--------

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2010-06-13

『孤高のメス』は、都はるみに彩られる正当なヒーローもの

 堤真一さん主演の『孤高のメス』を観た。正直、監督の成島出さんにはロクな作品がないので(監督作なら『ラブファイト』や『ミッドナイト・イーグル』、脚本作なら『築地魚河岸三代目』や『クライマーズ・ハイ』)、最初っから期待してなかったんだけど、意外と良かった。

 物語は、正義の味方(医者)が助けに来てくれる「ヒーローもの」。
 舞台は、大学病院の権威に怯える余り、オペミスも平気で隠蔽し、スタッフみんなのやる気がない、静かに腐っていた病院。そこへ主人公・当麻が赴任してくる。
 当麻は、海外で技術を培った凄腕の外科医だったが、派閥も医療界の常識も平気で破る、規格外の医者でもあった。その凄腕と患者第一の姿勢で、次々と患者を救い、スタッフを魅了していく。腐っていた病院にも精気が戻る。
 順風満帆に進み、誰もが幸せになる医療を実現していた矢先、当麻は難手術を依頼される。日本の法律ではまだ認められていない、脳死肝移植を。それは、下手すると殺人で起訴されかねない、病院側も拒否を決め込む危険な手術だった。しかし当麻は、あっさりと承諾する。
 当麻を嫌う大学病院の保守派による妨害工作が始まり、マスコミも報道する中、ブレることのない信念を基に、当麻は日本初の脳死肝移植へ挑戦する――

 とまあ、はっきりいって、物語に新鮮味はない。主人公は正義感の塊で、正義のためには周りの多少の犠牲も厭わない。だから当然の如く、保守派から反発を受け、窮地に追い込まれる。しかし、それでも自分の信念を曲げず、負けず、最後まで毅然と戦い、勝利する。間違いなく単純な「ヒーローもの」だ。
 昨今の「ヒーローもの」は、何かやたらと主人公が悩む陰鬱な作品が多いが(代表的なのは『ダークナイト』)、昔はそうでもなかった。何で主人公が主人公なのか、その存在意義は「主人公だから」で事足りた。『孤高のメス』も同じだ。当麻は「主人公」だから、悩まず、突き進む。立ち止まることも挫折することもない。登場してから退場するまで一直線。昨今の「ヒーローもの」を見慣れてしまうと物足りないくらいに一直線。だからいってしまえば『孤高のメス』は古臭い。

 演出もまた新鮮味がなく、地味。いや、『ミッドナイト・イーグル』や『クライマーズ・ハイ』のような下手に頑張られたら台無しだけど。辺鄙な田舎が舞台となっているので、大袈裟な人間ドラマもなく、物語は淡々と進む。逆にそれが腐っていた病院が元気になるのを表現できていたので、地味で良かった。
 手術場面が多いので、つまり顔面の半分以上がマスクによって隠される場面が多いので、表情による演技がかなり制限され、それが地味さをさらに強くさせている。元々そんなに表情豊かではない堤さんが、さらに無表情になり、地味さも最高潮。
 しかし、その手術場面は原作と大きく異なっている。原作ではポール・モーリアさんの曲を手術中にかけるんだけど、映画版では都はるみさんに変更されている。血の映る手術場面に「アンコ椿は恋の花」というシュール演出。メチャクチャ緊張する場面だってのに、「ああん、あん、あ~あん」と都さんの歌声が漂い、思わず笑ってしまう。この変更は大正解。小説ならマスクで顔が隠れていても表現に関係ないけど、映像となるとそうはいかない。だから、曲で雰囲気を一変させたのは正しい。
 オペスタッフから「都はるみは古臭くて……止めてくれませんか? クラシックとか、ロックとか……」と懇願されると、当麻は「都はるみは日本の宝だぞ!?」と反論する。子供みたいに拗ねた堤さんの演技が巧い。原作よりも映画版の当麻の方が親しみが持て、好きだ。それもこれも都さんのおかげ。都さんを使おうと考えたのは偉い。凄く偉い。

 ただし、と思う点もある。
 まず、もうちょっと上映時間を短くできていれば良かった。この内容で126分は長い。100分以内にできる内容だ。出だしと最後の、「現在」の場面は余計だったので削ってほしかった。少しでも感動を与えようとして、むしろ最後は蛇足極まりない。
 また、せっかくの都さんの曲が流れるクライマックスの手術場面を、どうでもいい駄作な子供コーラスの曲に途中で替えちゃってこれまた台無し。重要な場面だからこそ全面的に都さんの曲で彩ってほしかったのに、つまらん子供コーラスで変に感動させようとしちゃって、これは大失敗。
 全体的に地味だけど、実はかなり欲深な演出だ。その欲深さが如実に現れており、途中から品がなくなり、つまらなくなる。あ~あ、やっぱ『築地魚河岸三代目』の人だなぁ、と思わされる。

