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2009-07-31

『アマルフィ 女神の報酬』は報酬を与えてくれない

 織田裕二さん主演の『アマルフィ 女神の報酬』を観た。
 絶対に面白くないだろうと、予告編を見た時からずーっと思っていたんだけど、意外に面白かった。『踊る大捜査線』映画版の2作よりは遥かに出来が良い。が、薄い。もっと美味しくできたのに、調理を失敗している。素材(主に役者)の悪さを脚本と演出でカバーしているけど、カバーするにも限界があるようで、結果的に役者に頼る演出となっているため(たぶん織田さんが主演だから)、とっても薄味な作品となってしまった(以下、ネタばれあり)。

 物語はこんな感じ。イタリアで開催されるサミットのテロ対策に派遣された、織田さん演じる外交官・黒田が、無理のある誘拐事件に偶然立会い、テロ対策そっちのけで誘拐事件にかかりきりになってたら、それが偶然にもテロ事件と密接な関係があり、奇跡的な偶然でテロと誘拐事件を同時解決し、ハッピーエンド。
 はっきりいってしまえば、物語が面白くない。サミットを襲撃するようなテロを考えるくらいなら、もっと緻密で綻びのない作戦を考えるべきなのに、偶然だらけで行き当たりばったり。『相棒』映画版と同じような話だ。家族が政府のせいで犠牲になったから復讐する、という。フジテレビの50周年記念として作られた『アマルフィ』と同様に、『相棒』は朝日テレビの50周年記念作品で、50周年記念作品同士が似たり寄ったりな物語になるんだから面白い。

 誘拐事件はテロ(というか大使館襲撃)を成功させるためにやったものなんだけど、必然性が皆無。犯人がその被害者に知人を選んだ理由もさっぱりわからない。テロを成功させるだけなら、日本人観光客を襲う必要はないでしょ?
 テロ襲撃成功の鍵は大使館のセキュリティを切断することにあるんだけど、これまた超偶然に頼っている。誘拐事件からセキュリティ会社の隠蔽工作に気付き、セキュリティ会社に乗り込む展開は、余りに無理ありすぎ。最初から誘拐事件被害者に「セキュリティ会社に行ってセキュリティを切ってもらわないと、子供を殺す」と脅せばいいだけなのに、わざわざとんでもなく手間のかかる画像処理で誘拐事件実行現場の隠蔽をしている。意味がわからん。しかも、それに黒田が気付かなかったらどうするんだ?
 物語の根本的な失敗として、天海祐希さん演じる誘拐事件被害者・矢上の扱い方が悪い。矢上を天涯孤独の状況に落とし込まなければならないのに、そうしていない。単なる民間人の娘一人のためにサミットを危険な目に遭わすわけがないから、イタリアの警察の対応は自然と矢上にとって厳しいものになる。助けてくれる者がおらず、かつイタリア語も理解できず、理解者がいなくて精神崩壊しそうな状況の中、たった独りで助けくれるのが黒田であればこそ物語も俄然盛り上がるのに、そんな展開にならない。
 矢上がセキュリティ会社で拳銃で警察を脅す場面にしたって、訓練された警察なら、矢上の肩とか狙って行動不能にするくらいできるだろうに、そうしない。イタリア警察が無能集団のように描かれている。
 さらに、個人的な怨恨からテロを考えた犯人にしたって、黒田の説得に応じて犯行を思い止まるのはおかしいだろ。あそこまでやったんなら、普通は最後までやり通すぞ。大使を殺す殺さないは別にしても、結局は真相を揉み消すような冷酷な対処があれば、物語の余韻がもっと強くなるのに、変に人情味溢れる結末で面白くない。

 総じていえるのは、中途半端、ってこと。
 複数の事件が別々に動きつつ、最後に全てが絡み合う定石な展開だけど、「確か黒田はテロ対策のために派遣されてきたのに、テロの話はどうなったの?」と誘拐事件にかかりきりになる展開にイライラ。後半ようやくテロの話が登場しても、オマケ程度にしか感じられない。
 無駄な役柄が多数登場するのも駄目で、無駄に時間を使い、登場人物の掘り下げは放棄している。黒田の設定が殆ど明らかになっていないことや、声のみの出演となっている中井貴一さんの存在から、確実に続編かスピンオフを狙っているのがわかり、「なーんか、小賢しいなぁ」と思えてしまう。天海さんの演技はド下手だし、つーか役者がみーんな下手なテレビドラマ芝居にしか見えないのは、西谷弘監督のせいなんだろうなぁ。アクション場面なんかでは織田さんが意外と頑張っているけど、「ジェイソン・ボーン」シリーズのマット・デイモンさんと比べると弱々しすぎる(比べる方が悪いか)。
 まあ、『踊る大捜査線』みたいな「ノンキャリアとキャリアの対立」という食傷気味な展開がないことは評価できるんだけど、結局は警察無能描写があるので、それはそれでどうなのかと。

 大ヒットすればいくらでも続編を考えるつもりがあるのが明確にわかるんだけど、果たして続編を作る時は題名をどうする気なんだろうか? もう「アマルフィ」は使わないと思うんだけど。といって、「外交官 黒田」なんて題名も味気ないしねぇ。
 イタリアの観光地は綺麗に撮ってあるから、アマルフィに行ってみたいな、と思えるけど、怖い場所としても描かれているので、観光映画としてもイマイチ。トム・ハンクスさん主演の『天使と悪魔』の劣化版、て感じの映画だ。
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テーマ : 映画館で観た映画
ジャンル : 映画

tag : アマルフィ

2009-07-29

敵前逃亡は立派な行動

 前々から気になっていたことに、選挙対策の公約として、民主党や社民党がいってる「最低賃金を千円に引き上げる」があります。普通に――それこそ単純な算数の問題として――考えれば、それがいかに無謀な案かわかりましょうに。

 とりあえず未だに堂々とマニフェストとしてそれを掲げている社民党のアホっぷりにほれぼれします。公式サイトを見てみますと、自慢気にマニフェストを見せびらかしております。

社民党OfficialWeb→衆議員選挙公約2009・概要版

 上記リンク先から抜粋。
社民党はめざします
 (1)格差社会を正し、雇用と社会保障を再建します。
 (2)大企業中心の輸出最優先の経済から、人々の暮らしや地域をしっかり支える内需中心の経済へ転換します。
 (3)金持ちや大企業優遇の不公平税制の是正、財政支出の抜本的見直しなどで財源を捻出します。
 (4)9条(戦争放棄)、13条(幸福追求権)、25条(生存権・環境権)など、憲法理念を実現します。
 これらを一体、どのようにして実現する気なのかさっぱりわからないところが最高に痛快ですけど、さらに具体的に面白いのが、次の4つ。
しごとの再建
 (1)「いのち」と「みどり」の公共投資─ヒューマン・ニューディールで新しい雇用を作ります
 (2)最低賃金時給1000円以上を実現しワーキングプアをなくします
 (3)労働者派遣法を労働者の立場で抜本改正します
 (4)職業訓練期間中の生活保障を法制化し、月10万円を支給します
 なるほど、雇用対策、ワーキング・プア対策ですか。しかしこれ、本当に実現できても雇用対策やワーキング・プア対策になりますかねぇ?

 民主党はというと、マニフェストはpdf形式でダウンロードして見られるので、面倒ながらダウンロードして読みました。はっきりいって、自民党を散々批判したくせに、結局は単なるバラマキ政策だらけで、とりあえず手っ取り早く支持を集めようと必死なのがよーくわかります。
 で、最低賃金に関しては「5 雇用・経済」の項目に含まれていました。いわく、
最低賃金を引き上げる
【政策目的】
 まじめに働いている人が生計を立てられるようにし、ワーキング・プアからの脱却を支援する。
【具体策】
 ・全ての労働者に適用される「全国最低賃金」を設定(800円を想定)する。
 ・景気状況に配慮しつつ、最低賃金の全国平均1000円を目指す。
とありました。これのどこが具体策なのかさっぱりわからないところが素敵です。

 さて、昨日の新聞を読んでいましたら、次のような記事がありました。

毎日jp→最低賃金:35県「引き上げゼロ」も 経済情勢厳しく--中央審小委

 上記リンク先の記事から抜粋。
昨秋以降、経済情勢が厳しくなる中で「最低賃金の引き上げは難しい」とゼロを主張する経営側と、「生活の底上げに引き上げは譲れない」とする労働側が厳しく対立した。最低賃金が、時給に換算した生活保護費を上回る35県については目安を「0円」とはせず、現行水準維持となった。最低賃金は、目安を元に各地方で審議されるが、過去には現行水準の表現で1~2円の引き上げが各地で行われたケースがある。最新データに基づいて比較した結果、12都道府県で生活保護費給付水準を3~66円下回り、2~4年で解消する方向が示された。

