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2010-03-31

『涼宮ハルヒの消失』は、大人以上の子供禁止映画

 『劇場版 涼宮ハルヒの消失』を観た。
 私は、「涼宮ハルヒ」という作品が好きでも嫌いでもない。原作である小説版は読んでなく、TVアニメ版は、友人から全話をDVDで借りたけど、途中で飽きてちゃんと見終えてないままで、漫画版は読む気もない(『にょろーん ちゅるやさん』はなぜか好きで、単行本を買った)。興味はあるけど、好きでも嫌いでもない。ちなみにTVアニメ版は、第1期しか見ておらず、第2期は見る気なし。物議を醸した「エンドレス・エイト」にはちょっと興味あるけど。
 そんな私が「劇場版」を観ようと思ったのは、『劇場版 Fate/stay night - UNLIMITED BLADE WORKS』同様の理由で、意外や石川県という田舎で上映が決まったことと、オタクが絶賛しているので、どの程度で絶賛しているのかオタクの評価基準を品定めしてやろうと思ったから。観る前から、「オタクどもが絶賛するもんなんて大したことねーだろ」と批判的な態度。しかし忘れていた、私もオタクの端くれであることを。
 言い訳終了。いやぁ、前評判通り、良うございました。

 物語は、よくある改変世界もの。主人公のキョンが、自分を残して世界が改変されてしまったので、原因を探り、元の世界に戻そうと奮闘する話だ。はっきりいって、物語は全く面白くない。SFとしてもファンタジーとしても作りが甘い。想いが世界を変える――それだけの話なので、それはたとえばCLAMP作品(『魔法騎士レイアース』とか)みたいなもので、ありふれすぎている。感情のないキャラクターに感情が生まれるという設定もありふれすぎていて、大した工夫もないので今さら感が満載(髪が水色で無表情で言葉数の少ないキャラクターの典型)。テキトーにボーっと眺めているだけで何だかテキトーな物語が流れ、テキトーな結末を迎える。
 登場キャラも全てが典型で、面白味に欠ける。しかし、典型から大きくはみ出さない分、「典型」の濃度を濃くしているため、キャラクターはとても魅力的だ。「涼宮ハルヒ」の良さは、「濃い典型」にあるんだろう。というか、本当に斬新な作品でもない限り、面白い作品を作る手段は「典型」を濃くする以外になく、その点で「涼宮ハルヒ」は成功している。「劇場版」の良さもそこにある。つまり、キャラクターがとっても魅力的なのだ。

 題名に「涼宮ハルヒ」は付いているが、メイン・ヒロインは長門有希だ。『涼宮ハルヒの消失』の物語の核が長門である以上、何よりも長門を魅力的に描くのは当然。ただし、そのレベルがTVアニメ版から想像できるものを軽ーく凌駕している
 無表情で無感情な長門が普通(普通以上に大人しいけど)の女の子となり、キョンに明らかな好意を抱いており、オドオドしたしぐさも何だけど、頬を赤らめる時のしぐさと表情の細やかさは「萌え」表現の極めの1つといっても過言でない。また、手の演技(演出)だけを見ても、力の入れようが凄い。キョンや長門の表情を映さず、手先だけを映し、手の演技だけで感情を表現させる場面があり、「ここ最重要場面!」とスタッフが叫んでいるようだ。キョンの制服の袖をつまむ場面と、入部届けを受け取ろうとする場面は、ファンなら確実に萌え死ぬ。長門を「劣化版綾波レイ」と揶揄する人はいるだろうが、こと『涼宮ハルヒの消失』に限っては、長門の圧勝。綾波レイ? もうオバサンじゃん
 長門以外の主要メンバーだって皆魅力的に描かれている。ハルヒは当然の如く魅力的で、メイン・ヒロインの格を見せ付ける。要所要所(病室の場面とか)で一気に見せ場を根こそぎさらっていく。小泉やみくるの意味深な呟きは、思わず2度3度と観返したくなるだろう。とにかく、「想いが世界を変える」をそのままに作った物語なので、キャラクターの魅力を画面からはみ出すくらいに描いている。

 しかし、キャラクターの魅力だけで作られているので、その魅力を感じられなければ、1秒たりとも面白いとは思えない作品でもある。
 「改変世界もの」というか「多重世界もの」では、今も人気の『新世紀エヴァンゲリオン』の「学園エヴァ」がある。『涼宮ハルヒの消失』はそれと何にも変わらない。
 キャラクター愛は満ち満ちているけど、演出は逆に駄目な点が多く、たとえば後半にキョンが自問自答する場面は、萌え熱が一気に冷めてしまうくらい駄目で、特に「キョンがキョンの頭を踏みつける場面」では爆笑してしまった(感動的な場面なのに)。要するにあの場面は、キョンが「今までの学生生活が楽しくなかったのか?」を自問するだけなのだから、あんな変なSMプレイで描かなくても、回想を入れて、「楽しかったに決まってるだろ」といわせればいいだけでしょ。観客はその「楽しさ」を最初から共有しているんだから。
 感動的な場面の台詞の大半が説明的すぎるのも興ざめする。特に後半からの説明過多な台詞と描写は、TVの2時間サスペンス・ドラマ並みだ。また、「それで納得しろって?」と呆れてしまうくらいつまらない設定だったりするので、何かどうでも良くなる。結局はキョンの判断が世界を分けるんだから、長門の暴走なんてこじつけ設定は存在感ないよ。だって、キョンが「楽しいに決まってる」と思うことは決まっているんだから、本当なら長門にいわせるような展開にするべきじゃない? それで、「何度でも長門を楽しませてやる!」みたいな台詞をキョンにいわせるべきでしょ。
 世界がどーとかいってるけど、狭い範囲の話なので、要はモラトリアムな妄想でしかなく、興ざめしてしまうと物凄くどうでもいい作品にしか思えない。妙に説教臭いし。

 「涼宮ハルヒ」作品が大好きなら、「エンドレス・エイト」でグチグチと文句いってた人でも、「こんなのが観たかったんだ!」と満足できるのは間違いない。いや、「涼宮ハルヒ」作品がどんなものか知っている程度の人でも大丈夫かも。それくらいキャラクターの魅力が溢れている。
 でも、映画としては、あまりに滞りなく、観客の理想通りに展開するので、面白味に欠ける(原作を忠実に映画化しただけなのだとしても)。たとえば押井守監督の『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』のように、引っかかりがありすぎるために記憶に残るような作品にはなり得ていない。
 上映時間が長いのも駄目。正直、30分は削れるよ(原作の忠実な映画化が理想なのだとしても)。だって、細田守監督版『時をかける少女』みたいな作品なんだから、もっと削って短くできるでしょ。上映時間の長さがサービスになってない。
 とはいえ、モラトリアムな人にとっては麻薬のような作品であることは間違いなし。ジェームズ・キャメロン監督の『アバター』なんかよりも遥かにヤバイ世界を描いている

