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2012-06-15

『ロボット』は、『ガンスターヒーローズ』のボス戦

robot
 『ムトゥ踊るマハラジャ』の超スター、ラジニカーントさんがまたもや日本を大興奮で踊らせようとする作品が『ロボット』です。相変わらずのド濃い内容に胃もたれしそうですが、何やら色々とカットされているようで、観ていてとても違和感が残りました。
 で、とりあえず現時点で思ったのは、クライマックスの対決、メガドライブで出ていたトレジャーの『ガンスターヒーローズ』を超想い出しました。まさか実写で『ガンスターヒーローズ』のボス戦を見ることができるとは……懐かしのアクションゲーム好きにはたまらない作品かもしれません。それ以外では……特に見所はありませんでした。
 意味不明のミュージカル場面もたぶん大幅にカットされているのでしょう、物足りず。ラジニカーントさんの実力はあんなものではなかった筈。完全版を観たかったですねぇ。
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テーマ : 映画館で観た映画
ジャンル : 映画

2011-12-12

『モテキ』は、動いているようで動いていない

moteki
 『モテキ』を観ました。
 原作を読んだことはなく、TVドラマ版はやっていたことすら知らず、監督や出演者が好きでもないのですが、予告編でミュージカル場面があることを知り、観ようと思いました。どんなジャンルの作品にもミュージカル場面があればいいのに、と思っているので、ミュージカル場面があるってだけで観る価値があると思ってしまうのです。

 物語は単純。モテない青年に大好きな女性が出来て、両想いになりたいと願う。
 あれ? 何か普通の恋愛話だ。ちっとも「モテ期」じゃない。「モテ期」という単語から私が思い描いたのは、嫌がっても次々と女性に好かれる状態です。押し寄せる女性を切っては捨て切っては捨て――そんな「ギャルゲー」な状態。ところが、原作とTV版は知りませんが、とりあえず映画版はそんなではありませんでした。嘘つき!
 森山未來さん演じる主人公・幸世は、中途半端にオタクっぽい青年です。中途半端である故にプライドが妙に高く、高い故に自虐的です。自虐的であるということは、「正しく反省をしない」ということですから、つまり幸世はとても子供っぽい。そんな付き合うのが面倒臭そうな幸世がモテるからこそ、物語となるわけですがぁ。
 幸世に対しては、基本的に長澤まさみさん演じるみゆきを中心に展開します。予告編では4人の女性が主役格として描かれていましたが、名目的にも好いてくれるのは、みゆきと麻生久美子さん演じるるみ子の2名だけ。この2人がまた子供っぽい。自分が何をどうしたいのか明確な考えがなく、生き方を他人に委ねている。
 どうでもいいのですが、予告編では真木よう子さんが「ツンデレ」を演じているように描いてましたが……「デレ」がどこにもありませんでした。嘘つき!
 要するに本作は、現状を打破したくない登場人物の物語です。幸世は恋愛の成就に奮闘することはありません。一方的に舞い込んできた「モテ」を享受し、それが離れるや、自虐的にふて腐れます。奮闘することも足掻くこともしません(いや、惨めにすがることはするか)。願うだけ。それを「等身大の物語」として見ることは可能です。「ああ、いるいる、あんな奴」と。しかし、どこにでもあることが驚きの躍動感を見せる、それを映画で観たいのですが。

 では、画面の躍動感はどうか。その点でも本作は非常に残念。
 本作を観たいと思わせたミュージカル場面、これがとても残念な出来でして。映画版を観た後でTV版にも同様のミュージカル場面があることを知り、YouTubeで見たら、そちらは『(500)日のサマー』にオマージュを捧げたようですね。これまた残念な出来映えでした。『(500)日のサマー』みたいなミュージカル場面を挿入したい、という構想が先にあり、それに従ったからか、幸せな感じが全くない。つまり、手続きを怠っています。
 『(500)日のサマー』では、行き交う人々がみんな笑顔で挨拶してくれる、という主人公視点でミュージカル場面が始まります。停車中の車の窓ガラスに映った主人公の姿が『スター・ウォーズ』のハリソン・フォードさん、という妄想的な演出がさらに乗り、そこから徐々に主人公の感情の昂りが身体的な動きへと移行します。現実世界でいきなりミュージカルを行う滑稽さを、ギャグになる手前で交わすために色々と手続きを取っています。画面の色合いもいい。
 対してTV版の『モテキ』では、ミュージカル場面は突如として挿入されます。手続きを怠っているため、幸せな感じが薄い。それに、踊りがテクニカルすぎます。アイドルオタクだから? いや、それにしても「振り付け」らしすぎます。森山さんの動きは見事だと思いますが、いきなりアイドルみたいにテクニカルな振り付けで踊られても、感情の昂りを表現できているとは思えません。
 映画版になるともっと駄目。出だしに、投げ捨てた鞄が後方の通行人に当たりそうになって驚かれる、という現実的な描写があり、その時点ではミュージカル場面はとても期待できると思いました。非現実的でなく、現実的なミュージカル場面なのか、とワクワクしたのです。ところがその後は普通に非現実的なミュージカル場面でした。出だしの現実的演出は何だったのかと。周囲が訝しい表情をしている中で主人公1人が踊り、その感情の躍動感が徐々に周囲へと伝播し、見事な集団のミュージカル場面へと発展する――私が最初に抱いた期待はそのようなものでした。
 TV版に『(500)日のサマー』を意識したミュージカル場面があると知り、映画版のミュージカル場面がダメなのも納得。映画版のミュージカル場面は、「ミュージカル場面を挿入するため」に作られたものだからです。つまり、ミュージカル場面である必要がない。それ故に躍動感がない。見ていて感情が昂るどころか下がる。
 また所々で見せる幸世の変にアクロバティックな動きは、変だから面白いのですが、物語を動かしません。俳優は動いているのに、映画的な躍動感はない。動くことが展開に繋がるというより、時間を浪費しているだけに思えます。
 ところで、本作のミュージカル場面にて『私の優しくない先輩』のミュージカル場面を想い出しました。あれも駄目だと思ってましたが、本作よりは遥かに巧かったなぁ。

 そもそも「モテ期」の始まりは、いきなり殺傷事件の被害者となってしまったからです。「モテ期」が偶然やって来た、というより、「モテ期」を望んだ。そこから始まる物語が「死の直前に見た夢」と考えれば、誰もが閉じこもったままの物語で終わるのは納得できます。
 閉じこもり、前進しない。みゆきが魅力的だと描かれていますが、それは幸世が魅力的であることを説明しているだけで、幸世の説明なしにみゆきが魅力的であるとは思えません。幸世の感じる魅力がそのまま実態を持った女性として、便利に登場するだけ。主役格の4人は皆そうです。幸世の願望を補完する。みゆきは幸世に対し、幸世では自分が成長できない、と拒絶を示しますが、それは幸世にとっても同じ。むしろ成長できないことを望んでいる。暖かく今の自分を肯定してくれる相手、それを求めている物語です。とても不健全な恋愛物語だと思います。
 とにかく、動かない物語です。殺傷事件ですら物語の躍動感に繋がらない。

 音楽の使い方は面白い……ようで最後までノることはできませんでした。幸世がポップスに詳しい設定なのでしょうけど、物凄く浅い感じが……そこを狙っているなら成功ですけど。たとえば『ハイ・フィデリティ』のようにしても良かったわけです。作品中で流れている音楽がそのまま主人公世界を表現しているのだとしたら、幸世は、中途半端なオタクですらなく、自分がオタクっぽいと思い込んでいるだけ。「思い込みオタク」だから幸世は歪なんでしょうねぇ。
 演出も前半は凝っていたのに、途中で力尽きたのか、後半は普通。画面の作りも魅力的でない。全体的に明るい画面で、暗さが出ていませんでした。映画版なのですから、しかもちょいとドロドロした物語なのですから、色合いを強調した画面作りにしても良かったと思います。ぼやーっとしてました。ぼやーっとした物語だからそれでいいのか。
 歪じゃない登場人物が少ない作品でした。ですから登場人物で最も魅力的だったのは、ピエール瀧さん。本人そのままの役で登場ということもあってか、異空間的な存在感。
 私にとって肝心のミュージカル場面が物っ凄く中途半端な出来だったこともあり、作品全体が中途半端な出来に思えました。本作が2時間のTVドラマだったなら、凄いな、と思ったのでしょうけど。いや、やっぱ思わないか。途中で飽きましたし。

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2011-03-03

『パラノーマル・アクティビティ2』は、遂に恐怖学芸会となった

pna2
 『パラノーマル・アクティビティ2』を観た。
 寝室にハンディカメラを設置して、デカイ音鳴らしたりするだけの超激安恐怖映画が、何と続編を作ってしまった。番外編的な続編『パラノーマル・アクティビティ 第2章/TOKYO NIGHT』とやらもあったようだけど、金沢市では上映してないので未見。

 物語は、超単純。引っ越し先で悪魔騒ぎが起こり、次々と人が死ぬ。
 前作と何も変わらん。脅かし方も同じ。デカイ音が「バーンッ!」と鳴ったり、小さい音が「ミシ……ッ」と鳴ったり、ドアが勝手に凄い勢いで「バーンッ!」と開いたり、ゆっくりと「ギィ……ッ」と開いたり、食器が「ガランガラーンッ!」と落ちたりする。そして、人が引きずり回されたり、吹き飛ばされたりする。続編だから演出が強化されているけど、基本は同じ。要するに、「バーンッ!」で「ミシ……ッ」な作品だ。

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tag : パラノーマル

2011-01-08

『トロン:レガシー』は、実はダフト・パンクの超大作PV

tronlegacy
 『トロン:レガシー』を観た。
 旧『トロン』は、子供の頃にTVで観た。斬新なデザインに目を奪われ、劇中で描かれる光の帯を伸ばして戦うレースゲームにも夢中になった。そのせいか私の中で「カッコイイ未来的デザイン」は今も『トロン』だ。それが最新CG技術によってリメイクされるってんだから期待しないわけがない。しかも音楽は『トロン』そのもののダフト・パンク。予告編からして大興奮できたのだから、観る前から傑作は保証されたも同然だった。
 しかし。

 物語は単純。コンピューターの世界に迷い込んでしまい、そこから脱出するための大冒険。要するに、『不思議の国のアリス』を男子が好きそうなゲームちっくアレンジにしたってだけ。従って、物語は全く面白くない。
 コンピューターの世界とはいえ「不思議の国」だから、物理法則も何もあったもんじゃなく、どーゆー理屈でコンピューター世界へ出入りできるのかさっぱりわからない。主人公の父親は何か天才で、コンピューターの世界で完璧な世界を構築して、現実の世界に反映させようとしているのだけど、何をどうやるのかさっぱりわからない。細部が全く練り込まれていないので、いちいち理屈を気にしたら駄目ってことだ。「ゲームの中に入って、大活躍して、世界を救って、かつ美女と結ばれたらいいよなぁ~」というような男子の妄想でできている。
 物語だけでなく、演出も画一的。アクション場面の演出は『マトリックス』。登場する機器のデザインは未だ斬新さが健在とはいえ、逆にいえば、斬新なデザインはここ30年ばかり出ていないってことになる。斬新とはいえないかもしれないが、ここ30年間でSFとして優れていると思ったのは、押井守監督の『Ghost In The Shell 攻殻機動隊』、スティーヴン・スピルバーグ監督の『A.I.』と『マイノリティ・リポート』くらいしかない。SFで重要な質感と普通っぽさを意識的に描いて成功しているのはそれくらいだろう。そこを比較すれば、『トロン:レガシー』には斬新さは欠片もないし、SFっぽくもない。やはり『不思議の国のアリス』っぽい。
 じゃあ『トロン:レガシー』には短所しかないのかというと、もちろんそんなわけがない。長所は、音楽とやはり映像だ。というか、そこに特化している。つまり、面白い物語の映画を期待せず、最初っからダフト・パンクのPVと割り切って観れば十分に楽しめる。

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tag : トロン

2010-12-30

『SR サイタマノラッパー2』は、「けいおん」集団の成れの果て

 『SR サイタマノラッパー2 ~女子ラッパー☆傷だらけのライム~』を観た。
 前作の『SR サイタマノラッパー』がボンクラ男のグチグチした作品だったのが、今作の主人公はボンクラ女! ボンクラ女ラッパーの物語って珍しい! しかも、舞台は群馬! 2作目にして既に「サイタマノラッパー」じゃないし! 題名に偽りあり!!

