--------

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2012-05-22

『幸せの教室』は、+には圧倒的に届かないA

siawase
 人生に最高の瞬間というのはあって、たぶんそれは過ぎてみないと気付かないのでしょうが、映画に訪れる最高の瞬間は明確にわかるものです。ハッピー・エンドとは「最高の瞬間」のパターンであって、必ずしもハッピー・エンドが「最高の瞬間」というわけではありません。ハッピー・エンドそのものが蛇足でしかないものもありますし。
 最近は離婚歴を持つ者が主人公になることが当たり前になってきましたが、そのような主人公でどれだけ見事なラヴ・ロマンスを描いても、「そーはいっても、また離婚するんじゃないのぉ?」という予感は付きまといます。なぜこれだけ魅力溢れる素晴らしい主人公が離婚を経験しているのか、そこに「魅力的な主人公なんだけど」という留保が残るわけです。もちろん離婚歴がその人物の否定に繋がるわけではありませんが、物語としては陰を残すものです。
 ですのでラブ・ロマンスは、主人公ら男女が明確に結ばれるハッピー・エンドよりも、出会いや恋愛の始まる予感または瞬間を「最高の瞬間」にすべきだと思います。クリント・イーストウッド監督の『ヒアアフター』は、その見事な代表例でしょう。長い長い前ふりがあって、始まりの予感と共に終わる。

 『幸せの教室』の主人公ラリー・クラウンは、離婚とリストラを続けて経験した後、雨天の直後に訪れた晴天のように人生設計を学生からやり直そうとします(ただし、そこで竜巻に巻き込まれるのが物語というもの)。今やアメリカ映画の定番となった2つの要素「離婚」「リストラ」を共に抱え、共に解決するわけですが、普通に作れば男性としても大人としても失格者となった重い物語になるところを、躁的というか幻想的というか妄想的といって過言でない展開で一切の憂いも悩みもなく突き進みます。真実の愛も練りに練ったロマンスも存在せず、宮崎駿監督作品に近い奇妙な物語だけがあります。何もかもが突発的。出だしがあって、終わりしかない物語。その中間はなし。
 ラリーの前には、指針を示してくれる人物が常に現れます。ラリーは受動的にそれらを受け入れているだけ。若くて魅力的な女学生タリアがその最たる人物で、『幸せの教室』は現代版の男版のシンデレラ物語のようなものです。アメリカの「ラリーみたいな男たち」は、『幸せの教室』を求めているのかもしれません。ご都合主義をも上回る妄想主義。
 多くの物語は最低限の辻褄合わせを行うものですが、『幸せの教室』にそれはありません。純度100%の妄想展開なので、登場人物たちの行動には逡巡がありません。学校に通うのも、訳のわからない暴走団に入るのも、得体の知れない女教師とキスをするのも、過去を捨てることにも躊躇しません。ミュージカルとして作るべきだったんじゃないか、と思うくらいです。
 予告編と邦題を見る限りでは「とある教室の授業のお陰で幸せになれた事実に基づく物語」のように思えますが、そんな予想と想像を裏切り上回る中年“男子”な妄想世界ですから、「キモイ」の一言で片付けられてもおかしくはありません。
 
 夫に「この洗濯板!」と罵倒されたり出演作史上最悪の役柄かもしれないジュリア・ロバーツさんですが、まさかそんなわけはありません。ロバーツさんといえば、口。あの大きな、顔の1/3はあろうかという、口。屈託のない笑顔は最後の最後に取って置き、そこまでは歪めてばかり。あの大きな口をぐいとねじ上げる。綺麗な方だからこそ魅力的な変顔。あの魅力的な変顔を撮りたいがためにロバーツさんをヒロインに選んだのかと思うと、トム・ハンクスさんは酷い方です。やはり最低の役柄かもしれません。
 それをいうなら、ハンクスさんも良いんだか悪いんだか判断し兼ねる役柄です。もちろん「俺による俺の映画」ですから、得な役柄ではありますが、全体を通していえるのは、『ビッグ』を間違った方向に成長させた大人というか、一言でいうならばやはり「キモイ」という感想になります。

 ここまでの要素を集めると、「有名俳優による、有名俳優のための、見るも無残な作品」となるところですが、そうではありません。
 カメラワークに突出したものはありませんが、見事な画面作りとなっています。ティノーが歌いながら運転している横から、スクーターに乗ったラリーがヒョコヒョコ現れる場面の面白さは、最近では『ロボジー』の吉高由里子さんでも見ました。ティノー夫婦の車中大喧嘩の場面も見事な効果を発揮しています。
 各々の場面が的確に演出されており、映画としてとても見事な仕上がり具合。物語がキモイ? そんなことどうだっていーじゃありませんか。
 特に終盤、クラウンとティノーが惹かれ合っていることに自覚する、レストランの場面。スリリングといっても過言でありません。厨房にいるクラウンと、客席にいるテイノーの視線が絡み合う瞬間、そこが『幸せの教室』の最高の瞬間です。
 上映時間が108分と短めなのは良いことですが、この物語なら、マノエル・ド・オリヴェイラ監督は90分で作ったと思います。互いが恋心を自覚し、互いが次の一歩を踏み出すだろうと予感させる瞬間――そこから後は全てが蛇足です。そこで終わらせられていれば。もったいない、嗚呼もったいない。
 +には届きませんが、良い意味でも悪い意味(悪い意味では、既に腐っている、ともいえる)でも意外と賞味期限の長い作品だと思いました。
スポンサーサイト