 最後に。エンドロールが終わった後に描かれる長門のしぐさが最も魅力的だった。
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テーマ : 映画館で観た映画
ジャンル : 映画

tag : 涼宮ハルヒの消失

2010-03-28

『パラノーマル・アクティビティ』は、TVゲーム映画

 『パラノーマル・アクティビティ』を観た。
 まーたもや『食人族』みたいな使い古された偽記録映画なんだけど、まだアメリカではそんなものが大ヒットする余地があるようで、超低予算(約140万円!)ながら製作費の数万倍の大ヒット。内容的には日本で劇場公開されるような作品でもないのに、大ヒットしたお陰で日本でも無事公開され、しかし噂が先行したため、本来の魅力は激減してしまい、良かったんだか悪かったんだかわからない『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』同様の変な映画だ。

 物語はないも同然。1組のカップルが住んでいる家に怪奇現象が発生しているので、ハンディカメラでそれを映しました、というだけのもの。舞台はカップルの自宅(ほぼ室内)のみ。彼女は学生、彼氏がデイトレーダーという設定があるんだけど、自宅しか映されないから、引きこもりカップルの異常な生活としか思えない。怪奇現象といっても、その実は彼女に憑いた悪魔が悪さをしているってだけで、まあ、それはアメリカだから通用するんだろうけど、そこの設定は透明人間でも何でも良く、気にしない部分だ。
 そんな杜撰な物語だから、見所は「いかにして怖がらせてくれるか」にしかない。使い古された記録映画風演出に斬新な味を加えることができているのか。ホラー映画好きにとっては、そこにしか興味がない。

 記録映画風演出は、とりあえず画面をガタガタ揺らしていれば手持ちカメラ風の現場感と臨場感を演出できるので、映画だけならずTVドラマからアニメまで世界中でみんなが真似している。正直、その演出を見るだけでガッカリしてしまう(特にアニメでやられるとガッカリを超えてイライラする)。『パラノーマル・アクティビティ』も同様にガタガタしてはいたけど、売りはそこになく、むしろガタガタさせないとこにある。
 『パラノーマル・アクティビティ』に於いて最も重要な画面は、カメラを据え置きにして撮影している寝室場面だ。明らかに「何かを映す」ことを目的としたアングルでカメラを設置している。一応『パラノーマル・アクティビティ』はホラー映画なので、映画の目的は観客を怖がらせることにある。怖がらせるには、「予想通り」と「予想外」の2通りあり、『パラノーマル・アクティビティ』は完全に後者の方法で怖がらせる。面白いのは、その怖がらせ方。
 ホラー映画の怖がらせ方の典型は、デカい音を恐怖映像の直前に鳴らして観客をビビらせる方法だが、『パラノーマル・アクティビティ』は、一応は記録映画風だからBGMは使わないし効果音だって使わないので、いわゆる「ビックリ系」の恐怖表現は使えない。そこで、「考えたなぁ」と感心したのが、ビデオカメラ映像だからこその早送り。最初はしばらく何にも変化のない映像をボーっと映しているんだけど、変化が訪れないと、キュルキュルキュル~って映像が早送りされ、画面右下に映っているタイムカウンターも早送りされる。そして、それがピタっと止まると、何かが起こる。ここが重要。「はい、こっから何かが起きますので、じっくりと画面を凝視しててね~」と宣言している。この演出方法は完全にTVゲームで、一見して記録映画風ではあるけど、『パラノーマル・アクティビティ』は記録映画風TVゲーム的映画だ。と同時に、TVのバラエティー番組レベルでもある。これは、恐怖演出として低音のBGMを鳴らしながら、恐怖映像の直前に「ババーンッ!」とデカい効果音を入れるのに等しい演出だけど、確実に新しいと思えるのは、画面を凝視することを強いる点と、そのためにかかる観客の負担を軽減している点だ。
 だから、『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』とは決定的に怖がらせ方の思考が違うし、恐怖映像の魅せ方が日本の心霊ホラー映画に似ているというけど、根本的に違うと思う。日本の恐怖演出は、「いかにして観客に負担をかけるか」に力点が置かれているからだ。
 「はい、ここに注目!」というTVゲーム的恐怖演出が面白いんだけど、監督も初めてだったからか、かなり遠慮気味の演出で、それは殆ど間違い探しのようなゲームにすぎず、どうせならもっと大袈裟に、「ここっ、ここここっ! ほら、ここに何か映ってますよ!」と映像の中で怪奇現象が発生している部分を○で囲んでみるとか、矢印で示してみるとか、そこまでしてもらえるともっと良かった。私は一ヶ所、悪魔の足跡が床に付く場面で、全く関係のない部分を見ていたため、気付かないままその場面が終わってしまい、後でそんな演出があったのを知り、観終わってから驚いたし。続編を作るらしいので、その際はさらに親切丁寧な恐怖演出をお願いしたいものだ。
 そう考えると、観客を満足させるためのサービスである最後の驚かし演出は余計。普通のホラー映画に成り下がっちゃってる。もったいない。
 
 はっきりいって映画として面白いとは思えない。偽記録映画風なだけに、何で終始撮影し続けるのか(彼女を激怒させてるってのに)理由付けに無理あるし、何もかもをフレーム内に収めすぎだし。が、新しいか新しくないかといえば、確実に新しいと思う。でも、それだけなんだけど。

テーマ : 映画館で観た映画
ジャンル : 映画

tag : パラノーマル・アクティビティ

2010-03-27

怒りも殺意も諦念で霞む

 例の表現規制に対し、規制派にも規制反対派にも納得できず、どっちもどっちだと思ったりするんだけど、やはりどう考えても規制はしない方がいいと思い、それは無駄なコストを省くためにも、やんわりと規制する程度に収めるのが一番マシだからだ(つまり、ゾーニング)。しかし、さてどーやって規制を潰すかとなると、たとえば賛成している政党を叩くか、とも思うのだが、賛成派に自民党と公明党がいて、そのどちらも死に体だからどーでもいーと思ったりもするが、頼みの民主党とて、支持母体となる集団の大きさで賛成にも反対にもなるから、明確に「こんな規制は表現の自由に反するので駄目です」などというわけがなく、賛成派よりも圧倒的多数を用意しない限り、いずれ反対派は負ける可能性がある。「あー、もー駄目かもー」となる時点が来るのじゃないかと。

 郵政を自分のおもちゃみたいにこねくり回して遊び、有頂天になっている亀井さんがいて、あのオッサンはどうせ消える運命だからと思っていたら、遂に原口さんまで亀井さんに賛同しちゃったらしく、「あー、そっかー、そーいや総務相だったな原口さんは」と思い至り、どうやら本当に民主党は「脱官僚依存」ができるわけがないことが明確になり、日々更新される郵政の身の振り方の話題に、最初っから、選挙前から民主党なんて与党にしちゃ駄目に決まっていると思っていた私ですら、「もうどうでもいいや」と思えるくらいになり、こんな体たらくなら、表現規制もどうにでも悪い方に転がる可能性はある、と諦念が。
 亀井さんの顔を見る度に憎々しさが募るけど、考えれば支持母体の考えに忠実に沿っているだけなので、亀井さんは悪い政治家ではない。政治家なんだから、支持してくれる人の利益になることが最優先になるんだから、政治家というだけで「国民のため」に働くわけはない。「支持してくれる国民のため」に頑張るのが政治家だった。そう考えれば、何だかグッダグダでどーにもこーにもならない鳩山さんよりは亀井さんは大変に出来の良い政治家だ。でもムカつく。

