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2009-12-30

『のだめカンタービレ 最終楽章 前編』は、ボロボロのボレロ

 『のだめカンタービレ 最終楽章 前編』を観た。予告編で観た限りだと、絶対に面白くない駄作に決まっていると確信していた。演技はアホだし、演出は馬鹿だし、そもそも実写で作る理由が皆無だ。でも、まあ、予告編だけで貶すのも何だから、とりあえずは観てみたら、意外に楽しめてしまった。あれ?

 良かったのは、予想外に画作りがマトモだった点。TVドラマの延長線上にあるだけの、大きな画面にしただけのTVドラマにはなっていなかった。正直、驚いた。無駄な漫画的クローズアップとか殆どなかった。アニメ的な広角の画面も。
 TVドラマを一見した時に感じた漫画的な過剰演出による違和感も意外と気にならなかった。アニメの挿入は物凄く余計だったけど。CGの使い方も巧くはなかっけど、1ヶ所だけ、千秋と共演できるからと喜ぶのだめがビラをまく時の「ビラの動き」はとっても良かった(ビラがぶわっと広がる瞬間の動きが)。
 文句なしに良かったのは、演奏場面。玉木宏さん演じる千秋の指揮者はカッコ良かった(「指揮者は、リズムに合わせて棒をただ振り回している人」としか認識していないような人にも指揮者が何をしているかよーくわかる)。見事に指揮者となっていたのじゃないだろうか、玉木さんは。動きを研究したのだろうなぁ。

 しかしもちろん、「意外と良かった」だけで、「良かった」わけでなく、実際は普通に酷い
 画面に奥行き感が全くなく、のっぺりとしており、結局はTV的だった。
 余計なウケ狙いの演出は目障りだった。「ボレロ」の場面とか、公園の池の周りで遊ぶのだめの「パンチラ」場面とか、他にも随所にあった人形を使ったわかり易い漫画的演出は「漫画」を意識しすぎていて興醒めする。最も駄目だと思った演出は、チャイコフスキーの序曲「1812年」の演奏場面の演出。曲の途中で大砲を撃つショットを何度か挿入するんだけど、編集がど下手で邪魔。演奏と玉木さんのカッコ良さだけを映すべきなのに、アホか。『Vフォー・ベンデッタ』の爆破場面をお手本に作り直せ、といいたい。
 演奏場面は素晴らしいと思うけど、オーケストラの話なんだから、ごくごく当たり前の出来。しかも演奏の良さが物語に貢献していない。演奏の良し悪しがわかるような展開が全くない。駄目な楽団が良くなる過程がちゃんと描かれていない。普通なら、駄目楽団が良くなる過程だけで1本の映画を作れるのに、そこはオマケ扱い。ならば千秋とのだめの物語に主軸を置いているのかというと、そこはかーなりテキトー。
 つまり、内容は、はっきりいって、酷い。

 完全に「のだめ」ファン向けで、かつTVドラマ版を見ていた人向け。それが悪いってんじゃない。ファンのために、ファンの大好きな形で、豪華な映画版をプレゼントするってのは全く悪くない。悪くないんだけど、ちょっと馬鹿すぎでしょ。
 どう好意的に見ても、実写版のだめは、単なるアホというか馬鹿というか頭の足りない子だ。漫画だからこそ魅力のあったキャラなのに、そのまま実写化しちゃうと本物の馬鹿にしか見えない上野樹里さんは、上手に演じているけど、それが馬鹿さを倍増させている。あ、でも、チェレスタの演奏をルイに奪われた時の、千秋に「空気読め」っていう時の上野さんの演技は巧かった。のだめという役柄を知らなくても面白い演技で、馬鹿キャラから瞬時にキレキャラに変化する瞬間は笑ってしまった。
 む。そう考えれば、実写版のだめは既に上野さんのキャラで、漫画版のだめと異なった魅力を出すことに成功しているのか? ギャグ展開時の上野さんの動き、表情は漫画版のだめと明らかに異なっており、最初は「巧く漫画っぽさを演じているなぁ」と思っていたけど、のだめが凹んだ時の「貞子」のような暗い表情なんかは(特に子牛のような表情の演技は)素晴らしいと思う。となると、やはり駄目なのは演出だ。
 部分的に外国人を日本人(ハーフもいるけど)が演じているのは失笑もので、特に竹中直人さんが酷かった。しかしまあ、上野さんののだめがあれだけ突出したキャラである以上、脇を固めるキャラもメチャクチャにしなきゃバランスは取れないから、あのキャスティングのせいでTVドラマ版は見る気が失せたんだけど、おかしなキャスティングは正しい。でもやはり、凄い中途半端だ。外国人が喋る時は、台詞はみんな日本語吹き替えになっているのだけれど、どうせならば画面に映る外国人を全員、日本人に演じさせるべきだった。そうすりゃもっと完璧に過剰な馬鹿演出となり、漫画版を超えられたのに。
 一見して馬鹿すぎると思ったけど、全然中途半端なんだよなぁ。中途半端な馬鹿は最も質が悪い。

 予想外に面白かったけど、観る価値は全くないとしか思わない。馬鹿っぷりが中途半端で、物語が物凄く面白くない。ただし、それは映画版の責任じゃない。映画版を観ると、そもそも漫画版の終盤の展開が全然面白くなかったことがよ~くわかってしまう。飛び抜けたキャラはおらず、展開は愚鈍で間延びしており、のだめと千秋のロマンスも同様で、2人の魅力が日本を舞台にしていた時に比べて激減していた。だから、当然のように映画版は盛り上がらないし、面白くない。後編は盛り上がるのかもしれないけど、それなら無駄な前編を作らないでほしい。
 映画版は、コンセプトが間違っている。演奏場面に迫力があっても、だから何だってんだ? それは「のだめ」の魅力ではない。「のだめ」でなくても実現できる程度のものだ。製作費をかけた唐突に始まるギャグ展開も物語に全く貢献せず、時間の無駄。アニメと合成してるってのに、躍動感が全くないし。
 物凄く悪くはない。でも、良くもない。上野さんの演技の馬鹿っぷりは素晴らしく、全体的に70~80年代に作られたメチャクチャな実写漫画映画に近いテイストはありつつも、真面目な部分をギリギリで脱線できないから、中途半端。上野さんが好きなら観て損はないけど、4ヶ月も間を置いて公開される後編を観る価値は全くない。
 実写版を見るなら、TVドラマ版だけで十分だと思う。映画版は、ファンに対するプレゼントというより、単なる蛇足だ。

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tag : のだめカンタービレ

2009-12-25

『2012』は、前田建設ファンタジー営業部に頼むべきだ

 ローランド・エメリッヒ監督の『2012』を観た。予告編で観た通りの、期待を殆ど裏切ることのない、大災害映画。
 期待通りというのには、エメリッヒ監督作品であるわけだから、絶対に中身ないんだろうなぁ、という期待もこもっており、当然のように裏切られない。期待通りというか、想像通りというか、むしろその上をいく凄まじい大災害っぷりに、中身のなさなんて気にならなくなる。科学的に間違ってようが、主人公家族にとってとんでもなくご都合主義的な物語であろうが、そんなのどうでもいいわ。うわー、すげー、と頭空っぽにして、家族みんなでキャッキャキャッキャと楽しめるファミリー向け大災害映画。考えたら、あそこまで凄まじい大災害を描いておきながら、家族みんなで楽しめるってんだから凄い。間違いなく、エメリッヒ監督の最高傑作だろう。