 「ヒーローもの」としては最初から最後まで一直線に進むので、ややこしい教訓話なんかにゃ興味ない人には最適な物語ではある。でも、演出する側に欲深さがあるので、足を引っ張ってつまらないものにしている。もったいない。
スポンサーサイト

テーマ : 映画館で観た映画
ジャンル : 映画

tag : 孤高のメス

2010-03-31

『涼宮ハルヒの消失』は、大人以上の子供禁止映画

 『劇場版 涼宮ハルヒの消失』を観た。
 私は、「涼宮ハルヒ」という作品が好きでも嫌いでもない。原作である小説版は読んでなく、TVアニメ版は、友人から全話をDVDで借りたけど、途中で飽きてちゃんと見終えてないままで、漫画版は読む気もない(『にょろーん ちゅるやさん』はなぜか好きで、単行本を買った)。興味はあるけど、好きでも嫌いでもない。ちなみにTVアニメ版は、第1期しか見ておらず、第2期は見る気なし。物議を醸した「エンドレス・エイト」にはちょっと興味あるけど。
 そんな私が「劇場版」を観ようと思ったのは、『劇場版 Fate/stay night - UNLIMITED BLADE WORKS』同様の理由で、意外や石川県という田舎で上映が決まったことと、オタクが絶賛しているので、どの程度で絶賛しているのかオタクの評価基準を品定めしてやろうと思ったから。観る前から、「オタクどもが絶賛するもんなんて大したことねーだろ」と批判的な態度。しかし忘れていた、私もオタクの端くれであることを。
 言い訳終了。いやぁ、前評判通り、良うございました。

 物語は、よくある改変世界もの。主人公のキョンが、自分を残して世界が改変されてしまったので、原因を探り、元の世界に戻そうと奮闘する話だ。はっきりいって、物語は全く面白くない。SFとしてもファンタジーとしても作りが甘い。想いが世界を変える――それだけの話なので、それはたとえばCLAMP作品(『魔法騎士レイアース』とか)みたいなもので、ありふれすぎている。感情のないキャラクターに感情が生まれるという設定もありふれすぎていて、大した工夫もないので今さら感が満載(髪が水色で無表情で言葉数の少ないキャラクターの典型)。テキトーにボーっと眺めているだけで何だかテキトーな物語が流れ、テキトーな結末を迎える。
 登場キャラも全てが典型で、面白味に欠ける。しかし、典型から大きくはみ出さない分、「典型」の濃度を濃くしているため、キャラクターはとても魅力的だ。「涼宮ハルヒ」の良さは、「濃い典型」にあるんだろう。というか、本当に斬新な作品でもない限り、面白い作品を作る手段は「典型」を濃くする以外になく、その点で「涼宮ハルヒ」は成功している。「劇場版」の良さもそこにある。つまり、キャラクターがとっても魅力的なのだ。

 題名に「涼宮ハルヒ」は付いているが、メイン・ヒロインは長門有希だ。『涼宮ハルヒの消失』の物語の核が長門である以上、何よりも長門を魅力的に描くのは当然。ただし、そのレベルがTVアニメ版から想像できるものを軽ーく凌駕している
 無表情で無感情な長門が普通(普通以上に大人しいけど)の女の子となり、キョンに明らかな好意を抱いており、オドオドしたしぐさも何だけど、頬を赤らめる時のしぐさと表情の細やかさは「萌え」表現の極めの1つといっても過言でない。また、手の演技(演出)だけを見ても、力の入れようが凄い。キョンや長門の表情を映さず、手先だけを映し、手の演技だけで感情を表現させる場面があり、「ここ最重要場面!」とスタッフが叫んでいるようだ。キョンの制服の袖をつまむ場面と、入部届けを受け取ろうとする場面は、ファンなら確実に萌え死ぬ。長門を「劣化版綾波レイ」と揶揄する人はいるだろうが、こと『涼宮ハルヒの消失』に限っては、長門の圧勝。綾波レイ? もうオバサンじゃん
 長門以外の主要メンバーだって皆魅力的に描かれている。ハルヒは当然の如く魅力的で、メイン・ヒロインの格を見せ付ける。要所要所(病室の場面とか)で一気に見せ場を根こそぎさらっていく。小泉やみくるの意味深な呟きは、思わず2度3度と観返したくなるだろう。とにかく、「想いが世界を変える」をそのままに作った物語なので、キャラクターの魅力を画面からはみ出すくらいに描いている。