 つまり、景気が悪い中、賃金向上なんて夢のような話ということです。このような状況で本当に最低賃金を千円に上げたなら、クビ切りが横行することになります。だって、利益が低いのに人的コストが高くなりますから。クビ切りがなければ、サービス残業が今以上に増えることになり、名目的な賃金は向上しても、実質的な賃金は下がることになります。
 民主党は「景気状況に配慮しつつ」と書いていますけど、それでも「800円」に上げると書いています。もちろん、「想定」とあるので、やんわりと逃げ腰な表現ではありますけど、とにかく最低賃金の向上は、今行うべきではありません。
 社民党は一切の逃げ表現を使わず、どかーんと「最低賃金千円」を謳い、ワーキング・プアをなくす気でいるようですが、むしろワーキングすらできずにプアとなる人々を続出させることになります

 民主も社民も、選挙に勝ってもその後で「最低賃金向上案」を批判されるに決まっているのですから、今のうちに撤回した方がいいと思うのですが……バラマキで人気取りは、別に自民党に限ったことではありませんね。現段階のマニフェストを見る限りでは、少なくとも社民党なんかに投票しちゃいけませんな。

テーマ : ニュース・社会
ジャンル : ニュース

2009-07-28

今年のカナザワ映画祭は新型ピンポイント爆撃な上映

 私は、金沢市内にある109内にあるミニシアター、シネモンドの会員なので、毎月、上映予定表「月刊シネマガイド」を送ってもらえる。今日、来月分の「月刊シネマガイド」が送られてきた。一緒に何かチラシも同封されていて、何かと思ったら、カナザワ映画祭のチラシだった。

 今年のカナザワ映画祭には「サウンド・フィルマゲドン」というのがあるらしい。爆音上映で有名な、東京の吉祥寺にあるバウスシアター爆音チームによるカナザワ映画祭だけの爆音上映が楽しめるそうだ。

 バウスシアターの爆音上映は、要は音楽ライヴ用のスピーカーや設定で、音量を映画向けとは思えないくらいでかくするもので、音を浴びるようにして映画を鑑賞するものだ。金沢市でそんなことが実施されたことはないけど、過去にクラブで似たようなイベントがあったので、それに近いものと考えればいい。

 カナザワ映画祭の爆音上映は、21世紀美術館のシアター21を使い、バウスシアターをさらに強力にしようとしている。チラシに書かれた文章をそのまま引用すると、
舞台から客席までの距離が近く、音が反響しやすい金沢21世紀美術館シアター21のコンパクトな会場の特性を生かし、客席にのみあらゆる音がミサイルのようなスピードで集中して着弾するピンポイント爆撃のような音を構築する。
というものになるようだ。21世紀美術館シアター21での上映のみの環境なので、上映予定の『地獄の黙示録』も当然この「サウンド・フィルマゲドン」で鑑賞できるんだろうなぁ。うーん、これはすっごい楽しみだ。
 まったく、今年も頑張ってくれますなぁ、カナザワ映画祭は。

 ちなみに、「サウンド・フィルマゲドン」にはちゃんと「TM」(トレードマーク)表記が付いていた。

テーマ : 映画関連ネタ
ジャンル : 映画

tag : カナザワ映画祭

2009-07-26

『愛のむきだし』のDVDを購入

 大傑作『愛のむきだし』のDVDをAmazonで注文して購入。販売店の店頭で買うよりも2割以上安く(1420円)、お買い得。

 改めて観直しても傑作ぶりに何の遜色もないことが確認できた。魂を揺さぶられる映画とはこのことだ。ついでに、改めて井口昇監督の諸作も観直すことにした。だって、何か似ているし。
 まだ観ていないけど、今年の邦画で『愛のむきだし』に匹敵しそうなのは、『あんにょん由美香』くらいのものだろう。

 そういや、こないだニューヨーク・アジアン・フィルム・フェスティバルで審査員グランプリを受賞していたな。そこで園子温監督の新作『ちゃんと伝える』が上映されて大好評だったとか。「難病もの」らしく、『愛のむきだし』の後、手垢まみれの感動ものをどのように作ったのか、もう興味津々だ。早く金沢でも観られるようになってほしいな。

 ところで、『愛のむきだし』は実話ベースらしいんだけど、一体全体どんな実話があったのか気になっていたら、特典Discで明らかになった。てっきりオウム真理教のことなのかと思ったら、「盗撮王子」の方が実話ベースだったとは……

 とにかく今年度どころか21世紀を代表するといっても過言でない『愛のむきだし』なんだけど、DVDはちょっと惜しい出来で、なぜか音量が小さい。普段のTV番組を見ている時の音量と比べると、半分くらいの小ささ。他の色んなDVDと比較しても、半分近く小さい。だから、『愛のむきだし』を観る時は、TVの音量を普段の倍くらい大きくしている。音量の数値が普段が「15」だとしたら、『愛のむきだし』鑑賞時は「30」くらいに大きくしているのだ。
 映画のデータをDVDにする時、設定をちゃんと調整しなかったんじゃないだろうか? いっちゃ何だけど、映画は傑作だけど、DVDは失敗作
 『愛のむきだし』を観終えてTV番組用のチャンネルに切り替えると、物凄いデカイ音がスピーカーから飛び出してきてビックリする。

テーマ : 映画関連ネタ
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tag : 愛のむきだし

2009-07-23

遂に姿を見せ始めたカナザワ映画祭

 頻繁に公式サイトと公式ブログを見ているけど、今年のカナザワ映画祭の情報が未だに公表されず、うにゅうにゅしていたら、今月号の『映画秘宝』に最新情報が載っていた。

 全文をそのまま。
今年のカナザワ映画祭のテーマは何と「世界平和」!

 『世界残酷物語』日本語版の野外上映に始まり、渡辺文樹の『ノモンハン』『天皇伝説』のゲリラ・オールナイトととにかく話題を集めたカナザワ映画祭08「フィルマゲドン」。あれだけのことを仕出かしたら、ハードルが高くなりすぎちゃって、次の年は大変じゃないの? と心配される皆さんに朗報。今年のテーマはずばり「世界平和」を旗印にして、「カナザワ映画祭2009 新世界秩序サバイバルガイド」が9月19日~25日の秋の大型連休に開催されます。混迷する時代に生きる人間にサバイバルのヒントを与えるような作品を集めたとのことで、オープニングの野外上映作品はまだシークレットだが、『メトロポリス』伴奏つき上映に『人間革命』正・続編のスクリーン復活、吉祥寺バウスシアターではお馴染みの爆音上映版『アレキサンダー』(オリバー・ストーン)、『地獄の黙示録』などがカナザワに上陸。さらには最近大ヒットしているやせっぽちロボットも大好きな「死海文書」を作成した一派の現在をドキュメンタリー作家フレデリック・ワイズマンが追った『エッセネ派』のお披露目。とどめは本欄名誉顧問・高橋ヨシキライムスター宇多丸師匠による講演「映画の新世界秩序」……というところで、続報は次号!


 おお……っ! 今度は世界平和ですか。もう定番と化してきたフレデリック・ワイズマン監督作品もまた登場。物凄く楽しみです。
 『メトロポリス』は、ジェフ・ミルズさんによる伴奏曲で観てみたいなぁ。

テーマ : 映画関連ネタ
ジャンル : 映画

tag : カナザワ映画祭

2009-07-22

漫画やアニメやゲームの規制よりも遥かに問題あること

 ネットでニュースをつらつらぁ~と眺めていたら、びっくりのニュースを読んだ。

産経ニュース→淫、呪…どうする? 新常用漢字登用で議論白熱

 上記リンク先の記事から抜粋。
 教育現場から不適切との指摘を受けた「淫」「賭」「呪」「艶」などの漢字の扱いをめぐって議論が白熱した。
 委員の1人が「子供は漢字を文脈の中で理解して覚えるが、教師は『淫』などの字をどう適切に教えればいいのか」と削除を求めると、別の委員がこれに反発。「中高生になればみんな知っている。要は教え方の工夫の問題だ」と切り返し、「規制すれば言葉狩りになる」と語気を強めた。他の委員からも「残すべきだ」とする意見が出された。

 ええー。そんなことが問題になってたんだぁー。知らんかった。てことは何ですかい? 常用漢字から「淫・賭・呪・艶」が外され、読めない子供が増えてしまうかもしれず、やがてはポルノ映画の題名すら読めない可哀相すぎる大人が増加するってことか? 『くノ一淫法 百花卍がらみ』も、『江戸艶(エロ)ばなし』も(いや、これは当て字か)、『美空ひばりの競艶・雪乃丞変化』も、大ヒット作の『呪怨』すらも読めない可哀相な日本人が?
 そんなご無体な!