 物語は……あってないようなものだ。何か大昔に地上崩壊の予言か何かがあって、本当にそれが起こって大変なことになる。
 そんだけ。理屈も何もない。つーか、古代文明なんてキーワードはどうでもいいのだ。何か物語を作る理由としてきっかけが必要だっただけ。エメリッヒ監督は古代文明好きなのか? とにかく、「古代文明が予言してたんだからそれでいーじゃないか!」と逆ギレしているかのように、景気良く「どっかーん! ぐっしゃーん!」と地上が木っ端微塵になる光景を楽しむだけの映画だ。それ以外の要素は全くない(あったっけ?)。

 『2012』を観て真っ先に想い出すのは、今年の夏頃に公開された、我らが『ダークシティ』を撮ったアレックス・プロヤス監督のニコラス・ケイジさん主演『ノウイング』だ。
 同じような大災害映画なんだけど、『ノウイング』は「地上崩壊」でなく、「地上破壊」の映画。あえていえば、『2012』に『インデペンデンス・デイ』を足したような感じ。私的には、『2012』よりも『ノウイング』の方が好きなんだけど(残酷だからなのと、結末がアホだから)、金のかかりかたが桁違いだからか、映像の凄さは『2012』の圧勝
 『ノウイング』よりさらに遡って、キアヌ・リーヴスさん主演の『地球が静止する日』は地球が静止しない映画だったので、草なぎ剛さん主演の日本が沈没しない『日本沈没』並みに金返せ映画だったので、結末のアホさはさて置いても、ちゃんと地上破壊される点から、『ノウイング』はとっても評価できる。
 超能力に宇宙人、予言やら何やらと怪しい要素だらけなこともあり、M・ナイト・シャマラン監督作品に近い感じがある。とりあえず「大変なことが起こってます!」感を描いた『ハプニング』に似ている気もする。意外と、エメリッヒ監督とプロヤス監督とシャマラン監督は仲良くなれるかもしれない(大味だし)。
 で、色々とくっ付けて連想すると、本当に大変なことが起きてハッピーエンドになる『2012』は、作品全体が大変そうな『ハプニング』の真逆にも思える。

 色々と不満はある。
 後半に入ってから一気に面白くなくなる点が何よりも拙い。前半までに崩壊ネタを大奮発したためだろう。前半は本当に面白い。画面に合わせて客席が揺れれば、そのままどっかのテーマパークの乗物になるくらいだ。つーか、殆どTVゲーム感覚。Wiiでゲーム出ててもおかしくないし。「うわーっ、あっちに避けろー!」とかいってコントローラーを振り回す感じ。ところが、後半から人間ドラマが始まっちゃって、一気に眠くなる。家族向け映画だからしかたないんだけど、『ノウイング』を超える、地球消滅規模の大崩壊を観たかったなぁ。
 科学的に間違っている――などというのは野暮ってものか。古代文明の予言という時点でおかしいものな。
 主人公家族に都合が良すぎる、というのも野暮。なーんであんなに窮地を脱出できるのか、なーんで主人公家族には色んな破片が当たらないのか――それをいうと、日本のアニメなんてそんなんばっかだしねぇ。ナウシカだってルパンだって、なぜか敵の一斉掃射に当たらないもん。家族向けだからそれでいいのだ。
 不満はあっても、「まあいいか、エメリッヒ監督作品だもんな」と許せてしまうくら輝かしいアホ全開っぷりが『2012』にはある。んだけど、ここだけは許せないって点がある。巨大な避難船の建造についてだ。

 全人類を助けることはできないから、せめてその何%だけでも助けるべく、超極秘に巨大避難船を国家間の垣根を越えて建造するんだけど(その超極秘事項が、アメリカの山奥に住むヒッピーに簡単に見つかってるのはどうなんだとは思うけど)、建造を担当しているのは中国なんだよね。いや、あんなにデカイものを建造するんだから、その場所は中国とかになるだろうけどさぁ、どう考えたって、巨大な何かを建造するのは日本が宇宙一得意に決まってんじゃん! あそこに不満を抱かない日本人は多いと思います!
 考えれば、スティーヴン・スピルバーグ監督の『宇宙戦争』で、世界で最初に宇宙人を倒したのは日本だった。スピルバーグ監督はわかってらっしゃる。ゴジラだって、ウルトラマンだって、宇宙戦艦ヤマトだって、ガンダムだってマクロスだってエヴァだって、みーんな日本産。プールが真っ二つになってロボットが出てきたり、蒸気機関車が天に向かってそびえ立つ線路から宇宙に発車したりするのが日本人の常識となっている以上、山ん中にでっかい避難船を作るなんざ簡単に決まっている。それがメイド・いん・ジャパン(By.おりもとみまな)。
 だのに、何ですか中国って!? そりゃ今じゃ経済大国は中国ですよ。世界での日本は小さく小さくなっておりますよ。それでも日本以上に空想世界に夢中になってる国はない! 前田建設ファンタジー営業部に連絡したら、絶対に中国なんかより優れたものを安く作ってくれますよ! 嗚呼っ、『2012』を作る前のエメリッヒ監督に前田建設ファンタジー営業部の存在を教えて上げる人がいれば良かったのにっ!! 『2012』のエンド・クレジットに「MAEDA Corporation Fantasy Marketing Department」という社名が表示されていたらとっても愉快なのにっ!
 おかしいよ、アメリカだって中国製品は怪しんでたりするのにさぁ。ちぇっ。

 とまあ、物語の薄っぺらさと巨大避難船の点と後半からダルくなる点を除けば、TVゲームをやってるみたいで、とっても楽しい映画だ。映像の凄さは、現時点で最高といえる。あまりに最高すぎて、大災害っぷりに爆笑してしまうくらい。たっくさん人は死んでいるけど画面には一切映らないし、そこに少しだけ不満はあれど、そーゆーものを映したい映画じゃないのでしかたない。
 少なくとも、さらなるVFXの進化した地球崩壊映画が登場するまでは(たぶん来年までだろう)、『2012』が最高の大災害映画として君臨するだろう。

テーマ : 映画館で観た映画
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tag : 2012

2009-12-22

『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』は、誕生する前からゾンビだ

 『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』を観た。予告編を観た時点でこれは駄作決定だな、と思っていたら、全く期待を裏切らない駄作だった。
 そんなことを断言してしまう私だけど、実は、「宇宙戦艦ヤマト」に全く思い入れがない。主題歌は昔から大好きだけど。そんな私が「宇宙戦艦ヤマト」を語って良いのかというと、シネコンみたいな映画館でかかる以上、百億円以上の製作費をかけた超大作の実写映画と比較して観てもいいのだし、もちろん良いに決まっている。決まっているので、普通に映画として、今現在の新作として観れば、明らかに駄作だと断言してしまう。