 私の職場では、子供のいる人が「子供手当て助かるわ~」や「ウチの子も来年から高校だから高校無償化助かるわ~」と盛り上がっており、新しい家計援助政策(あれは単なるバラマキ政策だけど)は好評で、だから下手するとそれ以外のマイナス要因に目をつぶる人も多いと思うが、昔の民主党といったら「バラマキは駄目」で「貯金限度額は引き下げる」といって民営化にも賛成してたのに、今じゃ逆。
 表現規制にしたって、民主党を頼りにしているといつ裏切られるかわかったもんじゃありませんぜ旦那。

テーマ : 気になったニュース
ジャンル : ニュース

2010-03-23

『劇場版Fate/stay night - UNLIMITED BLADE WORKS』は、完璧な脳内補完映画

 『劇場版Fate/stay night - UNLIMITED BLADE WORKS』を観た。
 一応、原作のPCゲームはやっているので、物語はわかっているのだけれど、何せ5年前のことなので、細かいことは忘れている。TVアニメは、石川県で放送してないから観れてないし、DVDを借りてまで観る気はないし(買うなんて論外)、漫画版も読む気はないしで、正直、「劇場版」には全く興味がなかったんだけど、石川県なんて田舎で予想外に上映決定したので、世評が良いのもあり、どんなものやらと物見遊山気分で観てみた。
 そしたら、意外に良かった。

 アニメとしての出来は良い。「世界レベルで良い」わけではないけど、日本国内のアニメオタク向けと考えれば、かーなり上等な出来。作画の出来が最初から最後まで良く、戦闘場面の多さ(8割は戦闘場面だ)がその自信を示している。どのキャラも良く動く動く。日本アニメ独特のアクロバティックなカット割りと演出で満載。PCゲーム版しか知らないので、キャラに声が付いているだけでも感動ものだけど、「あの場面が動くとこうなるのか~」と感心しながら観ていた。うん、完全にファンだな私。
 そのファンぶりに我ながら驚きながらも、感動してしまったものはしかたない。たとえば、アーチャーの最後の台詞「答えは得た。大丈夫だよ遠坂。オレも、これから頑張っていくから」とか、セイバーの「問おう。貴方が、私のマスターか」とか、衛宮士郎の「いくぞ英雄王――武器の貯蔵は十分か」とかが原作のイメージを全く損なわないどころか魅力倍増で表現されているのだから、そりゃあ感動しますって! 遠坂凛の“ツン”なところがちゃんと声と表情で表現されていて、セイバーの腹ペコ王ぶりも少しだけど表現されていて面白かったし。
 ただし、完全無欠にファンサービス作品なので、ファンでない人には面白さが欠片もわからないどころか理解不能な作りになっている。ゲームなら十時間くらいの物語を2時間内に収めてるんだから、その端折りっぷりは凄まじい。それを「Fate」っぽく表現すると、それは――断片だけでできている。「Unlimited Blade Works」という副題からわかるように、物語は総合的でなく、ゲームでいうところの遠坂凛をメインヒロインとするルートに限定している。主人公である衛宮士郎が最も活躍するルートでもあるので、最初から最後まで戦闘場面だらけ。細かい説明は一切なし。一見さんお断り。予習復習当たり前。ファンには優しいけど、ファンでない者には鬼神の如く厳しい映画だ

 完全なファン向けとなっているけど、「劇場用」としてブラッシュアップさせたファンサービスとしては、物語の魅力を伝えることは放棄し、アニメとしての魅力――つまり「動き」に限定して力を注いであるので、満点合格といえる。PCゲーム版の『Fate/stay night』しか知らない人は、絶対に観た方がいい。感動できるから(細かい部分は全て脳内補完しなきゃいけないけど)。TVアニメを観ていた人は、アニメーションの演出は既に知っているしね。
 ファン限定サービス映画なので、歴史に残るような傑作とはいえないけど、ファンにとっては、原作と共にある作品として高く評価されると思う。

テーマ : 映画館で観た映画
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tag : Fate

2010-03-20

どうでもいい。本当にどうでもいい。でも殺意が湧く。凄く湧く。

 どうなることかと気になっていた東京都による表現規制条例は、「とりあえず保留」になったようで、安心したやらガッカリしたやら。
 前回の記事の続きみたいになるんだけど――最近の、ある社会の異常性と「良識」を示す典型として、今回の、創作物による架空の存在に「非実在青少年」という概念を適用させようとする都議会の青少年健全育成条例が挙げられる。一言でいって、キチガイ沙汰なんだけど、オタク文化にとっては笑っていられない。私も規制反対ではあるんだけど、余りの異常な規制案に、呆れを通り越し、むしろ面白くてワクワクしながら「何だこの異常な社会は?」と期待を抱きつつ推移を眺めていた。ので、「とりあえず保留」には安心したやらガッカリしたやらなのだ。

 「非実在青少年」という概念が児童ポルノ撲滅に役立つのか実証性は皆無だ。何が何としても規制したいのであれば、「非実在青少年」という概念は不要で、ただ単に徹底的なゾーニングを行えばいい。本屋に仕切りを作り、購入時には身分証明必須とさせればいい。それだけなのに、何で表現規制になってしまうのか。
 数年前、「準児童ポルノ」という概念が登場し、話題になった。「なかなか表現規制できないなら、創造の産物でしかない漫画やアニメの登場キャラクターにも人権を認めてしまえばいーじゃん」という驚きの発想で、今回の「非実在青少年」といい、規制派の発想は呆れる程面白い。戦いとしては、規制反対派の方が当然の如く正当で実証性のある意見を出して強いんだけど、面白味はなく、傍観者としては、ついつい規制派に注目してしまう。次はどんな屁理屈を出してくるのかと。
 「準児童ポルノ」の時にも「規制するならわいせつ罪での規制で構わないんじゃないの?」といわれていたから、今回も同様の結論でしかない。根本的に「児童ポルノちっく」なものをなくしたいのだろうけど、それをなくしたところでポルノそのものはなくならないんだから、児童性愛犯罪はなくならないだろう。重要なのは、児童性愛犯罪や児童の人権侵害をなくすことなんだから、「準児童ポルノ」や「非実在青少年」なんて概念は全く役立たない。人権侵害という見地からすると、女性の権利を低くしている要因の1つはポルノだ、ともいえるので、根本的にポルノそのものを徹底規制しなけりゃいけない。が、そんなことはさすがにできないだろう。それをして犯罪が減るどころか増えるのは考えるまでもない。
 それに、徹底的に規制したために失業者が増加しらどうするのだろう? 規制派にとっては、「児童ポルノみたいなものを作っている連中は失業しても自業自得だ」と思っているかもしれないけど、そっちの方が人権侵害も甚だしいので、何らかの代案を出してもらわなきゃねぇ。突飛な発想をする規制派ならではの、「エロ漫画家にはベーシック・インカムを適用します!」とか。史上初の試みとして、世界中で話題になるだろう。最低限の所得保障があれば、「準児童ポルノ」規制だろうが「非実在青少年」規制だろうが怖くない。失敗することを恐れずに色んな表現を試すことができ、規制派は結果的に表現の自由に寄与することになる。