 物語は簡単。というか、舞台と主人公を変更しただけ。20代後半になっても高校生の頃に組んだラップ・グループの楽しさを忘れられない女ラッパーがラップを取り戻すまでの日々を描く。
 主軸となる登場人物が5人に増え、続編ゆえにラップを描く技術も上がり、身につまされる痛い人物描写や状況描写も強力になっており、続編として期待値はクリアしている。前作と今作どっちが面白いかといったら今作の方だ。
 前作の主人公2人組が冒頭から登場し、聖地巡礼(伝説の先輩ラッパーがライヴをした場所)のために群馬に訪れ、それが物語の導入部となる。前作を観た人なら、あの最後の後、2人がヒップホップに戻ったことが冒頭で示されるので、嬉しくなる。
 前作の主人公2人、そして今作の主人公3人(主要人物は5人だけど、主人公は3人)にてヒップホップに人生を捧げる生き様が描かれる。みーんな痛くて、みーんな等身大で、主人公がラップを取り戻す最後の法事場面にはボロ泣きさせられる。何かに憧れて、挫折して、忘れようとして、しかしそれができない――まだ心の中でくすぶっている――人にとっては、涙が止まらないかもしれない。
 しかし、だから傑作かというとそうじゃなく、むしろ失敗作だと思う。

 まず、致命的に駄目なのが、前作での欠点である「現実感のなさ」を解消できていない点。現実離れしている部分まで継承し、かつ強力になっているんだもの。前作同様に長回しワンカットの場面があるんだけど、これが全く効果的でない。最後の法事で次々とラップする場面なんか、感動するんだけど途中で冷め、飽きてしまう。「え、まだ続くの?」と思ってしまう。法事という神妙にしなければならない場でのラップという設定は面白いけど、その面白さは全く活かせていない。
 また同様に中盤のプールでのライヴ場面も駄目。フルコーラスいらない。途中でカットし、控え室で意気消沈している場面に繋げればそれで済むのに、無駄にワンカット長回しをしている。
 ワンカット長回しは、映画にとって魅力的な演出だけど、効果的に使わないと逆効果でしかない。その一番の理由は、画面に映っている周囲の人物をちゃんと演出していないから。ざわついているだけで、誰も止めやしない。最後の法事のラップ場面で前作の主人公2人組が割り込んでくるのなんか、完全にコントでしかない。普通、全力で止める、または呆然とするだろうに、ざわつくだけ。プールの場面も、遠景で撮り、客の動きや空の色などを画面に収めているけど、客の反応の演出がイマイチなので意味がない。
 次に駄目なのが、主人公。いや、いますよあんな人。いますけど、ちょっと馬鹿すぎるだろ。ダサいファッションセンスで、ヒップホップ気取りなのが、痛い。いや、痛い描写が重要なのだから、というのはわかるんだけど、酷すぎる。あれじゃあ単なるメンヘラーじゃん。ラップを取り戻すことが、結局は高校生の頃の楽しさをもう一度ってだけで、前進したとはいえない。そもそもなぜ人生にラップが必要なのか前作同様描かれないので、これまた致命的に駄目。ヒップホップに憧れてるのにファッションに全く反映されていないし、別にみんなでラップをしなくても日常生活にラップを入れることは可能なのにそうでもないし。それでラップが必要なのだろうか? ラップでなければならない理由が描かれない以上、「SRサイタマノラッパー」は2作続けて失敗作といえる。

 貶しているけど、良い場面はもちろんある。
 前作以上にラップっぽさがちゃんと演出されていて良かった。川原や法事でのフリースタイルは楽しめた(もうちょいビートがしっかりしていれば良かったし、無駄なカメラワークもいらなかったけど)。
 最後、主人公と父親との会話がラップっぽくなっていて、主人公に「今、ラップっぽかった」と指摘され、「あ、本当だ」と思った瞬間に終わるのは素晴らしい。あのラストショットだけで前作を超えた。あのタイミングが全編に活きていれば傑作になったのにねぇ。
 そして、エンド・クレジット。シネスコサイズに画面が切り替わり、主人公が自分たちの歌を口ずさみながら川べりを気持ち良さそうに歩く姿は、最後の最後でヒップホップが生活の中に入っていることが示され、微笑ましくなる。あの画面サイズで全編撮り、画面に収まる色んなものを細かく演出できていれば、大傑作になったかもしれないのに。次は最初からシネスコで頑張ってほしいな。

 エンド・クレジットの後、どうやら全国を移動しながらシリーズを作り続ける気らしいことがわかる。次は、「ホームレス・ラッパー」とか出しそうだな。伝説のラッパーが今じゃ落ちぶれてホームレス、という設定の。でも、続編を作る気があるなら、演出を根本的に見つめ直すべき。何にしろ、ラップである必然性をちゃんと描けないとどうにもならないんだけど。
 あと最後に、アニメの『けいおん!』が大ヒットしたけど、『けいおん!』ファンこそ今作を観るべきだ。物語も成長も描かれていないと揶揄されたことのある『けいおん!』だけど、その揶揄は必ずしも間違っているとは思えない。楽しいだけの高校生時代をいつまでも忘れられない今作の主人公たちは、『けいおん!』主人公5人の成れの果てに見えてしまう。無垢であることと憧れ、または持続するための自覚――物語と成長は、そーゆー対比でしか描けないと思うのだ。もしも『けいおん!』を実写化するとして、その思索に今作を観ると、かなり面白いと思う。逆にいえば、そうでもしないと今作は楽しめないかもしれないんだよね。

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tag : サイタマノラッパー

2010-12-25

『SRサイタマノラッパー』は、現実感のない御伽噺

 『SRサイタマノラッパー』を観た。
 金沢市では、首都圏での上映から1年以上遅れ、『SRサイタマノラッパー2女子ラッパー傷だらけのライム』の上映に合わせての上映だ。従って、評判が物凄く高いことを知った上で観ることになり、評価のハードルは自然と高くなった。で、それでも感動した。評判の高さも納得だ。でもねぇ……

 物語は単純。うだつの上がらないラッパーの、ヒップホップに人生を懸けている姿を描く。
 はっきりいって、物語は面白くない。というか、あってないようなもの。だのに作品が面白いのは、キャラクター造形が良いから。そこにしか『SRサイタマノラッパー』の魅力はなく、そこに魅力を感じなければ、全く面白くない。
 どの登場人物にも輝ける未来は待ってなく、作品全体に閉塞感が漂っている。主人公は、大した学歴がなく、働きもせず、ホームセンターのような店で雑誌を買い、誰も認めていないのに「俺はラッパーなんだよ」と自称しているだけの、ただのニート。ライムのネタを集めるために新聞をいちいち読んでいるくせに内容は理解していない、それを自慢しているような、ただの馬鹿。それでも主人公は、ヒップホップにしがみ付く。人生を照らす灯りがそれしかないかように。
 愛すべき駄目人間の物語――そんな作品はたくさん存在する。その代表格が、ポール・トーマス・アンダーソン監督の『ブギー・ナイツ』だ(私が勝手に親友認定している作品)。ビーチ・ボーイズの「神のみぞ知る」が流れる最後の場面なんて、何度観ても泣いてしまう。色んなものを失った最後の最後に主人公がしがみ付くのは結局、ご自慢の大きなペニスだけだった。
 しかし、『SRサイタマノラッパー』はそれら「愛すべき駄目人間の物語」とは異なる。『SRサイタマノラッパー』の登場人物には、「愛すべき駄目人間」が登場しない。愛嬌がない。何が『ブギー・ナイツ』――「愛すべき駄目人間の物語」――と異なるのだろう?

 残念なのは、最初から最後まで、物語にノれないことだ。主人公たちの駄目っぷりにはとっても共感できるけど、なぜそんな駄目人間がヒップホップでなければならないのか、その点が全く描かれていない。だから、人生にヒップホップは必要不可欠であることを訴える最後の場面は、観ている最中は感動的なのに、観終わると何も残らない。
 みひろさんら脇役により、主人公らが駄目人間である過去がそれとなく描かれているが、肝心要のヒップホップに打ち込む真剣さが全く描かれていない。「だから、それで?」としか思えない。結局、『描かない漫画家』のようなものだ(いや、それ以下か)。
 北野武監督の『キッズ・リターン』の最後場面のように、「まだ始まっていない」わけでもない。だって、何もしていないもの。何もないのなら、それこそ石原まこちんさんの『THE3名様』のような物語でも良かった筈だ。しかし『SRサイタマノラッパー』は、痛烈で感動的な物語を目指している。成功しているのは、「痛烈」な部分だけ。
 『8Mile』と比較されるだろうけど、『SRサイタマノラッパー』は、『8Mile』には敵わない。金がかかっていない、有名人が出ていないという差じゃない。根本的な問題。なぜ主人公はヒップホップでなければならないのか、それが全くわからないのが大問題。
 『BECK』も同様だったけど、物語としては別にロックでなくても構わない。「アイドルになりたい」でも「芸人になりたい」でもいいわけだ。『SRサイタマノラッパー』だって同じ。主人公はデブなんだし、「相撲取りになりたいのになれないニート」でもいい。むしろそっちの方がいい。必然性があるし。『プレシャス』なんて必然性のあるキャスティングだったよ。
 必然性が描かれないから、「痛烈」であっても、「愛嬌」はない。それで大失敗している。