 駄目な理由はたくさんある。キャラデザのセンスの古さ、CGの駄目さ、物語の面白くなさ、脚本の駄目さ、キャラクターの魅力のなさ、演出の拙さ……その中でも最も駄目なのは、演出の拙さだ。演出が巧ければ、他が駄目でも何とかなる。気合でカバーできるもんだ。だのに『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』は、気合が入っているようでスッカスカの穴だらけ。
 最も駄目な演出は、復活ヤマトが発進する場面。他が全て駄目でもここだけは失敗しちゃ駄目でしょ、という肝心要のところで大失敗している。久しぶりにヤマトが発進するってのに、爽快感というか躍動感が全くない。観客によっては30年以上ぶりにヤマトの雄姿を見るだろうに、あーっさりと発進しちゃう。もちろん、その場面の演出には力が注がれているけど、CGも使って豪華にしているけど、肝心の「溜め」がない。思わず拳を握り締めてガッツポーズしたくなるような――人によっては敬礼したくなるような――ものにしなくちゃいけないのに、「え、こんなもん?」て淡白さ。しかも、しかもですよ! ここで使わないでどこで使うの、というオリジナルの主題歌(なぜだか知らないけど、ささきいさおさんでなく、THE ALFEEが歌っている)が流れるってのに、途中でフェードアウト! わかってない! 全っ然、わかってないっ! ヤマトの発進場面では、ささきさんの声でなくとも、宮川泰さんによる名曲を丸々使って、あらゆる角度からヤマトの雄姿をしつこいくらいに映すべきでしょ! だのにっ! 途中でっ! フェードアウトっ!! あったまおかしーんじゃねーのっ!? ヤマト発進場面だけで『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』は駄作だと断言できる!
 ディズニーアニメの『カールじいさんの空飛ぶ家』ですら「発進」(家が飛べなくなった後、再び飛び立つ場面)では溜めに溜めた演出を丁寧かつ迅速に行っている。全然浮かばない、でも少年を助けにいかなければいけない、どうしよう!? カールじいさんは、そこで家具を1つ1つ捨てていって、最後に何もかも捨てた瞬間――ぶわっと家が飛び立つ。あの「溜め」が重要なわけじゃないですか。『カールじいさんの空飛ぶ家』の方が余程ちゃんとわかってるよ(遂にピクサーは宮崎駿監督作品に並ぶものを作ったと思う)。
 他にも、キャラデザが違いすぎる昔の映像を回想場面として使っているのも駄目すぎる。違和感ありまくりで台無し。佐渡先生やアナライザーやミーくんが昔のキャラデザそのままなのも、何だかねー。それとも昔からのファンにはあれがサービスになるのか?
 音楽の使い方も駄目。クラシックの交響曲を何曲か使っていて、それが巧く場面に合っていない。一応は場面に合わせて選んでいるっぽいけど、手抜き感が溢れまくり。『劔岳 点の記』を想い出した。クラシックの交響曲を巧く使った映画で真っ先に想い出されるのはスタンリー・キューブリック監督の『2001年宇宙の旅』だけど、『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』はその真逆の演出で、つまり変なPVみたいな仕上がり具合。ベートーヴェンショパンチャイコフスキーマーラーなんて有名どころを使ってんのに、むしろ場面を盛り下げている。最後の大決戦までクラシック曲の垂れ流しなんだから、本当に手抜きとしか思えない。有名曲の「箔」を借りても重厚感が全くなし。
 最後の大決戦であるSUSの大要塞の戦いも本当に駄目すぎる。ワープしてあっちから「ぴょこっ」、こっちから「ぴょこっ」って、シューティング・ゲームのボス戦だよ。ていうか、単なるモグラ叩き。好意的に見ても、「遂にシューティング・ゲームはここまで進化したのか!?」とでもいいたくなるような感じ。笑ってしまった。
 とにかく、演出が駄目すぎる。時代錯誤なのは物語だけにしてほしい。

 物語が稚拙なのは、原案者である石原慎太郎さんに責任があるのだろうか? 物語は「右寄り」に見えるけど、馬鹿な若造の乗組員が艦長に対して「あんた!」と上から目線で激怒する展開は、どう考えてもナヨっちい左翼だよねぇ。やたらとフレンドリーな軍隊。アホか。
 ご都合主義な展開なのは、別に問題ない。ただ、あらゆる点でテキトーすぎるのは問題あり。細部を考えているのか考えていないのか知らないけど、一見すると考えてないとしか思えない。SUSが地球を狙う理由があるのはいいけど、地球という環境が欲しいだけなら、地球人をいちいち殺さなくてもいーのに。USAのもじりとしか思えない多国籍軍SUSの行動原理が不明すぎる。つーか、あれだけ驚異的な力を持っているならもっと簡単にヤマトを撃沈させられるだろうに。それを負けた後で「こんなもんじゃねーんだぞ俺らは!」と喚くんだもの、盛り上がらんなー。最初から本気出せよ。結末が、地球が助かるのと滅びるのと2種類あったらしけど、今の結末で正解だよ。あんな馬鹿な宇宙人に地球を滅ぼされたとあっちゃ我慢ならん
 脚本で見直すべき点が細々あるのに、放置されているのは、それでいいと思っているからなのか? ずいぶんと進化した未来だってのに、古代進がヒゲ剃りする時にシェービングムースに剃刀って何なのよ? もっと簡単便利なものができてるだろっ! そーゆー細かい点に気配りが足りない。「宇宙戦艦ヤマト」をSFと見ている私が悪いだけなのか? 他にも、娘を助ける場面にしても、人類を救う展開にしても、アマールでの展開にしても、何もかもが中途半端。ヤマトが絶体絶命に陥らないのが致命的に駄目。

 しかし、日本人として、好意的に観られる部分はある。ローランド・エメリッヒ監督の『2012』を観た日本人ならかなりの人数が抱くであろう、「中国が巨大避難船を作るのはおかしくねーか?」という疑問からくる満足感だ。
 エメリッヒ監督は日本人をよく知らないのだろうけど、あのさー、山ん中に秘密基地作って、巨大な乗物を作るっていったらさぁ、やっぱ日本人の技術力が宇宙最高に決まってるでしょ! ガンダムや宇宙戦艦ヤマトやマジンガーZだけならず、都市そのもののマクロス艦なんかを作れる日本人ですよ!? 大災害のための巨大避難船なんざ片手間で作れるっつーの! などとグチをこぼしていた人々にすれば、『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』で溜飲が下がる思いだろう。だって、先に『2012』を観ていたら、「あ、これまんま『2012』だ」と思ってしまうもの。違いは、変な宇宙人が出てこないことくらいでしょ(他にもあるけど、無視)。もちろん、『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』が『2012』のパクリだ、何てアホなことはいわない(順番からしてそれはない)。ただ、「だよなぁー、やっぱ地球の運命を左右する乗物を作るのは、日本人に決まってるよなぁ」と安心させてもらえる。
 だから、だからこそ、もったいない。物語や脚本や演出やキャラデザやCGがもっともっと良ければ!

