だ。さらにいってしまえば、狼男が人々をバッサバッサと刻み殺す様を楽しむ映画なので、「ジェイソンが思い悩む『13日の金曜日』」だ。そーゆーもんだと割り切って観れば、そこそこ楽しい映画ではある(「面白い映画」ではない)。つまり、物語は面白くない。
 主人公は、意図せぬ殺戮をしてしまっているのに、良心の呵責なんて殆ど描かれないし、エミリー・ブラントさん演じる兄嫁との恋愛要素がチラホラ見えるのに、そっち方向にアクセルを踏み込まず、超不完全燃焼に終わる。ブラントさん必要ないし。アンソニー・ホプキンスさんが父親役してんのに、その配役も無駄に豪華なだけで存在感なし。というか、登場人物の存在価値が全く見えん。
 兄嫁は、旦那(婚約者)を亡くしてるってのに、大して落ち込んでない上に旦那の弟(デル・トロさん)にドキドキしちゃってる。だから兄嫁に対して同情することも、悲恋な結末に何の感傷も抱けない。父親は、自分が諸悪の根源だってのに、全く気に病んでいない。実は暴れるの大好きなブチキレ親父。絶対悪といえるくらいの存在感があれば良かったのに、プロレスの悪役って程度の存在感。つか、レクター博士ホプキンスさんじゃ、最初っから怪しさ満点で面白味全くないし。ホプキンスさんでなく、ドナルド・サザーランドさんなら良かったな。そもそも最初っから表情に陰りのあるデル・トロさんが主人公だと、不幸のどん底にまっ逆さまな展開に意外性も何もないから、感情移入もできない。
 流浪民の存在も希薄だし、狼男伝説の煽り方も狼男である必然性も弱いし、物語がサスペンスとしてもミステリーとしても底が浅く、映画開始早々に飽きてしまうだけに、もうちょっと見所のある役者対決があればなぁ。

 しかし、完全に駄作ってわけじゃない。映像は素晴らしい。光陰を明確にした映像は、古典的な怪奇映画の雰囲気抜群で良い。最近の『シャッター・アイランド』みたいな極めて酷い映像の映画に比べれば、比較にならないくらい『ウルフマン』の映像は素晴らしい。プロダクションデザインのリック・ハインリクスさんは、ティム・バートン監督の『スリーピー・ホロウ』も担当しているし、雰囲気は『スリーピー・ホロウ』と似ている。あの冷たい雰囲気が好きなら間違いなく『ウルフマン』も好きになるだろう。
 古典的な怪奇映画だと思っていたら驚いてしまうくらい、ゴアなのも素晴らしい。狼男になってからは、人体バラバラ映像の大サービス。ポンポンと気前良く身体の色んなパーツがすっ飛ぶ。特殊メイクを大御所リック・ベイカーさんが担当しているから、狼男変身場面も見応えあり。しつこいくらいに、くどいくらいに、ここが一番の見所ですといわんばかりに、骨格からゴキボキと大袈裟な音を立てて徐々に変化する様をじっくり見せてくれる。誰もがジョン・ランディス監督の『狼男アメリカン』や同監督によるマイケル・ジャクソンさんのPV「スリラー」、ジョー・ダンテ監督の『ハウリング』(特殊メイクはロブ・ボッティンさん)を思い出さずにはいられない。そのアナログ感に「懐かしい!」と感動してしまう。
 が、そんな楽しい時間は最後まで持続しない。ロンドンでの狼男の大活躍は、あまりにもCG全開すぎて興醒めしてしまう。正直、四足走行はカッコイ良いとは思えなかった。橋の下に血まみれで逃げ隠れている場面は良かったけど。何よりも駄目なのが、ハイライトである筈の狼男対決場面。室内で毛むくじゃらのオッサンがドッタンバッタンと格闘しているだけなんだもん。退屈極まりない。せっかくの狼男なんから、屋外で、森の中で、木をなぎ倒しながら、雄叫びながら、大きな満月を背景に『ブレイド』並みにキメた映像で魅せてほしかった。「モンスターもの」や「ヒーローもの」の鬼門だねぇ、対決場面ってのは。

 ま、面白くないとはいえ、ジャック・ニコルソンさんの『ウルフ』よりは何十倍も良い出来なので、細かいことを気にしなければ十分に楽しめると思う。音楽も、一聴してすぐにわかるダニー・エルフマンさん節全開で良かったし。
 それに、こないだTVで偶然『怪物くん』の実写版を目にして、そこに映ってた狼男の酷さに比べれば何千倍も良いので、あんな糞ドラマを見て怒りのために狼男になりそうなくらい興奮してしまったら、是非とも『ウルフマン』を観るべき。眼福でがんす。