 教育現場でどーやって「淫・賭・呪・艶」の漢字を扱えばいいかわかんないから外せって? それらの漢字の使用は、あえて極端な映画の題名を挙げたけど、普通の古典文学の中に山ほど登場するだろうに。
 教育現場の怠慢というよりは、いかに教育現場の教育レベルが低下しているかって証拠にもなるような話だな。でも、「いんらんな人」とか、「あいつをのろう」とか、「つやのある笑み」とか、「かけごとに溺れる」とか、問題視された漢字をひらがなで表記してあったらどうするの? 漢字を使ってないから大丈夫、なんてことはない筈だ。どの道、意味を尋ねられれば答えなければならないだろう。「艶」なんて、「艶やか」は別に避けたくなるような使い方だと思えないんだけど。それをだね、漢字を避けてしまえば何とかなるなんて、単なる逃避じゃないか!
 日教組は、ちゃんと仕事してもらいたいね。ゆとり教育を提唱しただけならず、教師にまでゆとり仕事をさせるつもりか。

 言葉狩りもここまできたかぁ。児童ポルノや性暴力ゲームの規制とは全く次元の異なる――というかもっと低レベルな問題だねぇ。次に問題視されるのは、「卑怯」・「卑しい」や「卑猥」・「猥褻」の、「」と「」かも。まあ、「卑」は「卑弥呼」の字だから、さすがに外そうとは思わんだろうけど……それでも外そうとする動きがあった場合は、むしろ凄いと感心するな。

テーマ : ニュース・社会
ジャンル : ニュース

2009-07-21

あっちにイったり、こっちにイったり

 児童ポルノ禁止法の改正案が衆院解散に伴い、とりあえず今回は、審議未了のまま廃案になる見通しらしい。

毎日jp→児童ポルノ禁止法:改正案の課題 与党と民主、異なる「単純所持」定義

 上記リンク先から抜粋。
 児童虐待防止法(00年施行)の議員立法にかかわった保坂展人議員(社民)は「米国では児童ポルノの定義について、『純文学的、芸術的、政治的または科学的な価値を欠くもの』などと厳密に規定している。日本のようなあいまいな定義では、捜査機関による恣意(しい)的な運用の恐れがある。欧米では、それでも捜査に悪用されているという。与党案の『自己の性的好奇心を満たす目的』といった主観的な判断を捜査機関に委ねていいのか」と批判する。
 児童ポルノの特徴は、その置かれ方によって、違法となったり適法となったりすることだ。現行法にある一般人を基準とした「性欲を興奮させまたは刺激するもの」という定義に従えば、浜辺で遊ぶ裸の子供の写真は家族アルバムにはられていれば児童ポルノに当たらないかもしれないが、同じ写真がポルノ雑誌に掲載されると、児童ポルノに当たる可能性がある。
 そういう解釈ができる余地のある規定だけに、罰則を設けるのであれば厳密に定義しないと、個人情報保護法のように恣意的な運用を可能にしたり、写真集やビデオが全国の図書館から撤去されるなど社会全体が過剰に反応する恐れもある。
 実在する児童を虐待した記録としての児童ポルノは、被害救済のために規制するのは当然だ。しかし、水着姿のグラビアアイドルの写真のような虐待の記録とは言えないケースもある。子どもの権利条約は、性的自己決定権も尊重しており、そうした権利との調整を図る必要もあるだろう。
 決定的な議論が始まることもなかったなぁ。ま、これで終わったわけでないから、選挙の結果次第でまた内容ががらりと変わるかもしれない。

 間違いなく児童ポルノは人権侵害の見地からも取り締まられるべきなんだけど、記事の通り、厳密に法律を設定しないと問題が盛りだくさんになってしまう。特に妄想メディアに関して。
 この手の規制で話題になった『レイプレイ』は、児童ポルノと関係なく、「性暴力を助長する」という枠組みに当たるものだ。だから、この手の規制に反対する人は、性暴力ゲームと児童ポルノとで戦わなければならない。どちらも人権侵害に繋がるという意味では同じ。
 宮沢りえさんが未成年の時に撮った写真集が児童ポルノなのかで論議されたようだけど、本人が人権侵害と認めなければ人権侵害に当たらないことはある。しかし、子供ゆえに自覚がないこともあるから、「本人が良ければ問題なし」とならない点が問題だ。
 『レイプレイ』でいえば、女性の大半が『レイプレイ』を見て、絶対に存在を許せないとなれば、やはり問題ありとなるだろう。たとえば、マンションの独り暮らしをしている独身女性が、隣に住むのが『レイプレイ』愛好家の独身男性だと知った時、態度に変化が表れるだろうか? レンタル店にあるような普通のエロDVDを見ていると知っても、「まあ、どんな男性でもエロDVDくらいは見るよな」と思うだろうけど、『レイプレイ』となるとちょっとその感想は異なるかもしれない。身の危険を感じるかもしれない。その男性のゴミの捨て方がマナー違反でも、何されるかわかんないから怖くて注意できないかもしれない。
 『レイプレイ』なんて単なる妄想に過ぎないんだから、と私は思うけど、そう思えない人だっている。社会的にどちらを支持するかとなると、「そう思えない人」となるだろう。性暴力ゲームは、ポルノであることを批判されているわけじゃない。差別を助長する点が批判されている(たとえば『レイプレイ』に、蹂躙できるヒロインを外国人にできたり肌の色を変えたりすることができる裏設定追加パッチが存在したとしたら、問題が明確になる)。

 基本的に世の中はトレードオフだ。児童ポルノや性暴力ゲームの規制がなくなれば、その代わりが現れるだろう。または、規制反対派は、規制を廃止してもらう代わりを与えなければならない。となると……規制反対派は結局、自主規制を行うしかない(そしてそれは既に行われている)。規制廃止でなく、規制緩和であっても同じこと。
 規制反対派は、賛成派を批判するだけでなく、決定的な議論と、代案を考えなければ、オタクとしては悲惨な状況になりかねない。とりあえず改正案は流れたけど、安心できない。放送倫理・番組向上機構によるバラエティ番組の審査も同じようなものだ。
 決定的な議論をする時、規制反対派は、徹底的な理論武装をするだろう。それは東浩紀さんのような理論武装になるかもしれない。そしてそれで巧く規制をすり抜けたら、今度は規制反対派同士の内部分裂が始まるかもしれない。まるで今の自民党のように。エロい妄想メディアといえども、表現することは、常に政治的だ。たとえそれが貧乳派vs.巨乳派の戦いだとしても。国会で貧乳と巨乳、どちらの表現が猥褻かで争う日が来ると、それはそれで最高に面白すぎるけど。どうなりますことやら。

追記:
 児童ポルノの枠組みをテキトーに設定されたら、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』みたいな萌えアニメまで極論的に規制を食らうかもしれない。アスカの無駄なサービスショットなんて、「未成年による扇情的な描写が~」とか。性暴力的にも、「子供の人権侵害を描き~」とか。怖い怖い。そーゆー冗談みたいな話が政局によっては真剣に取り扱われるかもしれないんだから、テキトーだな日本の政治は。

テーマ : ニュース・社会
ジャンル : ニュース

2009-07-20

ほらほらほら! 映画も真似しなさいってロッテリアの!!

 友人の家でTVを何となく見ていたら、何の番組か忘れたけど、ロッテリアが「絶妙ハンバーガー」なるものを販売すると紹介していた。石川県にロッテリアはないので、興味なく「ふーん」と見ていたら、その後に続いた紹介に驚いた。

産経ニュース→「おいしくなければ返金します」 ロッテリアが「絶妙バーガー」

 上記リンク先の記事から抜粋。
 ハンバーガーチェーン大手のロッテリアは15日、16日発売の「絶妙ハンバーガー」(360円)を購入した顧客が「おいしくない」と申し出た場合、代金を全額返金すると発表した。食べた量が半分以下であることが条件。31日までの期間限定だが、ファストフードのこうした取り組みは珍しい。

 これこれこれ! 私のアイデアとそっくり!