 正直、これで『崖の上のポニョ』を超える発言をした西崎義展監督は駄目だと思う。続編も作るみたいだけど、誰が観たいんだあんなつまんない物語の続編を? ていうか、あれでいーじゃん。奥さんは行方不明のままだけど、死んだってことで。意味不明のサービスショットを2回も見せてもらえて、私は満足しましたよ、奥さん死亡でも。
 キャラデザの古臭さからしても(『伝説巨神イデオン』や『聖戦士ダンバイン』の湖川友謙さんの仕事だとしても)、公開される前から賞味期限切れの新作だ。仏陀再誕』よりもセンスが古臭すぎ。流行に反対する反体制的な姿勢なのかもしれないけど、何事もほどほどが大事。

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tag : 宇宙戦艦ヤマト復活篇

2009-12-17

わーお、じゃぱにーずな映画

 映画を続けて2本観た。どちらも1本だけでも濃い映画なのに、2本続けて観ると、濃さが倍増。純和風さも。『ロボゲイシャ』と『宇宙戦艦ヤマト 復活編』。新作として大きなスクリーンで、「ヤマト」「ゲイシャ」「ハラキリ」「フジヤマ」を1日の間に見られたんだから、外国人は羨ましがるだろうな。

 『ロボゲイシャ』は、さすがの出来で、片時も期待を裏切ることがないどころか、期待以上の面白さだった。『片腕マシンガール』の方がインパクトは大きかったけど、映画としては『ロボゲイシャ』の方が面白かった。「頭悪いなぁ~」という要素を全力で注ぎ込んでいて、トロマ映画を観ているようだった。正しい、とっても正しい映画。

 『宇宙戦艦ヤマト 復活編』もこれまた片時も期待を裏切らない映画だった。悪い意味で。以前、予告編を観た時点で『宇宙戦艦ヤマト 復活編』の批判をしたら、「9の部屋」というサイトの人から「比較対照を見てもいないのに批評するのは最低」とコメントがあったので、ちゃんと観に行ったわけですよ。でもねぇ、やっぱ酷いよなぁ、あれ。一番最初にドでかい文字で「原作 石原慎太郎」と表示する時点で駄目でしょ。アホか。物語が徹底的に面白くないのも駄目。演出も駄目。ちっとも盛り上がらない。で、続くときた。そこそこ売れるんだろうけど、続きを作る必要性が全くない。予告編を観た時点での予想は、ちっとも裏切られなかった。
 ところで「9の部屋」の人はどのように『宇宙戦艦ヤマト 復活編』を観たのかな? と思ってサイトを見に行ったら、大絶賛。もう6回も観たらしい。『カールじいさんの空飛ぶ家』を既に3回も観て、観れば観るほど素晴らしいと思ってしまっている私にとっては他人事とは思えない。そこまで「宇宙戦艦ヤマト」が好きならしかたない……

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2009-12-16

寒さにてフレドリクセンの名に想う

 我が部屋には暖房器具がない。冬は大変に厳しい生活を強いられる。PCを扱う時なんて、寒いから、布団を「ゆきんこ」のように被ってる。できれば布団にこっとりと潜りながら扱いたいんだけど、ノートPCじゃないので無理。何とか身体が暖まっても、手はかじかんだままだから、キーボードを打つのが大変。手袋すりゃ暖かいんだけど、それだとキーボードを巧く扱うことは難しい。つーか、昨日と今日で天気が一変したな。
 3度目の『カールじいさんの空飛ぶ家』(今度は字幕版)を観て気持ちがほっこりしたってのに、家に帰ると寒くて寒くて。

 『カールじいさんの空飛ぶ家』は、3回目でもやはり大感動した。そして、つくづく巧いなぁ、と感心した。
 出だしの追憶から家が飛ぶまでの展開の早さには感心する。もしも『カールじいさんの空飛ぶ家』を日本で実写リメイクすると、家が飛ぶまでに30分以上かけるだろう。追憶の場面にやたらと時間をかけると思うんだ、最近の大雑把なメジャー邦画だと。
 途中から無声劇となる追憶の場面は、短いけど、映画全体を支えている。下手すると暗くて辛い展開になりかねないのを防いでいるのは、出だしの追憶場面ありきだし、最後まで――本当に最後のショットまで――映画を支えて幸せな気持ちにさせてくれるのは、短い追憶場面ありきだ。また、途中に追憶場面を繰り返し登場させて涙を誘わないのも巧い。余計なことに時間を割かない。
 ところで、観終えてから、ふと想い出したことがあった。主人公のカールじいさんの名前だ。カールじいさんは、みんなから「フレドリクセンさん」と呼ばれている。邦題のように「カールじいさん」とは呼ばれない。この「フレドリクセン」という名前と似た名前を想い出した。トーベ・ヤンソンさんの「ムーミン」シリーズに登場する、「フレドリクソン」だ。

 私は子供の頃から「ムーミン」が好きで、グッズを結構集めている(「ニョロニョロ」のトレーナーを持っていて、友人の家に遊びにいった時にそれを着ていった。食事を料理することになり、エプロンを借りたら、エプロンのために「ニョロニョロ」の頭部しか見えず、友人から「コンドームみたい」といわれてショックを受けたことがある)。本も何冊か持っている。が、アニメから好きになっただけの、キャラが大好きなだけのミーハーでしかないので、マニアという程ではない。が、そこそこ登場キャラや設定を知っているので、カールじいさんに似た名前の登場キャラがいることを想い出したのだ。それが「フレドリクソンさん」だ。
 発明家か冒険家で、蒸気船に乗っていた記憶がある。確か、ムーミンパパが憧れていたキャラだったような……むぅ、細かいことを覚えていないのが悔しい。まあ、いいや。何にしろ、「ムーミン」には「フレドリクソンさん」がいた。「ムーミン」は世界的に有名な作品なので、ピクサーの面々が知っていてもおかしくはない。ので、カールじいさんの名前は「ムーミン」の「フレドリクソンさん」から取られたのかもしれない。蒸気船ではないけど、飛行船や空飛ぶ家は出るし、発明家も冒険家も出るし。
 しかし、もう1人、気になる似た名前の人がいる。フリドリック・トール・フリドリクソン監督だ。

 フリドリック・トール・フリドリクソンさんは、有名かどうかは知らないけど、一部に評価の高い映画『春にて君を想う』の監督だ。十数年前に米アカデミー外国語映画賞にノミネートもされているから知っている人は知っているだろう。ヴィム・ヴェンダース監督の『ベルリン・天使の詩』のブルーノ・ガンツさんが同じように出てたりして、今ではカルト映画扱いになっているかもしれない。入手困難だろうし。で、その『春にして君を想う』は、『カールじいさんの空飛ぶ家』に少し似ている物語なのだ。
 主人公は年老いた男。歳も歳だし、故郷を離れ、都会に住む娘の家にお世話されてやろうと思ったのだけれど、娘に拒否され、老人ホームに入るしかなくなってしまう。その老人ホームには幼馴染の女性がいた。その女性は「故郷で死にたい」という。そこで主人公はその願いを叶えるため、老人ホームを出て、女性を連れた死への旅を始める……
 どうだろう、何となく『カールじいさんの空飛ぶ家』に似た物語だとは思わないだろうか? 雰囲気から結末まで全く異なる映画ではあるけど、老人ホームを飛び出すところや、ロードムービーであるところや(『カールじいさんの空飛ぶ家』もちょっと変わったロードムービーだ)、ファンタジックなところが似ている。
 監督の名前の響きも似ている。「トール・フリデリクソン」と「カール・フレドリクセン」。フリドリクソン監督の作品は、寡作家なので、観たことあるのは他に『コールド・フィーバー』しかない。永瀬正敏さん主演で、何と鈴木清順監督が出演している。これまたカルト映画となるべき映画。2作品を観た限りでは、フリドリクソン監督は、画作りのインパクトで勝負するような監督であることがわかる。2作品とも、見つけたら是非とも観てもらいたい作品だ。