テーマ : 映画館で観た映画
ジャンル : 映画

tag : ウルフマン

2010-05-11

『あんにょん由美香』は、松江監督版の『エド・ウッド』

 『あんにょん由美香』を観た。今は亡きポルノ女優、林由美香さんのドキュメンタリー映画。私は林さんの作品は観たことがなく、興味もなく、つまりどうでもいい存在で、ゆえにどのようにして興味を惹かれるか、そこに興味があって鑑賞した。
 『あんにょん由美香』は、林さんに関するドキュメンタリーなんだけど、かなり変なドキュメンタリーだ。林さんの人生に迫るわけでなく、林さんの魅力を描くわけでもない。ドキュメンタリーのようで、違う。変な佇まいの映画。だから『あんにょん由美香』を観ても林さんを好きにも嫌いにもならない。結局、観る前と変わらないフラットなままで劇場を出ることになる。しかし、とても充実した映画を観た気持ちになる。
 そもそも、題名に「あんにょん」と付いているからには韓国が何か関係しているわけで、それは林さんの主演作の1つ、韓国製の『東京の人妻 純子』というアダルトビデオの説明から入らなければならない。

 『東京の人妻 純子』は、とっても変なアダルトビデオだ。韓国製なのに、出演者の半分は日本人で、会話がほぼ全て日本語。韓国製ならば普通、日本人が合わせて韓国語を話すべきなのに、なぜか韓国側の出演者が吹き替えなしで日本語を話している。流暢な日本語を話せるわけでもなく、設定による必然でもないのに、不自然なカタコトで。韓国人が作り、韓国人が観るアダルトビデオだってのに。
 また、物語が超テキトー。林さんは、生活は不自由ないけど性生活に不満を抱く社長夫人を演じている。日中帯から茄子を握って悶々とするする欲求不満の林さんの下へ、青い肉欲をたぎらせた水道局の青年が水道検査にやってきて、瞬く間に不倫成立。その不倫成立のシークエンスも超ベタ。林さんがお茶でも飲みませんかと出したお茶を青年の股間にばっしゃーとこぼし、あらあらあらーと股間を拭こうとしてムラムラー。その後、実は青年の彼女は林さんの夫の不倫相手かつ秘書であることがわかる。青年の彼女は、彼氏が社長夫人の不倫相手であることを利用し、社長を脅迫しようと画策するが――と、意外にややこしく、そして同時に超お約束展開のオンパレード。凄い。さすがアダルトビデオ。こんな展開、ギャグかアダルトビデオでしかできないよ。
 さらに、演出もオカシイ。青年の股間にお茶をこぼす場面では、いきなりハチャトゥリアンさんの「剣の舞」(運動会なんかでよく使う曲)がBGMに流れるのだ。想像もしない演出に、思わず爆笑してしまう。殆ど吉本新喜劇。いや、その上を軽く超えている。しかし、それでもアダルトビデオなのだ。そもそも日本人からすると、カタコトの日本語で話す韓国製アダルトビデオってだけで笑えてしまう。

 さて、かように異様な『東京の人妻 純子』の存在は、林さんの死後に知られることとなり、「これはいったい何なんだ? 何で林さんはこんな変な韓国のアダルトビデオに出たんだ?」とファンの興味を惹き、謎を解明すべく立ち上がった結果が、『あんにょん由美香』だ。だから、林さんのドキュメンタリーなんだけど、ちょっと変な感じなのだ。
 色々と探った結果、『東京の人妻 純子』には、実は撮られなかった「本当の結末」というのがあることがわかる。『あんにょん由美香』の結末は、その「本当の結末」で終わる。松江哲明監督を筆頭に、林さんに恋焦がれた人々が、もうこの世にいない林さんを使って、改めて「本当の結末」を撮る、その一部始終を撮ったのが『あんにょん由美香』なのだ。だから、ドキュメンタリーとしては変な佇まいで、『あんにょん由美香』はファンタジー映画なのかもしれない。林さんに恋した人々の、林さんに捧げるファンタジー。そのファンタジーっぷりが、凄く胸にクる。それは、ポール・トーマス・アンダーソン監督の『ブギーナイツ』やティム・バートン監督の『エド・ウッド』と同種の感動だ。
 私は昔、とても仲の良かった女の子と一緒に『エド・ウッド』を観たことがある。私は先に1回観ていてとても感動したし、その娘は映画が大好きだったし、女性人気の高いジョニー・デップさん主演作だし、と誘った。が、結果は、「どこが感動作なの? バカ映画じゃない」と一蹴。かーなり落ち込んだ。その数年後、『ブギーナイツ』を職場の同僚に薦めたことがある。何度観ても号泣するくらいの感動作だし、笑えるし、何よりも映画としてずば抜けて素晴らしい出来だし、その同僚とは話がとても合うし、これなら大丈夫だろ、と。が、結果はやはり、「どこが感動作なの? バカ映画じゃない」だった。これには物凄く落ち込んだ。必死に抗弁したが、評価を覆すことは叶わなかった。その時に真理を悟った。人類は、バカ映画に感動する者としない者に分けられる、と。