 今回の問題を客観的に見ていると、規制派も規制反対派も「どっちもどっちだ」と思えてしまう。規制派は、そもそも児童ポルノをなくしたいだけの筈なのに、SFちっくに発想の転換をしすぎ。規制反対派は、表現の自由を訴えたいだけなのに、何やら産業の衰退の話までしている。だから何だか論点がズレているような印象がある。双方にトレードオフする点があるとして、それが金銭面であれば、「エロ漫画家のベーシック・インカム」があってもいい。エロ漫画家になる人が殺到して財政破綻するだろうけど。
 規制派のメチャクチャ加減も酷いけど、規制反対派の「表現の自由が損なわれる」という論点も、理解できない点がある。「非実在青少年」という概念が適用されて、「表現の自由」はどの程度損なわれるのか? その問題は殆ど議論されていない。
 「表現の自由」が損なわれて最も困るのは作家なのか消費者なのかどっちだ? 作家なのだとしたら、「表現の自由」問題は、既得権益をいかにして守護するか、という話になる。今回の話題は、一見する限りでは、作家側の既得権益の話が主になっている。それならば、既得権益というか金銭的な利益だけを考えるなら、金銭面で解決できたとしたらそれでいいのか、という話の進め方もありだと思うのだ(飛躍しすな意見だけど)。消費者なのだとしたら、今の「表現の自由」が損なわれて困ることは本当に大きいのだろうか?
 エロ漫画に限定して話を進めれば、今の成年マーク付エロ漫画の規制(修正)のなさっぷりは素晴らしいものがある。それの規制が厳しくなるかゾーニングが厳しくなったとして、消費者は苦情をどれだけいうのだろうか? たとえ苦情がたくさんあったとしても、その苦情が「エロの修正が厳しくなって気に入らん!」とかであれば、相手にするのも馬鹿らしいだろう。それで性犯罪が増えたとしたら、ただ単に「日本には物凄い馬鹿が実は大量にいた」だけでしかない。「抑止力としてエロ漫画は効く」ことは証明されるけど、「表現の自由」には関係しない。
 たとえば『COMIC LO』も「表現の自由」を訴えたら、味方である規制反対派に「逆効果だから、黙ってて!」といわれるかもしれない。幼い女児の性交を描くことに「表現の自由」を認めてもらうのは難しいだろうし。自由を訴えるなら、その自由の行使にはそれなりの価値が必要だと思う。ロリコン漫画の「表現の自由」の価値を世間はどの程度認めるだろうか? ロマンポルノやロリコン漫画やエロ漫画から出世した作家はいるので(しかも名匠といっても過言でないような)、そこを根拠に「ロリコン漫画表現が芸術に寄与しないわけではない」とはいえるけど、別にロリコン漫画である必要はなかったかもしれない。その作家たちはエロい分野以外でも結局は頭角を現していたかもしれない。

 サルトルさんやカフカさんやドストエフスキーさんが「非実在青少年」問題を知ったら大喜びするかもしれない。考えようによっては、日本のオタクは今、哲学的な問題の最先端にいるのかもしれない。たとえば、筒井康隆さんの『虚人たち』や、我が敬愛する安部公房さんの『』みたいに、「非実在」と「実在」のことを追求した傑作はたくさん存在する。
 「表現の自由」は「空気」みたいなもの、という人がいるけど、安部さんに倣えば、「表現の自由」は壁のようなもの、といってもいいかもしれない。壁があったら、避けるのも壊すのも立ち往生するのも自由だけど、ペンで落書きを始めるのも自由だ。だから、規制によって「表現の自由」が損なわれるというのは間違っている。ましてや文化や産業の衰退と絡めるのは大間違いだ。
 日本が戦後に自動車産業で飛躍的な成果を出せたのは、ゼロ戦に恐れをなしたアメリカによって航空機産業を禁止されたからだった。結果、高度な技術力は自動車産業に注がれ、大成功に至った。表現規制にも同じようなことが起きるかもしれない、とはいえないだろうか? そもそも今現在の漫画やアニメの表現が規制されたくらいで駄目になるとは思えないし、逆に今が長期安定期で頭打ちになっていると判断すれば、可能性が広がるきっかけになるかもしれない。だから私には、規制反対なのに、「表現の自由」を守るために規制に賛成したい、という気持ちもある。
 しかし、都議会の規制派はマトモなことを考えていないようなので、考えるだけ無駄っぽい。芸術的な見地で「表現の自由」を真剣に扱う気が都議会には皆無なのだ。

産経ニュース→【石原知事会見詳報】2次元児童ポルノ「僕の目で判断したい。君(記者)が提供して」

 上記リンク先から抜粋。

 架空の表現、映像、イメージはいろいろあるだろうね。私は残念ながらね、対象となっているものは読んでもいないし、見てもいないのでね。まあ自分で買いに行くつもりもないから、君(記者)あたりが提供してくれよ。参考にするから。「こういうものがあります」って見てみたいんですよ。ちょっと買いに行くのは気が引けるからね。君、ぜひ、おれに届けてくれよ。それみて判断するから。

 これが石原都知事の発言だ。「見せてくれるんなら、見てやってもいい」ということで、基本的にやる気なし。ここからわかるのは、議会の不透明さ。
 今回の問題だけでなく、表現規制問題は基本的に議会や議論の推移が不透明すぎる。どんな経緯で提案され、その提案に実証性があると判断されたのかさっぱりわからない。だから規制派も規制反対派もヒステリックで生産性のない議論にしかならない。
 表現規制問題は、色々と議論したところで、結局は多数決の話にしかならない。もしもオウム真理教が出版した、読者を洗脳しようとする本が全国で大量に売られており、それがよく売れていたとすれば、たぶん都議会のように規制するだろうし、それについては誰も批判しないだろう(批判があっても少数だ)。エロ同人誌にオウム真理教が絡んでいて、知らない間に洗脳されていたとすれば、どう考えたって取り締まるに決まっている。その考え方が「社会的」であるならば、何一つ問題はない。問題があるのは、都議会の「良識」がそもそも異常だという点だ。
 「非実在青少年」みたいな問題は、他にも大きいのである。たとえば「二酸化炭素25%削減問題」や「郵政民営化問題」。前回の記事にもした、相撲協会の「良識」も同じ。元々が異常な考え方の上に成り立っている「良識」的な発想は、内実がよく知らされないままで、気付いたらそれに基いて社会が成り立っている。その社会は基本的に不透明さにによって成り立っているということだ。