 しかし、キャラクターの魅力だけで作られているので、その魅力を感じられなければ、1秒たりとも面白いとは思えない作品でもある。
 「改変世界もの」というか「多重世界もの」では、今も人気の『新世紀エヴァンゲリオン』の「学園エヴァ」がある。『涼宮ハルヒの消失』はそれと何にも変わらない。
 キャラクター愛は満ち満ちているけど、演出は逆に駄目な点が多く、たとえば後半にキョンが自問自答する場面は、萌え熱が一気に冷めてしまうくらい駄目で、特に「キョンがキョンの頭を踏みつける場面」では爆笑してしまった(感動的な場面なのに)。要するにあの場面は、キョンが「今までの学生生活が楽しくなかったのか?」を自問するだけなのだから、あんな変なSMプレイで描かなくても、回想を入れて、「楽しかったに決まってるだろ」といわせればいいだけでしょ。観客はその「楽しさ」を最初から共有しているんだから。
 感動的な場面の台詞の大半が説明的すぎるのも興ざめする。特に後半からの説明過多な台詞と描写は、TVの2時間サスペンス・ドラマ並みだ。また、「それで納得しろって?」と呆れてしまうくらいつまらない設定だったりするので、何かどうでも良くなる。結局はキョンの判断が世界を分けるんだから、長門の暴走なんてこじつけ設定は存在感ないよ。だって、キョンが「楽しいに決まってる」と思うことは決まっているんだから、本当なら長門にいわせるような展開にするべきじゃない? それで、「何度でも長門を楽しませてやる!」みたいな台詞をキョンにいわせるべきでしょ。
 世界がどーとかいってるけど、狭い範囲の話なので、要はモラトリアムな妄想でしかなく、興ざめしてしまうと物凄くどうでもいい作品にしか思えない。妙に説教臭いし。

 「涼宮ハルヒ」作品が大好きなら、「エンドレス・エイト」でグチグチと文句いってた人でも、「こんなのが観たかったんだ!」と満足できるのは間違いない。いや、「涼宮ハルヒ」作品がどんなものか知っている程度の人でも大丈夫かも。それくらいキャラクターの魅力が溢れている。
 でも、映画としては、あまりに滞りなく、観客の理想通りに展開するので、面白味に欠ける(原作を忠実に映画化しただけなのだとしても)。たとえば押井守監督の『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』のように、引っかかりがありすぎるために記憶に残るような作品にはなり得ていない。
 上映時間が長いのも駄目。正直、30分は削れるよ(原作の忠実な映画化が理想なのだとしても)。だって、細田守監督版『時をかける少女』みたいな作品なんだから、もっと削って短くできるでしょ。上映時間の長さがサービスになってない。
 とはいえ、モラトリアムな人にとっては麻薬のような作品であることは間違いなし。ジェームズ・キャメロン監督の『アバター』なんかよりも遥かにヤバイ世界を描いている

 最後に。エンドロールが終わった後に描かれる長門のしぐさが最も魅力的だった。

テーマ : 映画館で観た映画
ジャンル : 映画

tag : 涼宮ハルヒの消失

2010-03-28

『パラノーマル・アクティビティ』は、TVゲーム映画

 『パラノーマル・アクティビティ』を観た。
 まーたもや『食人族』みたいな使い古された偽記録映画なんだけど、まだアメリカではそんなものが大ヒットする余地があるようで、超低予算(約140万円!)ながら製作費の数万倍の大ヒット。内容的には日本で劇場公開されるような作品でもないのに、大ヒットしたお陰で日本でも無事公開され、しかし噂が先行したため、本来の魅力は激減してしまい、良かったんだか悪かったんだかわからない『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』同様の変な映画だ。

 物語はないも同然。1組のカップルが住んでいる家に怪奇現象が発生しているので、ハンディカメラでそれを映しました、というだけのもの。舞台はカップルの自宅(ほぼ室内)のみ。彼女は学生、彼氏がデイトレーダーという設定があるんだけど、自宅しか映されないから、引きこもりカップルの異常な生活としか思えない。怪奇現象といっても、その実は彼女に憑いた悪魔が悪さをしているってだけで、まあ、それはアメリカだから通用するんだろうけど、そこの設定は透明人間でも何でも良く、気にしない部分だ。
 そんな杜撰な物語だから、見所は「いかにして怖がらせてくれるか」にしかない。使い古された記録映画風演出に斬新な味を加えることができているのか。ホラー映画好きにとっては、そこにしか興味がない。