 『あんにょん由美香』は、映画としては「まだまだね」な出来だ。細かい意味に囚われすぎているし。しかし、アダルトビデオ業界の話だから、世間一般から見れば底辺のロクでもない人々だらけなのに、そんな人々が映画としての意味を偶然にしろ語る一瞬があり、とても素晴らしい。それこそドキュメンタリーだからこその、奇跡の一瞬が撮られている。
 メジャーな、シネコンで大ヒットしている万人向けの恋愛映画で感動するような人々からは見向きもされないだろうけど、『あんにょん由美香』は、とてもグッとくる映画だ。『ブギーナイツ』に心の親友がたくさん登場しているように、『あんにょん由美香』も心の大親友になる映画だろう。

テーマ : 映画館で観た映画
ジャンル : 映画

tag : あんにょん由美香

2010-05-06

中川あゆみにもっとS.L.A.C.K.成分を

 中川あゆみさんの「事実 ~12歳で私が決めたコト~」を聴きました。何というかアレですね、TVで特番している「貧乏大家族」みたいな歌です。
 掃いて捨てる程どこにでも転がっている現実と、理想、それらがせめぎ合い、明らかな駄作になるギリギリのところでポップスとして成立しています。みんなに聴いてほしいという想いと、自分自身を鼓舞するために創った想いが、これまた押し付けがましくなるかならないかギリギリのところでポップスとして成立しています。正直、巧いなぁ、と思いました。

 離婚して犠牲になる人なんて世の中にはたくさんいすぎて気にもならない話ですけど、しかし当事者にとっては大きな問題で、そんなどうでもいいくらい小さい個人的なことを、大人が歌うのでなく、子供が歌うって点に意味があります。気付かされるというか、大人の事情の身勝手さを、それを理解する気はないけど理解して、「いつまでも子供扱いすんじゃねぇ、こっちはこっちで生きてんだ」という強い表現。

私は目に付いた三原の2文字を無我夢中で消した
ノートも筆箱も体操着も
そして「あゆみ」という名前だけが残った

というラインが見事です。正直、その他の部分はありきたりすぎて駄目な歌詞だと思いますが、この部分は素晴らしく、こんな描写をできただけでも賞賛に価すると思います。

 駄目だと思った主な部分。
 「誰が付けたのだろう「あゆみ」という私の名前」は、「いや、そりゃあんたの親だろ、何いってんの?」と冷静にツッコミを入れたくなりますし、単なる皮肉にしか思えず、面白味がありません。
 「生まれた後は全部私の責任でしょ」は、発想の稚拙さが表出してしまい、一気に台無しです。世の中そんなわけないことくらい理解してるでしょうに。
 「ソレイユの丘では今日も大人たちが無責任な愛情を押し付けてる」は、「いきなり何いい出したんだ」と思うと同時に、大きく間違ってると思いました。愛情に責任も無責任もないでしょうが。全体の流れというか意味で考えれば、「無責任愛情を押し付けてる」が正しいと思うのです。助詞1文字で大きく意味が変わります。

 そして。
 何でありきたりのポップスにしちゃったんでしょ? 今ならヒップホップでやった方が圧倒的に面白いと思うのです。そっちの方が歌詞をもっと自由に面白くできますし。ありきたりのポップスな歌詞で表現しようとした時点で、大失敗だと思います。
 それに正直、曲も酷い。馬耳東風というか、すぐに忘れそうなくらいに引っかかりのない曲。これまたありきたりのポップスで表現しようとした時点で失敗だと思います。どうしても中川さんの背景と歌詞内容だけに注目が集まってしまって、大損しています。
 たとえば、日本のストリーツであるS.L.A.C.K.みたいな表現なら、もっともっと凄かったと思うのです。S.L.A.C.K.だって歌詞だけを見ればありきたりなんですが、そう思えないプロデュースになっています。また、同じポップスというか弾き語りなら七尾旅人さんの独自性、前野健太さんの妙な新しさなんかに比べると、中川さんは、子供のくせに古くさすぎます。いや、だからこそ普遍的で誰にでも伝わって良いのだ、という意見が大多数なのだとは思うのですが、そんな面白くもないポップスを子供が歌うって点に物凄い不満を感じます。もっとちゃんとプロデュースすべきなのに。
 真摯に歌うというのも良し悪し。歌詞も曲もありきたりである以上、世間から登場するのは「不幸自慢」という言葉でしょう。もちろん中川さんはそんな批判は承知の上で歌っているのでしょうし、素のままの自分を表現することが良いと思われているのでしょうが、そんなのは馬鹿の考えることです。そんなのちっともポップじゃない。ポップでない以上、「不幸自慢」しか売りがないといっても過言でありません。それは、大人が中川さんを弄んでいるだけなんじゃないか。何かムカつきます。真摯な気持ちも、ろくにプロデュースされないと、あっという間に消費されてしまうだけ。この曲をカラオケで熱唱する人がたくさん現れるのかと思うとゾッとします。