 さて、何でこんなことを想ったかというと、寒かったから。映画館を出たらすっごく寒くて、寒い中を歩いていたら、ふと想い出してしまった。「ムーミン」はフィンランド、フリドリクソン監督はアイスランド。どっちも寒い。特にフリドリクソン監督の映画は寒い風景で一杯だ。『カールじいさんの空飛ぶ家』は暖かい映画だけど(雰囲気だけなく、風景も)。
 登場キャラクターの名前に「カール」はそんなに珍しいと思わないけど(日本ならカルビーのお菓子もあるし)、「フレドリクセン」は珍しいと思うので、ついつい関連して考えてしまった。実際はどうなんだろうか? もしかしたら、「ムーミン」の「フレドリクソンさん」と、『春にて君を想う』の「フリドリクソン監督」の両方に関連しているかもしれない。そこまで深読みさせる設定があるとしたら、ますますもって『カールじいさんの空飛ぶ家』が大好きになってしまう。弱った弱った。

テーマ : 映画館で観た映画
ジャンル : 映画

tag : カールじいさんの空飛ぶ家

2009-12-13

現実を創り変える空想

 『カールじいさんの空飛ぶ家』を、前回と映画館を変え、また観た。
 2回目ともなると感動が薄れるかと思いきや、1回目よりも感動した。1回目では未確認だった部分がよく見えたりして、感心させられた。相変わらず、ボロボロと泣いた。
 感心したのは『カールじいさんの空飛ぶ家』だけでない。いつも通り本編より先に上映される短編にも前より感心した。『晴れ ときどき くもり』という作品だ。

 コウノトリが運んでくる赤ちゃんは、どうやって提供されているのだろうか? 『晴れ ときどき くもり』は、それを描く。
 各家庭(人間だけでなく、犬や猫も)にコウノトリが赤ちゃんを運んでくる。運び終わったコウノトリは空の上、雲がたくさん集まっている場所まで飛んで行く。そこに神様でもいるのかな、と思ったら、いたのはたくさんの雲の神様(?)。
 雲が、自らの身体(雲)をちぎって、こねて、魔法(雷)をかけると赤ちゃんの完成。コウノトリはそれを各家庭へと運ぶ。
 ただし1つだけ、外れたところにくもり雲がいて(他のみんなは晴れの白い雲)、それはどうしてか赤ちゃんを創るのが下手。下手というか、ワニやハリネズミやサメなど、危険な赤ちゃんを創るのが得意。
 くもり雲の担当になったコウノトリが大変で、噛み付かれたりタックルされたり刺されたり、怪我が絶えない。くもり雲の担当のコウノトリは、他の雲は安全で可愛らしい赤ちゃんを創っているから、羨望の眼差しで眺めたりして、遂に我慢できなくなったのか、くもり雲を見捨てて晴れの雲のところへ行ってしまう。
 見捨てられたくもり雲は、憤然と怒り、雲をゴロゴロと鳴らして大きくさせ、雷をビカビカと発生させる。そして、悲しくなり、わんわんと泣き出してしまい、雨をざぁざぁと降らす。
 しかし、くもり雲担当のコウノトリは見捨てたわけでなく、他の雲に防護具を創ってもらっていただけだった。噛まれても刺されても平気なように。コウノトリは防護具を身に着け、くもり雲のところに戻り、ドンとこいと赤ちゃんをせがむ。泣いていたくもり雲は一転して笑顔になり、また赤ちゃんを創る。んだけど、創ったのが電気ナマズの赤ちゃんだから防護具が役に立たなかったりして、コウノトリの受難はまだまだ続く……

 とまあ、そんな物語だ。私は最初、何てガキっぽい話だ、と思った。コウノトリが赤ちゃんを運んでくるなんて、今時、子供騙しすぎるだろ、と。雲が赤ちゃんを創るってのも子供っぽいなぁ、と思った。しかし、その表現力の素晴らしさに驚いた。
 展開や設定はよくあるものだ。外れ者がいて、そいつはちょっと要領が悪くて。面白いのは、くもり雲は失敗作(不細工な赤ちゃん)を創るのでなく、「危険な赤ちゃん」を創るところ。んで、コウノトリがいっつも酷い目に遭う。見捨てられたと思ったくもり雲が怒って雷雲になり、悲しんで雨雲になる。地上に住む人間からすれば迷惑な話だけど、不必要な存在なんて何もない、という考えの下に作られている。ネガティブ要素が一切ない。さすがディズニー。
 はっきりいって物語や脚本や演出力は平凡なんだけど、CGの技術力によって物凄く底上げされている。ふんわりとした柔らかさが、今まで見たことないくらい見事に表現されていて、実際に間近で見たことはないけど、「これぞ雲!」と思える質感だった。技術が日進していることがよーくわかる。比べちゃ悪いけど、日本のフルCGアニメ映画『よなよなペンギン』なんか表現力(技術力)で『晴れ ときどき くもり』の足下にも届いていない(『よなよなペンギン』は予告編しか観てないけど、あれはいかんだろ。ギリギリでPS3って感じだよ)。
 技術力による表現力の底上げは重要だ。表現力が稚拙だと、説得力がなくなってしまう。現実を超えたものを描くのにアニメよりも適している表現方法はない。単なる物語の鑑賞だけなら『よなよなペンギン』で十分かもしれないけど、鑑賞後、現実を今までと違った側面から見ることが可能になるような想像力は、表現力が優れていないと与えられない。技術的な面で『よなよなペンギン』は物足りない。しかし、『晴れ ときどき くもり』の技術力は凄く、その凄さはそのまま表現力として発揮されている。雲の質感はレンブラントの絵のようだった。
 ↓ちなみにレンブラントの絵ってこんなの(クリックすると拡大)。ちょいと暗いけど。
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 『晴れ ときどき くもり』を観終えた後、空に浮かぶ雲を見ると、ついつい「赤ちゃんを創っているのかなぁ」と思ってしまう。雨が降ると、「いじけてんのかなぁ」と思ってしまう。そんなことを考えると、何でもなかった空が楽しく見えてしまう。雨天だってちょっとは楽しくなるかもしれない。
 現実を違った視点から面白く見させてくれる――アニメにはそんな魅力を描くのに適している。それは高い技術力あってのことで、『晴れ ときどき くもり』はその点で見事だ。そして、あくまでも子供視点を忘れていない。極端な話、アニメは大人に理解されなくても構わないと思うんだけど、見事な空想は時として大人を驚かせる。「あ、そんな発想したことなかった」と。しかしその空想を作っているのは同じ大人だ。
 子供を楽しませるだけでなく、大人をも唸らせるアニメを作るピクサーは、凄い大人がたくさんいるんだろう。