テーマ : 映画館で観た映画
ジャンル : 映画

2011-09-21

『へんげ』は、スタイルを凌駕する

 <カナザワ映画祭2011 フィルマゲドンⅡ>にて爆音上映された『へんげ』は、期待通りどころか、期待を遥かに超えてそのまま大気圏突入する勢いの作品でした

 『へんげ』は、強いていえば「怪奇映画」です。とても贅沢な「怪奇映画」で、簡単な印象だけを並べると、

黒沢清監督の『降霊』みたいな雰囲気で始まり、
心霊ホラーかと思えば怪奇の正体は塚本晋也監督の『鉄男』のようで、
その後は『ポゼッション』や『ベイビー・ブラッド』みたいに展開し、
どう着地するのかわからなくなった結果、
大魔神』というか『鉄人28号』的な結末を迎え、
そんな作品をジョン・カーペンター監督のような音楽が彩り、
ジェリー・ゴールドスミスさんのようなエンディング曲に、
ゴジラ』のような咆哮が鳴り響いて終わる

そんな感じの作品です。いや、本当に。かなりネタバレしました。
 既視感ありまくりな作品ですし、パーツの寄せ集め的な物語のため細部が殆どありません。しかし、その組み合わせが絶妙であり、1時間に満たない上映時間で一気呵成に展開させているため、疑問を抱く暇もありません。最後には、トンデモ展開に笑っていたのに、笑いやら驚きやらを超越し、感動に包まれます

 演出は、突飛な物語の割に普通です。それが悪いってんじゃなく、普通だからこそ、クライマックスで驚かされるのです。予算の都合か、基本的に物語は主人公夫婦の自宅内で展開します(実はスタッフの自宅を使っていたり)。屋外に出ても、住宅地の通りか、地下道みたいな所ばかり。閉塞感が強く、主人公夫婦の鬱屈とした雰囲気が表れています。クライマックスは、その鬱屈をぶち壊すわけです。
 怪物は欲望の具現化ですから、あのクライマックスにも監督の欲望が表れているのでしょうか? 「今の日本の政治に我慢ならん! ぶっ壊れてしまえばいいんだ!」とか。その巨大さと乱暴さから、かなりのお怒り具合と推察します。東日本大震災後の閉塞感に覆われた日本の“空気”をもぶち壊す勢いです。しかし奥さんには従順。肉体の変化だけでなく、関係性の変化や価値観の変化も。

 自主制作映画は、そのショボサゆえに「好意的に見る」をしなければ心底から楽しめなかったりすることが多いのですが、爆音上映が魅力を底上げどころでないくらいに底上し、『へんげ』を下手なメジャー作品では敵わないくらいの面白い作品として観ることができました。予想外に音楽が良く、カーペンター監督の音楽を彷彿とさせました。爆音上映がそれを観客の肉体へと直に叩き付ける! 何でもない音まで大迫力! 「ガン! ズガンッ!」て大きな音が鳴っているから何事かと思えば、台所でキャベツを刻んでいる場面だったり。ビックリしました。
 爆音上映が魅力を底上げするといはいえ、どんな作品でも良くなるわけじゃありませんから、これはやはり作品にちゃんと魅力があるってことです。過去の色んな名作から連なる演出、極端すぎるくらいの起承転結な展開、手抜きのない特撮。

 できることを全力で行ったからといって『へんげ』ができるとは思いません。メジャー作品を観てもそれはわかります。努力したからといって素晴らしい結果が待っているわけじゃないのです。才能は必要不可欠です。『へんげ』に於ける大畑創監督には確かな才能があると思います。
 しかし、もしかしたら、大畑監督が最高の輝きを見せるのは『へんげ』で終わるかもしれません。才能溢れる監督がメジャーで撮ったら凡作ばかり、なんてのは良くあることです。制約の少ないインディーズ映画や自主制作映画でこそ、真の輝きを放つかもしれません。『へんげ』も上映時間が1時間内だから面白いのです(細かいこと無視できるし)。
 『へんげ』は全国公開されるべき作品です。ただし、爆音上映で。いや、通常上映だと、もしかしたら大したことがないと思われるような……いやいや、それが通常上映だとしても、絶対に観るべきです。観なきゃ損します!
 映画の楽しみは「見られないものを観る」ことにあると思いますので、『へんげ』はその条件を十分に満たしています。『へんげ』を観ていない方に、「心霊ホラーみたいに始まって『大魔神』で終わる映画」とか簡単に説明してみて下さい。絶対に「何だそりゃ!? 観てみたい!」と思われるでしょう。そう考えると反則気味の作品かもしれませんが。
 大畑監督が有名監督へと出世した暁には、『へんげ』は大畑監督の原石の1つとして必見の作品になるのだと思います。クライマックス、奥さんが旦那さんに「行けぇーっ!!!!!」と泣きながら絶叫する瞬間のカタルシスは、今全国公開されている『世界侵略:ロサンゼルス決戦』を軽ぅ~く凌駕します。その「行けぇーっ!!!!!」な感じ、大畑監督もこれから巨大化するのかも。その巨大化を見る前に『へんげ』は観ておくべきでしょう。「私はあの頃から大畑監督に才能あるって思ってんだよぉ~」と自慢できます。

 年内には都内で劇場公開されるそうです。

テーマ : 映画祭
ジャンル : 映画

tag : カナザワ映画祭

2010-05-11

『あんにょん由美香』は、松江監督版の『エド・ウッド』

 『あんにょん由美香』を観た。今は亡きポルノ女優、林由美香さんのドキュメンタリー映画。私は林さんの作品は観たことがなく、興味もなく、つまりどうでもいい存在で、ゆえにどのようにして興味を惹かれるか、そこに興味があって鑑賞した。
 『あんにょん由美香』は、林さんに関するドキュメンタリーなんだけど、かなり変なドキュメンタリーだ。林さんの人生に迫るわけでなく、林さんの魅力を描くわけでもない。ドキュメンタリーのようで、違う。変な佇まいの映画。だから『あんにょん由美香』を観ても林さんを好きにも嫌いにもならない。結局、観る前と変わらないフラットなままで劇場を出ることになる。しかし、とても充実した映画を観た気持ちになる。
 そもそも、題名に「あんにょん」と付いているからには韓国が何か関係しているわけで、それは林さんの主演作の1つ、韓国製の『東京の人妻 純子』というアダルトビデオの説明から入らなければならない。