参考リンク→いつか想い出す日々:チケット1枚が1万5千円の映画館

 上記リンク先の記事から抜粋。
・30分以上経過した途中入場だと700円
・座席は最前列が800円で、階段や通路での立ち見・座り見なら千円

 映画も、開始30以内に退場した場合は、全額返金とはいわないから、半額返金とかしてくれないかなぁ! マジで!!

テーマ : 映画関連ネタ
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2009-07-19

後出しジャンケンの「新劇場版」

 『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』を、私の周りではみんな絶賛している。貶しているの、私だけだ。
 何がそんなに良いのか尋ねてみると、「こんなエヴァが見たかったんだ!」という意見が多勢。いきなり観客席が映されて嫌な思いをさせられるとか、その挙句に「気持ち悪い」と罵倒されるとか、そーゆーのがなくて、今度こそ、自分たちの望んだものが観られる(予定)から、だとか。
 そんなもの、面白いのか?

 もちろん、期待通りのものを観られて面白いものはたくさんあるけど、私にとっての「エヴァ」は期待通りでないものを観られるところに価値があるので、多勢を占める意見に共感できない。
 私にとっての「エヴァ」は、いきなり観客席を見せられたり、軍隊に殺されまくる阿鼻叫喚を見せられたり、みんながグチャグチャと液体になってしまったり、「気持ち悪い」と決め台詞を吐かれたり、次々に大迫力の女性上位を見せられていたたまれない気持ちにさせてくれるものだ。
 しかし、「新劇場版」は私のそーゆー期待通りでないので……私の論理的には最高の映画となってしまう……ぞ。あれ? ま、そこは無視しましょ。

 この世にまだ「エヴァ現象」が存在しないとして、完全なる新登場のオリジナル・アニメとして『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』を観たとしたら、絶対に面白いと思えない。
 TV版があり、旧劇場版があり、漫画版があり、複数の「Ifエヴァ」があり、さらに無数の同人があり、その総括として登場した「新劇場版」は、後出しジャンケンみたいなものだ。TV版と「学園エヴァ」と同人の微妙な重なりの末に生まれたものだ。確かに、それはみんなが夢想していたものだけど、そんなものを生産することに何の意味があるのかさっぱりわからない。それら全てを裏切ってこそ、だと思うんだよな。

 TV版と旧劇場版のフォロワーとして、最も「エヴァ」を意識していた――というより、20世紀を意識していた――アニメに、『交響詩篇エウレカセブン』がある。「エヴァ」で実現できなかった部分を実現しようと頑張っていた。結果的には失敗したけど。
 「エヴァ」には「セカンド・インパクト」、「サード・インパクト」というものがあったけど、「エウレカ」では「セカンド・サマー・オブ・ラヴ」だった。音楽通(というかサブ・カルチャー通)なら誰でも知ってる言葉だ。正直いって、私は「セカンド・インパクト」よりも「セカンド・サマー・オブ・ラヴ」の方がしっくりくる。過ぎたる日々に憧れた時期があったし、もしかしていつか体験する日が訪れるかも、と「サード・サマー・オブ・ラヴ」を期待してもいる。
 「エウレカ」はある程度までは論理的に話を進めようとしたけど、結果的には「愛が全て!」で片付けてしまった(ま、何つっても「ラヴ」で革命だからねぇ)。私はそれでもOKだと思うけど、やはり物語的にはどうなんだろう、とも思う。「エヴァ」と違って長い期間を使えたのに、結局はそれかよ、と。「エヴァ」同様に引用だらけでポストモダンな物語だったのに、物語のスペクタクルと面白さはその先にある、とでもいわんばかりに強引な愛の物語として締めた。
 で、「新劇場版:破」の終盤にも似たような場面がある。それは少ぉ~しだけ、『天元突破グレンラガン』みたいでもある。庵野監督は「現在の閉塞した日本アニメ界に新たなムーブメントを起こしたい」といったけど、「エウレカ」や「グレンラガン」は「エヴァ」の「その後」を「その前」に戻そうとするものだったのに、なぜか「エヴァ」はまたもや「その後」に戻して、さらにその上で「その前」に戻そうとしている。

 未だに「エヴァ」のその後を明確に示すロボットアニメは日本には存在しないと思う。ロボットという枠組みを外せば、『崖の上のポニョ』はかなり「その後」で、荒野といってもいいような作品だった。作品として、何かに寄りかからない作品を宮崎駿監督は作り続けているけど、庵野監督にそれはできていない。後出しジャンケンみたいな「新劇場版」を観る限りでは、それを絶賛しているみんなにはどうしても納得できない。「え? ホントにそれでいいの?」と。
 動物的なポストモダンの先に待っているのは、やはり動物的なだけのモダンなのかなぁ? 『愛のむきだし』も回顧的な映画で、「新劇場版:破」と似ているけど、POV的な視点で要素だけを取り出して語るものではなかった。「新劇場版」も全て3時間以上の作品にすればいいんだ。それでいて濃密な時間を過ごせるようなものを作れるんなら、それは本物だろう(アニメで3時間以上の濃密な映画を作れというのは過酷なことだけど)。
 「新劇場版」には過剰さがちっとも足りないのだ。私は、過剰じゃないところに不満を感じている。情報量は圧倒的だけど、最早そんなものは珍しくない。自主映画みたいなもんだけど、世界最大の自主映画は『スター・ウォーズ』だし、あっちの情報量だって豊富だし、情報量のSF映画だけなら『スター・トレック』の方が上だ。
 後出しジャンケンのくせに過剰じゃない、そこが駄目なんだと思う。だからこそ、「え? ホントにそれでいいの?」と「新劇場版」に対して思ってしまう。が、絶賛している人にそれを説明しても、「あれだけサービスしてもらって何が不満なんだよ?」といわれてしまう。欲張りな人には不向きなのかもしれない、「新劇場版」は。

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2009-07-16

選択肢のない、一本道の、しかもトゥルーエンドもない政治

 最近の自民党のドタバタぶりを見ていると、「そんなにも選挙が大事か」と嘆きたくもなるけど、政治家である以上、選挙が何よりも大事なのは首相を辞任する時の福田康夫さんを見てもわかる。一国の首相であるよりも政党の援護を選んだのだから。
 しかし、だ。そんなにも選挙が大事なら、もうちょっと巧い方策はないものかと。誰がどう考えたって、「反麻生」の動きなんて自民党離れを加速させるだけだろうに。最早、誰がリーダーであるかなんて関係なく、自民党から国民の感情は離れ、とりあえず新しいリーダーに民主党を望んでいると思うんだけど。
 東国原知事のせいで自民党支持の失速が加速されたようなこといってたけど、まあそれは間違いなくその通りだろうけど、あれにしたって最初っから東国原知事は出馬する気がなかっただろうに。でなければギャグとしかいいようのない条件を突きつけないでしょ。マスコミがギャーギャーと騒いで東国原知事の人気を貶めているとしか思えないな、今の状況は。
 そもそもギャーギャーと東国原知事の話題に乗っかってるだけのマスコミは、地方分権をしたら何がどうなるのか全く話せてない。衆愚の代表が、今のマスコミだ。そりゃあマスゴミとかいわれるわ。

 選挙になって、じゃあどこを支持するかとなると、これがどこも支持できない。自民党はもちろん駄目だけど、民主党が自民党よりもマシな理由はどこにもちっともまるっきりさっぱり皆無だ。むしろ悪い。すっごく悪い。
 民主党が駄目なら他に何かいるかと思えば、街宣カーが最近やかましい幸福党なんて馬鹿集団が面白そうだけど、もちろん駄目。社民党も駄目(最低賃金千円とかいってる民主と横並びの馬鹿だもん)。その他の小粒集団はさっさと消え去ってしまえばいいのに、と思うくらい駄目。
 結果的に民主党が圧勝するんだろう。そして、ガッカリさせられるだろう。その時、大方の予想としては、また自民党が返り咲く時のリーダー候補として、今度こそ小池百合子議員が大注目されるんだろう。真っ先に麻生内閣から距離を置いた有名議員だもんな。

 日本の政治は、国民からすると、トゥルーエンドのない一本道の選択肢のないゲームをやらされているような気分だ。修正パッチはいつになったら出るのだろうか?

追記:
 でも、よく考えたら、選択肢はあるから、どの選択肢を選んでも物語に変化がなく、トゥルーエンドなしの一本道のゲームだ。

テーマ : ニュース・社会
ジャンル : ニュース

2009-07-15

中年向けアイドル?