 中川さんが何を伝えるために歌うのか、正直よくわかっていないのですが、なんかもったいないと思ってしまいました。もっと立派に面白く「あゆみ」をプロデュースして、簡単に消費されてやらない気概を見せてもらいたいものです。それができなければ、単なる「不幸自慢」に終始してしまうでしょう。歌う事実がなくなったら引退するそうですが、それも全く面白味のない話です。
 マドンナさんにしろレディ・ガガさんにしろ「素の自分」を物凄く加工して世間に提供してますけど、だからといって「素の自分」は損なわれていません。中川さんが売れることによって、もしかしたら日本のポップスは今以上にガラパゴス化どころか単なる閉鎖性を高めることになるかもしれません。ため息しか出ませんね。願わくば、「事実 ~12歳で決めたコト~」がカラオケでヒットしませんように……

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テーマ : 音楽のある生活
ジャンル : 音楽

2010-05-01

M.I.A.の「Born Free」のPVは人体花火

 既に話題になっているM.I.A.の新曲「Born Free」を購入した。
 出だしは「A列車で行こう」のドラムかと一瞬思ったけど、そのすぐ後からスーサイドの「Ghost Rider」のリフが激しいドラムと重なり、猪突猛進なパンクへと雪崩れ込む。パンクとダンスの成分がロックを超上回ってて素晴らしい。こんなの作られたら、並みのロックじゃ太刀打ちできないだろ。さすが、M.I.A.の姉御は信用できる。
 歌詞も面白い。「金持ってるしぃ、自由だしぃ」みたいな嫌味っぽい歌詞。「私は自由だ!」なんて常套句は昔から色んな人が古今東西ずーっと叫んでいるけど、それをこれまた嫌味っぽく映像で表現したのが、問題のPVなんだろう。
 とりあえず、曲や歌詞のどーのこーのは置いておこう。ショック映画愛好家としては(ホラー映画でも恐怖映画でも呼称は何でもいいんだけど、観て思わず唖然としてしまうような映画や映像を好きな私としては、やはり「ショック映画」という呼称が最も好きだ)、その残酷描写にウキウキしてしまう。YouTubeでは何か規制されていて観られないので、公式サイトで観ればいいんだけど、やけに重い。ので、とりあえずの見所ショットを連続で。

この娘が
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ッパーン!
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はうあっ!
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このあんちゃんが
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あ、危ないっ!
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ッパーン!
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はうあっ!
miabf07
バラバラーッ!
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 何この『ハート・ロッカー』なPV! 爆笑っ!! とっても大好きです。が、しかし、ちょいとばかりわかり易すぎる「問題作」じゃありませんかね?
 PVを監督したのは、ジャスティスの「Strees」のPVで有名になったロメイン・ガルヴァス監督。「Stress」も「問題作」として有名だけど、「中学生が考える問題作」の域を出ていない。「ストレス社会だから鬱憤晴らし」だもん。何を伝えたいのかさっぱりわからん。「stress」のPVの第一印象は、「エイフェックス・ツインの『Come To Daddy』の真面目版」でしかなかった。
 んで、今回の「Born Free」はさらに発想が子供っぽくなっている。サンプルとして使われているスーサイドの「Ghost Rider」の歌詞も反映しているからか、星条旗な軍装の荒くれ者に若者がなす術なく殺されるだけ。そこに「生まれた時から自由」という叫びが重なる。M.I.A.の曲そのものはいいんだけど、PVには人体破壊をやったということ以上の価値はなし。

 それにしても「Stress」と「Born Free」が問題作に思える人って、普段何を観ているのだ? 『ハート・ロッカー』よりも人体破壊描写は景気が良いけど、この程度の描写があるショック映画は山ほどあんのに。まさか1本も観たことないのか? 井口昇監督の『片腕マシンガール』を観てみろってんだ。「Born Free」と『片腕マシンガール』は表現の方向性や内容が全く異なっているけど、「現実味のある演出で自由と非自由の世界を描いたから『Born Free』のPVは過激なんだ」というのであれば、そんな表現は幼稚だと思うのでございますよ。

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テーマ : 音楽のある生活
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プロフィール

ばっどていすとさんどいっち

Author:ばっどていすとさんどいっち
テクノ好き。
アンダーワールドのRez大好き。
映画大好き。
ジャッキー・チェンが生涯の英雄。
生涯1位作品は『ミミズバーガー』。
2位が『溶解人間』。
泣き虫で、馬鹿。
itsuka-omoi-dasu-bts@hotmail.co.jp

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