 『東京の人妻 純子』は、とっても変なアダルトビデオだ。韓国製なのに、出演者の半分は日本人で、会話がほぼ全て日本語。韓国製ならば普通、日本人が合わせて韓国語を話すべきなのに、なぜか韓国側の出演者が吹き替えなしで日本語を話している。流暢な日本語を話せるわけでもなく、設定による必然でもないのに、不自然なカタコトで。韓国人が作り、韓国人が観るアダルトビデオだってのに。
 また、物語が超テキトー。林さんは、生活は不自由ないけど性生活に不満を抱く社長夫人を演じている。日中帯から茄子を握って悶々とするする欲求不満の林さんの下へ、青い肉欲をたぎらせた水道局の青年が水道検査にやってきて、瞬く間に不倫成立。その不倫成立のシークエンスも超ベタ。林さんがお茶でも飲みませんかと出したお茶を青年の股間にばっしゃーとこぼし、あらあらあらーと股間を拭こうとしてムラムラー。その後、実は青年の彼女は林さんの夫の不倫相手かつ秘書であることがわかる。青年の彼女は、彼氏が社長夫人の不倫相手であることを利用し、社長を脅迫しようと画策するが――と、意外にややこしく、そして同時に超お約束展開のオンパレード。凄い。さすがアダルトビデオ。こんな展開、ギャグかアダルトビデオでしかできないよ。
 さらに、演出もオカシイ。青年の股間にお茶をこぼす場面では、いきなりハチャトゥリアンさんの「剣の舞」(運動会なんかでよく使う曲)がBGMに流れるのだ。想像もしない演出に、思わず爆笑してしまう。殆ど吉本新喜劇。いや、その上を軽く超えている。しかし、それでもアダルトビデオなのだ。そもそも日本人からすると、カタコトの日本語で話す韓国製アダルトビデオってだけで笑えてしまう。

 さて、かように異様な『東京の人妻 純子』の存在は、林さんの死後に知られることとなり、「これはいったい何なんだ? 何で林さんはこんな変な韓国のアダルトビデオに出たんだ?」とファンの興味を惹き、謎を解明すべく立ち上がった結果が、『あんにょん由美香』だ。だから、林さんのドキュメンタリーなんだけど、ちょっと変な感じなのだ。
 色々と探った結果、『東京の人妻 純子』には、実は撮られなかった「本当の結末」というのがあることがわかる。『あんにょん由美香』の結末は、その「本当の結末」で終わる。松江哲明監督を筆頭に、林さんに恋焦がれた人々が、もうこの世にいない林さんを使って、改めて「本当の結末」を撮る、その一部始終を撮ったのが『あんにょん由美香』なのだ。だから、ドキュメンタリーとしては変な佇まいで、『あんにょん由美香』はファンタジー映画なのかもしれない。林さんに恋した人々の、林さんに捧げるファンタジー。そのファンタジーっぷりが、凄く胸にクる。それは、ポール・トーマス・アンダーソン監督の『ブギーナイツ』やティム・バートン監督の『エド・ウッド』と同種の感動だ。
 私は昔、とても仲の良かった女の子と一緒に『エド・ウッド』を観たことがある。私は先に1回観ていてとても感動したし、その娘は映画が大好きだったし、女性人気の高いジョニー・デップさん主演作だし、と誘った。が、結果は、「どこが感動作なの? バカ映画じゃない」と一蹴。かーなり落ち込んだ。その数年後、『ブギーナイツ』を職場の同僚に薦めたことがある。何度観ても号泣するくらいの感動作だし、笑えるし、何よりも映画としてずば抜けて素晴らしい出来だし、その同僚とは話がとても合うし、これなら大丈夫だろ、と。が、結果はやはり、「どこが感動作なの? バカ映画じゃない」だった。これには物凄く落ち込んだ。必死に抗弁したが、評価を覆すことは叶わなかった。その時に真理を悟った。人類は、バカ映画に感動する者としない者に分けられる、と。

 『あんにょん由美香』は、映画としては「まだまだね」な出来だ。細かい意味に囚われすぎているし。しかし、アダルトビデオ業界の話だから、世間一般から見れば底辺のロクでもない人々だらけなのに、そんな人々が映画としての意味を偶然にしろ語る一瞬があり、とても素晴らしい。それこそドキュメンタリーだからこその、奇跡の一瞬が撮られている。
 メジャーな、シネコンで大ヒットしている万人向けの恋愛映画で感動するような人々からは見向きもされないだろうけど、『あんにょん由美香』は、とてもグッとくる映画だ。『ブギーナイツ』に心の親友がたくさん登場しているように、『あんにょん由美香』も心の大親友になる映画だろう。

テーマ : 映画館で観た映画
ジャンル : 映画

tag : あんにょん由美香

2009-04-03

『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』は既に古典

 ブラッド・ピットさん主演の『ベンジャミン・バトン数奇な人生』を観た。ピットさん主演作としての、またデヴィッド・フィンチャー監督作としても、最高傑作じゃないだろうか。
 簡単にいえば、ティム・バートン監督の『ビッグ・フィッシュ』とロバート・ゼメキス監督の『フォレスト・ガンプ』の想像力に、ポール・トーマス・アンダーソン監督の『マグノリア』の構成力を足して、最後の味付けにダニエル・オートゥイユさん主演の『八日目』を振りかけた映画。どうせだから歌って踊る場面があったら完璧な映画だったかもしれない(私的に)。