 パフュームの新作アルバム『トライアングル』を買わずに試聴した。一応は買う気があったんだけど、試聴したら前作『GAME』よりも出来が悪かったので、買わないことに。

 全体的に華がなくなったというか、面白味がなくなったというか、はっきりいってしまえばもうそろそろ飽きられるんじゃないか。問題があるとしたら、パフュームにあるんじゃなく、プロデューサーの中田ヤスタカさんにあるだろう。
 曲調や歌声は「パフューム印」みたいなものがあるから下手に変えられないし、変えるにしても徐々にしてかないといけないから、『トライアングル』から変化は聴こえるけど、どれもしっくりこない。曲にアイデアがなくなったのか、アルバム以前に、曲の途中で飽きて次の曲にスキップしてしまう曲ばかり。もうプロデューサーを変えたらどうだろうか? 難しいだろうけど。

 顕著になったのが、中年向けの曲の増加。ぱっと聴いても、80年代ポップスの影響がモロに出ている。YMOクラフトワークなんかまでごちゃ混ぜ。あとは、今まで以上にオリジナリティが欠如している。パフュームにオリジナリティなんていらない、という点を強調するかのようだ。
 アルバムを通して聴くと最初に引っかかるのが、「edge (トライアングルmix)」だ。デジタリズムかというような音作りだけど、出だしのフレーズから真っ先に想い出すのが『踊る大捜査線』の挿入曲。何て曲か知らないけど、事件が始まった時に流れる曲と似ている。
 次に引っかかるのは、「NIGHT FLIGHT」。出だしのフレーズが聴き覚えあって、何だっけ~と考えていたら、今、とりあえずレックス・ザ・ドッグの「Every Day Could Be Our Last Day」を想い出した。他にも、指一本で弾けそうなメロディ入ってるけど。中田さんとレックス・ザ・ドッグ、どちらの方が音作りが良いかとなれば、そりゃあもうレックス・ザ・ドッグでしょう。
 次が、「I still love U」。笑っちゃうくらい、80年代してる。ベースのシンセの音が80年代で、上ものがなぜか普通ぅ~の音。バランス悪い。変なの。アルバム通して、このバランスの悪さが気になる。宇多田ヒカルさんとウィンクの融合って感じ。
 アルバム中最も違和感のある曲が、「Speed of Sound」。シカゴハウスかっつー出だしから、ケン・イシイさんへとミックスされているような面白い曲。
 他の曲は……どれもこれも、まあまあ。

 全体的にいえるのは、「何かこの曲、あれと似ているなぁ~」と思った曲のことごとくが比較対象の曲よりも出来が悪いこと。あと、ポップさが前作よりも薄れていること。
 いや、まあ、十分すぎるくらいにポップだけど、コードの数が少なくメロディに変化がなく、ゆえに展開が少ないと感じてしまい、途中で飽きる。それが最も顕著だったのが、「edge (トライアングルmix)」。5分以上過ぎて、いきなり「誰だっていつかは死んでしまうでしょう」て歌うところ、唐突すぎて笑いそうになった。
 パフュームを聴く人がデジタリズムなんかを聴いているかどうかは知らないし、聴いている必要もないけど、まがりなりにも「先鋭的な音作り」が売りとなっているアイドルグループの曲なら、Kitsuneのコンピレーションに入っていても違和感のないポップスを作ってもらいたかった。クラブ向けの曲からポップさだけを最大限に活用し、日本のヒットチャート向けに偏らせすぎているからか、面白味が全くないんだよなぁ。クラブでもお茶の間(死語)でも聴ける曲を作ってもらいたい。例えば、フェアモントの「Gazebo」みたいな曲とかあってもいいと思うんだよな、パフュームには。もっともっとハイブリッドなポップスを。パッション・ピットの「Sleepyhead」みたいに、完全にラジオ向けテレビの歌番組向けのようなコッテコテのポップスだってクラブで大ブレイクするんだから、中田さんはそーゆーボーダレスなものを積極的に作るべきだと思う。目指すはリトル・ブーツ! それは間違ってるか。

 『ターミネーター4』だって本人不在のままCGでアーノルド・シュワルツネッガーさんを完全再現してしまう時代、パフュームみたいなポップスは、ヴォーカロイド初音ミクから始まったソフト)のアップデートでいくらでも代用可能だと思う。『GAME』の時にもそう思ったから、『トライアングル』では何かを変えてきたかと思ったけど、それは全くなく、ただただ物足りないとしか言い様のない出来。
 中田さんにとっては、簡単で便利なだけの存在なのかもしれないな、パフュームは。手抜きにしか聴こえないんだもの。

 以下、文中にあるアーティストのYouTube動画を貼り付け。

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ジャンル : 音楽

tag : パフューム

2009-07-11

不味いものの口直しには美味しいものを

 『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』、『剱岳 点の記』、『蟹工船』と続けて面白くない邦画を観て、「最近のメジャーな邦画は悪くなる一方だなぁ」なんて勝手に知ったかぶりしてガッカリしていたら、物凄いものを観てしまった。『愛のむきだし』だ。

 4時間もある超エンターテイメントなラブロマンス映画。
 ・実話
 ・キリスト教
 ・オウム真理教
 ・盗撮
 ・パンチラ
 ・女囚さそり
 ・女装
 ・勃起
 ・同性愛
 ・カンフー
 ・真実の愛
 ・変態
 ・スプラッター
 ・ハッピーエンド
 ・グラインドハウス
 ・ゆらゆら帝国
それら全てが渾然一体となった凄い映画。レイトショーのみでたった1週間しか上映してなかったけど、そんな扱いが信じられないくらいすっごい映画で、今年観た映画で最も大好きな映画だ。余りにも好き過ぎて冷静な判断ができない。嗚咽を漏らすくらいに泣いてしまうところを、声を殺して泣いたため、しゃくり上げて泣いてしまった。そんなに感動した馬鹿はたぶん少数派だろう。

 井口昇さんの『恋の腹痛、見ちゃイヤ! イヤ!』を読んだ時と同じような目の覚める感動を与えてくれる映画だった。だからたぶん、少数派向けの映画なんだろう。もったいない。
 しかし、今は『愛のむきだし』のことばかり考えている。そして、改めてゆらゆら帝国の凄さを実感してしまった。あんなにゆらゆら帝国の歌が似合う映画は他に存在し得ないだろう。
 SABU監督がもしかしたら目指していたかもしれない地平に、『愛のむきだし』は到達している。クエンティン・タランティーノ監督も驚きの傑作だと思う。

 遂に『グラン・トリノ』を超える映画に出会った。幸せです。

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2009-07-09

『蟹工船』を観ると搾取されるよ

 SABU監督による『蟹工船』を観た。
 昨年のカナザワ映画祭で、今から50年以上前の、白黒の、山村聡監督による『蟹工船』を観ていたから、私は原作でなく、山村監督版とSABU監督版を比較して観た。原作は未読。
 SABU監督版は、予告編を観ただけで駄作の予感があったんだけど、SABU監督作品を昔は好きだったのと(『弾丸ランナー』と『ポストマン・ブルース』以降は惰性で観てる)、素晴らしい山村監督版をどのようにリメイクしたのか興味あったので、観た。そしたら予感的中。いや、予感を遥かに上回っていた。ギャグの域に近付いているくらい酷くて逆にオススメしたくなる『MWムウ』と全く異なる、普通の、何の変哲もない、真の駄作

 物語は単純。貧乏人どもが蟹缶を作る工船に乗せられ、人権無視な過酷過ぎる労働を強制されるたので、奮起してストライキを起こす話。
 原作が今のいわゆるワーキング・プアに重ねて読まれてベストセラーになっているから、SABU監督版も当然そこを押さえた作りになっている。しかし、山村監督版と異なり、SABU監督版は、変なアレンジが随所にある。
 まず、工船内のセットが変。チャールズ・チャップリン監督の『モダン・タイムス』を酷くしたような感じというか、リドリー・スコット監督の『エイリアン』のノストロモ号の船内のセットの貧乏版というか、テリー・ギリアム監督の劣化版といえるジャン=ピエール・ジュネ監督のさらなる劣化版な感じというか。狭苦っしさが全くなく、地獄のような労働現場には全く見えない。さらに工船内の作業場に、機器類を動かすためのドでかい歯車がむき出しにあって、それを工員が一生懸命ぐるぐる回して機器を動かしている。作業場にそんなのあったら工員が巻き込まれて死んじゃうよ。そんなセットを作ってしまった時点で、SABU監督版は大失敗作が決定したようなもんだ
 次に、今時の若者が楽しめるよう、時代背景を曖昧にしている。架空の時代の話みたいな描き方。時代背景だけでなく、集められた登場人物の背景も殆ど描かれないため、ただ貧乏人どもがこき使われているだけの話になっており、面白さが全くない。登場人物の背景を描かないことで、面白さの半分以上を損なっている。単なる貧乏人だけでなく、蟹工船に乗らなければならない逃亡者とか、色んな背景を持った人物がいた方が面白いのに。時代背景を曖昧にするのなら、『蟹工船』を作る意味は全くない。アレンジするなら、完全に現代版の『蟹工船』を作るべきだ。それなのに、台詞の端々に軍国主義が登場する。すっごい中途半端。脚本が根本的に駄目。
 さらに、ちっとも笑えないギャグが随所にある(毒があって笑えないのでなく、つまらなすぎて笑えない)。みんなで首吊りするとか、貧乏自慢とか、生まれ変わりネタとか。ぜーんぶ、不要。労働が過酷どころか楽しそうだもの。脚本の段階で削除すべきものだけど、とにかく演出が冗長で最悪。カットすると30分は上映時間を短くできる。