 物語が面白くないのに作品が面白いとなると、それは殆どドキュメンタリーのようなものだ。実際、近い演出が2点ある。役所での曲披露と最後の居酒屋での本音の吐露、その2点はワンカットの長回しで、『SRサイタマノラッパー』の胆で、演出的にも最も力が入っている。全体的に突き放して撮っている部分が多いので、そこもドキュメンタリーっぽいといえる。が、それも中途半端。
 ドキュメンタリーなら対象にもっと近寄らないと駄目なのに、近寄らない。いや、むしろ周囲を徹底的に描くことで主人公を浮かび上がらせるべきなのに、それもしない。最も駄目なのは、周囲に気を配っていないことだ。
 長回しの2場面は、物語的に重要な、最も「痛烈」な場面だ。周囲が白けた雰囲気の中で、主人公だけが熱く披露する曲。あ痛たたたたぁ~、となる場面。しかし、周囲の演出に気を配っていないから、妙に現実味がない。役所で披露する場面は、曲の途中で「あ、もうそこまででいいです」と打ち切られるべきだった。最後の居酒屋の場面にしたって、普通なら店長が途中で止めるだろ。そんな当たり前のことをやらない脚本だから、はっきりって「痛烈」には届いていない。何かテキトー。

 パッと見、とっても面白くて感動的なんだけど、実は格好だけで魂が欠けている。最後の場面には感動してボロ泣きしてしまったけど……現実感のなさが――それこそティム・バートン監督の『シザーハンズ』よりも現実感がない――何もかもを駄目にしている。
 とっても真摯に作られていると思えるだけに、もったいないと思える作品だ。まあ、それでも『BECK』なんかよりゃ全然マシだけどね、と言い切れないけど。
 何となく観ていれば感動するけど、細かい部分が気になりだすと一気にボロが溢れてくるので、賞味期限は当日中まで。

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tag : サイタマノラッパー

2010-11-14

『フローズン』は、自己言及に終わっている

 『フローズン』を観た。残酷映画の佳作『ハチェット』を撮ったアダム・グリーン監督の新作だ。
 『ハチェット』は、80年代そのままの残酷映画で、特に新鮮さもなく、イーライ・ロス監督の『ホステル』大ヒットありきの作品だったけど、過剰な残酷描写は楽しく、ついつい笑顔になってしまう作品だった。もっと面白くない映画がたくさん公開されている中、『ハチェット』は劇場公開されるに十分の魅力を備えていたと思う。だからグリーン監督の名前は要注目として覚えた。ロス監督のように『キャビン・フィーバー』から『ホステル』へとステップ・アップするか、地味に消えていくか、その動向を見てみよう、と。
 で、『フローズン』だ。

 物語は物凄い単純。スキー場のリフトに男女3人が吹雪の中放置されて、さあ大変。そんだけ。
 誰しも一度は「こんな状況は嫌だ」を考えたことあるだろう。ジェットコースターの回転中に停止しちゃったらどうしよう。理髪店の店員が殺人鬼だったらどうしよう。歯科医の医者が殺人鬼だったらどうしよう。他にも色々あるけど、その大半はもう映像化されているんだよね。特に『ファイナル・デスティネーション』シリーズは「こんな状況は嫌だ」の宝庫だ。実際、前述した3つの状況と似たような状況を描いている。『フローズン』も同じ。
 地上15メートルにあるリフトに取り残されるのは、一晩でなく、1週間。食べ物も飲み物もない。排泄も困難。下手に寝ると落下する恐れもある。吹雪をしのぐ場所もない。飛び降りるには地上15メートルは高すぎる。無事に飛び降りられたとしても、下には空腹の野生オオカミが目を光らせて待ち構えている。携帯電話はロッカーに置きっ放しだから救援も頼めない。凍死するか、空腹で死ぬか、落下して大怪我した上にオオカミに喰われて死ぬか……より良い死に方を選ぶしかない、まさに絶体絶命の大ピンチ。
 主人公らが追い詰められる姿を楽しむ作品なので、いかに面白い状況を作り出すかが重要。なんだけど、「リフト上に遭難」というアイデアを超えるものは最後までなかった。

 この手の作品は、登場人物の頭が良くないといけない。ダウンタウンの松本人志さんが監督した『しんぼる』みたいに、状況を改善するための行動がアホだと一気に興醒めしてしまう。「他にもっと良案があるだろうに、何でそんなことするかなぁ?」と。『フローズン』も同じ。とにかく脚本が練られていない。状況に対して最善策を採った上で窮地に陥れなきゃ駄目なのに、全くそうなっていない。
 前半に、「『ジョーズ』みたいに襲われるのがわかる死に方は嫌だ」とか「9.11テロの、WTCから飛び降りなければならなかった状況は嫌だ」など、暇潰しに「嫌な死に方」を話し合う場面があるんだけど、それがそのまま『フローズン』の展開に反映されているので、ウェス・クレイヴン監督の『スクリーム』シリーズみたいな自己言及映画でもある。が、『スクリーム』程には自己言及的でもない。無駄話の中に解決策を織り交ぜ(「あの映画ではこうやって助かっていた」とか)、それが行動に伴うならわかるんだけど、無駄話が本当に無駄なので驚いた。全てが中途半端。
 サスペンスのくせに、行動によって展開しないし。リフトから飛び降りたら、大骨折し、オオカミに喰われて終わり。ケーブルを伝って無事に地上に降りても、オオカミに喰われて終わり。結局、何も行動していない者が生き残る。皮肉的な展開を狙ったんだろうけど、全く成功していない。
 前半に、ロッジの壁に行方不明者のチラシが貼られているのを映すんだけど、それが伏線として効果的に活きることはない。リフト係が状況改善に役立つような展開もない。小便を漏らしても、凍り付いて困るようなこともない。少ない登場人物と状況が効果的に動かない。
 基本的に投げっ放しジャーマンな作品だ。

 また画面も酷い。
 凄く頑張って撮影したようだけど、照明が頑張ってない。スキー場の照明が全て落ち、月明かりしかない闇夜だってのに、しかも吹雪いているってのに、何であんなにちゃんと見えるの? もうね、その時点で駄目。サスペンスとして盛り上がらない。
 CGを嫌って現場主義で撮影するのは良し悪しだよ。便利な技術は積極的に使えばいいのに。

 とはいえ、面白い場面もあった。
 飛び降りた彼氏が着地に見事すぎる大失敗をし、「ボキグシャッ!」という盛大な効果音で骨が飛び出す大骨折するのは面白かった。最初はなぜか大して痛がらないんだけど、前屈しようとして「いってーっ!」と叫ぶのも面白かった。そして、オオカミに襲撃される場面は完全にギャグ演出で、涙が出る程に爆笑した。もっと容赦なく演出してほしかった。
 結局、何もしなかった彼女が運良くリフトから降りられ、急いでスキー場を滑り降りている最中、またもやオオカミと遭遇するんだけど、先に逃げた筈の友人を食べるのに夢中だったから襲われずに済むのが面白かった。
 面白かったのは、その2つのシークエンスと「リフト上で遭難」というアイデアだけ。
 上映時間は93分と短いんだけど、無駄話が無駄なため、長く感じた。登場人物の行動によって性格設定も説明できていれば、80分くらいで作れるような作品だ。それだったら物凄く面白かったろうな。

 ところで、公式サイトから見られるコメント五月女ケイ子さんによる「バカドリル」みたいなイラストは、余計極まりない。
 特にデーブ・スペクターさんとルー大柴さん、竹中直人さんのコメントが酷い。『フローズン』に全く貢献していない。観た後に読むと、盛り上げてくれるどころか盛り下げてくれる。
 イラストはとっても面白いけど、これまた『フローズン』には貢献しない。
 作品に貢献する気が配給会社にないとしか思えない……

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ジャンル : 映画

tag : フローズン

2010-08-17

『告白』は、長い長い「Street Spirit」な映画

 中島哲也監督の『告白』を観た。いつも大成功しているようで大失敗している中島監督の新作だから、ワクワクしながら観に行った。
 原作は読んでおらず、内容が「女教師の子供を殺した子供を見つけるミステリー」だと思っていたら、全く違っていて驚いた。

 初っ端が女教師の告白で始まる。私の子供が殺されました、犯人はこのクラスにいる誰々です、と。いきなり犯人が発表され、エイズ・ウイルスの入った血液入りの牛乳を飲ませ、復讐が果たされる。え? いきなり物語終わったじゃん。と思いきや、物語はこっからが本題だ。
 物語は、主要人物毎に、それぞれの視点から三者三様に描かれる。別の視点では被害者だった者が、その別の視点では加害者になる。物語としてはそこが面白いところなんだろう。そして最後に本当の復讐が果たされる。ここが最高の見せ場とばかりに。
 しかし『告白』は、「朗読映画」とでもいうべき映画だ。

 喋りに喋り、喋り倒している。
 物語だけを考えれば、出だしの「告白」部分で全て終わっている。その後は多大なる蛇足。子供も大人も馬鹿ばかり、という物語。ゴシップ好きのワイドショー批判にもなっている。
 重要なのは、「朗読」でしかない物語を、どのように演出するか。その点は頑張っている。あの「朗読」な物語を魅せるものに仕立てている。が、どう頑張って好意的に見ても、『告白』は長い長いPVにしか見えん。特に、レディオヘッドの曲が使われていることもあってか、どうしても「Street Spirit」のPVを想い出す。中島監督は絶対に知っている筈だ、「Street Spirit」のPVを。正直、その真似事でしかないと思う。
 映像は美しいかもしれない。でも、『告白』程度のPVならもっと優れたものがわんさかとある。どうせ作るなら、世界中のPV監督が驚愕するくらいの――それこそスパイク・ジョーンズ監督やミシェル・ゴンドリー監督が驚くくらいの――映像美を見せてほしかった。

 残酷で馬鹿なだけの物語をPV風の映像美で魅せる――それだけの『告白』には、現実感も映像同様に間延びし、剥離している。残酷な物語を美しく撮れば撮る程、現実味は薄くなる。というか、薄くしている。凝った演出、凝ったショット、凝った照明、それら全てが現実感を遠ざけようと意図されている。中島監督には度胸がなかったのだ。本気で残酷な物語を描くだけの度胸が。
 それでもクライマックスは面白かった。犯人の少年の母親に爆弾を仕掛け、それを爆発させる場面。「ドッカーン!」と松たか子さんが間抜けなくらいに物凄く口をデカク開けて叫ぶことから始まる、一連のシークエンス。「おおーっ、よく描いたなこれを」と感心した。現実の事件として考えれば大変な出来事だけど、映画のこととして考えればギャグとなって大変に面白い。笑えたもの。しかし、その後が悪かった。つまらない話の代表に、最後に「なんちゃって」でオチを付けるものがある。よりによって『告白』はそれを最後の最後にやっている。ガックリだ。最後は、「授業をこれで終わります」という台詞で暗転させて終了、それで良かったと思うのだ。
 中島監督は、何もかも全てが残酷であるかのようには描き切れなかった。意味もなく騒ぐ生徒たち、意味もなく騒ぐ大人たち、嫌悪感を高めるためにそれらを効果的に挿入しておきながらも、最終的には完璧に嫌悪させる作品には仕立てられなかった。娯楽作としてヒットさせなきゃならないんだからそれは当然ではあるんだけど、そーゆー側面を無視して考えれば、徹底的に嫌悪感で包んだ作品も、それはそれで見事な娯楽だと思うんだ。たぶんトッド・ソロンズ監督ならもっと完璧に近付けたに違いない。