 コストの面から考えても規制派の意見に対しては「お前ら馬鹿」で終わりなんだけど、規制反対派の意見は、「表現の自由」で争いたいのか、産業(既得権益)の衰退で争いたいのかよくわからない。本来の児童ポルノ撲滅の議論は遠い目をして黄昏ている。
 要するに、都議会が児童ポルノを撲滅するために真剣に頭を働かせていないことは明白になった。思いつきで何とかするような問題ではないというのに。善意のある馬鹿は本当に邪魔なだけだ。

テーマ : 気になったニュース
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2010-03-14

どうでもいい。本当にどうでもいい。でも殺意が湧く。

 何やら元朝青龍関が母国モンゴルに帰国し、そこで相撲協会の批判をしている、と報道している。ま、暴行事件に関してデカい口を叩くのは駄目だけど、相撲協会の批判はやって当然だ。いわれっ放しで我慢できない相撲協会は、当然のように批判返しをしているとも報道している。引退試合や断髪式ができないかもしれない、だそうで。それに、相撲に全く関係ないのに、気持ち悪いくらいにギャアギャアと「良識」を振りかざす人もいて、代表格がやくみつるさん。
 相撲協会が批判されるのは当然のことだと思う。元朝青龍関が相撲協会に恩義を感じるべき、というのは理解できる。でも、それは引退後の人生まで相撲協会に世話してもらうつもりなら、だ。正直、今の元朝青龍関にそんな恩恵は必要ないと思うので、それならば相撲協会の批判をして何の問題があるというのだろうか。第一、恩義を感じていれば「相撲協会を批判してはならない」となることが理解できない。恩義があるからこそ手厳しい批判をするってのはあるだろう。
 相撲協会は若貴ブームの時に堕落した。堕落して、そのままだ。今の日本の政治というか経済と似ている。改革しようとする貴乃花親方が理事に当選したらしたで、誰が投票したか犯人探しなんざやってる組織なんだから、普通に考えてロクな組織でない。
 やくさんが元朝青龍関に対して「相撲協会に感謝しろ」みたいなことをいってるけど、あんな超肥満集団で金儲けしているんだから、未成年の頃から相撲部屋に入れて管理してたりするんだから、その人たちの生活の面倒を見るのは当然。だって力士なんて、はっきりいって常識ないし社会性ないもの。それは力士が馬鹿だから、というわけじゃない。相撲協会という特別な組織が作り上げた特別な社会に生きているからだ。福祉政策までしっかりしなきゃいけないから大変だろうけど、堕落して駄目になったものは批判されて当然だ。そもそも時代に合わない。

 元朝青龍関みたいな振る舞いをすると、相撲協会やそれを応援する人々が「相撲というのは~」と世の良識を振りかざすけど、よくもまあ恥ずかしくもなく「良識」なんていえたものだ。女性が土俵に上がれば「土俵は神聖で~」。勝利してガッツポーズをとれば「相撲はスポーツではなく~」。はいはいはいはい、そりゃそーでしょーけど、そんな時代遅れなこといっててどうすんだろ?
 相撲は神事という側面を持つけど、それならば、何で外国人力士を入れるのさ。やくさんなんか「元朝青龍関は馬鹿」みたいなこというけど、そんなやくさんは外国語を話せるのか? 少なくとも、日本語とモンゴル語を話す元朝青龍関は日本語ですら危うい私よりは頭が良いと思えてしまう。まあ、それはいいとして、良識がおありならばですよ、国技といわれる神事に外国人を混ぜなきゃいけないことに断固反対するべきだ。それもしないで偉そうに「良識」を振りかざす。女性が土俵に上がっちゃいけないのに、なぜ内館牧子さんが横綱審議委員なんてやってられたのかと。ああそうか、女人禁制をいった相撲協会を支持したからか。
 「良識」的な人々からすれば、「非良識」的な元朝青龍関は気に入らないだろう。が、元朝青龍関が強かったのは「非良識」的だからだ。「非良識」的ゆえに強く、横綱であった元朝青龍関に対して、どーゆー理屈で内館さんが指導できるのか理解できん。まともな良識があるのなら、「大横綱には常識は通じません。私ごときが何かをいえるものではございません」と委員なんて辞退するだろうに。国技や神事をナメているとしか思えんな。やくさんとか特に。

 何度も繰り返すけど、そもそも相撲の世界そのものが異常だ。半裸で超肥満な肉と肉のぶつかり合いを見せ付けて悦に浸る変態集団なんだもの。そこで最強を誇るならば、その人は異常に決まってる
 あの体型や格好が必要なのはわかるけど、元関なんて明らかに太りすぎだった。100Kgは痩せても問題なかったってのに、見苦しいとしかいいようのないだらしない肉体を見せておきながら、そこに良識や常識を当てはめようとするのは間違っている。
 相撲の世界だけにしか通じない「良識」があって、それに倣わないのは「非良識」で、しかし全員が全員、正しく「良識」を持ち合わせているわけがなく、その場合の責任はどこにあるかというと当然、責任者にある。普通の社会から見れば「異常」な世界で、その「異常」さを維持しなければならないのだから、その「異常」さをよーく熟知している者に監督責任があるのは当然で、その責任者は相撲部屋の親方だろう。しかし、その親方に「異常」であることの「良識」が欠けていた場合どうなるのか? その結果の典型が元朝青龍関だ。
 横綱といえども全員が全員、「良識」を持ち合わせているわけがなく、「非良識」的な横綱は今までにも何人もいた。ただし、元々が「異常」な世界での話なので、意外とその「非良識」的な行動は一般的な社会から見れば普通だったりする。しかし、その一般的な社会までも「異常」な視点の「良識」を振りかざすとどうなるか? やはりその結果の展開が元朝青龍関の一連の問題だし、バンクーバー・オリンピックでの国母選手の服装の乱れ批判だったりする。

 国母選手は、服装が乱れていると批判されたけど、力士のだらしなさに比べれば何百倍もマシだ。全力で無駄にブヨついているお尻を見せやがって、全員に短パンを着用してもらいたいものだ。相撲を取っている時の姿なんて、「デブ専」のゲイにとっては超ご馳走じゃねーか。批判すべきは社会の異常性だ。
 異常を容認できない社会なんて、それこそが異常だよ。

テーマ : 気になったニュース
ジャンル : ニュース

2010-03-14

『食堂かたつむり』は、世の中の多様性を教えてくれる

 鑑賞ポイントがたまったので1回無料鑑賞ができるから、『食堂かたつむり』を観た。タダでもなければ絶対に観ないような映画だ。

 で、まあ、一言で感想を述べるなら、タダで良かった……

 酷いというか、「え、これ、何なの?」という映画だった。素人が作ったにしてはちゃんとしているし、玄人が作ったにしては余りにも馬鹿すぎる内容だし。観ている最中ずっとムカついていたという点では、新しい方の『蟹工船』と並ぶ酷さだ。
 「食」を扱っているのに、しかもそれが「癒し」に繋がっているのに、食事についてのまともな描写が全くない。
 大事なペットである豚を喰い殺す(というと語弊があるけど)場面に至っては、デイ・ドリーマーを超えて、デイ・オブ・ザ・デッドな感じすらある。柴咲コウさんは偉いなぁ。よくこんな脳ミソが腐っているような役を演じる気になったもんだ。キャリアを考えれば明らかに断るべき仕事だ。

 『食堂かたつむり』を観ていて想い出したのが、ピーター・グリーナウェイ監督の『コックと泥棒、その妻と愛人』だった。無論、私は『コックと泥棒、その妻と愛人』はメチャクチャ大好きだ。ただ、人によっては嫌悪感を抱かれそうという点で、想い出した。大事な存在を食べる、という後味が悪い点が同じ。完成度には天と地の開きはあるけど。
 だからもったいない。もっと巧く作っていたら、そう、グリーナウェイ監督が『食堂かたつむり』を撮っていれば、物凄い怖い映画になったのに! どう考えたって『食堂かたつむり』はキチガイの話だしな! 原作も込みで、こんな話で感動するような奴は頭がおかしい!