 演出がまた駄目。
 脱走を図る工員のアップで始まる一番最初の場面からして、「ああ、これは駄目だな」と思ってしまう。血走った目のアップ、工員が上向くと、上から大量の蟹が落ちて来て、工員の悲鳴で――『蟹工船』の題名が表示。意味がありそうで、何の説明にもなっていないシークエンス。あれじゃあ蟹に襲われるホラー映画の演出だよ。
 全体的に出来の悪いショットばかりな上、編集で無駄に細かくカット割りしているため、逆にテンポが悪い。出だしの30分くらいで駄目だと烙印を押しても問題ないと思う。
 続けて工船内のセットで「駄目だ」と思い、役者たちの演技で「完璧に駄目だ」と確信。監督役の西島秀俊さんの迫力のなさは致命的。怒鳴り声に全く迫力がなく、そもそも声が小さい。主人公を演じる松田龍平さんはさらに最悪。あの時代にさぁ、「やべぇ」なんて台詞はありえないでしょ。松田さんは、最近作でいうと『誰も守ってくれない』にしろ『ハゲタカ』にしろ、みーんな同じ演技だ。いくら何でも『蟹工船』までそれはないだろうと思っていたんだけど、自分流の演技を貫き通していらっしゃる。SABU監督は、「やべぇ」などという人物がいた方が今時の若者にウケると思っているんだろうか?
 特に何だあのロシア船のシークエンスは? 漁に出た工員が遭難し、ロシア船に救助されるんだけど、まるでコントみたいな場面が延々と続く。コントに登場するようなエセっぽい中国人が登場し、意味不明に説教するわ、本当につまらないコントをするわ、最悪だ。あんな下らない説教で目覚め、ストライキを起こすとは……馬鹿すぎる。とにかくロシア船のシークエンスは物っ凄い間延びしていてダラダラしている。コサックダンスにコサックダンスにコサックダンス。本当に最悪。

 音楽がこれまた酷い。意味もなくハイテンションにブレイクビーツな曲を使っていたり。『蟹工船』にポップさは必要か? センスが中途半端な中年オヤジ。

 あまりに面白くなかったから、パンフレットに何が書かれているのか気になって700円も払って買ってみたら、パンフレットの内容も最悪。
 ワーキング・プアの話題で活躍している雨宮処凛さんが解説を書いているんだけど、山村監督版のパンフレットならいざ知らず、SABU監督版に雨宮さんが書いちゃ駄目でしょ。
 明治大学で試写会があったらしく、高橋源一郎さんのトークショーもあったらしいんだけど、高橋さんにしてもSABU監督版を褒めたら駄目でしょ。感性を疑われますよ。しかも笑えることに、明治大生の感想がパンフレットにちらっと載っていて、「この世に平等なんてねぇ!!」とか書いている。悲しくなる。
 この世に平等がないのは当然だ。小学生だって知ってるよ。機会の平等も、結果の平等も完全に保証されているわけではない。それなのにSABU監督は、「境遇を嘆いてもしょうがないんだ!」などと説教する。境遇を嘆かないとやってられないことだってあるんだから、境遇を嘆くのはちっとも悪かない。馬鹿は何をどうしたって馬鹿な人生しか歩めないってのに、何もかもを諦めて愚痴をこぼすのも駄目だってのかい? 考えれば何とかなるなんて、それこそまやかしだ。馬鹿は基本的に何やっても駄目。だって馬鹿なんだもん。それはそこで諦めるしかない。「諦めるな!」だって? 最初から諦めてれば悔しいこともない。それはそれで立派な処世術だ。SABU監督版に登場する工員たちの馬鹿っぷりを見ていれば、ろくな人生を歩めないのは明確なんだから、そんな馬鹿どもは他人にこき使われるだけの人生でいいと思う。ちょっと扇動されたからってみんなで生まれ変わりを望んで集団自殺しようとするんだよ? ガイアナの人民寺院かよ。どうでもいいけど、その集団自殺の場面でペット・ショップ・ボーイズの「Yesterday when i was mad」を想い出した。工船内のセットと似ている部分もあるし。

 SABU監督は、初期の頃はクエンティン・タランティーノ監督のフォロワーという印象が強かった。『ポストマン・ブルース』なんて、まんま『パルプ・フィクション』だ。しかしその後もタランティーノ臭はなかなか抜けず、本家タランティーノ監督は『デス・プルーフ』で遂に本物の傑作を作ってしまったってのに、SABU監督は未だに映画らしい映画を作れていない。いわば映画の模範だけでここまで来たようなもんだ。
 『蟹工船』も、結局は○○フォロワーとしかいいようのない出来になっている。貧乏自慢をする場面での、貧乏な暮らしぶりの描写。生まれ変わって兄弟になる夢想場面での、窓から見える幸せな家庭の描写。そのどれもが思いつきだけのアイデアで構成されていて、「センスの良さ」というものだけを頼りに作られている。それが本当にセンス良いならまだしも、悪いのだからどうにもならない。オリジナル企画で勝手に「センスの良さ」を自慢したいなら問題ないけど、『蟹工船』で「センスの良さ」を自慢するとは……労働者が搾取されている悲惨な物語を観に行ったつもりが、映画に搾取されてムカついてしまった
 SABU監督版に千円以上払うくらいなら、あと千数百円足して山村監督版の『蟹工船』のDVDを買った方が絶対にいい。山村監督版は、原作を知らなくても素晴らしいと思える映画だ。狭くて汚い船内。労働者らしい労働者。鬼のような監督。無駄のない展開に演出。船内から甲板に上がった時の、海が見える開放感溢れるショット。荒波に揉まれ、命がけの漁。おぞましい程の蟹。あれこそが過酷な労働を描いた映画だ。
 SABU監督版は、今年観た映画で最もムカついた映画だった。本気で作る気があったのか疑問に思うくらい、脚本から最悪の出来なんだろうと思える。

 ところで、エンドクレジットを見ていると、スギヨが協賛となっていたけど、いいのかスギヨ? カニカマ作ってるメーカーが『蟹工船』の協賛って、労働者から搾取してカニカマ作ってると思われるよ? 『蟹工船』のお陰でカニカマの売り上げが上がるとも思えないのに、何で協賛……

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tag : 蟹工船

2009-07-05

新劇場版はやはり面白くない

 先日、TVで『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』を放送していたので、「破」を観た後だから初見の時と感想が変わるかな、と改めて観てみたら、やっぱり面白くなかった。

 旧劇場版である「Air/まごころを、君に」はとても大好きなんだけど、「新劇場版」はそこまで好きになれない。大っ嫌いなタイプだ。どうしてこんなにも好きになれないのかと「序」を観ながら考えていたら、そもそも私はTV版が大っ嫌いだったことを想い出した。
 ほぼリアルタイムでTV版を観ていたんだけど、石川県ではその頃はまだ放送しておらず、『新世紀エヴァンゲリオン』の放送地域に住む友人から録画ビデオを郵送してもらっていたバイト仲間がいたので、そのビデオを借りて観ていた。バイト仲間同士で「物凄い作品がある!」と話題になっており、強く勧められたのだ。
 正直、最初の印象は、「これのどこが面白いの?」だった。映像は面白かったけど、物語がメチャクチャだったから。バイト仲間が興奮している理由は、台詞、固有名詞、構造、展開などによる。それにしたって、雰囲気はあるけど、意味が皆無。子供向けアニメとは思えないくらい小難しい哲学じみた会話があったりするけど、やはり意味が皆無。それに基本的には良い表現でいえば引用だらけで、悪い表現でいえばパクリまくり。ちっとも面白くなかった。
 しかし、その評価が真逆になったのが、第弐拾伍話と最終話。物凄く評判の悪かった、ファンの怒りを呼んだ、あのメチャクチャな最後の2話だ。最後の最後になって、私はハマった。「あ、こいつぁ凄ぇや」と。何だかんだと高尚なネタを揃えたわりに、どうにもこうにもまとめられなくなって、かつ製作状況が追い詰められて、遂に底が見えてしまって初めて『新世紀エヴァンゲリオン』が面白いものだと思った(一応、あれは追い詰められて底が見えたんでなく、最初から計画されていたものらしいけど)。