 『告白』を、出だしの「告白」部分だけで短編として作ってあればまだマシだった。2時間近くをただ綺麗な映像だけで語るのは、ちょっと単調すぎる。正直、30分は長い。不要な挿話を削って――というか、スローモーション演出を全てなくせばもっと短くなるんだけど。何であんなにスローモーションを多用したのだろうか? それ以外に魅せる方法が思いつかなかったのかもしれない。喋くり倒す映画には、シドニー・ルメット監督の『12人の怒れる男』があり、それを真似ても良かったと思うんだけど、『告白』は密室劇だけど長編の密室劇にはできない。それに、密室劇を持続させられるだけの役者がいなかったのかもしれない。『12人の怒れる男』と『告白』を比較するのは酷か。
 三者三様の実情がある、という物語構成は、黒澤明監督の『羅生門』も彷彿とさせる。凝った撮影、凝った演出という点も似ている。しかし、『告白』は『羅生門』(今から60年前の作品)の頃と比べて撮影技術が格段に進化しているにもかかわらず、作品そのものは大して進化していない印象を受けてしまう。まず演出が単調なのもあるけど、脚本に面白味が全くないのが原因。さらに突っ込んでいえば、中島監督の哲学の浅さが原因なんじゃないか? 『告白』のテーマに関して中島監督が語る考えるレベルが低いので、それが演出の全てに繋がっているのだと思う。中島監督に橋本忍さんの仕事をするのは難しいか。

 結局、徹底的に露悪的な物語を描き切れなかったため、適度なライト・ファンタジーに仕上がっている。それはそれで娯楽として楽しみ易い。しかし――と、欲をかいてしまう。たぶん、中島監督に向いていない作品だったのだ。
 たとえば、ドカンと感情が爆発するなら、サム・ライミ監督の『ダークマン』の方が演出的に過激で面白い(内容が凄くかけ離れてはいるけど)。ライミ監督の方が巧く『告白』を撮ったに違いない。またはバズ・ラーマン監督なら、もっと見事に美しく描いたに違いない。
 中島監督には、過剰さがまだ足りない。

 最後に。
 どうせだからもっとレディオヘッド寄りにしても良かったと思った。「No Surprises」なんかもピッタリなんだし。

心は埋め立てられたみたいにいっぱい
俺は平穏な生活を送るんだ
恐れることも、驚くこともない



Radiohead 「Street Spirit」


Radiohead 「No Surprises」

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tag : 告白

2010-06-27

『第9地区』は、『アバター』以上『ダークナイト』未満

 ちょいと変わった映画好きに話題騒然な『第9地区』を観た。「ちょいと変わった映画好き」は、『映画秘宝』を熱読するような人々を想定していて、もちろん私もそこに該当すると自覚している。ゆえに、ジェームズ・キャメロン監督の『アバター』には興奮できなかったし、大いに落胆したから、『第9地区』には観る前から期待していた。

 物語は単純だ。というか、設定が面白いだけで、物語そのものは典型的な「バディもの」アクション映画。
 地球に大勢の他星人が訪れる。侵略目当てでなく、宇宙船の故障のために漂着しただけだった。追い返すわけにもいかず、とりあえずは南アフリカに他星人専用の難民キャンプを設ける。
 20年経っても他星人は帰る気配がなく、難民キャンプは荒れに荒れ、完全にスラムと化していた。困った政府は別の難民キャンプを設け、移住してもらうことにする。その移住手続きを担当するのが主人公ヴィカス。
 平凡を絵に描いたような公務員であるヴィカスは、大役を受け、意気揚々と業務に当たっていたが、他星人が所有していた謎の液体を偶然被り、他星人へと変貌してしまう。そして、誰も助けてくれないばかりか、なぜか自分の組織から狙われることになってしまう。
 謎の液体を所持していた他星人を詰問すると、謎の液体は宇宙船の燃料となるもので、そして宇宙船に戻ることができればヴィカスを元の人間に戻すことが可能らしい。否応なくヴィカスはその他星人と共闘する羽目に陥る――

 他星人を難民扱いして隔離政策という設定は面白い。後は、それをいかに物語に昇華させるかなんだけど……とても中途半端。中盤まではSFらしく展開し、さらに政府と他星人の丁々発止なやり取りがあるのかと期待していたら、そんな細かい話は何もなし。政治社会的な発想は「他星人の隔離政策」だけで終わる。アパルトヘイトの隠喩と読むことは可能ながらも意味はない。「何かちょっと政治社会批判っぽいこと盛り込みました」って程度。中盤からは、互いに信用していないながらもコンビを組まざるを得ない「バディもの」でアクション展開。
 前半の政治社会的モチーフだけで最後まで進めてほしかった。中盤から普通の映画になっちゃって、それなら『アバター』みたいに贅を凝らして撮ってほしかった。他人様の惑星に勝手に住み着いて勝手に振る舞っておいて、躊躇なく他星人と相思相愛になれてしまう御伽噺にすぎない『アバター』に比べれば、『第9地区』はとっても説得力のある物語だ。しかし、『第9地区』だってかなりテキトー極まりない。発想としては面白いけど、無理でしょ他星人の隔離政策は。コメディとして作るなら良かったのに、意外や真面目な展開を見せるんだもんなぁ。ナチをコケにしつつもカッコ良く描いた『スターシップ・トゥルーパーズ』に比べれば子供騙しもいいとこだ。

 ヴィカスの人物造形は素晴らしい。主人公だってのに、人間的にとっても“出来ていない”、観客と等身大の普通人。誰かのために我が身を厭わない、なんて勇敢なキャラじゃない。むしろ卑怯者で臆病者。自分を助けてくれた他星人を裏切ったりするし、すぐメソメソしたりする。「あーあ、情けない」と誰もが思う、そんな等身大の主人公だからこそ、最後の最後でヤケクソ気味にヒーローとして大活躍するから、「やればできるじゃん」と感動を呼ぶ。『第9地区』の成功は、その設定より、ヴィカスの造形にある。『アバター』のような「設定のために設定された主人公」だったら台無しだった。
 大きな設定を盛り上げるための小さな設定も面白かった。他星人がエビみたいな外見だから「エビ」と呼ばれていたり。プレデターともエイリアンとも異なり、滑稽なようでグロテスク。そのデザインは見事。だけど、その見事さは、『アバター』の青い鹿顔星人と大差ない。が、なぜかネコ缶が大好きだったり、細部の設定が滑稽で良かった。ヴィカスが他星人と変貌しつつある時、空腹からネコ缶を貪るように食べる場面では、「あ、やっぱネコ缶が旨いと思うんだ?」と思いきや凄い勢いで吐き出すのには爆笑したし。『第9地区』で面白い場面は、汚い場面ばかりだ

 設定は面白いし斬新だけど、全体的な印象は、古臭い。もちろん最近の映画だから、特撮技術は低予算映画といえども凄い。が、それは撮り方の問題であって、いかにして細部を見せないようにするか、そこに集中している。「いかにして見せびらかすか」に集中していた『アバター』とは逆
 ドキュメンタリー風の演出を使っていて、それが「いかにして細部を見せないようにするか」だ。ドキュメンタリー風であるということは、既に結果が出ているということなので、エピローグから始まるようなものだ。結末から始めるのはサスペンスの常套手段だけど、『第9地区』はサスペンスではない。サスペンスとしての牽引力は弱い。ドキュメンタリー風だからだ。ドキュメンタリーは、見聞きしていないことは映せない。サスペンスは、見聞きしていない部分を映していくことで盛り上げる。ドキュメンタリー風の演出を使った時点で、細部を表現することを放棄している。
 とはいえ『第9地区』は、事情を知っている関係者の証言を並べ、劇中で描いていない部分を説明する。ヴィカスがどうなって、どう思われているか、観客が「見られない側面」を台詞で説明する。観客はまずその証言が誰のことを指しているのかわからない。わかってくると、見えている部分と異なる世界が提示され、『第9地区』は、映画そのものが「世の中から見えない側面」を説明する映画であることがわかる。観客から見れば最終的にはヒーローとなったヴィカスは、社会の中では裏切り者の悪者だ。それを提示することで『第9地区』は社会批判をしていることがわかる。見えている側面ばかりが美しいわけじゃない、と。だからこそ最後のショット――誰にも事情を説明できないまま孤独に美を愛でるヴィカス――は感動的だ。
 しかし、それならやはり「バディもの」にする必要はなかったと思うのだ。またドキュメンタリー風の演出も不要だったと思う。ドキュメンタリー風の演出で「世間から見たヒーロー」を説明したのは、大失敗だった。『ダークナイト』が最後、孤高のヒーローへと旅立つように、ヴィカスも孤高となるのだから。

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2010-05-30

『ボックス!』は、目指した場所が頂点でない中途半端な物語

 市原隼人さん主演の『ボックス!』を観た。
 こないだ「ミュージック・ステーション」でRIZE with 隼人の「Laugh It Out」を聴いたことをきっかけに『ボックス!』の存在を知り、明らかに私が好きな類の話だったので、期待半分、不安半分で鑑賞。

 物語は、天才型のボクサーであるカブと、努力型のボクサーであるユウキ、この2人の男子高校生を中心にした、夢と挫折と栄光の物語。努力を知らない天才が努力の凡才に負け、挫折するが、復活してハッピーエンド。典型も典型、ど典型の少年漫画的スポ根物語。要するに、はっきりいって、松本大洋さんの『ピンポン』。しかも、劣化版ですわ。
 この手の「少年漫画的スポ根もの」は、主人公の天才ぶりと、挫折と復活の3点に最も強い明かりを当てる。なので描き方としては、主人公がいかに天才かを序盤で描き、観客をその輝きで魅了してから、挫折のどん底に叩き落し、そしてそこから這い上がる主人公のさらなる輝きで感動させるわけだ。実際、『ボックス!』もそう展開する。
 カブの天才ぶりは序盤で描かれる。しかし、カブは天才なだけで努力をしないから輝きが鈍い。そこで挫折させ、自己を見つめ直すきっかけを与え、復活させることで真の輝きを引き出す。が、『ボックス!』は、そこに無駄があって感動が台無しになっている。
 展開が「挫折→復活」の典型なのは悪くないんだけど、なぜかその展開を2度繰り返すのだ。長期間の連続ドラマならそれもいいだろうけど、約2時間の映画で「挫折→復活」を2度繰り返すのは無駄でしかない。斬新さに「ええーっ! また負けるのぉ!?」と驚いてしまった(1回目は稲村、2回目はユウキ)。この手の「努力せずして強い天才の主人公の物語」が面白いのは、挫折した後に真の強さを掴み取るから良いのに、2度も負けたら「あれ? 実は口ばっかで本当は弱いんじゃない?」と疑いを抱いてしまう。『ボックス!』が正にそうで、2度目の「復活」にはインパクトが弱く、後半の展開はもうどうでも良かった。