 記録映画風演出は、とりあえず画面をガタガタ揺らしていれば手持ちカメラ風の現場感と臨場感を演出できるので、映画だけならずTVドラマからアニメまで世界中でみんなが真似している。正直、その演出を見るだけでガッカリしてしまう(特にアニメでやられるとガッカリを超えてイライラする)。『パラノーマル・アクティビティ』も同様にガタガタしてはいたけど、売りはそこになく、むしろガタガタさせないとこにある。
 『パラノーマル・アクティビティ』に於いて最も重要な画面は、カメラを据え置きにして撮影している寝室場面だ。明らかに「何かを映す」ことを目的としたアングルでカメラを設置している。一応『パラノーマル・アクティビティ』はホラー映画なので、映画の目的は観客を怖がらせることにある。怖がらせるには、「予想通り」と「予想外」の2通りあり、『パラノーマル・アクティビティ』は完全に後者の方法で怖がらせる。面白いのは、その怖がらせ方。
 ホラー映画の怖がらせ方の典型は、デカい音を恐怖映像の直前に鳴らして観客をビビらせる方法だが、『パラノーマル・アクティビティ』は、一応は記録映画風だからBGMは使わないし効果音だって使わないので、いわゆる「ビックリ系」の恐怖表現は使えない。そこで、「考えたなぁ」と感心したのが、ビデオカメラ映像だからこその早送り。最初はしばらく何にも変化のない映像をボーっと映しているんだけど、変化が訪れないと、キュルキュルキュル~って映像が早送りされ、画面右下に映っているタイムカウンターも早送りされる。そして、それがピタっと止まると、何かが起こる。ここが重要。「はい、こっから何かが起きますので、じっくりと画面を凝視しててね~」と宣言している。この演出方法は完全にTVゲームで、一見して記録映画風ではあるけど、『パラノーマル・アクティビティ』は記録映画風TVゲーム的映画だ。と同時に、TVのバラエティー番組レベルでもある。これは、恐怖演出として低音のBGMを鳴らしながら、恐怖映像の直前に「ババーンッ!」とデカい効果音を入れるのに等しい演出だけど、確実に新しいと思えるのは、画面を凝視することを強いる点と、そのためにかかる観客の負担を軽減している点だ。
 だから、『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』とは決定的に怖がらせ方の思考が違うし、恐怖映像の魅せ方が日本の心霊ホラー映画に似ているというけど、根本的に違うと思う。日本の恐怖演出は、「いかにして観客に負担をかけるか」に力点が置かれているからだ。
 「はい、ここに注目!」というTVゲーム的恐怖演出が面白いんだけど、監督も初めてだったからか、かなり遠慮気味の演出で、それは殆ど間違い探しのようなゲームにすぎず、どうせならもっと大袈裟に、「ここっ、ここここっ! ほら、ここに何か映ってますよ!」と映像の中で怪奇現象が発生している部分を○で囲んでみるとか、矢印で示してみるとか、そこまでしてもらえるともっと良かった。私は一ヶ所、悪魔の足跡が床に付く場面で、全く関係のない部分を見ていたため、気付かないままその場面が終わってしまい、後でそんな演出があったのを知り、観終わってから驚いたし。続編を作るらしいので、その際はさらに親切丁寧な恐怖演出をお願いしたいものだ。
 そう考えると、観客を満足させるためのサービスである最後の驚かし演出は余計。普通のホラー映画に成り下がっちゃってる。もったいない。
 
 はっきりいって映画として面白いとは思えない。偽記録映画風なだけに、何で終始撮影し続けるのか(彼女を激怒させてるってのに)理由付けに無理あるし、何もかもをフレーム内に収めすぎだし。が、新しいか新しくないかといえば、確実に新しいと思う。でも、それだけなんだけど。

テーマ : 映画館で観た映画
ジャンル : 映画

tag : パラノーマル・アクティビティ

2010-03-23

『劇場版Fate/stay night - UNLIMITED BLADE WORKS』は、完璧な脳内補完映画

 『劇場版Fate/stay night - UNLIMITED BLADE WORKS』を観た。
 一応、原作のPCゲームはやっているので、物語はわかっているのだけれど、何せ5年前のことなので、細かいことは忘れている。TVアニメは、石川県で放送してないから観れてないし、DVDを借りてまで観る気はないし(買うなんて論外)、漫画版も読む気はないしで、正直、「劇場版」には全く興味がなかったんだけど、石川県なんて田舎で予想外に上映決定したので、世評が良いのもあり、どんなものやらと物見遊山気分で観てみた。
 そしたら、意外に良かった。