 と思ったら、感動して泣いている女性客がいた。その女性客と『食堂かたつむり』の感想を話し合ったら、全く噛み合わない会話になるに違いない。多様性を知るために観る価値はあるかもしれない。

テーマ : 映画館で観た映画
ジャンル : 映画

tag : 食堂かたつむり

2010-03-09

本当に変わった

 金沢市での『ハート・ロッカー』の上映は5月という予定だったんだけど、私は3月6日に上映されると思っていたから、「『矢島美容室 THE MOVIE ~夢をつかまネバダ~』よりも扱いが低いのはおかしい!」と憤慨し、アカデミー賞を作品賞と監督賞を含めた6部門も受賞したんだから、「上映時期を早くなるのを期待!」と思っていたら、本当に早くなった。
 『ハート・ロッカー』は、金沢市でも3月20日上映決定だ! 当然だよね。鉄は熱いうちに打て、だもん。5月に上映するのとアカデミー賞を獲ったばかりの時期に上映するのとでは収益に大きな違いが出る。行動が早くて良かった良かった。

テーマ : 映画関連ネタ
ジャンル : 映画

2010-03-09

当然の結果

 アカデミー賞の結果を心待ちにしておりましたよ。無論、アメリカのアカデミー賞のことにございます。

【作品賞】
  『ハート・ロッカー』
【監督賞】
  キャスリン・ビグロー(『ハート・ロッカー』)
【主演男優賞】
  ジェフ・ブリッジス(『CRAZY HEART』)
【主演女優賞】
  サンドラ・ブロック(『しあわせの隠れ場所』)
【助演男優賞】
  クリストフ・ヴァルツ(『イングロリアス・バスターズ』)
【助演女優賞】
  モニーク(『プレシャス』)
【オリジナル脚本賞】
  『ハート・ロッカー』
【脚色賞】
  『プレシャス』
【音楽賞】
  『カールじいさんの空飛ぶ家』
【歌曲賞】
  「The Weary Kind」(『CRAZY HEART』)
【撮影賞】
  『アバター』
【編集賞】
  『ハート・ロッカー』
【視覚効果賞】
  『アバター』
【音響調整賞】
  『ハート・ロッカー』
【音響編集賞】
  『ハート・ロッカー』
【衣装デザイン賞】
  『ヴィクトリア女王 世紀の愛』
【美術賞】
  『アバター』
【メイクアップ賞】
  『スター・トレック』
【長編アニメ賞】
  『カールじいさんの空飛ぶ家』
【長編ドキュメンタリー賞】
  『ザ・コーヴ』
【短編アニメ賞】
  『Logorama』
【短編ドキュメンタリー賞】
  『Music by Prudence』
【短編実写賞】
  『The New Tenants』
【外国語映画賞】
  『The Secret in Their Eyes』(アルゼンチン)

 特に意外性はなく、巷で話題になった元夫婦対決は、『ハート・ロッカー』の勝利で終わった。というか、『アバター』が主要部門を獲れるわけがないので、思いっきり予想通りの結果だ。『アバター』が作品賞を撮ったら物凄く驚くよ。ただでさえ面白くない上に歴史的大ヒットしてるんだし、賞なんざやるわけないだろ『アバター』には。
 私は、『ハート・ロッカー』の作品賞受賞を物凄く望んでいた。金沢市では『ハート・ロッカー』の上映が5月だからだ! 金沢市でも全国一般公開日である3月6日に上映されると思っていたので、その日は朝から「さぁーて、『ハート・ロッカー』を観に行くかぁ」とウキウキしていたってのに、石川県の映画館の上映スケジュールのどこにも『ハート・ロッカー』という文字が載ってなかった。石川県だけならず、北陸はまだどこも上映していない! 上映することは決まっているけど、何か釈然とせん! すっごい面白くない映画よりも、たとえば『矢島美容室 THE MOVIE ~夢をつかまネバダ~』みたいな廃棄物みたいな映画よりも扱いが低そうなんだもん!
 しかし、状況は変わった。『ハングオーバー』は、ゴールデングローブ賞を受賞したら途端に公開が決まった。『おくりびと』は、アカデミー賞を受賞した途端に上映館が激増した。そして、『ハート・ロッカー』は、アカデミー作品賞を獲った。しかも6部門受賞だ。これでもしかしたら上映日が早くなるかもしれない! 期待して待つ!
 とはいえ、のんびり待ってれば観られるのは間違いないけど。

 他には、予想通り、『カールじさんの空飛ぶ家』が長編アニメ賞と音楽賞の2部門を獲った。長編アニメ部門のノミネート作品は、『コララインとボタンの魔女 3D』と『プリンセスと魔法のキス』を観たけど、個人的にはやはり『カールじいさんの空飛ぶ家』の方が遥かに良かったので、受賞は当然だろ(裏で色々あったとしても)。
 「『コララインとボタンの魔女 3D』の方が苦労して作ってるから受賞すべき」みたいなことをいってるプロの映画評論家がいたけど、アホか。より苦労した方が価値に繋がるなら、数多の作家はみな傑作を作ってるといえてしまうじゃないか。「作品の価値が同等ならば、苦労して作った方を評価してあげたい」と思う人だっているだろうけど、いやいやいや、一方が同等の価値の作品を労せず作ったのなら、そっちの方が偉いに決まっている。効率的に作ったわけだし。苦労したことを評価するなんて最低だよ。

 あと、ニュースに「『アバター』がなぜ負けたのか」という記事があって笑った。

産経ニュース→【アカデミー賞】なぜ「アバター」は負けたのか?