 中身は赤ん坊でも、見た目(顔だけだけど)が90代くらいの爺さんとして生まれ、普通の人生と真逆に、歳を経るにつれ見た目だけが若返るベンジャミンの文字通り数奇な人生。数十ページしかないF・スコット・フィッツジェラルドさんの短編小説を3時間近くある長編へと構築し直し。
 空想的な要素がまず主軸にあるので、フィンチャー監督よりもバートン監督の方が『ベンジャミン・バトン』に向いているような気もするけど、フィンチャー監督はバートン監督のようにはせず、それは間違いなく正しかった。つまり、奇抜さや斬新さや先鋭的な語り口を選ばなかった。たぶん、かなりのフィンチャー監督ファンはその点でガッカリすると思う。『セブン』と『ファイト・クラブ』を愛する者なら特に。
 フィンチャー監督は、前作の『ゾディアック』と似た方法で撮っている。つまり、最初から古典を作ろうとしている。『セブン』や『ファイト・クラブ』に見られた先鋭的な演出をほぼ封印し、それこそ『ゴッド・ファーザー』のような古典を目指している。その証拠に、画面にしっかりとした“黒”が映っていることが挙げられる。少しは安易なショットがあるけど(ピットさんとケイト・ブランシェットさんのプロモーション映像みたいな場面)、大半は練りに練ったショットばかり。先鋭的なフィンチャー監督は、『ベンジャミン・バトン』に存在しない。しかしその代わりに、映画らしい映画を撮ろうとする熱意は今まで以上だと思う。それを巨匠欲と見る向きもあるだろうけど。

 ピットさんの演技も素晴らしい。今までで最も静かな演技を求められ、ちゃんとそれに応えている。老人であってもカッコ良く、青年であればさらにカッコ良く、それはおすぎさんが大喜びしそうなくらいで、『リバー・ランズ・スルー・イット』や『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』の美青年ぶりを想い出す。観終えた今、ピットさん以外にベンジャミン役はない、と思うくらいだ(いや、企画だけは動いていた、トム・クルーズさんも捨て難い)。
 ブランシェットさんも素晴らしい。大して好きでもない女優だったのに、気付いたら見惚れていた。バレリーナとして絶頂を迎えている頃のデイジーの、人間とは思えないあの美しさ! 『ロード・オブ・ザ・リング』から抜け出たような(この表現は間違っているな)! 絶対にCGで美しさをパワーアップさせてるよ!
 そんな美男美女が、幸せの絶頂を迎える場面の、本当に幸せそうなこと。3時間近くある長い映画だけど、『ベンジャミン・バトン』は、その幸せの絶頂に向かって作られている。そして、あとはそれをいかに綺麗に崩すか、と。

 人間は、赤ちゃんで生まれて、赤ちゃんみたいになって死ぬ。『ベンジャミン・バトン』は、そんな当たり前の事実を少しだけ変えて描いているにすぎない。
 原作版では、ベンジャミンは、見た目も知能年齢も老人で生まれ、そのまま比例的に若返って行く。映画版では、見た目と知能年齢は反比例している。見た目と知能年齢を折れ線グラフにすると、見た目と知能年齢が交差するのが、40代後半。ベンジャミンとデイジーが一緒に幸せに過ごすのがその年代で、だから映画版は、そこが最高潮となるように作られている(が、そこは最も面白くない部分でもある)。時が進み、また見た目と知能年齢が離れると同時に、ベンジャミンとデイジーも離れてゆく。
 40代後半を頂点として描きたいのなら、原作版同様に見た目と知能年齢を比例させても問題はなかった。が、そうすると、物悲しい物語になってしまう。原作版はとっても冷笑的だから。子供の頃から知能年齢が高くても良いことはないし、年老いているのに見た目が若くても良いことはない、普通が一番だ、と。しかし映画版では、最も悲惨な年代の話をすっ飛ばしている。デイジーと別れた後の、見た目が子供になってしまう年代の部分を。そこから、映画版は原作版と反比例したテーマを描こうとしていることがわかる。「どんな人生でも素晴らしい」ということを。
 映画版には善意しか存在しない。脚本を担当したのが『フォレスト・ガンプ』のエリック・ロスさんだからか、「普通って何?」という物語になった。短編だから可能なアイデアを、感動でコーティング(それでごまかしているわけだけど)。「どんな人間だって、最後は平等なんだよ」ということを、不平等な人々を使って描いている。時間は、どうあっても不可逆。逆転して見えるベンジャミンの「数奇な人生」も、「普通」なのだ。

 魅せることに夢中になっていたフィンチャー監督は、物語ることを始めたのだろう。その確かな演出力により、十年以上経っても鮮度は落ちないと思う。観客が年老いてから再び観ると、感想は変わるかもしれない。既にして古典となっているのだから。
 3時間近くあるけど、所々に挟まれる挿話がアクセントになり、飽きることはない。その演出ばかりは今までのフィンチャー監督印が味わえる。特に面白いのは、雷に7回打たれたという老人の挿話だ。いきなりスッと意味もなく挟まれるんだけど、それが妙な味になって、笑える。最後に○○○が降ってきて驚く『マグノリア』ほどの展開はないけど、最後に主要登場人物が順番に紹介される演出は、『八日目』みたいだった。あっさりした終わり方だけど、とっても幸せな気分になる。少しは無駄な場面があるけど、「少し」としか思えない、長いのが納得の映画。日本の無駄に長い映画は見習ってもらいたいものだ(『感染列島』とか)。
 そして『ベンジャミン・バトン』が感動的な映画として成功しているのは、主演がピットさんだからでもある。もしも主演がアダム・サンドラーさんだったりしたら……かーなり違ったものになっただろう。たぶん、もっと原作寄りで、出だしはダウンタウンのコントのようになってしまいそう。