 アニメとしての出来は良い。「世界レベルで良い」わけではないけど、日本国内のアニメオタク向けと考えれば、かーなり上等な出来。作画の出来が最初から最後まで良く、戦闘場面の多さ(8割は戦闘場面だ)がその自信を示している。どのキャラも良く動く動く。日本アニメ独特のアクロバティックなカット割りと演出で満載。PCゲーム版しか知らないので、キャラに声が付いているだけでも感動ものだけど、「あの場面が動くとこうなるのか~」と感心しながら観ていた。うん、完全にファンだな私。
 そのファンぶりに我ながら驚きながらも、感動してしまったものはしかたない。たとえば、アーチャーの最後の台詞「答えは得た。大丈夫だよ遠坂。オレも、これから頑張っていくから」とか、セイバーの「問おう。貴方が、私のマスターか」とか、衛宮士郎の「いくぞ英雄王――武器の貯蔵は十分か」とかが原作のイメージを全く損なわないどころか魅力倍増で表現されているのだから、そりゃあ感動しますって! 遠坂凛の“ツン”なところがちゃんと声と表情で表現されていて、セイバーの腹ペコ王ぶりも少しだけど表現されていて面白かったし。
 ただし、完全無欠にファンサービス作品なので、ファンでない人には面白さが欠片もわからないどころか理解不能な作りになっている。ゲームなら十時間くらいの物語を2時間内に収めてるんだから、その端折りっぷりは凄まじい。それを「Fate」っぽく表現すると、それは――断片だけでできている。「Unlimited Blade Works」という副題からわかるように、物語は総合的でなく、ゲームでいうところの遠坂凛をメインヒロインとするルートに限定している。主人公である衛宮士郎が最も活躍するルートでもあるので、最初から最後まで戦闘場面だらけ。細かい説明は一切なし。一見さんお断り。予習復習当たり前。ファンには優しいけど、ファンでない者には鬼神の如く厳しい映画だ

 完全なファン向けとなっているけど、「劇場用」としてブラッシュアップさせたファンサービスとしては、物語の魅力を伝えることは放棄し、アニメとしての魅力――つまり「動き」に限定して力を注いであるので、満点合格といえる。PCゲーム版の『Fate/stay night』しか知らない人は、絶対に観た方がいい。感動できるから(細かい部分は全て脳内補完しなきゃいけないけど)。TVアニメを観ていた人は、アニメーションの演出は既に知っているしね。
 ファン限定サービス映画なので、歴史に残るような傑作とはいえないけど、ファンにとっては、原作と共にある作品として高く評価されると思う。

テーマ : 映画館で観た映画
ジャンル : 映画

tag : Fate

2009-05-12

『その土曜日、7時58分』は、雑な家族による雑な強盗の雑な映画

 シドニー・ルメット監督の『その土曜日、7時58分』を観た。名匠ルメット監督の作品だからと、多大なる期待を抱いて観たんだけど……イマイチだった。

 物語は単純。お金に困っている兄弟が、両親が経営している宝石店を襲うんだけど、失敗し、何もかもが崩壊する。
 兄は、父親を忌み嫌っており、ずーっと父親みたいになりたくないと思い続けていた。両親の店は保険に入っているから強盗されても損はしないとわかっており、襲うことには復讐に近い意味があった。弟は、何も考えてない根性なしの駄目男。兄にいわれるまま強盗をするんだけど、さすがは駄目男で、弟のせいで犯行は失敗する。
 雑な計画だったから、犯行が犯行を呼び、事態は雪だるま式に悪化する。

 単純すぎる物語を、時系列をいじって、サスペンスとして盛り上がるようにしてある。1つの場面を登場人物毎に視点を変えて複数回描く、ザッピング演出。それぞれの事情や状況がわかるにつれ、楽観的だった行いから、逃げ道を絶たれて追い詰められてゆき、家族崩壊へと突き進む絶望的な緊張感が増幅する。
 時系列をいじったり視点変更をする演出は、サスペンスでは常套手段なので、それが“売り”になることはない。作為的であることが強調されるので、物語は自然に見えることがなく、観客は、登場人物に共感するよりも、いわば“神の視点”を強要される。だから、作為的であればある程、面白さは増すんだけど、『その土曜日、7時58分』はその点で失敗している。