 登場人物全員の存在感が薄いのも悪い。何でカブがボクシングをやってるのかわからないし、勉強の成績優秀なユウキが何でボクシングをやろうとするのかわからないし、丸野が何でマネージャーをしたいのかもわからないし、ボクシング部の先輩が弱いくせに何でボクシングが大好きなのかもわからないし、とにかく何から何まで存在感と存在価値がない。
 まず、衝撃的な筈のカブの初登場場面がとんでもなく駄目な演出で台無し。ユウキと女性教諭の耀子がチンピラに絡まれているのをカブが颯爽と助けるその場面は、照明が明滅する電車の中で描かれるんだけど、明滅のせいで、ただ単に見辛い。いかにカブが強くて魅力的か、それを初っ端から観客に刷り込ませる必要があるってのに、明滅でフラッシュ効果を出すわけでもなく、はっきり見せないという驚きの馬鹿演出。
 そもそも根本的な大問題として、肝心要であるボクシング場面が全く魅力的に描かれていない。『ボックス!』はボクシングを軸として展開する青春物語である以上、ボクシング場面が最大級に面白くなければ全ての展開に価値がなくなってしまう。それが「登場人物全員の存在感が薄い」ということ。丸野にしてもユウキにしても、行動のきっかけがカブのボクシング姿の美しさなんだけど、演出が駄目なために「あれのどこに惹かれるの?」としか思えない。
 しかしもっと根本的には、物語がちっとも面白くないってことが問題だ。たとえば、物語を盛り上げるためだけに、丸野を病死させる悪趣味さ。挫折して堕落したカブに自己嫌悪の悔し涙を流させ、奮起を後押しさせるために、丸野は病死“させられる”。「物語を盛り上げるために死ぬ展開のある感動物語」が私は大っ嫌いだ。丸野が死ぬ必要ちっともないし、そもそも丸野が心臓病を患っている病弱な設定だって必要ない。映画版では丸野の存在を丸ごと削る脚色をしても良かったと思うくらいだ。百歩譲って物語的に必要なのだとしても、カブのボクシング姿が魅力的でないため、病気を押してまでマネージャーをやる意義が見えず、いきなり丸野が脈絡なく病死した感じしかしない。ついでにいうと、丸野を演じる谷村美月さんが病弱に見えないのも大問題。いないだろ、あんなにふっくらとした病弱キャラって。
 敵役として重要な稲村が変人にしか描かれていないのも盛り上がらない原因。原作も同じなのかね? 都合良く使われているだけのライバル役。結局、よくわかんないままカブに負けるし。顧問に嫌々なる耀子に至っては、本当に何のために存在しているのかさっぱりわからない。最終的にボクシングが好きになったのかどうかもよくわからない描き方。あれじゃ単なる嫌味な教師だよ。

 とにかく『ボックス!』は、約2時間の中での脚色(取捨選択)を間違えてしまい、大失敗している。カブの挫折は1度だけにすべきだった。そこで削れた時間で、もっと丸野の魅力を描くべきだった。丸野を病死させるのなら、少なくともユウキと同程度に丸野の描写を増やさないと意味がない。そうしていないから、『ボックス!』の展開は何もかもがおざなりテキトー極まりない。2度も負けるからテンポが悪く、結果的に上映時間が水増しされている。登場人物がテンポを悪くしているのもある。物語に何の貢献もしない耀子や丸野が登場する度にテンポが悪くなる。
 演出が悪いのもある。とにかくカブの初登場場面は駄目すぎだし、ボクシング場面が魅力的に見えない。殴り合いを魅力的に見せられていない時点で大失敗でしょ。ボクシング場面を魅力的に演出できないなら、その他のドラマで頑張ればいいんだけど、脚色が駄目だから、何もかもが駄目。ボクシング場面以外の場面はとってもセット(作り物)じみた撮り方になっていて、ボクシング場面こそが活き活きと演出されてはいるんだけど、肝心なところで止めの画にしたり、意味がわからん。丸野が「死んだら天使になってカブを見守る」といったのなら、最後の稲村との闘いでは丸野を天使として映すとか、それくらい恥ずかしい大袈裟な演出があっても良かったのに。
 最も呆れたのは、最後。「稲村を倒したか!?」と思うところで、暗転。いきなり後日談に切り替わり、思い出として稲村を倒した場面が描かれる。何あのテンポの悪い演出? さらにその後日談に愕然。カブはボクシングを辞め、お好み焼き屋を始めましたとさ。って何そのショボい結末ーっ!? 結局、『ボックス!』は何を描こうとした作品なんだ? あの結末じゃ、それがちっとも見えんわ。才能を巡る物語なのか、ただの青春ものなのか。

 市原さんも高良健吾さんも相当に訓練したんだろう、と感心するボクサーぶりで良かった。そこは予想以上に素晴らしく、本当に「おおーっ!」と感心した。でも、何度も繰り返すけど、演出や脚本が悪いから、「光り輝いて見える」ことはなかった。もったいないなぁ。
 原作は読んでいないから原作の評価はできないけど、映画版に限っていえば、はっきりって『ピンポン』以下。『ピンポン』も出来の悪い映画ではあったけど、「才能」というテーマがブレていない物語であるため、中途半端に恋愛要素まで入れてしまった『ボックス!』よりは遥かに面白い。無論、北野武監督の『キッズ・リターン』とは比較にもならないね。

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2010-05-14

『ウルフマン』は、デル・トロさんのコスプレ映画

 ベニチオ・デル・トロさん主演の『ウルフマン』を観た。
 最近は原題をそのまま邦題として使うけれど、昔のままに『狼男』じゃ駄目なのかね。『ウルフマン』とわざわざ表記されてたので、実はマイケル・J・フォックスさんの『ティーン・ウルフ』みたいなノリの、意図せず狼男になったけどその驚異的な身体能力を使って難事件を解決する「ヒーローもの」なのではないか、と期待した(予備知識ゼロで観たので)。『ヘルボーイ』のヘルボーイをトム・ウェイツさんが演じているというか(私は最初、ロン・パールマンさんでなく、ウェイツさんが演じていると思い込んでいた)、狼男みたいな顔したデル・トロさんが狼男をする適材適所すぎる配役に、パロディ要素が強いものとばかり思い込んでいたので。そしたらそのまま普通に狼男だったので拍子抜け。
 が、その程度の予備知識で観たからか、意外やちゃんとしたモンスター映画になっていて驚いた。さすがはジョー・ジョンストン監督作。

 物語は、原作である『狼男』を一応は踏襲している。兄が殺され、真相を探っているうちに狼男菌に感染して狼男になってしまい、したくもない殺戮をしちゃって、悩むんだけど、殺されて終わり。そんだけ。
 さすがにそのままだとリメイクする意味ないから、新しい味付けとして、全力でモンスター映画にしている。一言でいえば、「四足歩行の毛むくじゃらな超人ハルク」だ。さらにいってしまえば、狼男が人々をバッサバッサと刻み殺す様を楽しむ映画なので、「ジェイソンが思い悩む『13日の金曜日』」だ。そーゆーもんだと割り切って観れば、そこそこ楽しい映画ではある(「面白い映画」ではない)。つまり、物語は面白くない。
 主人公は、意図せぬ殺戮をしてしまっているのに、良心の呵責なんて殆ど描かれないし、エミリー・ブラントさん演じる兄嫁との恋愛要素がチラホラ見えるのに、そっち方向にアクセルを踏み込まず、超不完全燃焼に終わる。ブラントさん必要ないし。アンソニー・ホプキンスさんが父親役してんのに、その配役も無駄に豪華なだけで存在感なし。というか、登場人物の存在価値が全く見えん。
 兄嫁は、旦那(婚約者)を亡くしてるってのに、大して落ち込んでない上に旦那の弟(デル・トロさん)にドキドキしちゃってる。だから兄嫁に対して同情することも、悲恋な結末に何の感傷も抱けない。父親は、自分が諸悪の根源だってのに、全く気に病んでいない。実は暴れるの大好きなブチキレ親父。絶対悪といえるくらいの存在感があれば良かったのに、プロレスの悪役って程度の存在感。つか、レクター博士ホプキンスさんじゃ、最初っから怪しさ満点で面白味全くないし。ホプキンスさんでなく、ドナルド・サザーランドさんなら良かったな。そもそも最初っから表情に陰りのあるデル・トロさんが主人公だと、不幸のどん底にまっ逆さまな展開に意外性も何もないから、感情移入もできない。
 流浪民の存在も希薄だし、狼男伝説の煽り方も狼男である必然性も弱いし、物語がサスペンスとしてもミステリーとしても底が浅く、映画開始早々に飽きてしまうだけに、もうちょっと見所のある役者対決があればなぁ。

 しかし、完全に駄作ってわけじゃない。映像は素晴らしい。光陰を明確にした映像は、古典的な怪奇映画の雰囲気抜群で良い。最近の『シャッター・アイランド』みたいな極めて酷い映像の映画に比べれば、比較にならないくらい『ウルフマン』の映像は素晴らしい。プロダクションデザインのリック・ハインリクスさんは、ティム・バートン監督の『スリーピー・ホロウ』も担当しているし、雰囲気は『スリーピー・ホロウ』と似ている。あの冷たい雰囲気が好きなら間違いなく『ウルフマン』も好きになるだろう。
 古典的な怪奇映画だと思っていたら驚いてしまうくらい、ゴアなのも素晴らしい。狼男になってからは、人体バラバラ映像の大サービス。ポンポンと気前良く身体の色んなパーツがすっ飛ぶ。特殊メイクを大御所リック・ベイカーさんが担当しているから、狼男変身場面も見応えあり。しつこいくらいに、くどいくらいに、ここが一番の見所ですといわんばかりに、骨格からゴキボキと大袈裟な音を立てて徐々に変化する様をじっくり見せてくれる。誰もがジョン・ランディス監督の『狼男アメリカン』や同監督によるマイケル・ジャクソンさんのPV「スリラー」、ジョー・ダンテ監督の『ハウリング』(特殊メイクはロブ・ボッティンさん)を思い出さずにはいられない。そのアナログ感に「懐かしい!」と感動してしまう。
 が、そんな楽しい時間は最後まで持続しない。ロンドンでの狼男の大活躍は、あまりにもCG全開すぎて興醒めしてしまう。正直、四足走行はカッコイ良いとは思えなかった。橋の下に血まみれで逃げ隠れている場面は良かったけど。何よりも駄目なのが、ハイライトである筈の狼男対決場面。室内で毛むくじゃらのオッサンがドッタンバッタンと格闘しているだけなんだもん。退屈極まりない。せっかくの狼男なんから、屋外で、森の中で、木をなぎ倒しながら、雄叫びながら、大きな満月を背景に『ブレイド』並みにキメた映像で魅せてほしかった。「モンスターもの」や「ヒーローもの」の鬼門だねぇ、対決場面ってのは。