 もしも日本で『ベンジャミン・バトン』を撮るとしたら、最も巧く撮るのは宮崎駿監督だろうな。

 ところで、何で題名は『ベンジャミン・ボタン』じゃないのかね? 『ペット・セメタリー』みたいなものなのか? そっちの方が面白いのに。

テーマ : 映画館で観た映画
ジャンル : 映画

tag : ベンジャミン・バトン

2009-01-31

『トロピック・サンダー』は、ガッツポーズをとりたくなる馬鹿映画

 ベン・スティラーさん主演の『トロピック・サンダー』を観た。期待を裏切らない、観ても何のためにもならない立派な馬鹿映画だ(しかも大作だ)。全世界の馬鹿映画ファンの希望の星といっても過言でない、安心安全保証の馬鹿映画作家として、スティラーさんの実力を改めて示した傑作

 物語は単純。戦争映画を撮るため、俳優の演技に緊張感を出そうとして、主演俳優たちをジャングルへ置き去りにし、隠しカメラで撮影するというセミ・ドキュメンタリーにしようとしたら、そこは本当に戦場だった、という話。
 主演は、超激烈馬鹿&落ちぶれ(スティラーさん)、かなり馬鹿&ジャンキー(ジャック・ブラックさん)、やや馬鹿&演技馬鹿(ロバート・ダウニー・Jrさん)の3人。3人とも甲乙つけ難い馬鹿っぷり。スティラーさんは、真面目にやればやるほど馬鹿が滲み出るお得意の馬鹿演技。ブラックさんは、クスリに目がなくて、窮地に追い込まれて死にそうだってのクスリに泣きむせびながら飛び付く、過剰演技がぴったりの役。ダウニー・Jrさんは、黒人役のために手術して黒人になってしまうという設定勝ちの馬鹿演技(しかし、本物のアカデミー賞助演男優賞にノミネートされた!)。

 特筆すべきは、徹底的に馬鹿をしている点。

続きを読む...

テーマ : 映画館で観た映画
ジャンル : 映画

tag : トロピック・サンダー

2008-10-14

『ぐるりのこと』は思いっきりの愛しい映画

 リリー・フランキーさん主演の『ぐるりのこと』を観た。正直いって、映画としてはとても平凡な出来で、凄くも何ともないんだけど、心に残す価値のある映画だった。

 まず、リリーさんの演技が抜群に良かった。巧かった、ではない。リリーさんに演技力があったのか単なる自然体だったのはわからないけど、映画に溶け込んだ雰囲気が抜群に良かった。浅野忠信さんにかなり近い。同じ、といってもいい。木村多江さんも良かった。不安定で不器用で真面目な女性をとても繊細に演じていた。また、それ以外の全ての役者が、どれもこれも素晴らしかった。みんな、顔で選んだといってもいいくらい、「味のある顔」揃いだった。
 物語は、ちっとも大したことがない。題名通り、主人公たちの周囲(ぐるり)の出来事を描いただけ。ただし、脚本が良い。台詞が良い。聞き惚れてしまうような名台詞がさり気なく、実にさり気なく散りばめられていて、感動を呼ぶ。
 そして、最も素晴らしいと思えるのは、橋口亮輔監督の視点だ。

 リリーさん演じる主人公・カナオは、法廷画家をしている。だから色々な犯罪者を見る。登場する犯罪者は、実際に世間を大騒ぎさせた実在の犯罪者ばかりだ。オウム真理教、幼女連続誘拐殺人事件の宮崎勤、池田小学校殺傷事件の宅間守などなど。映画では仮名で登場するが、事件を知っている人ならすぐにわかるだろう。誰からも死刑を望まれるような極悪人揃い。
 しかし、『ぐるりのこと』は、そんな極悪人を極悪人として描かない。「生きることが下手な、ごく普通の人」として描く。私はそこにとても感動した。

続きを読む...

テーマ : 映画館で観た映画
ジャンル : 映画

tag : ぐるりのこと

2008-10-06

『ダークナイト』は単純で真っ当なヒーローもの

 今、社会の底辺で喘いでいる人々が犯罪を起こし、同じく底辺の人々が被害者になるような事件がよく起きている。社会を揺り動かす事件は、しかし社会全体に影響は与えられない。影響を与えるのは、底辺の人々のことなど大して慮らない、上の上で過ごしている人々だ。政治家には、底辺に蠢く人々をダシにして、自分たちに都合の良い事案を通す者もいる。そんな社会で、徹底的に社会をぶち壊してくれるような悪人がいたら、怖いけど、痛快かもしれない。『ダークナイト』に登場するジョーカーは、正にそんな悪人だった。何もかもをぶち壊してくれる、完全悪といえる存在。

 社会を憎むでなく、社会から搾取してやろうと思うでもなく、ジョーカーの悪行は、ただただ「悪」を世の中に蔓延らせることだけが目的だ。金や権威なんてのは、オマケ。ジョーカーは、貧乏だけど、悪人の貴族なのだ。
 対してバットマンは、金と権威を持っているだけのヒーローだ。バットマンであるブルース・ウェインは、金と権威がなければ何にもできない。生まれながらのヒーローであるスーパーマンなんかとは決定的に違う。
 でも結局は、どっちも変人である点で、ジョーカーとバットマンは共通している。
 正義の味方と悪人は表裏一体――それは、昔から様々な物語で繰り返されたテーマでもある。バットマンとジョーカーは表裏一体。ゴジラは人間の敵だけど、敵の敵が来れば、人間の味方になってしまう。見方次第でいくらでも価値が変わってしまう。ジョーカーは、バットマンがいなけりゃ単なるこそ泥に過ぎないけど、バットマンという天敵がいるお陰で大犯罪者として活躍できる。正義と悪の共存関係、それが『ダークナイト』の要点だ。
 正義の味方がどれだけカッコ良くても、悪人に同じくらいの魅力がなけりゃ、正義の味方の価値は輝かない。昔から、正義の味方の物語――刑事ものなんかも含めて――は悪人を描くことに腐心して来た。悪人が馬鹿だと、それだけで物語はつまらなくなる。『ダークナイト』のジョーカーは、そうゆう意味では抜群に優れた、映画史上トップクラスの悪人といえる。対抗できるのは、『ダーティハリー』のスコルピオくらいのものだろう。

続きを読む...