 撮影の拙さが気になってしかたなかった。揺れる必要のない場面で、カメラの揺れること揺れること。新人のカメラマンかと思うくらい、安定感のない場面がいくつもあった。アングルもつまらなく、演出が過剰に作為的であるなら、ショットも作為的であるべきなのに、まさか“揺れ”が登場人物の心理状態を演出しているとも思えないから、あまりにも凡庸すぎる。
 編集の拙さも気になってしかたなかった。時系列や視点が変わる度に、映像をスクラッチしているような変な効果が入るんだけど、それが全くの無駄どころか邪魔。「面白い効果だろ!」と何か得意気なところにイライラする。暗転させて、字幕だけで「犯行1時間前」とか表示した方が、『その土曜日、7時58分』の雰囲気に合っている。まあ、作為的である点はとぉーっても強調されるけど、やり過ぎだ。

 俳優陣の演技は良かった。特にフィリップ・シーモア・ホフマンさん。『ブギーナイツ』のゲイ役の頃から考えると、信じられない出世ぶり。太ってんのは変わってないけど。
 しかし、登場人物の描写が浅く、なぜ親子関係に溝があるのか、なぜ強盗するまでに兄弟は追い込まれているのかが今いちわからないし、それぞれの造形も浅く、大量生産品のハンコで押したような感じの人物しか登場しないため、薄っぺらなドラマになってしまっている。
 俳優人の演技力だけで持っている映画だ。

 これ、ルメット監督より、コーエン兄弟が作るような映画じゃないかなぁ? 脚本をもっとシニカルにして、凝ったショット満載で作るような。だって、内容があるようで全くない物語だもん。駄目な家族が身内を襲ってもっと駄目になる――物凄くコーエン兄弟好みの物語だと思うんだけど。ちょとだけ『ファーゴ』っぽいし。そーゆーのをもっともらしく撮ることにかけてはコーエン兄弟に並ぶ者はいないでしょ。
 84歳にもなるルメット監督の手腕は悪くないけど、とにかく撮影と編集が拙くて駄作すれっすれの映画になってしまっている。それならば、絶好調のコーエン兄弟に撮ってもらいたかったと夢想してしまう。

 あと、駄目な点として、邦題が挙げられる。
 意味不明で意味深な題名ゆえに、覚え易いといえば覚え易い邦題だけど、原題は全く違っていて、『Before the devil knows you're dead』というもの。意味は、「あなたが死んだことに悪魔が気付く前に」。それがどうして『その土曜日、7時58分』になるんだか。「土曜」を含んだ題名なら、ジョー・ダンテ監督の『マチネー/土曜の午後はキッスで始まる』の方が何百倍もいいと勝手に断言したい。
 意味深な邦題よりももっと意味深なために何がいいたいのかさっぱりな原題には、実は前文がある。「May you be in heaven half an hour」というもの。意味は、「(30分前に)天国へ着いていますように」。映画の冒頭でこの文章が表示され、「Before the devil knows you're dead」が表示される。で、前文と題名を繋げれば、「あなたが死んだことに悪魔が気付く30分前に天国へ着いていますように」と意味が通る。
 『その土曜日、7時58分』は、強盗で始まるサスペンスだけど、それは映画のきっかけにすぎなくて(物語のきっかけではない)、物語が進行するにつれ、家族の問題が浮上する。特に核になっているのは、父親と長男(ホフマンさん演じる兄)の不和。それが強盗へと発展し、誰もが望まない最悪の結果を生む。
 しかし、「あなたが死んだことに悪魔が気付く30分前に天国へ着いていますように」とあるように、最後には悲しくて残酷ながらも静かな安らぎ(祈り)が訪れる。それは、父親の息子(兄)への祈りだ。父親らしいことを何もしてやれなかった息子への、せめてもの償いが、とんでもなく残酷な行為となる。
 アメリカで何度も何度も繰り返される父親と息子の物語。それを意味する原題を、変な邦題に変えてしまった配給会社はダメダメでしょ。『悪魔が気付く前に』や『死に気付かれる前に』とかで良かったのに。そっちの方がノワールっぽくて、雰囲気あるし。

 コーエン兄弟が撮っていたら――いや、ルメット監督のままでもいいんだけど、撮影と編集がもっとマシなものになっていたら――軽ぅーく傑作になってたろうな、と悔やまれる映画だ。

テーマ : 映画館で観た映画
ジャンル : 映画

tag : その土曜日、7時58分

2009-05-05

『新宿インシデント』は、ジャッキーの『グラン・トリノ』で、つまりいつものジャッキー映画

 ジャッキー・チェンさん主演の『新宿インシデント』を観た。佳作レベルの、チェンさんが主演でなければ何の話題にもならない作品だ。
 噂に違わぬ暗い「ジャッキー映画」だった。最後にチェンさんが殺されるんだから、『炎の大捜査線』以来の、暗ぁ~い「ジャッキー映画」だ(『炎の大捜査線』は、暗い暗くない以前の問題作だったけど)。