 ま、面白くないとはいえ、ジャック・ニコルソンさんの『ウルフ』よりは何十倍も良い出来なので、細かいことを気にしなければ十分に楽しめると思う。音楽も、一聴してすぐにわかるダニー・エルフマンさん節全開で良かったし。
 それに、こないだTVで偶然『怪物くん』の実写版を目にして、そこに映ってた狼男の酷さに比べれば何千倍も良いので、あんな糞ドラマを見て怒りのために狼男になりそうなくらい興奮してしまったら、是非とも『ウルフマン』を観るべき。眼福でがんす。

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2010-04-17

『ハート・ロッカー』は、「ノーベルやんちゃDE賞」を獲れない映画

 キャサリン・ビグロー監督の『ハート・ロッカー』を観た。アカデミー賞受賞のお陰で上映が2ヶ月も早くなり、期待値MAXでの鑑賞。戦場、爆弾処理班が主役、ドキュメンタリー風、ビグロー監督久々の新作、と期待せずにはいられない要素だらけだし。
 が、しかし、あれぇ? 全く面白くなかった。

 物語は単純。イラクのバグダッドで働く米軍の爆弾処理班に殉職者が出た。代わりに来たのは、能力は抜群に優れているけど、協調性がなくて進んで危険なことをやりたがる暴走野郎。班員が大いに困ってしまって、さあ大変。無駄に緊張感が高まった爆弾処理班の長い1ヶ月が始まった……
 暴走気味な奴のせいで困った事態になるのは、「戦争もの」だけでなく、「刑事もの」でもよくある。コメディっぽさの全くない、『リーサル・ウェポン』のイラク戦場版といって済んでしまうかもしれない。だから『ハート・ロッカー』は、題材だけが売りで、他は典型的も典型的なド典型の映画。つまり、新鮮味は全くない。出だしの爆発事故の場面だけで最後まで持たせている
 観る前は、生死の境目で頑張る爆弾処理班の鬼気迫るドラマなのかと思っていたんだけど、いや、そーゆー要素はもちろんあるんだけど、正直、爆弾処理の部分は特に意味がなかった。反戦を描くこと、戦場を描くこと、理不尽な事態を描くこと、1人の壊れた人間を描くこと、その全てをやろうとして、巧くまとめられずに終わっている。

 そもそも、出だしの字幕が駄目。「戦争は麻薬」って、それ、最初にいっちゃ駄目でしょ。「ああ、主人公が戦争に溺れている物語なのか」と思ってしまうじゃないか。ミステリー映画なら、そんな字幕が出た瞬間、「騙されるもんか!」て身構えるよ。かーなりミスリーディング。
 「戦争は麻薬」なのは、個人でなく、国家のことを指しているのは明確だ。喜んで戦場に赴いている登場人物が描かれていないし。でも、国家にとって「戦争は麻薬」だろうか? 第二次世界大戦までならそーゆーことは納得できたかもしれないけど、今や戦争は金がかかるばかりで得しないことがよーくわかっている。戦勝したって、後の補償したりしなきゃなんないから、赤字になる。軍需産業のように一点集中で儲かるところはあるけれど、相当の旨みがなければ国家が戦争をするのは無駄極まりない。確かに、「戦争は麻薬」というのは正しい。抑制の効かない馬鹿は中毒になる、という意味で。
 となると、「戦争は麻薬」なのは、『ハート・ロッカー』が描くような一般兵士に当てはまらない。民間軍事会社の傭兵ならば、まだ頷ける言葉だ。それにしたって「役者と乞食は3日やったらやめられない」というものでもないだろう。どうとでも捉えられるだけに、「戦争は麻薬」という字幕は、余計としかいいようがない。観客が多義的に受けられるようにした、といいたいのだとしても、無責任だ。「政治的な批判をしてるっぽいカッコ良さ」を出しているだけにしか思えない。

 『ハート・ロッカー』が反戦映画なのだとしたら、致命的に大失敗している点が2点ある。
 1点目は、「良い顔」が写っていない点だ。主役3人には有名スターを使わず、ドキュメンタリーっぽさを演出したようだけど、だからか全く印象に残らない。スターを使わないのはいいけれど、それならそれでスターには無理な「良い顔」を撮ることはとても重要になる。なぜかというと、それこそが反戦として機能するからだ。スティーヴン・スピルバーグ監督は、一見して湿っぽいヒーローものに作ってはいるけど、『プライベート・ライアン』でトム・ハンクスさんの「良い顔」をちゃんと撮っている。『ハート・ロッカー』は、高倉健さんじゃあるまいし、「漢は背中で語る」もんだと思っているとしても、その「背中」は最後の最後に戦地に赴く「背中」だけで、しかもあれは「残り何日」という説明あっての「背中」。語っているのは、字幕でしかない。つまり、『ハート・ロッカー』が何かを「語っている」部分は、最初と最後の字幕だけだ。
 まあ、反戦というか反ブッシュなのは、挿入歌ですぐにわかる。だって、ミニストリーが使われているんだもん。インダストリアル好きなら、避けて通れないミニストリーは、「アンチ・ブッシュ3部作」というアルバムを作っていて、『ハート・ロッカー』はそこから3曲も使っている。何てわかり易いんだ! ミニストリーは初期の『Twitch』は歴史的大傑作だけれど、いわゆる「アンチ・ブッシュ3部作」は音楽的に良いとは思えない。メッセージだけが表に出すぎていて、余裕が全くない。メッセージがあるのなら音楽的に豊潤でなければならないのに、フックがなくて単調極まりない。正直、ダブの攻撃性に比べればメタルな「アンチ・ブッシュ3部作」は幼稚だ。ゆえに、その幼稚な曲を使った『ハート・ロッカー』も凄く幼稚な映画となってしまっている。メッセージさえあればそれが説明になっているとか思ってんだから困ったもんだ。明確な反米を出せないのなら、こんな反戦映画は作るべきではない。いや、『ハート・ロッカー』は、反戦映画的っぽい映画か。
 で、2点目は、「アンチ・ブッシュ」な曲を聴く主人公は、何でイラクに行くのかって点。おかしくないかい? 「アンチ・ブッシュ」な音楽をわざわざ聴くくらいだから、無駄な行いだとわかってるのに。特技が爆弾処理だから? えー、それって理由になるかぁ? 無駄な戦争を始めたために爆弾処理なんてことをやってる主人公の行いは、掘った穴を埋めているようなもんだ。「アンチ・ブッシュ」な主人公は、無駄とわかっている戦場へ進んで赴く。何で? そこを明確に描くべきなのに、物凄く曖昧。物語の根本が「反戦っぽい」だけだから、その実さっぱりよくわからないことになっている。ドキュメンタリー風だから目立たないけど、実に雑。というか、戦争映画としての先鋭性は、「ドキュメンタリー風」な手法を選んだ時点でかなり削がれていて、しかもドキュメンタリー風の演出が「何だか慌てて撮った」という程度だし。イラクでいったい何が起きているのかを緊張感溢れる演出で伝えたかったのだろうけど、最後まで失敗している。

 主人公は、最後はヒーロー的に描かれるけど、「戦争は麻薬」らしいので、中毒な主人公は通常の社会に満足できず戦場イラクに戻るしかなかった、と思えてしまう。確かに主人公は、アメリカに戻ってたって、爆弾処理に関しては達人でも、スーパーでシリアルを買うのもままならない、大して使い道のないオッサンだ。そこで自分にできることは何があるかというと、たった1つ、爆弾処理。だからまたイラクに行く。いや、イラクに戻る、か。主人公は、「アメリカに戻る」のか、「イラクに戻る」のか。最後の場面は、そーゆー意味でヒーロー的だ。スチャダラパーの「ノーベルやんちゃDE賞」の、「でもやるんだよ」的な。

始まりますよ 始まりますね
いよいよですね ドキドキですねー
どんな時も 何があろうとも
子供の心を忘れず ずっとやんちゃであり続けた証として
もちろんノーベルには無許可で贈られる
かなりキてる 結構使える 名誉ある賞なのです
やんちゃー 使命か本能か 何がそこまでさせるのか
やんちゃー 世間に風穴を あくかな? でもやるんだよ

 「ノーベルやんちゃDE賞」の歌詞からの抜粋。これ! この曲こそが最後に相応しい! 主人公を「でもやるんだよ」的な使命感を抱いた強い人として伝えられる。ビグロー監督に教えてあげたいですよ。「ヒーローは3日やったらやめられない」な『ウォッチメン』みたいでもあるけど。

 『アバター』なんかがアカデミー賞を獲らなくて喜んだものの、『ハート・ロッカー』は実は『アバター』以上に微妙極まりない映画だった。「ノーベルやんちゃDE賞」は獲れないね
 途中のスナイパー対決は箸休め程度の価値しかないし……類型的な描き方ばかりの中、唯一面白かったのは、“ベッカム”少年の話か。主人公だけはイラク人を見分けられるとみんな感心してたのに、実は主人公も全く見分けられてませんでした、て愕然とする展開には無常感があり、デヴィッド・マメット監督の『殺人課』みたいで良かったけど、やはり中途半端。良いアイデアを思いついたので入れました、てだけ。見知らぬ土地に行けば、何もかもがわからなくて不安、なーんてことは当たり前で、驚くようなことじゃない。どうせならもっと不条理に描いた方が面白かった。
 物凄く面白そうなのに、所々で伝え方を間違えているため、観終わると何も残らない。戦争映画としてなら、メタ・フィクションな構成をしていたベン・スティラーさん大活躍のコメディ映画『トロピック・サンダー』にも遠く及ばない。ガッカリですよ。

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2010-02-07

『劇場版マクロスF/虚空歌姫 イツワリノウタヒメ』は、日本アニメの退化形の進化形

 『劇場版マクロスF/虚空歌姫 イツワリノウタヒメ』を観た。
 観客は座席の1/3以上を埋めるくらい入っていた。ユナイテッドシネマの最も大きなスクリーンを使っていたので、百人以上いたことになる。平日の昼頃に観たんだけど、オタク向けアニメで、地方スケジュールのために遅れて公開されている条件からすれば、かなり盛況といえる。石川県での上映はユナイテッドシネマだけなので、ファンが集中しているんだろう。パッと見、男女半々くらいで、年齢層は下が20代で上が40代ってとこ(1組だけ60代近くの夫婦がいたけど)。失礼ながら、見た目の雰囲気から、大半はアニメオタクと思われた。
 作品の内容は、良くも悪くもなく、観る前から観た後まで何の感動もなく、「ふぅ~ん」て冷めた感じで観た。とっても日本のアニメオタク向けアニメらしいアニメだった。個人的に「マクロス」には、特に格別の思い入れはなく、『マクロスプラス』での菅野よう子さんの音楽に強烈に打ちのめされた経験から、菅野さんの音楽に興味がある程度。