テーマ : 映画感想
ジャンル : 映画

tag : ダークナイト

2008-09-17

渡辺文樹監督は、ロマンチスト

 14日の深夜に開催された、カナザワ映画祭の駅前シネマでの覆面オールナイト上映は、渡辺文樹監督の特集上映で、予想通りでも驚いてしまった。渡辺監督の話によると、上映日当日には駅前付近にポスターを貼りまくったそうで、私はそれを知らず、駅前シネマの入り口に渡辺監督作品のポスターが貼ってあるのを見て初めて知ったので、驚いた。カナザワ映画祭と駅前シネマ、やるなぁ。
 渡辺監督作品は、情報として知っていたけど、実際に観るのは今回が初めて。上映された映画は、『ノモンハン』、『天皇伝説』、『腹腹時計』の3本。そして、渡辺監督、ミュージシャン(兼文筆家)の中原昌也さん、『映画秘宝』の田野辺尚人さんという御三方によるトークショウ。

 渡辺監督は、各映画の上映前に簡単な解説をしてくれた。作ろうと思った動機、調査して判明した事柄、歴史的な意味合いとかを。その解説を聞くだけでも面白く、この時点でサービス精神旺盛な人であることがわかった。
 さて、肝心の映画は、噂と違って全然ちっともまぁーったく、過激でなかった。逮捕されたり、右翼と揉めたりという数々の戦歴が不思議なくらい、普通に娯楽映画だった。いや、まあ、確かに扱っている内容は過激かもしれない。皇族の血筋はおかしいとか、天皇暗殺とか。渡辺監督は、『腹腹時計』上映前に次のように語った。

「外国の映画では、大統領や王族が殺されたりするんだから、天皇が殺されたっていーじゃないか」

 確かに。日本人には、「天皇」は最も盛り上がる要素かもしれない。
 『天皇伝説』は、アメリカのイラク侵攻と、橋本元首相の金融スキャンダルと、皇室財産を一本の線で結び、皇族の血筋にまで迫る、詰め込みすぎて何の物語か最後には忘れてしまうアクション映画だ
 『ノモンハン』は、「ノモンハン事件」と終戦と皇族の関係を強引すぎるまでに結んだ挙句、男女の痴話話になったりならなかったりする映画だ。
 『腹腹時計』は、東アジア反日武装戦線による天皇暗殺事件を描いた、架空の「もう1つの日本史」アクション映画だ。
 どれも普通の感覚からすると、とんでもなく危険極まりない題材を扱っているけど、危険極まりないからこそ、とっても面白い。しかし。

続きを読む...

テーマ : 映画感想
ジャンル : 映画

tag : カナザワ映画祭 渡辺文樹

2008-08-24

『ハプニング』はシャマラン汁100%で、十年は漬け置き推奨

 M・ナイト・シャマラン監督の『ハプニング』を観た。作品を重ねる毎に評価を落として行くシャマラン監督だけど、『レディ・イン・ザ・ウォーター』が最高傑作で、『シックス・センス』が最も駄作だと思っている私には、『ハプニング』は十分に楽しめた。
 しかしまあ、客観的に考えれば、『ハプニング』は駄作だろう。前半で異様に盛り上げ、後半で凄まじく盛り下げる。物語は……何が何だかさっぱりわからない。よくわからんが自殺者が多発し、どうやらそれは地球環境が関係しているようで、でもやっぱりよくわからない。そして、その全てが登場人物たちの台詞によってきっちり説明される。

 『ハプニング』みたいな映画、昔はたくさんあった。最近ならスティーヴン・スピルバーグ監督の『宇宙戦争』がそうだ。私が『ハプニング』から真っ先に想起したのは、ルチオ・フルチ監督の『地獄の門』や、ダリオ・アルジェント監督の『インフェルノ』であり、類型でいうならアルフレッド・ヒッチコック監督の『』やアーウィン・アレン監督の『スウォーム』やジェフ・リーバーマン監督の『スクワーム』やウィリアム・ガードナー監督の『アニマル大戦争』だ。
 唐突な展開、説明される程に意味不明になる物語、別になくても構わない残酷場面、唐突なオチ。70、80年代にはそんな映画がたくさんあった。その中でも飛びぬけてインパクトがあって意味不明なのが、私にとっては『地獄の門』と『インフェルノ』だ。『シックス・センス』が運悪く当たっちゃって勘違いされているけど、基本的にシャマラン監督は『地獄の門』や『インフェルノ』を作るような監督だと思う。
 70、80年代の映画はやたらと人間を殺した。映画同士で競っていたといっても過言でないくらい、とにかく色んな事由で人間はやたらと死んでいた。『ハプニング』もその類の映画だ。全然、今っぽくない。物凄く、70、80年代のささくれ立った映画の匂いがする。
 『ハプニング』で人間が死ぬのは……が原因だ。正しくは草木が原因なんだけど、その恐怖を運んでくるのは、風だ。フランク・ダラボン監督の『ミスト』の恐怖は霧だったから画面も真っ白で、「スモークでも焚いてりゃいいんだし、楽な映画だな」と思ったけど(実際には楽でもないんだろうけど)、風って……本当にビュービュー吹いているだけなんだよ。風が吹いて草木が揺れると、登場人物は風下へ半狂乱になって逃げ惑う。風が草木を揺らすカットなんて、普通は捨てカットなのに……
 風が「ビューッ!」
 草木が「ざわざわ……っ」
 人が「ギャーッ!」
 こんな安い恐怖があったなんて(製作費は安くないくせに)、ロジャー・コーマンさんだって思い付かなかっただろう
 今までもシャマラン監督のハッタリは大きかったけど、『ハプニング』のハッタリは想像を絶する。というか、理解できん。今まで以上に異常な映画だ。シャマラン監督のフィルモグラフィーとしても、同時期に作られたあらゆる映画と比べても。

続きを読む...