 はっきりいって、「Vシネ」映画。新宿が舞台で、不法滞在者が主人公で、中国人マフィアが登場して、ヤクザとの血みどろの抗争があって、「ジャッキー映画」印のアクションが封印されているんだから、下手すると、たくさんある普通の「Vシネ」の中に埋もれてしまうくらいの凡作。もちろん、普通の「Vシネ」よりもお金がかかっているから映画らしいんだけど、物語は当然として、演出にも目新しさが全くなく、全力で今さら感が漂いまくり。
 ずーっと、「いつものジャッキーなら……」と考えてしまった。チェンさんが何の変哲もない不法滞在者を演じる必要性が全く感じられないわけですよ。チェンさんには、下っ端からマフィアのボスに成り上がる『ミラクル』のような奇跡を期待しちゃうのですよ。でも、最後には呆気なく死んじゃう。惨めに、下水道で、流されて、孤独に。そんなチェンさんなんて望んでないわけですよ、長年のファンとしては。しかし、だからこそ、『新宿インシデント』には価値がある。

 チェンさんが演じるのは、鉄頭という密入国者。恋人を探しに日本は新宿までやって来るんだけど、恋人は既にヤクザの妻となってた。鉄頭は中国を出る時に警官を殺しているので、帰国することもできず、裏社会に染まって生き抜くしかなかった。
 この手の物語は、密入国や移民とかの国際問題を扱わなくても、田舎から大志を抱いて上京したはいいけど、チンピラに堕し、いつの間にかヤクザ組織内での権力闘争に明け暮れる日本人自身の立身出世ものが無数にある。国際問題と国内問題の差は大きいけど、物語の構造に差はない。
 ヤクザやマフィアが登場する以上、暴力が占める要素は大きい。現実的な問題を描くからこそ、その暴力も現実的で、つまり、「痛い」。そもそも「ジャッキー映画」の基本は「暴力」なんだけど、「暴力」と見えないように映画の娯楽要素として昇華させているから、「暴力」という感じは薄かった。しかし『新宿インシデント』は、「暴力」を強調している。

 密入国者や不法滞在者を絡めた現実的なヤクザ映画を作るだけなら、チェンさんが主演する必要はない。『新宿インシデント』がチェンさん主演だからこそ価値があるのは、「ジャッキー映画」に登場する「ジャッキー・チェン」がちゃんと存在するからだ。家族と仲間を何よりも大切にする、心優しい「ジャッキー・チェン」が。その心優しい「ジャッキー・チェン」が、何の変哲もない密入国者になると、鉄頭のように、なす術もなく「暴力」的な運命に翻弄されてしまう。
 今まで「ジャッキー映画」は「暴力」で何もかも解決させていた。しかし現実は、「暴力」で何かが解決することは稀だ。鉄頭らの仲間は皆、普通の一般人だったのに、新宿で生き抜くために悪事に手を染める。「暴力」は簡単だから、染まり易い。単なる農夫だった鉄頭が、新宿ではヤクザの組長を狙う殺し屋になってしまう。「暴力」によって、みんなの人生が狂ってゆく。
 「暴力」を描きつつ、「暴力」を否定する『新宿インシデント』は、「暴力」で何もかも解決させてきた「ジャッキー映画」を作り続けてきたチェンさんにしか作れない映画だ。世界中で確固たるイメージのある「ジャッキー・チェン」でなければ価値のない映画なのだ。奇しくも似たようなテーマで大傑作を作った、クリント・イーストウッドさんの『グラン・トリノ』のように。
 『新宿インシデント』は、チェンさんの新たな分岐点となる映画として(または回顧的な映画として)、重要な作品だろう。『グラン・トリノ』じゃないけど、これがチェンさんの遺作であってもおかしくはないと思える、立派な「ジャッキー映画」だ。

 ただし、『新宿インシデント』を「ジャッキー映画」と関連付けずに観るなら、魅力的なショットはなく、フィルムの色合いは安っぽく、物語もテキトーなので、賞味期限は1ヶ月くらい。ヤクザの襲撃が、石ころを投げつけるって、あり得ないでしょ。拳銃も殆ど使わないし。時代背景が『プロジェクトA』と同じかと思うくらい。
 チェンさんの映画を全く観たことがないような人には、『新宿インシデント』は本当に単なる「Vシネ」でしかないだろう。