 意図したのかわからないけど、『カールじいさんの空飛ぶ家』と微妙に重なっている感じも『晴れ ときどき くもり』を面白くさせている。

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テーマ : 映画館で観た映画
ジャンル : 映画

tag : カールじいさんの空飛ぶ家

2009-12-09

涙で前が見えない

 ピクサーの『カールじいさんの空飛ぶ家』(通常上映版)を観た。で、その感想をば――と思っていたんだけど、実は途中からまともにスクリーンを見られなかった。いや、最初からか。

 我ながら頭がおかしいんじゃないかと疑いたくなるほど、ボロボロと、ちゃんと締めても水が止まらない壊れた水道の蛇口のように、泣いてしまった。だくだくと泣く泣く。映画を観る時は、スクリーンがよく見えるように、基本的に眼鏡をかけているんだけど、涙を流しながら瞬きをするせいで涙の飛沫がレンズに付きまくり、レンズが汚れて見辛くなり、眼鏡をかけている意味が殆どなかったくらいだ。
 本編前の短編はまだ大丈夫だった。本編が始まっても、台詞のあるカールじいさんの子供時代の描写もまだ大丈夫だった。その後、奥さんと結婚してからの無声劇あたりから、じわーっと泣けてきて、奥さんが流産してしまった描写のところで一気に涙腺が決壊。ぶわっとね。
 その次の決壊タイミングは、たくさんの風船がぼんっと家の屋根から飛び出して、家が飛ぶ場面。あの色とりどりの風船の表現に泣け、街の人々が空飛ぶ家を驚き眺める描写――特に地面に空飛ぶ家の影だけを映して表現するショット――に泣けた。
 奥さんのアルバムが何度も何度も効果的に使われる場面でも泣けた。
 物語の重要なポイントとして、変化を恐れてはいけない――今、手に握っている大切なものを離さなきゃ、次の大切なものを掴めない――という展開が場面があるんだけど、そこでも泣けた。
 途中の大冒険には、ハラハラしたし、笑えたけど(人間の言葉で喋る犬が特に! あれ巧いなぁ!)、カールじいさんの家との別れには、やはり泣けた。そして、その家のその後の姿の美しさと愛しさに泣けた。
 もちろん、最後にも泣けた。これが最後だから遠慮しなくてもいいとばかりに。
 幸いにして観客は多くなく、みんな私から離れた座席に座ってたので、いい歳した男がディズニーアニメでボロボロ泣いているのを見られて恥ずかしい思いをすることはなかった。
 ピクサーの前作『WALL・E/ウォーリー』もボロボロと、普通の人なら泣かないような出だしからボロボロと泣けたけど、今度の『カールじいさんの空飛ぶ家』はそれ以上だった。何がそんなに私の感情を揺さぶったのか、正直ちょっとわからない。

 私は、展覧会とかで絵を観に行って、「感動的な~」という表現を使って絵の評価をする人多いけど、本当に泣いて感動してしまうような奴なのだ。とにかく感動し易く泣き易い。漫画雑誌をコンビニとかで立ち読みしていて、感動してボロボロと泣いてしまって立ち読みどころじゃなくなることもよくある。油断していると、ディズニー映画の冒頭に表示される社名ロゴのCGムービー「シンデレラのお城」を見るだけで感動してしまうし(何度も見てるってのに)、ピクサーのロゴである「ルクソーJr.」を見るだけで感動してしまう(これまた何度も見てるってのに)。
 条件反射的に泣くことも多い。「泣けてしまう場面」があると泣いてしまうのだ。たとえば、TVを点けたらドラマがやっていて、それがちょうど愁嘆場だったりすると、いきなりじわーっと来る。どんな物語なのかさっぱりわからないのに、「泣けてしまう場面」だからという理由で。さすがに条件反射だけで泣く場合は、「泣けた=素晴らしい」でないことは自覚しているので、「泣けた映画=素晴らしい映画」となることはない。最近のその代表例は、『沈まぬ太陽』(飛行機事故の遺族の場面)や、『風が強く吹いている』。条件反射で泣いてしまうと、後で「面白くないのに何で泣いてしまうんだ?」と思ってしまう。感動ポイントが激安なのかもしれない
 でも、『カールじいさんの空飛ぶ家』は、本当に感動した。考えると、その感動は、クリント・イーストウッド監督・主演の『グラン・トリノ』にとてもよく似ている。

 『グラン・トリノ』と『カールじいさんの空飛ぶ家』は、似ている。主人公は、じいさんだし、頑固だし、他人を寄せ付けないし、過去に囚われている。他人の子供がそこに割り込み、主人公の人生をかき乱す。途中まではそれが鬱陶しかったのに、最後にはそれを守るために命を張る。そして重要なポイントとして、今のアメリカを表現している。『カールじいさんの空飛ぶ家』は、アニメ版の『グラン・トリノ』だ。『グラン・トリノ』にも嗚咽を漏らすぐらいに感動して泣いた。それならば、『カールじいさんの空飛ぶ家』も同様なのは当然だ。
 しかし、涙のせいでせっかくの綺麗な映像を見逃したままでは意味がないので、また観に行きたい。最低でもあと2回は観る。1回は、音の良い映画館に場所を変え、親しい人を誘い。もう1回は、3D上映している映画館で観てみたい。せっかく3D版があるんだし、幸いにして3D上映をしている映画館が石川県には2館もあるんだし、そりゃあ3Dで観なきゃ損ってもんだ(が、イオンかほくでは観たくないなぁ。3D眼鏡が重くて嫌だし)。

 今年観た映画で心から感動した映画は3本ある。『グラン・トリノ』、『愛のむきだし』、『マイケル・ジャクソン THIS IS IT』。これ以上増えることはないだろうな、と思っていた。でも、4本になった。たぶん、もう増えない。と思う。

 ところで、感動の余波で、帰りに『WALL・E/ウォーリー』のBlu-ray版を買ってしまった。プレイヤーを持っていないくせに……

テーマ : 映画館で観た映画
ジャンル : 映画

tag : カールじいさんの空飛ぶ家

2009-12-05

のだめ駄目

 二ノ宮和子さんの『のだめカンタービレ』の最終巻を購入。まだまだ終わる気配のない展開が続いていたのに、遂に完結してしまった。物凄い大好きな作品だったんだけど……超不完全燃焼な終わり方だった。
 最後の最後までのだめのピアニストとしての凄さがちゃんと表現されなかったし、千秋とのだめのカップルとしての決定的な熱愛ぶりがまともに表現されることもなかったし、何よりも海外へと舞台が移ってからオモシロさが半減したまま回復することがなかった。なーんか、人気あるからズルズルと連載が続いてやっと終わった、て感じ。うーん、でも、まあ、ここまで楽しませてくれたから、いいか。