 『マクロスプラス』が登場した時は驚かされた。作品内容はどうでもいいくらいにどうでもいいんだけど、音楽が凄かった。
 『マクロスプラス』が登場したのは1994年。その前後に、押井守監督の『機動警察パトレイバー2 the Movie』と『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊』、大友克洋監督の『MEMORIES』(『AKIRA』以降の大友監督関連作品なので、内容的には全く大したことないけど)も登場し、そのすぐ後に庵野秀明監督の『新世紀エヴァンゲリオン』が登場するのだから、年寄り臭い発言になるけど、1990年以降の日本アニメの歴史では、1994年前後が最も物凄かったと断言できる(その日本アニメの高揚感は、宮崎駿監督の『もののけ姫』、幾原邦彦監督の『少女革命ウテナ』の1997年で終わった、というのが私の持論)。
 あの頃、本気で「日本アニメは世界最強」と思っていた。今の日本アニメは、あの頃の残滓でしかない(宮崎監督は相変わらず素晴らしい傑作を作り続けているし、他にも何本も良い作品は登場しているけど)。そのテンションに引っ張られるように、アニメ音楽も物凄いものばかりで、上に挙げた作品は皆、音楽も素晴らしかった(菅野さんは『MEMORIES』の「彼女の想いで」の音楽も担当しており、膨れ上がった期待を軽く受け止める素晴らしい仕事をしている。石野卓球さんが菅野さんの曲をリミックスしており、それも素晴らしい出来で、“時代感”はあるけど、今でも使える)。
 同時期、日本でテクノが花開き、あちこちでレイヴが開催され、ディスコで踊るのと全く異なる「フリーク・アウト」の新しい形が生まれた(「チル・アウト」なんて正にそう)。そんなレイヴで、少なからず当時の日本アニメの音楽を聴くことができた。<レインボー2000>では『新世紀エヴァンゲリオン』の主題歌が使われ(アスカの台詞をサンプリングしたマイク・ヴァン・ダイクさんの曲が話題になっていたなぁ)、チル用に『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊』の主題曲が使われていた。後に登場する、石野さんが主催する<WIRE>では『カウボーイ・ビバップ』の主題曲が横浜アリーナに響き渡り、大歓声が上がった。

 あの頃の高揚感を今一度――中年になったアニメオタクでそう願う人は多いだろう。「エヴァ」や「マクロス」は、その最適な作品だし、「ガンダム」や「ヤマト」も似たようなものだ。だからそれら作品が「週刊~」などと特集刊行されるのだろう。もちろん、新しいファンは常に若者主体だけど、作品内容は、様式が新しくなっただけで、物語構造は古臭いまま。「エヴァ」にしたって、目新しかったのは様式だけで、物語そのものはシェークスピア的に古臭さかった。若者が「今」に反抗すりゃ大抵は何とかなるものなのだよ、物語とは。「今」を肯定するために「今」に反抗するのが人の常なんだから。
 売れたモチーフを繰り返す面白くなさ。今の日本アニメにはそーゆーのが多い。「マクロス」なんて正にそう。「戦争とアイドル」という組み合わせは最初は面白かったけど、もうどうでもいい。実は私は、「マクロス」を観るのは『マクロスプラス』以来久々だ。だから、今の「マクロス」がどうなっているのか期待感があったんだけど、「なーんだ、何も進化しちゃいないんだ」が正直な感想だった。

 『マクロスプラス』以降を全く観てないのに、いきなり劇場版最新作を観たもんだから、キャラクターの関係が最初はわからず、しかしあっという間にいとも簡単に理解できた。つまり、作品が物凄く古典的で様式的で「いつも通りの安心設計」だったってことだ。美男美女がいて、恋と戦いに悩む。そんだけ。「マクロス」はそこに「アイドル」をぶち込んで煮込むわけだけど、劇場版を観る限りでは、別に「アイドル」の存在どうでもよくない? 白々しい物語の中で、客受けだけを狙った白々しい設定のキャラクターたちが叫びまくって大活躍。物語は物凄くどうでもいい出来。面白くもつまらなくもない。ただ時間を埋めるだけ。
 ま、最初から「マクロス」に物語の面白さなんざ求めてない。求めているのは戦闘場面と音楽だけ。なんだけど、これまた大したことなかった。戦闘場面は、さすがに『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』みたいな酷いことになってなかったけど、CGの処理落ちが酷かった。予算がなかったのか? 日本アニメらしい構図がカッコイイ筈なのに、何かもう「未だにこれなんだ」としか思えなかった。
 期待した音楽も、劇場版だったからか、良い曲が殆どなく、さすがの菅野さんでもネタ切れなのかと思ってしまった。物語が白々しいと、音楽を作る側だって想像力を働かせられないから困るんだろうな。『マクロスプラス』と『劇場版マクロスF/虚空歌姫 イツワリノウタヒメ』では、同じ「アイドル」でも凄い違いがあって、歌も「狙った通り」に作られていて、客がそれを受入れるか受入れないか不安でしかたないような凄さがない。巧い、とだけしか思えなかった。
 TV版を見たら感想が異なるかもしれないけど、劇場版だけで判断するなら、総じて大したことなし。

 『劇場版マクロスF/虚空歌姫 イツワリノウタヒメ』は、構図のカッコ良さを追求した、日本アニメらしい日本アニメだ。でもそれは単なる様式美となり、マンネリと化している。まあ、昔を知らないでいきなり“ここ”から入るなら全く気にならないのかもしれないどころか、「戦争とアイドルって新しい!」とか思うのかもしれないけど、物語そのものがマンネリを内包した作りになっていて、緊張感が全くない。「マクロス」だから戦争してなくちゃ、という程度の発想で作られている。もしかしたら日本のSF(かファンタジー)アニメは、そこが限界になっているのかもしれない。
 戦争のない日本で作られるSFアニメには、なぜか殆ど戦争がつきまとっている。遠くの記憶になりつつあるとはいえ、まるで戦争自体がファンタジーであるかのようだ。ファンタジーだから、戦争を希望する。そんな作品が多い。『劇場版マクロスF/虚空歌姫 イツワリノウタヒメ』も同じ。「マクロス」は、戦争がなきゃ成り立たないから戦争をする。戦争がないと“自分”の存在感がなくなるから、戦争を利用する。
 それは、黒沢清監督が『トウキョウソナタ』でちゃんと乗り越えた部分だ。バブル崩壊して、景気が悪化して、景気を回復しようとして、しかし、“どこ”の段階に回復させるのか誰も考えていない日常と、それに連なる未来。『トウキョウソナタ』にはそれがちゃんと描かれていた。
 何となくダラダラと戦争を期待しちゃうアニメ、そんな不気味なものが綺麗にパッケージされて売りに出されている。何かを起こさなきゃ何も始まらない、そんな発想でしか現代的な物語が作れない。もう時代遅れなんじゃないのかな、そんなのは。「マクロス」らしさとは対極にあるそんな発想の日本アニメを、宮崎監督以外で、そろそろ意識的に作ってほしい、と中年になった今の私は思う。それができないなら、もう作るのを止めるべきだ。行け行けどんどんでここまで来た日本アニメだけど、そろそろブレーキをかけてスピードを緩めたらどうだろう?

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2010-01-21

『母なる証明』は、『ツイン・ピークス』のセンスなしアホ版

 ポン・ジュノ監督の『母なる証明』を観た。『ほえる犬は噛まない』、『殺人の追憶』、『グエムル』と今のところハズレなし(『20のアイデンティティ』と『三人三色』と『TOKYO!』は、ハズレギリギリだけど、オムニバスなので、見えないフリ)のジュノ監督最新作かつサスペンスだっつーから、とんでもなく期待して観た。実際、世評も大絶賛に近い高評価で、否応なく期待は高まるってもの。観る前から年間ベスト決定だと思った。

 邦題に「証明」とあるが、原題は「母」だけで、どこにも「なる証明」は入っていない。正直、邦題は余計な情報を与えてしまっていて、内容に合っていないと思う。
 物語は単純だ。アホな息子が犯した殺人を母親が揉み消す。そんだけ。今、盛大にネタバレをしました。
 問題は、どうやってアホな息子の犯罪を揉み消すかなんだけど、これが全く説得力がない。何せ捜査する「警察組織が馬鹿」ということを大前提にしているので、無理ありすぎるんだよな。韓国の警察は物凄く無能だ、といいたいだけの映画なのかもしれない。だから、題名は『母なる証明』よりも『真実の形』とかにした方がいーんじゃないか?

 前評判通り、面白い。すっごく面白い。
 初めは展開の緩さにイライラするんだけど、結末を観た後では、どうでもいいショットや展開がちゃんと伏線になっていること、全てが計算づくなのがわかって感心する。歴史的な大傑作だ、といっても過言でない。のだけれど、なーんか、素直に傑作ということはできない。
 まず、画面が悪い。物凄く意図的な画作りをしているんだけど、それがあまりにも意図的すぎて、ただ単に作為的にしか見えない。代表例が、開始早々のキム・ヘジャさんの奇妙なダンス。出だしで、「あ、これは駄目かもしれない……」と思ってしまったくらい、あの「映画的」な演出が駄目だってのもあるけど、何よりも撮影が悪い。最近のロケ撮影の良かった作品『イングロリアス・バスターズ』の出だしと比較すると、その差が歴然としている。
 そこだけでなく、全編通して画作りが悪い。夜の、女の子の後を追う場面にしても、そう。映画的で、映画ファンが大喜びしそうなものを意図的に撮っている、そんな感じが終始ずーっ漂っている。最後の場面なんて正にそれだ。想像もできない素晴らしいショット、に見えるけど、いかにも「映画的」すぎて、興醒めしてしまう。おかしいな、ジュノ監督って、あんなに「優等生」だったっけ?