 『新世紀エヴァンゲリオン』を好きなれなかった最大の原因は、ポストモダンな作りにあった。アラン・ソーカルさんの『知の欺瞞』を髣髴とさせるような物語に、「何て時代遅れなんだろう」と思った。実際、よく理解してもいない一知半解の解説がたくさん登場し(一知半解でない玄人まで間違えて解説してたけど)、素人も玄人も巻き込み、物語解釈が大論争になった。でも、そのポストモダンな姿勢について解説したものは、多くなかったと記憶している。
 そもそも、登場人物に全く共感できなかった。みんな病的で、しかも大人が大人として機能していない。イライライライラ、ムカムカムカムカした。まあ、好きになった人にはそこが共感できて良かったんだろうけど、私には向いてなかった。
 ならば何で最後の2話が面白かったかというと、本当にメッチャクチャだったから。呆気にとられたもの。広げまくった風呂敷をたたむことが明らかに無理だとわかりきっていたから、どのように決着を付けるのか期待があり、多くのファンは腹を立てたんだろうけど、私はむしろ大喜び。大人気のTVアニメで「アニメーションの表現の可能性」を模索したような演出に、とっても感動した。自己啓発セミナーみたいだといってる人もいたけど、確かにそんな演出はあったけど、そこはどうでもいい部分。「新劇場版」でいわれている「ライヴ感覚」は「新劇場版」には全く当てはまらず、唯一、TV版の最後の2話にだけ当てはまる。あの「やっちゃった」感は最高だった。
 私が旧劇場版に期待したのも当然、メチャクチャさだった。それは見事に満足させてもらえた。

 で、「新劇場版」だ。TV版から十年以上経ち、再びポストモダンな物語を見せられたのが辛かった。相変わらず大人は子供っぽいし、子供は自我のない子供みたいな大人だし。根本的に再構築する必要があるのに、TV版のままだったから、「序」は大嫌いだ。見ててイライラする。
 「破」にしても同様で、はっきりいって新キャラは全くいらないし、旧来からの登場人物でもいらないのは何人もいる。リツコやリョウジは確実にいらない。元々がシンジの思い込みだけで構築されたような世界の話だったんだから、その視点をその外側へ向けなければ、どれだけ展開を変えても新展開を加えても、結局は『新世紀エヴァンゲリオン』と同じようなものになる。
 庵野秀明監督は、「現在の閉塞した日本アニメ界に新たなムーブメントを起こしたい」と語っているけど、それは今さらのポストモダン宣言だ。それに、「新劇場版」そのものが「閉塞した日本アニメ界」を代表するものじゃないか。「新劇場版」で突き抜けるものが作れるとは思えない。そんな宣言をするのなら、「エヴァ」と無関係のオリジナル新作で勝負すればいいのに。まあ、『新世紀エヴァンゲリオン』以降は駄作しか作っていない庵野監督には、完全オリジナル新作は難しいのかもしれない。自分で作ったムーブメントを壊す、それが父殺しにも似た『新世紀エヴァンゲリオン』を作った庵野監督の作るべきものだと思うんだけど。

 結果的に私は『新世紀エヴァンゲリオン』が大好きになったけど、それを下手なリミックスしているだけの「新劇場版」は、ガッカリ感が溢れてため息になってしまうくら、駄目な作品だと思う。エヴァ好きバイアスがかかっているから、新作が作られれば期待を込めて迷わず観てしまうけど。「破」の後半にはポストモダン決別宣言に近い展開がありつつも、カヲルの登場によって優柔不断な展開になる悪い予感もある。
 下手なリミックスは、オリジナル以下だ。「新劇場版」は今のところ面白くない、と断言してしまえる。

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2009-07-03

レンタル委員長はどうでしょう?

 正直に告白します。私、「レンタルお姉さん」というものはエロ漫画とかのネタだとばかり思っていました。違ったんですね。

SANSPO.COM→レンタルお姉さん、ポルノ映画に流用され号泣

 リンク先の記事から抜粋。

 引きこもりの社会復帰を支援する「レンタルお姉さん」の名称が、ポルノ映画のタイトルにそっくりそのまま流用されたとして、“お姉さん”を派遣するNPO法人が映画配給差し止めの仮処分申請を決定。1日会見したお姉さんたちは「誇りにしていた名前を地に落とした」と号泣した。
 「レンタルお姉さん」は、引きこもりやニートを抱える親からの依頼を受け、20-30代が中心のお姉さんたちが手紙や電話、家庭訪問を通じて子供たちの心を開き、社会復帰を目指すというもの。
 先月、都内の劇場で「レンタルお姉さん 欲望家政婦」(姫川りな主演)が上映されていると事務局に連絡があり、ポルノ映画のタイトルとして使われていることが発覚した。
 映画は06年11月公開。配給元の新日本映像サイトによると「そんじょそこらの家政婦さんとは一味も二味も違う」という「スーパー家政婦」が掃除、洗濯はもちろん、下半身の世話までこなすストーリーで、本物とはまったく関係ない内容。
 事務局側弁護士によると「レンタルお姉さん」の名称は06年5月に商標を出願し、07年11月に登録された。それ以前に複数のメディアで紹介されており、「名称は周知されている」という。そのため、来週中にも東京地裁に配給差し止めの仮処分を申し立てる。上映中の映画館やネット配信、DVD化は「確認できていない」としている。

 とっても立派な存在でした。
 しかし、そんなこというと、「ナース」、「スチュワーデス」、「婦警」、「家政婦」、「メイド」、「女教師」、「家庭教師」なんて職業に就いている人たちは大変ですよ? だって、それらが語頭や語尾に付いているポルノなんて山ほどあるんですから。いちいち怒ってたらきりがありません。それに、それらたくさんのポルノのせいで、ネタになった職業の誇りが地に堕ちたことなんてありません。過剰反応しすぎではないでしょうか?

 たとえば『青い体験』や『プライベートレッスン』や『個人授業』や『課外授業』なんてものを見て育ったとしたら、かーなりバイアスのかかった発想の持ち主にはなるでしょう。私のことです。
 『プライベート・ライアン』には、「ライアンさんがエッチな手ほどきをしてくれるエロ・ロマンス映画か?」と思ってしまいましたし。『高校教師』なんて作品も、『3年B組金八先生』みたいなものを想像するより早く、エロい禁断の恋愛ものと想像してしまいます。エロい頭の人の発想は、何でもエロに結び付きますから。記事にある『レンタルお姉さん 欲望家政婦』てポルノ映画の題名を見ると、まるで『プライベートレッスン 青い体験』みたいだなぁ、と思ってしまいます。1粒で2度美味しいというか。そんな思考回路です、私の頭は。
 「レンタルお姉さん」と聞けば、「もう、しょうがないなぁ。弟の自信回復のために、お姉ちゃんがイイことしてあ・げ・る(語尾にハートマークが付く感じ)。いつでもお姉ちゃんが慰めてあげるからね」と豊かな胸に顔を埋めさせて慰めてくれる存在しか思い付きません。今、つくづく自分が下らないアホだと思いました。
 「レンタルお姉ちゃん」でなければ、「レンタル妹」でもいいし、「レンタル幼馴染」でもいいし、「レンタル先輩」でもいいし、「レンタル下級生」でもいいし、「レンタルぼくっ娘」でもいいし、「レンタルドジっ娘」でもいいし、「レンタルツンデレ」でもいいし、「レンタル委員長」でもいいです。うん、「レンタル委員長」はいいかも。
 しかしこんな私でも、「レンタルお姉さん」の活動内容を知れば、エロい間違いはしません。妄想は妄想、現実は現実。