 ただし、映画版の酷さ(とんでもなく酷そう)はちょっといかんだろ。TVドラマ版も酷かったけど、そのままに映画版を作るんだから、酷さも倍増。予告編を観ただけでそう思う。
 のだめを演じている上野樹里さんは、原作に忠実な演技をしており、素晴らしいと思うんだけど、それゆえにのだめが不思議ちゃんを超えた単なる本物の馬鹿にしか見えない。玉木宏さんの千秋はまったく原作のイメージに合っておらず、違和感ありまくり。そして最も最悪なのが、竹中直人さん演じるシュトレーゼマンだろう。いくら何でもあれはないわ。コメディ担当の奇天烈な役に竹中さんを起用するのは止めた方がいいと思う。竹中さんが奇天烈な役を演じれば演じるほど作品が三流っぽくなって面白味が激減するんだから。竹中さんは今後、真面目な役以外禁止してほしい。

 音楽漫画(や小説)は、やっぱり実写やアニメにしちゃいかんね。やるならば、鈴木則文監督の『ドカベン』くらい物凄い飛躍をさせなきゃ面白くない。鈴木監督が『のだめカンタービレ』を映画化したら、やはり一切オーケストラが出ないどころか音楽にすら全く関係のない物語になったかもしれない。「プリごろ太」が漫画から飛び出して「のだめ」の出演者である上野さんや玉木さんたちと大冒険を繰り広げたり、マングースの着ぐるみが大活躍するアクション映画になったり。そんなだったら観てみたい。

テーマ : 漫画の感想
ジャンル : アニメ・コミック

2009-12-03

『風が強く吹いている』は、扇風機の強風レベル

 『風が強く吹いている』を観た。三浦しをんさんによる小説の映画化だ。様々なメディア展開をするくらい人気のある作品。三浦さんの作品はエッセイは大好きで読んでいるけど、小説は読んだことがなかったので、映画ならさっさーと楽しめるから丁度良いと思って観た。

 物語は単純。「素人集団がある何かに挑戦し、素晴らしい結果を出す」という古今東西にありふれすぎている典型的かつ王道の「ジャンルもの」。『風が強く吹いている』に於ける「ある何か」は駅伝だ。まともに走ったこともない素人集団が、駅伝に出て頂点を目指す。さすがに全員が素人だと無理あるから、孤高の天才ランナーと足の故障から復帰した秀才ランナーという2人の経験者を牽引役として登場させている。
 素人の面々は、最初はあまり乗り気でなかったけど、徐々に走る意義を見出し、真剣に、ひたむきに走りに立ち向かう。孤高の天才は、孤高の天才ゆえに仲間になろうとしなかったけど、徐々に仲間の大切さを知り、今まで以上に走ることが好きになる。秀才ランナーは、故障を抱えているゆえに、最初から誰よりも真剣でひたむきで優しく、熱く、そして仲間ができたことにより、命をかけた走りをする。『風が強く吹いている』は、駅伝の物語であると同時に、この手の作品の定石通り、仲間の物語だ。
 最初はバラバラだった仲間が1つにまとまって行く過程は感動的だ。素人集団は当然のように単なる素人なわけがなく、個性豊か。漫画の山に埋もれて遭難しそうなくらいの漫画オタク、お父さんが犬な走るのが苦手な黒人留学生、ニコチン中毒の留年生、クイズ王、入れ替わって他人をからかうのが大好きな双子など多彩かつ濃い設定の者ばかり。そんな面々が同じ寮で暮らしているのだから、それだけでも面白い物語が作れそうなのに、駅伝のために一致団結するのだから面白くないわけがない。また、個性が強い割りに全員が素直で性格が良いから、脱線することなく、まっすぐに気持ち良くまとまって行く。中でも小出恵介さん演じる主人公・ハイジは、全員をまとめるリーダーとしての役割ゆえに、大好感を抱けるキャラクターになっており、「私にもあんな親友が欲しい!」と思わされるくらい曇りなき素晴らしさ。そして、林遣都さん演じる天才ランナー・カケルの綺麗な走りっぷりが現実感なき物語に現実感を与えている(林さんはスポーツものによく出るなぁ)。
 古今東西、似たような物語はたくさんあれど、『風が強く吹いている』程に最初から最後まで清々しいものはないだろう。しかし、そんなに感動的な要素が揃っているのに、とっても面白くないのだ。

 物凄い傑作要素がたっぷり揃っているのに、何もかもが中途半端。描写が全くなく、説明しかないのが原因。
 個性豊かな面々を揃えているくせに、その個性が光る瞬間が全くない。設定が全く活かされてない。漫画オタクとクイズ王なんて、ただ単に「漫画オタク」と「クイズ王」であるだけ。超インドア派が駅伝に出ると面白いよね、という設定のみ。ニコチン中毒だって、陸上選手になろうというのならそれは物凄いマイナス要素になっているから、中毒からの脱却と苦労は描かれるべきなのに、そうでなきゃ感動なんて起こるわけがないのに、全く描かれず、あっさりと中毒から抜けている(抜けた描写すらない)。あだ名の「ニコちゃん先輩」が成立しないじゃん。双子も、双子である意味が全くない。司法試験に現役合格したというだけの平凡なキャラもいて、それは「だから?」て感じ。
 何で主人公がそんな面々に「このメンバーでなら勝てる」と確固たる自信を抱いていたのか、納得できる描写が全くない。台詞で「彼らとならできる」と説明するだけ。いや、普通、あんな面々だと「これじゃ無理」と思うでしょ。潜在能力があるとしてもちっとも描写されないんだもん。
 「故障から復帰した」主人公自身、何でそこまで執念を抱くのか描かれない。実は主人公の故障は治ってないんだけど、それも「治っていない」と説明があるだけ。天才ランナーが弱小陸上部に入っているのも、高校時代に暴力沙汰を起こしたからで、そんなありふれすぎている設定に今時盛り上がれるわけがないんだけど、暴力沙汰を起こした理由やその後の描写がなく、説明があるだけ。十人揃っても奇跡が起きるメンバーには絶対に見えない。
 脇役も同様に描写がない。天才ランナーにはライバルがいるんだけど、ライバルであることがわかる台詞があるだけ。主人公らにはちゃんと監督がいるんだけど、何の役にも立たず、ただ「昔は凄いランナーだった」と台詞があるだけ。みんなが住んでいるボロっちい寮も、今にも床や天井が崩れそうなオモシロ設定なのに、活かされることはない。
 キャラクターの心情もちゃんと描かれない。十人全員を説明して、それぞれの見せ場を作るんだから、2時間くらいでは描き切れるものではない。2部作に分けるくらいでないと。キャラクターが悩むことなく真っすぐ突き進む物語なんだから、展開には手間取らないのに、何もかもが台詞で説明される。または省かれる。描写だけで強引に納得させるのが得意な宮崎駿監督とは真逆だ。
 監督の技量の高低よりは、脚本が物凄く悪い。最も顕著な例は、走る場面でヒロインに(このヒロインがこれまた存在感皆無)、「走る姿が綺麗」とか、「走って終わりじゃないんだ」とか、「仲間って素晴らしい」とか、いちいち描写を台詞で説明させている。台詞でなく、描写だけで観客に伝えなさいよ。最後に、「強い風が吹いています」という台詞があって、本当にびゅおーって風が吹くんだけど、いらんだろあの演出。笑っちゃったよ。台詞をなくすか、風を吹かさないか、どちらかだけでいいでしょ。原作を活かそうとしているんだろうけど、完全に大失敗している。