 考えると、物語もメチャクチャだ。題名を素直に受け取れば、人間の心の闇を覗くようなサスペンスに思えるけど、アホな息子とアホな母親の衝動的にアホな犯罪劇と受け取れば、「親が親なら、子も子だな」という物語にしか見えない。実際、登場人物の殆どはアホだ。母親はアホな息子を盲目的に信奉する目が曇りきったアホだし、警察はアホな息子をちゃんと逮捕できないアホだし(捜査場面の警察なんて、完全にコントだ)、殺される女子中学生もアホだし、その援交客の男子学生なんてアホの世界から留学してきたかのようなアホだし、アホの息子の悪友も当然アホだし、韓国にはアホしかいないので、怖くて旅行できんな、と思う程に画面狭しとアホが大活躍する
 アホばかりなら、『母なる証明』の事件は起きて当然といえる。そして、真面目なサスペンスから逸脱したアホ映画と考えれば、ちょっと違う見え方もある。『母なる証明』は単なるブラックコメディ映画、というような。

 『母なる証明』をブラックコメディ映画として見れば、あの変な映画っぷりに納得できる。特にアホ息子が動揺して携帯電話をパカパカ開閉する場面は、「アホ」っぷりを強調する見事なギャグ場面だ。あれこそ本当にコントでしょ?
 『母なる証明』をブラックコメディ映画として見れば、近い感触の作品は、ルイス・ブニュエル監督の作品になるかもしれないし、デヴィット・リンチ監督の作品になるかもしれない。特に『ツイン・ピークス』に近い。意味もなく踊る場面もあるしね。
 奇人変人大集合ってものにしてはショボイのが困りものだけど、『母なる証明』は、ジュノ監督なりに不条理ギャグ映画を作ったんじゃなかろうか。私にはそのようにしか見えない。たぶん、そんなこと考える人は少数派だろうけど。

 真面目にサスペンスとして観れば、『接吻』の万田邦敏監督ならもっと素晴らしいものにできただろう、と思う。ジュノ監督の才能は凄いんだけど、『母なる証明』は、その凄い才能を見せ付けるだけのものでしかなく、いかに「映画的」であるかだけを考えた、正に「映画的」な映画。余りにも形式的に「映画的」すぎる。
 「映画的」を物凄く得意とする監督は、タランティーノ監督も同じで、しかし、『デス・プルーフ』からは「映画的」を超え、「映画」を撮っている。『イングロリアス・バスターズ』もちゃんと「映画」だった。ジュノ監督は、意図的に「映画的」を狙い、「映画ファン」を喜ばせる。でも、『殺人の追憶』は物語上に制約があったけど、自由に作れた『母なる証明』は、その自由さゆえに、完璧な形式を目指し、不自由な堅っ苦しい出来上がりになってしまっている。「ちゃんとしよう」と考えても「ちゃんとならない」リンチ監督に比べ、ジュノ監督はとっても優等生。その優等生ぶりが強調された「映画」らしい映画なので、映画ファンは喜んでしまう。羽目を外すところまでとっても優等生。「ほーら、こーゆーことすると、みんな喜ぶでしょぉ~」て感じに。
 ジュノ監督らしさはよく出ている。けど、どうせ羽目を外すなら、本気で遊ぶくらいでないと、途中で飽きてしまう。衝撃的な結末は、正に「衝撃的」を描いたもので、その恥ずかし気もない「衝撃的」には、思わず爆笑してしまった。世評ではサスペンスの大傑作のように褒めていると思うけど、音楽を「笑点」みたいな明るいものにし、登場人物が話す度に「会場にいる観客の笑い声」を流せば、印象は一変し、絶対にコントに見えると思う。そのくせお上品な映画なので、賞味期限は長くないだろう。

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2010-01-08

『アバター』は、マイケル・ジャクソンが絶賛しそう

 ジェームズ・キャメロン監督の『アバター』を観た。
 12年ぶりのキャメロン監督の新作というだけでなく、最新鋭の3D映画となれば期待は否応なく上がりまくる。正直、「『タイタニック』の監督」という括りだと全く期待しないんだけど、「特撮技術が衝撃的だった『ターミネーター2』の監督」という括りだと期待するなという方が無理ってもんだ。
 で、期待には間違いなく応えている。監督としての技術力より、特撮技術の凄さで。

 簡潔に感想をいうと、マイケル・ジャクソンさんが大喜びしそう、だ。ジャクソンさんがまだ生きていたら『アバター』を大絶賛していると思う。遂に人間でなくなったジャクソンさんは、生前から人間を憎んでいる節があったし。「わかる、わかるよ! ダッ! 人間なんてぶっ殺せばいいよ! フゥーッ!」と叫んでそう。そして、「ダッ!」や「フゥー!」というブレスにナヴィ族の威嚇「シャーッ!」が加わっていたことだろう。
 もうちょっと具体的に感想をいえば、ジャクソンさんの歌「Heal The World」にケン・ラッセル監督の映画『アルタード・ステーツ』をたたっ込み、宮崎駿監督が思い切れなかった『もののけ姫』を思い切った映画、だ。今さらだけど、『もののけ姫』で『アバター』の結末をやってくれればスッキリしたのに、と思ってしまうが、それをしないのが宮崎監督で、やり切ってしまえるのがキャメロン監督なんだろう。宮崎監督至上主義な私からすると、「あー、これが『トトロの森』だったらなぁ」とか考えてしまい、その森を焼こうとするんだから、「そりゃー、殺されてもしかたないわな、人間は」とナヴィ族に肩入れしてしまう。うん、ナヴィ族がトトロに思えたよ。
 話が脱線した。つまり、物語はそんな感じなのだ。エコで感情的。子供にもわかり易く、勧善懲悪。余計な伏線や捻った設定はなし。色んな物語から拝借したパッチワーク。ほとばしる既視感。なので、世評には「映像は凄いけど、物語はダメダメ」という感想が多いと予想される。

 確かに物語はダメダメだ。『アバター』は、主人公が人間として責任を取らない、単に現実から逃げただけの物語だ。オードリー・ヘプバーンさん演じるアン王女がグレゴリー・ペックさん演じるブラッドレー記者と駆け落ちする結末の『ローマの休日』だ(宮崎監督の『ルパン三世 カリオストロの城』でたとえてもいい)。それはそれで夢見た結末ではあるけど、そんなもんは夢でいいわけで、誰も望んでないんだよ。いくら「未体験の映像」のためとはいえ、ちょっと物語が雑すぎるよなー。
 キャラの設定と設置も雑で、全てが類型的すぎる。つまり、キャラそれぞれの立ち位置は絶対的で、別の領域と交差することがない。とっても古めかしい作劇だ。大佐なんて典型的な筋肉バカだし。そもそもさぁ、ナヴィ族のどこに惹かれたの主人公は? 鹿みたいな顔が真っ青なってる生き物なんだよ? 「実はこんなサイド・ストーリーがありまして……」ってなりそうだけど、そんなのは画面に説得力があっての話。『アバター』を日本で萌えアニメとして作れば、かなり説得力のあるナヴィ族が描けるとは思うけど。
 でもまあ、物語が雑なのは意図したものだろう。『アバター』の主軸は、「感動的な物語」なんかにはなく、「未体験の映像」にある。物語は、「未体験の映像」を効果的に、また飽きずに楽しめるためにある。物語の途中、主人公は、「アバター」である時とそうでない時のどちらが「真の自分」なのかわからなくなる。そこから『クラインの壷』のような展開をやろうと思えばできたろうけど、キャメロン監督はやらなかった。できる限り「未体験の映像」に注意を注いで欲しいからだ。
 だから『アバター』にとって重要なのは、テキトーな物語を批判することでなく、「未体験の映像」を批判することだ。

 特撮の技術に関しては絶賛するしかない。本当に凄い。CGの技術力は遂にここまできたか、と感心するばかり。ありえない空想世界が本当に実在しているかのような質感がある。衛星パンドラでロケしてきたと思えてしまう。12年間も新作を出さなかっただけはある。
 が、しかし、『ターミネーター2』でのCGの使い方や、スティーヴン・スピルバーグ監督の『ジュラシック・パーク』や『プライベート・ライアン』を観た時程のインパクトはない。凄いは凄いんだけど、3D効果を加えなければならなかったために、真に革新的な映像にはなっていない。それに、3D効果のせいで、逆に画面に奥行きがなくなっている
 いうまでもないことだけど、3D効果で立体的に見えても、実際に我々が「見ている感じ」とは全く異なる立体感で、つまり現実的な立体感にはまだまだ程遠い。「2Dな3D」というか、「写実的な萌え漫画」な感じ。写真を見ればわかるけど、写されたものはレンズや撮り方による――ピントの合わせ方で全く異なる写真になる――ので、事実と真実は異なるものだし、人によって捉え方が異なるものだ。現時点での3D技術は、「みんなの事実」を扱える程度の技術力でしかなく、「誰か1人の真実」を扱える程度には到達できていない。それは扱う人の感性や考え方によって異なるけど、たとえばキャメロン監督でなく、ブライアン・デ・パルマ監督やデヴィット・リンチ監督やデヴィット・クローネンバーグ監督が3D映画を撮ったら、キャメロン監督とは異なる方向性の3D映画を撮るだろうけど、まだまだ技術がそれを実現させられる域にない。できることはピントをどこに合わせるのか、程度のものだろう(3D効果はそんなもんだったりするわけで)。となると、3D効果は、実はとても映画をつまらなくするものなのかもしれない。
 『アバター』は物語と同様に、演出も面白くない。特撮技術は凄いけど、記憶に残る程に素晴らしいショットは皆無。超大作なのに、映像の印象は「物凄い金のかかったTVドラマ」だった。特撮技術が凄くて現実味があるけど、やたらとピントの合った夢のようでもある。だからむしろ、のっぺりと平坦な画面になっている。「立体感が凄い」という人はいるだろうけど、そんなものを映画に求めても――少なくとも今の技術力では――面白いとは思えない。本当に凄い3D映画は、それこそSF映画のように、ヘッドホンのようなものを頭に付けて、脳に直接働きかけるような機械が開発されてからだろう。それまではどこにピントを合わせるか、それだけが問題になる3D映画しか作られない(それでもアトラクションとして面白いといえば面白いんだけど)。そしてそれによって映画は確実に面白くなくなる。

 昨年は、「3D映画元年」といわれた。『アバター』は確実にそれを印象付ける映画ではある。そう、まだ「元年」に過ぎない。『アバター』ですら、最初の一歩に過ぎない。ここからもっと凄い映画が登場するだろう。
 本当に凄い3D映画は、今現在大活躍している人気監督でなく、もっと若い、まだ無名に近い――または無名の――監督が作ることだろう。現状の3D映画はピントの合わせ方に終始するだけなので、全く考え方の新しい監督――または専門の技術者――が登場しない限り、本当に凄い3D映画は観られないと思う。「未体験の映像」は、まだ『アバター』にはない。CGの技術は物凄いけど、日進月歩の技術開発を考えれば、予想の範囲内だ。
 全体的なイメージが『エイリアン2』の別世界の物語にしか思えない点からも、『アバター』は、観客からすると大して凄くない。時間も無駄に長い(30分は確実に無駄)。
 映画館によっては3Dメガネが鑑賞の妨げになるだろうから、物珍しいのが好きな人以外は、2D版を観た方がいいと思う。物語が面白くなくても3D効果で楽しめるけど、3Dメガネによっては観るのも我慢ならないかもしれないし。
 ここから新しい世界が始まる――そんな期待は全く感じられない映画だった。私としては、残酷さとエロさに3D効果を特化した映画の登場を期待しとうございます。

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プロフィール

ばっどていすとさんどいっち

Author:ばっどていすとさんどいっち
テクノ好き。
アンダーワールドのRez大好き。
映画大好き。
ジャッキー・チェンが生涯の英雄。
生涯1位作品は『ミミズバーガー』。
2位が『溶解人間』。
泣き虫で、馬鹿。
itsuka-omoi-dasu-bts@hotmail.co.jp

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