 飲み屋トークに「『レンタルお姉さん』って、エロいことまで教えてくれる色っぽいネーちゃんが来るんだろ?」なんてセクハラ発言が登場することはあるでしょう。
 そもそもですね、「レンタルお姉さん」なんて名称が悪いと思います。どう考えたってエロネタ向きですもん。だってですよ? 将来的にメイドロボが作られるようになり、それがとっても本物の人間そっくりで、喋れば特長的な語尾を付け、しかも耳の部分に変なアンテナみたいなものが付いているデザインだった日には、そのメイドロボを恋愛対象として考える人はいるでしょう。「俺んとこにフラグが立ちに来た!」とか。それはそんなロボを作った方が悪い。
 「レンタルお姉さん」という名称を考えた人は、馴染み易く、親近感を持てるように「レンタルお姉さん」としたんでしょう。その馴染み易さ、親近感の持ち易さゆえに、エロい発想として、「何! 『レンタルお姉さん』とな? それは使える!」とか考えられてしまったのです。エロい頭のバカさ加減を知らなかったんでしょうね。これが「人生修復人」なんて名称だったら話は全く違ったかもしれません。が、それでもエロい妄想は炸裂したでしょう。

 誇りを穢されたという気持ちはわかりますけど、そこに無駄な労力を費やすくらいなら、見て見ぬフリをした方がいいんじゃないですかね。有名税を払っていると思って諦める方が楽だと思います。もしもポルノ映画のせいで仕事がやり辛くなる、と考えているなら、それは「ゲーム脳」と同じような発想だと思います。
 どうせなら開き直って、「レンタル委員長」も作った方がいいと思います。いや、作るべきです。需要は絶対にあります。エロゲーみたいなイベントちっく社会復帰プログラムが盛りだくさんですよ。あ、駄目かそれじゃ。

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2009-07-01

『劔岳 点の記』は、ハードコアに世界の中心でアイを叫ぶ

 『劔岳 点の記』を観た。映画館で観る価値のある、というか大きな画面で観なきゃ意味がない映画だった。だから面白いかというと、そうでもないんだけど。

 物語はこんな感じ。
 日露戦争後、日本陸軍は国防のために、前人未到の劔岳を制覇し、日本地図の詳細な完成を急務とし、測量隊を劔岳制覇へ向かわせる。同時期、日本山岳会も金持ちゆえの贅沢品を携えて劔岳を制覇しようとしていた。陸軍と山岳会のどちらが先に制覇するか、勝負が始まった。結果的に陸軍の測量隊が勝利するんだけど、実は前人未到でないことが判明し、陸軍が「何でも1等賞でなきゃヤだヤだヤだぁーっ!」と駄々をこねてしまい、測量隊は死ぬほどの苦労をして登頂したってのに、その偉業が歴史に残ることはありませんでした。めでたしめでたし。
 要するに日本地図を作りたいから劔岳を登山する話なんだけど、最初は陸軍が国防のためといってたのに、金持ち集団の山岳会に負けたくないというプライドの問題にすり替わり、つまんない展開を見せる。史実通りに作った実話なのかそうでないのか知らないけど、はっきりいって物語は面白くない。

 CGや特撮に頼らない現場主義な映像は、それはそれは物凄い迫力で、その映像を観るためだけに劇場まで足を運ぶ価値はある。安っぽいCGを駆使してスペクタクルでございと自慢気に語っているような下らない邦画ばかりの中、『劔岳 点の記』は、撮影に挑む心意気だけで凡百の邦画に勝っている。圧倒的な自然主義。
 そしてそんな映像をさらに格調高くするために、バッハやヴィヴァルディなどの有名な交響楽クラシックがBGMとして使われている。
 凄い。大きなスクリーンに、雄大で美しく、厳しい自然が映されている。当たり前の映像でないから(そんな場所に登らないから)、圧倒される。でも、それだけ。それだけでも映画として凄いといえば凄いんだけど、それだけしかないってのもどうなんだろう?

 CGや特撮を頼らず、リアリティーにこだわるってのは、つまりはロマン・ポルノとハードコア・ポルノの違いみたいなものだ。“擬似”か“本番”かというような。確かに「本番もの」を見てしまえば、雰囲気だけのロマン・ポルノなんてぬるいに決まっているんだけど、ロマン・ポルノにしかない魅力だってある。私はロマン・ポルノもハードコア・ポルノもどっちも大好きなので、さらにいえばエロ漫画だって大好きなので、絶対的なリアリティーなんてものに興味はないのだ。何か論点が間違っている気がするけど、気にしない。
 映画にリアリティーなんてものは重要じゃない。重要なのは、いかに映画的であるか、ということ。その点で『劔岳 点の記』は物足りない。頑固に現場的リアリティーを追求しても、柔軟にCGでリアリティーを追求しても、観客にその区別がつかないとしたら、どっちでもいいんじゃない? 高度な科学は魔法みたいなものなんだから。
 空撮やCGを使えばもっと面白くて映画的な場面を作れたのに、そこを拒否するのは、頑固というより頑迷といえる。なぜなら、木村大作監督は凄いものを“撮った”けど、“作って”はいないからだ。

 たとえばヴェルナー・ヘルツォーク監督の『フィツカラルド』。
 主人公・フィツカラルドは、アマゾンの奥地にオペラハウスを建築するという、前人未到の偉業に挑戦する。前人未到の偉業に挑戦する点が少し『劔岳 点の記』に似ている。
 フィツカラルドは物凄く頑張るんだけど、結局は自然に阻まれ、挫折する。結果的に挫折する点も『劔岳 点の記』に似ている。
 そして、『フィツカラルド』も圧倒的な現場主義にこだわる。フィツカラルドは蒸気船で川を進み、アマゾンの奥を目指すんだけど、激流があってそれ以上先に進めないと知るや、何と蒸気船を山越えさせるのだ。現地住民を使い、山の斜面の木を伐採し、人力で巨大な蒸気船を運び上げる。狂人のなせる業だ。その場面は、実際に山を削って撮影した。今なら絶対に自然保護団体から苦情が来るようなとんでもない所業だ。しかし、出来上がった映像は圧倒的に映画的。誰もが「何だこのとんでもない映画は!?」と驚くような、何十年経ってもそう思ってしまうような妄想が焼き付いている。『劔岳 点の記』にそれは全くない。
 挫折したけど、最後、現地住民にオペラのレコードを自慢気に聴かせるフィツカラルドの場面が素晴らしい。『劔岳 点の記』で、登頂した測量隊の面々にも山岳会の面々にもフィツカラルドのような自慢気な表情はない。まるで達成感が表現されていない。達成感があるのは、唯独り木村監督だけだろう。

 自我は、自我の外があって初めて成り立つ。自分を知るには、周囲を、社会を、世界を知らなければいけない。だから、地図は重要だ。日本の世界地図を見ると日本は地図の中心にいるけど、アメリカの世界地図を見ると、日本は端っこにいる。
 日本に住む人々が自分を知ることができるように頑張った人々がいる――その物語は感動的な筈なのに、物語に余計な要素が多いので、感動を描くことは部分的にしか成功していない。成功している部分は、苦労して自然を写し撮った部分だけ。しかしその雄大な自然は、木村監督のどうでもいい小さなこだわりのために、セットのようにしか撮れてない。明らかに失敗している。
 
 シルベスター・スタローンさん主演の『クリフハンガー』の方が面白いと正直なところ思うけど、さすがに『劔岳 点の記』を『クリフハンガー』なんかと比較しちゃうのは可哀相かとも思うけど、たとえば松田龍平さんが絶壁から落下する場面はワイヤーで吊ってるように思うんだけど(落ち方が変だったから)、そこに『クリフハンガー』程度のスペクタクルもない。
 さらにいうと、誰も死なないのがとっても不満だ。こーゆー映画は、絶対に悲惨な死に方をする犠牲者がいてナンボだと思うのだ。クソ生意気な松田さんが死ぬのかと思えば死なないし、ライバルである山岳会にも死者が現れないしで、ガッカリだよ。
 木村監督は、撮影現場のことはよーく知っている超ベテランだろうけど、映画のことまでよーく知ってる監督ではないので、面白い映画は撮れないんじゃないかな?
 何よりも『劔岳 点の記』で拙い点は、肝心要の登頂場面が描かれていない点だ。一番盛り上がるべき場面が丸ごとないんだもん。これじゃあ、挿入するまでの前戯がやたらと長くて、挿入場面がカットされてピロートークが始まるハードコア・ポルノだよ!
 木を見て森を見ず、正にそんな映画。

テーマ : 映画館で観た映画
ジャンル : 映画

tag : 劔岳

プロフィール

ばっどていすとさんどいっち

Author:ばっどていすとさんどいっち
テクノ好き。
アンダーワールドのRez大好き。
映画大好き。
ジャッキー・チェンが生涯の英雄。
生涯1位作品は『ミミズバーガー』。
2位が『溶解人間』。
泣き虫で、馬鹿。
itsuka-omoi-dasu-bts@hotmail.co.jp

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