 上記リンク先から抜粋。

 『ハート・ロッカー』の圧勝で終わった。しかし、現実の興行収入をみると『アバター』の優位は歴然としている。大衆から圧倒的に支持され記録を塗り替えた大ヒットを、「アカデミー賞受賞作の中でも最も収益が少ない作品」(米紙ニューヨーク・タイムズ)のひとつが破るというねじれ現象は、どのように起きたのか。
 「『アバター』は不当に扱われた、と感じている読者もいる」
 一般観客の視点とアカデミー賞選考の乖離(かいり)とでもいうべきこうした現象に危機感を持った結果、今回、作品賞候補枠を従来の5枠から10枠に倍増させるという改革が行われた。そのねらいどおり、大ヒット作「アバター」は候補作に選ばれたが、最終的には娯楽大作を軽視しがちなアカデミー会員の志向は変わらなかった。
 米紙USA TODAYは、ノミネート枠の拡大は一定の効果を上げたとしつつ、「アカデミー会員は結局のところ、(売れたかどうかではなく)映画作りの土台や基本のところに一票を投じたのだ」と分析している。

 「ねじれ現象」? え、どこがねじれてんの? 大ヒットしているだけの駄作が正当に評価されたってだけでしょ。台無しなことをいってしまえば、アカデミー賞に「評価」を期待するだけ無駄なんだけどさ。業界団体とのやり取りがあって決まっている部分があるとすれば、『ハート・ロッカー』の勝利は、『アバター』の「金持ち喧嘩せず」にすぎないでしょ
 そんなどうでもいいことよりももっとどうでもいいことで気になるのは、「イルカを喰らう鬼畜日本人」を描いたドキュメンタリー映画『ザ・コーヴ』が長編ドキュメンタリー賞を獲っちゃって怒り心頭な人々。

産経ニュース→【アカデミー賞】「ザ・コーヴ」受賞で地元の和歌山・太地町が猛反発

 上記リンク先から抜粋。

 地元の太地町では反発している。
 映画はスタッフが立ち入り禁止区域に侵入し、隠しカメラを設置して撮影された。漁師たちが入り江に追い込んだイルカの群れを鉄の棒で突いて海面が真っ赤に染まる場面などが映し出されている。
 三軒一高町長は「事実誤認が多い映画が受賞したことに驚いている。われわれの町は鯨類については貴重な食料資源として認識している。海外には私たちが食べないものを食べる地域もあるが、その食文化を否定する気はない。今後も国内外に正当性を強く主張していく」と不快感をあらわにした。
 映画の中には「(組合員を)ジャパニーズマフィア」「漁協は隠蔽(いんぺい)するためにイルカの肉を鯨肉として販売している」など事実に反するものも含まれており、町や漁協は信頼を著しく失墜させたとして配給会社などに抗議している。

 正直なところ、太字の部分など、漁師の方々の意見にはとても賛同できるんだけど、たとえば犬を食べる国なんざ「信じられん!」どころか猫を食べる国に至っては「お前らが死ね!」とすら思うけど、それは地域性であって、その地域性を他国にまで押し付けるわけでなければ何ら問題はないんだけど、作品の主張の正当性はどうでも良くて、「作品が面白いか面白くないか」が重要なんじゃないか? つまり、『ザ・コーヴ』はドキュメンタリーとしてちゃんと面白いのじゃないか? ドキュメンタリーに平等性なんざ求める方が間違っており、ドキュメンタリーは偏って世間を煽ってナンボだ。日本だってシー・シェパードをいかに頭の狂った集団か描いた面白いドキュメンタリーを撮ればいいんだよ。イルカやクジラが人間の友達って、それを信じていること自体が馬鹿だっていうドキュメンタリー映画をね。

テーマ : 映画関連ネタ
ジャンル : 映画

2010-03-07

今の3D映画ブームは映画をつまらなくする

 待ちに待った『コララインとボタンの魔女 3D』を観たのだけれど、作品は文句なしに傑作なんだけど、3D上映のために作品の面白さというか魅力が半額引きになっていた
 観た劇場がXpanD方式の3Dメガネを使っていたため、とても観辛かった。以前そこで『ファイナル・デッドサーキット 3D』と『アバター』を観てちっとも楽しめなかったから、また同じになるかもなぁ、と思っていたら懸念的中。

 「3D」と謳っているくせに、『コララインとボタンの魔女 3D』は全く3D効果が活きてなかった。『カールじいさんの空飛ぶ家』と同様に、3D版よりも2D版で観た方が面白さを堪能できる。本来の魅力を削いでまで3D上映する必要なんてないだろうに。もったいなさすぎる。
 『アバター』の歴史的大ヒットで3D上映がさらに盛り上がるんだろうけど、3D上映はオマケ程度の存在のままでいい。『アバター』は3D効果で価値を底上げしただけで(凄い凄いというパンドラの風景の魅力だって『オーシャンズ』を遥かに下回るし)、3D上映でなければ面白いとすら思えない駄作だけど、『カールじいさんの空飛ぶ家』や『コララインとボタンの魔女 3D』は3D上映で観ない方が絶対に面白い。それなのに3D上映でしか観られないなんて、嫌々観る羽目に陥るなんて……はっきりいって、今の3D映画ブームは映画会社の嫌がらせだ。相変わらず3D上映中に2Dで割り込んでくる「映画泥棒カメラ男」も殺したくなるくらいにムカつくしさ! あの「映画泥棒カメラ男」のCMが必ず本編の直前に流れるのは、本編と一緒に現像しているからで、あんなの各劇場に使い回し映像として渡しちゃえばいいのに。

 今の3D映画に立体感はない。むしろ立体感を損なわせている。遠近感にメリハリをつけるだけの3D効果は、いってしまえば「飛び出す絵本」を映画にしただけで、「立体感」なんてない。「飛び出ている」だけ。奥行きなんて、全くないどころか、潰れてしまっている。嘘か真か『アバター』のパンドラの世界にハマって精神的に依存してしまうような馬鹿がいるらしいけど、それは立体的で現実味があるからでなく、奥行きがないからだ。画面をよく見ればわかることだけれど、「立体的」に見せる場面は、他の場面以上に奥行きがない。「立体的」に見せるために構図がやたらと縦になってるだけだったり。「立体的」のために構図の自由が損なわれるんだから本末転倒。
 技術的な進歩がない限り、本当に「立体的」な映画は実現しない。いつまで経っても「飛び出す絵本」な映画しかない。それに、真に「立体的」な映画が実現しても、それはたぶん映画館では味わえないだろう。

 現状の3D映画で最も素晴らしいものを作るとしたら、アニメーション作家で、それは宮崎駿監督になると思う。たとえば『千と千尋の神隠し』での「涙が上に昇る」場面が「立体的」だったらどれだけ素晴らしいか。しかし、あの場面は今の3D映画では面白く表現できない。ので、画面の魅せ方が抜群に巧い宮崎監督が3D映画を作る可能性は低い。
 理想的な3D映画は、画面の全ての情報を任意で操作可能になった映画だ。つまり、双方向的な操作ができるものとして、ゲームと似たような映画。集中して見たい部分を拡大したり、アングルを変えたりすることが可能になり、かつ「立体的」であれば、それが真の3D映画だと思う。ただ、そんなもの、データ量は莫大になるし、作る側のデータ入力が気が遠くなるくらい大変だし、ハードだって高額になる。個人個人が思い思いに画面を操作することを考えれば、集団で観る映画館で楽しむことは無理だろうし、そもそもそこまで画面に没入できるシステムがあるなら、映画館で観る意味はない。また、コストを考えると人間の役者を使って作るのは難しいし、長編なんて絶対に無理だ。最も安価で簡単な「立体化」は、脳内補完。頭の中で色々と想像するのが最も「立体的」。が、今の3D映画はその想像力を豊かにしてくれない。
 何を見せて何を見せないか、それを今まで以上に意識的に行えるような演出家でなければ面白い3D映画は作れるわけがない。そういう意味では、ポルノ映像なんて3Dに向いていると思えるけど、冷静に考えれば飛び出る男性器と精液しか面白そうに思えない。最も簡単で便利なのはドラッグムービーやPV。あれなら3Dでも問題ないどころかピッタリだ。
 とにかく、今の3D技術は、長編映画には絶対に向いていない。どう考えても、ホラー映画の脅かし程度が丁度いい。それ以外の映画では邪魔なだけだ! 『コララインとボタンの魔女』を3D上映だけにしようと考えた奴、クビになってしまえ!