テーマ : 映画感想
ジャンル : 映画

tag : ハプニング

2008-07-06

『シューテム・アップ』は立派な馬鹿映画

 『シューテム・アップ』を観た。見事だった。見事なガンアクション映画だった。見事なまでの馬鹿映画だった。中身空っぽ。見た目最重視。
 というかこれは、ジョン・ウー映画とジャッキー・チェン映画を観て大興奮した男子小中学生が仲間と“ごっこ”遊びをした内容を映画化したようなものだ

 “ごっこ”なので、物語なんてあってないようなもの。とにかく、ジョン・ウー映画とジャッキー・チェン映画と、あとウエスタン映画とついでに『子連れ狼』のカッコイイ真似をしたいだけなので(勝手な憶測)、ポーズ最優先で物語は後付け。それは正しい。めっちゃくちゃ正しいでしょ! 馬鹿映画であることを全く恥じぬ、真に立派な馬鹿映画だ!
 ガンアクション映画として新時代を築く程のものではないけど、斬新なガンアクション映画でもある。新しいガンアクションとしては「ガン=カタ」が想起されるが、『シューテム・アップ』のそれは、基本動作がジャッキー・チェンさんの『プロジェクトA』に於けるアクションみたいなのだ。つまり、周囲にある小道具を最大限に有効利用してしまおう、というもの。いうなれば、チェンさんがパンチやキックの代わりに銃を使うような映画。または、重力や慣性の法則を利用した、ガンアクション版『ピタゴラスイッチ』ともいえる。
 とにかく、いかにしてカッコイイかつ斬新なガンアクションを見せるか、それだけに全身全霊を費やしている。

続きを読む...

テーマ : 映画感想
ジャンル : 映画

tag : シューテム・アップ

2008-07-03

『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』は『1941』並みのやりすぎ映画

 スティーヴン・スピルバーグ監督の『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』を観た。いや~、凄い映画だった。

 はっきりいって、一般的に『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』は面白くない。
 まず、上映時間が長い。あと十分は短くできる。冗長な背景説明はかなりカットできるだろう。オカルトや古代文明やSF知識に興味ないと全く意味を持たない台詞が多すぎる。逆に、詳しい人は開始十分くらいで後半の展開が読めてしまう。駄目な脚本の典型。アクション映画なのに、「ふーん」とか「へー」とか、ぼーっと眺めているしかない場面が多く、途中で飽きるかもしれない。それは、これまでの「インディ」シリーズになかったものだ。
 次に、これはいっても仕方ないことだけど、アクションのゆったり感は何とかならんのかと。ハリソン・フォードさんが高齢であるから無理させられないんだろうけど。その代わりに若手が頑張ってはいても、まだまだ大作の主役格には届いていない。マット・デイモンさんの「ボーン」シリーズが主流となった今では、スピルバーグ監督のアクションに対する基本姿勢が旧態然としていることも問題だ。まあ、何もかもが「ボーン」シリーズ以降となる必要はないが、ゆったりしているとどうしても感じてしまう。
 そして、何よりも脚本の出来が酷い。物語はピースの集まりに過ぎず、それらが集まって見事な全体像を形成することはない。思いつきをだらだらと書き綴っただけの代物。観た人は誰もが絶対に思うだろうけど、『ミスト』『ショーシャンクの空に』のフランク・ダラボン監督の手による没脚本を是非読んでみたいものだ。たぶん絶対にそっちの方が面白そうなんだもん。
 だがしかし、間違いなくシリーズ最低に出来の悪い、『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』なのに、シリーズ最高に「凄い」と思った。それは、スピルバーグ監督らしい仕上がりになっているから。間違いなく、“今”のスピルバーグ監督の作品だ。

続きを読む...

テーマ : 映画感想
ジャンル : 映画

tag : インディ・ジョーンズ クリスタル・スカルの王国

2007-12-25

スマイル ★聖夜の奇跡★

 これ、大、傑、作っ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
 いや、「大」はいいすぎだろうけど、こーゆー映画を褒めないでどうすんだ! ですよ!

 昨今のクソ邦画同様、「難病もの」、「子供もの」、「感動もの」を網羅しているので、予告篇とか見た「心ある映画ファン」なら、絶対に観ないような映画ではある。がしかし! んがしかし!!
 『スマイル ★聖夜の奇跡★』はそんな映画ではなかった! まるで70~80年代の活気ある邦画のような、愛のある映画だ。
 いうならば、鈴木則文監督作品のような映画なのだ!
 ですよ!

 正直、陣内孝則監督がここまでちゃんとした映画を撮れるとは思ってなかった。主演が『世界の中心で、愛をさけぶ』の森山末來さんだし、実話がベースになってて、「難病もの」で「子供もの」で「感動もの」ときたら、もう観る前から駄作なのは見え見えってもんだ。ところが、間違いなくそんな要素で固まっている映画なんだけど、それは添え物でしかなかった。
 だって、森山さん、凄く良かったんだもん。元タップダンサーという先生役が変に見えず、実際にタップダンスをやってただけはあり、違和感なく演じていた。
 ほぼ素人の子供たちも良かった。『がんばれ!ベアーズ』を彷彿とさせた。
 全体の印象は『少林サッカー』や『ドッジボール』に少し近い。

続きを読む...