 物語自体が「素人集団が1年ちょっとで駅伝に出る」という荒唐無稽なものなのに、それを支えるだけの説得力が全くない。黒澤明監督の『七人の侍』のような説得力が全くない。出来の悪いライトノベルのようだ。「ほら、こーゆー設定ってありふれているから、説明しなくても何となくわかるでしょ?」と客に任せている感じ。だから展開だって客の想像を超えない。当然のように故障を抱えた主人公は最後に故障が再発する。しかしその痛みに耐えてゴールし、「仲間って素晴らしい!」という感動を演出する。で、なぜかちゃんと勝つ。おいおい、怪我のせいで走る速度が物凄く落ちたってのに、「2秒差で勝った」なんて都合良すぎるだろ。そこまで余裕で勝ててた描写がこれまた全くない。とにかく、「説明しなくてもわかるでしょ?」な映画なのだ。手抜きというよりは、出来がとっても悪い。
 また、結末から数ヵ月後なのか数年後なのかわからないエピローグも意味不明。「ゴールしてみんなで大喜び→カケルが夕日を背景に走っている遠景ショット」で終わらせておけばスッキリと綺麗でいいのにねぇ。
 何よりも、走る楽しさが最後まで全く描かれてないのは問題ありだろ。本当、こっちが知りたいよ、何でみんな走ってんのか。
 走っている場面はなかなか良かったのに(殆どカケル頼りなんだけど)、他があまりにもファンタジーっぽすぎて(光の演出が特に)、何もかもが台無し。原作の設定が逆に足を引っ張る結果となっているので、映画化しなければ良かったのに。原作は小説だからたぶん面白いだろうし、もうちょっと工夫してほしかった。もったいないなぁ。

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tag : 風が強く吹いている

2009-12-01

『沈まぬ太陽』は、沈みかかってるから困ったな

 渡辺謙さん主演の『沈まぬ太陽』を観た。今、またもや大人気になっている山崎豊子さん原作の映画化で、JALをモチーフとした巨大企業内のギスギスした物語だ。
 JALといえば御巣鷹山墜落事件で、『沈まぬ太陽』もそれを扱っている。物語は前半と後半ではっきりわかれているんだけど、主軸は組織内の闘争を描いているにすぎず、つまりいつもの山崎さんの物語だ。

 ぶ厚い原作を1話完結の映画にしようとして3時間を超えるのはしかたないことだけど、長い。よくまとめた、とはいえるけど、長い。そもそも作る必要があったのか疑問だ。物語は事実に則しているから、長くなるのは当然なんだけど、やっぱ長い。小説より事実の方が奇なんだから、物語が面白くないんだよね。つーか、『白い巨塔』と基本は同じだし。
 JALの組織闘争は、映画よりももっと複雑で、既にはっきりと問題化してしまい、周知の事実となっている。組合が8つもあったんだから、そんな組織がマトモなわけない。どうやってまとめろというんだ、そんな組織。映画で石坂浩二さんが演じる国見会長がまとめようとしたけど、実際はさらに組合を増やしてしまった。悪化させるだけ悪化させてしまい、物凄い権力を持った会長ですらどうにもできない程に組織が大きくなり、そして根元から腐っていた。
 組織闘争を簡単に片付けるには、組織をぶっ潰すしかない。だから、物語としては、破壊の方向に向かわなきゃスペクタクルがない。が、山崎さんの興味はそっちにはなく、あくまでも現実的な組織闘争にしかないので、結局いつもの山崎節に納まってしまう。つまり、すっきりしない後味の映画になっている。

 長いと思えてしまう理由は、映画的な興奮が全くないから。
 展開は、淡々と原作に描かれている事柄を積み重ねているだけ。予算が許すなら、TVドラマで作ればいいレベル。積み重ねるわけだから、人によっては緻密と感じるかもしれないけど、本当にただ積み重ねているだけなんだよね。ゲームの『ぷよぷよ』で、連鎖する気どころか消す気すらなく、黙々と「ばたんきゅー」に向かっている感じ。嘘でもいいから観客はすっきりしたいわけですよ。悪が徹底的に懲らしめられ、正義が勝つ物語を見たいわけですよ。だのに、『沈まぬ太陽』は現実的なのでそんな勧善懲悪は見せない。そんならさぁ、現実的でない主人公の人の良さとかおかしいだろ。
 細かい設定が全く説明不足のままなのもいけない。いや、常識的な知識を持ち合わせている大人なら知っていて当然の事柄ばかりではあるんだけど、とってもTVドラマっぽい『沈まぬ太陽』なんだから、もっと状況説明のナレーションでも入れた方が良かったんじゃないの? 多くの観客にとって親切であるとは思えない。
 墜落事故以降の展開にしたって、「日本人ならあの事件の悲惨さは描かなくても知ってるでしょ?」と手抜き描写。乗客の搭乗時の描写には無駄なくらい時間を割いているのに、そこだけは災害映画のお約束として、後々の感動を演出するために、死ぬだけの脇役のキャラ立ちのために挿話をいちいち入れてんのに、肝心要の墜落場面は全くなし。阿鼻叫喚を描けるチャンスをわざと逃すとは、映画として大失格だ(遺族に配慮した、というのはわかるけど)。
 TVドラマっぽくても骨太な物語が面白いならそれで十分なんだけど、時間軸を前後させる展開のために、物語へ没頭することが阻害される。時間軸を前後させる意味がわからん。そもそも物語が面白くない。組織闘争と御巣鷹山墜落事件とのバランスが悪く、物語の主軸がぶれまくりで、全体的に散漫。つまり、何がいいたいの? 「沈まぬ太陽」という意味が無意味な響きしかない。だってさぁ、沈むどころか堕ちてるし、JALは。原作をもっと改訂して映画独自の展開にすれば良かったのに。
 画作りも下手。せっかくのアフリカの自然の描写に雄大さはないし、渡辺さん演じる恩地がストレスから発狂する場面の芝居がかった演出といい、どこもかしこもこじんまりとしている。香川照之さん演じる八木が自殺するシークエンスにしたって不穏感が全くなし。そもそも何で八木が上司に命じられるままに汚職をしていたのかさっぱりわからない。八木が単なる馬鹿にしか見えない。
 CGの出来も悪い。滑走路から飛び立つ飛行機がCGで描かれてるんだけど(JALから撮影許可が下りなかったんだろうな)、はっきりとCGとわかってしまう雑な出来。

 監督がクリント・イーストウッドさんだったなら、いや、オリバー・ストーンさんだったなら、もっと面白いものに仕上げただろう。今現在、「沈まぬ太陽」といわれても、経済的にも落ち目な日本だってのに、説得力ない。そんな現状だからこそ観るべき価値がある、とかいわれても、すっきりしない結末のために、観るべき価値を見出せない。
 何のために作られたのか、さっぱりわからない映画だ。

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tag : 沈まぬ太陽

プロフィール

ばっどていすとさんどいっち

Author:ばっどていすとさんどいっち
テクノ好き。
アンダーワールドのRez大好き。
映画大好き。
ジャッキー・チェンが生涯の英雄。
生涯1位作品は『ミミズバーガー』。
2位が『溶解人間』。
泣き虫で、馬鹿。
itsuka-omoi-dasu-bts@hotmail.co.jp

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