テーマ : 映画関連ネタ
ジャンル : 映画

2010-03-05

おちんとありがとうございます

 夕方、仕事の帰り道、兼六園下を歩いていたら、背後から女性に呼び止められた。振り返ると、観光客と思しき老齢のカップル(たぶん夫婦)が立っている。観光場所である兼六園付近ではよくあることなので、道案内を尋ねてきたんだな、と理解した。

「あのぉ、おちんはどこですかね?」

 は?
 女性(たぶん妻)は、恥ずかしそうに、申し訳なさそうに、そういった。
 ええーと、ちょっと待って下さいよ……「おちん」って何だ? 何かの聞き間違いかと思って、思わず思ったまま「は?」と声に出していた。

「ええっとですねぇ、おちんの場所を知りたいのですが?」

 女性はやはり「おちん」といっていた。聞き間違いではない。うーん。「おちん」? その時、近くを知事選の選挙カーが挨拶と嘆願を喚きながら通っていた。

「おちん、ですか?」
「はい。おちん、です」
「よろしくお願いします! よろしくお願いします!」

 道を尋ねる人の当然として、選挙カーが喚いていることもあり、女性の声は結構大きい。明瞭な発音で、「おちん」が繰り返される。夕方、薄暗さと涼しさが増す中、兼六園下の大通りに面した歩道は、学校帰りの学生や仕事帰りの勤め人が行き交い、その間を「おちん」という単語と選挙カーからの「よろしくお願いします」が風に乗ってあちこちに拡散していく。
 ちょっと考えて、やはり聞き間違いではないかと思い、再度繰り返した。

「おちん、ですか?」
「○○です! よろしくお願いします!」
「はい。おちん、です。ご存知ないでしょうか?」
「是非とも! 是非とも!」

 選挙カーがうるさく、必然的に女性も私も声が大きくなる。大きな声で老齢の女性と交わす「おちん」には不思議な響きがある。というか、恥ずかしいんだけど。「おちん」ってさ、やっぱ、どうしても、ねぇ?
 そこで痺れを切らしたのか、後ろに控えていた男性(たぶん夫)が出てきて、「漢字で、漢字」といった。女性は、合点がいったのか、頷き返し、「漢字で、『おんてい』と書くんですけど」

 「おんてい」って……「音程」? 「音程」で「おちん」? ますますわからん。ここで賢明な金沢人ならばすぐに「おちん」が何のことだかわかったのだろうけど、賢明でない金沢人の私はギブアップし、「すみません。わかんないですね」と謝った。
 2人は明らかに落胆した様子だったが、手間を取ったことを謝ってくれ、その場をゆっくりと去って行った。ウロキョロしていたので、また別の人に「おちん」を尋ねようとしているのだろう。
 選挙カーも、「ありがとうございます! ありがとうございます! 頑張らせていただきます!」と誰にともなく喚き散らしながら離れて行った。

 金沢市に生まれて育ちながらも金沢市の観光案内ができないことを申し訳なく思いつつ、兼六園横の坂道を上っていると、「おちん」が見えた。なるほど、「おんてい」で「おちん」だ。
 「おちん」とは、兼六園の坂の上にある、兼見御亭(けんけんおちん)という料理屋のことを指していたのだ。常に多数の観光バスが止まっており、金沢市では有名な店で、私もちゃんと知っていた。入ったことはなく、どんな字で書くのかも知らなかったので、「けんけんおちん」として覚えており、女性がいった「おんてい」が「御亭」を指しているとは思いもしなかった。
 つーかさ、何で「おちん」で訊くだよ! 「けんけん」をセットにしなさいよ! あ、でも、単語の順序を間違えて、「おちんをけんけんな店知りませんか?」とか尋ねられたら、響きだけならSMクラブとしか思えないね。

テーマ : 日記
ジャンル : 日記

2010-03-02

題名がスチャダラパーの韻踏本

 本屋に何となく新刊を物色しに行ったら、なな何と、スチャダラパーの分厚いハードカバー本が平積みされていて驚いた。
 どーいうことだ!? 今さらSDPの時代が到来しているのだろうか!? 自伝とかのノンフィクションなのか、第三者による評論集なのか、あらゆるインタビューをまとめたものなのかわからないが、SDP好きの私としては買わねばなるまい!
 と思って手に取ったら、題名が全く違っていた。手嶋龍一さんの『スギハラ・ダラー』という本だった。いや、遠目からの初見では「スチャダラパー」に見えたんだ。

 その後、別の本屋に行ったら、またもや『スギハラ・ダラー』が置いてあり、またもや「スチャダラパー」に見えてしまった。たぶん私以外にも『スギハラ・ダラー』が「スチャダラパー」に見えてしまう人はたくさんいる筈だ。
 どうしても「スチャダラパー」に見えてしまうので、『スギハラ・ダラー』は「スチャダラー」と略称すればいいのじゃないか。

 「スチャダラー」な題名の『スギハラーダー』は、その略称の滑稽さから、さぞかし愉快痛快な内容なのだろう。と思ったら、その分厚さに比例する、かなり真面目な内容だった。『スギャワラー』のくせに。
 でも、真面目ではあるけど、実際は単なるトンデモ政治陰謀論小説。何やら「インテリジェンス小説」らしいけど、どこがどのように「インテリジェンス」なのかさっぱりわからない。適当にパラパラとページを繰り、登場人物の会話部分を見つけてみれば、その大半は素晴らしく棒読みな文章なのだ。9.11テロや金融危機の裏に暗躍する人々を描いているようで、単なる信憑性の薄い情報を繋げてみただけの、一言でいえば「小説風の小説」。さすが題名が『スギャラー』なだけはある。分厚くて真面目だけど、軽薄な作品だ

 題名が『ダラパー』なんだから、「インテリジェンス小説」なわけないよなー。
プロフィール

ばっどていすとさんどいっち

Author:ばっどていすとさんどいっち
テクノ好き。
アンダーワールドのRez大好き。
映画大好き。
ジャッキー・チェンが生涯の英雄。
生涯1位作品は『ミミズバーガー』。
2位が『溶解人間』。
泣き虫で、馬鹿。
itsuka-omoi-dasu-bts@hotmail.co.jp

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