テーマ : 映画感想
ジャンル : 映画

2007-12-21

いのちの食べ方

 『いのちの食べ方』を観ました。非常に面白く、ためになる上に、驚きの連続の映画でした。

 題名の「いのちの食べ方」から連想されるのは、「どうやって食べるのか」ですが、実際は「いのちの扱われ方」を描いた映画。原題の「OUR DAILY BREAD」は、直訳すると「日々の糧」という意味で、それは確か聖書の「日用の糧」で、人の生活に必要な物事を指しています(だったと思います)。つまり『いのちの食べ方』は、我々人間に必要とされる食物の運命を描いた映画なのです。もっとわかり易くいえば、いかにして食物は殺されるか、でもあります。

 驚きは、まず画面に映る様々な機器によってもたらされます。
 牛の皮を剥く装置、子豚を去勢するために子豚を固定する装置、魚を一瞬で解体する装置、地面にいる鶏を吸い込む装置が付いた車、木の幹を掴んで凄い勢いで振動させて木の実を落とすマジックハンドみたいなものが付いた車などなど、見たこともない「~をするためだけ」の専門装置群。中でも去勢する子豚を固定する装置は、「子豚を固定するためだけに専用の装置があるの!?」と驚かされました。マジックハンドみたいなものが木の幹を掴んで超振動させると、どしゃぶりの雨の如く木の実がザバーッと瞬時に落ちるのにも、「すげーっ!」と感嘆しました。
 人間の「もっと楽に、もっと簡単に、もっと無駄なく」という効率化を図る発想が産む作業の進歩には驚かされます。
 鶏や豚や牛がシステマティックに解体される工程にも驚きました。解体以前に、それらがシステマティックに育成されているのにも驚きました。

 そんな「いのちの扱われ方」が、まるでスタンリー・キューブリック監督の『2001年宇宙の旅』か『シャイニング』、ピーター・グリーナウェイ監督の『ZOO』か『コックと泥棒、その妻と愛人』かというくらいこだわった構図で映されます(公式HPで予告篇が観られるので、そちらを参照して下さい)。「いのち」を撮っているのに、全くない温もりのない構図。
 また、予告篇ではBGMやナレーションがありますが、実際はBGMもナレーションも説明の字幕も何もありません。タイトルすら出ません。おかげで何をしているのかさっぱりわからない場面が幾つもありました。ザバーッと落としていた木の実は何の実だったのか、今でも気になります。
 何をしているのか不明でも、「いのち」がどのように扱われ、人間がどのように「いのち」を欲しているのかはよーくわかります。ナレーションや字幕や音楽を排し、冷めた視線で撮ってあるからこそ、過剰な「いのちの扱われ方」が一層強烈に伝わります。これは演出の勝利でしょう。
 『いのちの食べ方』を観て何よりも驚かされるのは、その過剰さなのですから。

続きを読む...

テーマ : 映画感想
ジャンル : 映画

2007-11-13

ボーン・アルティメイタム

 昨日、マット・デイモン主演『ボーン・アルティメイタム』を観た。
 面白かった。娯楽作としては超一級の出来だろう。特にアクション場面の出来は、前2作を軽く上回る

 特にカーチェイスが凄かった。というか、あれはもうチェイスではないような。主人公ボーンは、追手から逃げてるのに、積極的に相手へどっかんどっかんぶつけまくる。ぶつけて、逃げる。だから車はぐっちゃぐちゃ。よくあれで走れるもんだ、ってくらい。正に、肉を切らせて骨を断つ。
 あれだけ相手に全速力でぶつけて逃げるカーチェイスってのは、他にないんじゃないだろうか。アクション映画の判断としては正しいと思うけど、逃げ切る頃には、ボーンは生き延びているのが不思議なくらい、ぼろっぼろだ。前作でも「がっしゃーん!」てぶつける場面はあったけど、3割増しです。

 スペインはマドリッドの迷路みたいに密集している旧市街での、追跡・逃亡劇も凄い。敵の殺し屋を追いかけつつ、警察の追跡からは逃げつつという、大忙しな場面。
 狭い路地をバイクを使いながら文字通り縦横無尽に疾走し、足で走っては屋上から屋上へ、隣の建物の窓から隣の建物の窓へと、跳んで移る。もうジャッキー・チェンの時代は終わった、と見ている間は思ってしまう迫力がある。
 無論、殆どがスタントなのは、そーゆー場面の大半が主人公の背後しか映らないことからわかる。わかるけど、アクション場面は、アクションのできる人が演じるか、アクションができるように撮るかであって、スタントを使わなきゃアクション場面のランクが上がるわけじゃない。
 私はジャッキー至上主義ではあるけど、あれだけカッコ良いアクション場面が撮られているなら、スタントがどうとか気にならない。ていうか、殆ど『プロジェクトA』や『プロジェクトA2』、『ポリス・ストーリー』だ。しかもそれの凄い版。ポール・グリーングラス監督はジャッキー映画を観たことあるんじゃないの?

続きを読む...

テーマ : 映画感想
ジャンル : 映画

プロフィール

ばっどていすとさんどいっち

Author:ばっどていすとさんどいっち
テクノ好き。
アンダーワールドのRez大好き。
映画大好き。
ジャッキー・チェンが生涯の英雄。
生涯1位作品は『ミミズバーガー』。
2位が『溶解人間』。
泣き虫で、馬鹿。
itsuka-omoi-dasu-bts@hotmail.co.jp

最近の記事
プルダウンリスト
プルダウンタグリスト
ブログ内検索
ブログ全記事表示

全ての記事を表示する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。