 それにしても、相変わらず全裸場面があったのには笑った。本当に裸になるのが好きだね、チェンさんは。
 あと、竹中直人さんは、演技が大雑把すぎて存在感があり、邪魔だった。明らかに1人だけ浮いていた。

テーマ : 映画館で観た映画
ジャンル : 映画

tag : 新宿インシデント

2009-04-30

『バーン・アフター・リーディング』は、神話級の馬鹿映画

 コーエン兄弟の『バーン・アフター・リーディング』を観た。噂に違わぬ、知的な馬鹿映画だ。
 はっきりいって、「スマステ」の「月イチゴロー」に於ける稲垣吾郎さんの、「コーエン兄弟だけに、独特な世界観、テンポ感がある。キャストも豪華だし、とにかくブラピのおバカぶりは見どころ。だけど、ストーリー的にはあんまり内容がないね」という評価は的確だった。

 手抜きといわれてもおかしくない物語を、テクニックだけで最後まで見せる、嫌味ったらしいコーエン兄弟の側面が存分に堪能できるブラック・コメディ映画。
 誰かの小さな勘違いとすれ違いが大問題に発展し、しかし世間的には何事もなく天下泰平である、と終わる。基本的にコーエン兄弟の映画はみんなそんな話ばっかりだ。庶民が悶え苦しむ様を茶化して撮る。シリアスな前作の『ノーカントリー』にしたって、基本は同じ。
 『バーン・アフター・リーディング』は、特に馬鹿度が向上して、何か意味があるようで全くない映画になっている。『ノーカントリー』の後に続けて観ると、『バーン・アフター・リーディング』も深読みしてしまいそうになるくらい、中身は空っぽ。スタイル先行型なのは、『ブラッド・シンプル』から今までずーっと同じだけど、『ノーカントリー』の成功で、遂に単なる「馬鹿騒ぎ」にすぎない『バーン・アフター・リーディング』までヒットさせることができた。
 しかし、考えたらコーエン兄弟って、何か明確なテーマを描いたことなんて一度もない。スタイルだけで今の評価を勝ち得た。ちゃんとした脚本ありきではあるけど、コーエン兄弟くらいそのスタイルが話題になる映画人はそういないだろう。自身の映画でなくとも、『ブラッド・シンプル』の前後には、サム・ライミ監督の『死霊のはらわた』や『XYZマーダーズ』にも関わっていて、それらもスタイル先行型で、かつ「馬鹿騒ぎ」の映画だ。一般的な評価が最も高いと思われる『ファーゴ』にしたって、「馬鹿騒ぎ」だ。基本的にコーエン兄弟は、「馬鹿騒ぎ」しか撮ってない。
 
 オープニングクレジットで主演俳優陣の名前が次々に表示される中、ブラッド・ピットさんはジョージ・クルーニーさんの次くらいに表示されるかと思いきや、なぜか最後だった。特別出演的な「and Brad Pitt」という扱い。なぜかと思ったら……最も美味しい役だから。『バーン・アフター・リーディング』の魅力の半分はピットさんでできている。
 ピットさん演じるフィットネスクラブの従業員は、『バーン・アフター・リーディング』の登場人物中、最も馬鹿だ。と同時に、純粋でもある。その純粋さは、『ノーカントリー』のシガーに近い。中心人物がいない『バーン・アフター・リーディング』で、物語の牽引役となっている。だから、ピットさんの「純粋な馬鹿」演技がなければ、『バーン・アフター・リーディング』の面白さは激減する。
 メチャクチャな物語は、ピットさんを中心に進み、崩壊する。メチャクチャさも崩壊も、綺麗な予定調和。最後も、身も蓋もない締めで終わる。神話のように、「神の意思を下す人物」を配置し、誰もが勘違いしているからこそわけがわからなくなり、一見したら複雑怪奇な出来事を、呆気なく幕切れさせる。物語を第三者に語らせる『ファーゴ』や『ノーカントリー』と同じやり方。
 神の視点で始まり、神の視点で終わる。神話的な枠組みで、中身が空っぽの、馬鹿映画だ。コーエン兄弟の自信の程が窺える、嫌味ったらしい映画だ。

 ところで、コーエン兄弟マニアであれば笑えるトリビア的なネタや、出演者の出演作にちなんだトリビア的なネタがあっちこっちに散らばっているけど、マニア以外にはどうでもいいネタばかり。たとえば、劇中に2回登場する『Coming Up Daisy』て映画のポスターには、原作コーマック・マッカーシー、監督サム・ライミと書かれている。もちろん、マッカーシーさんは『ノーカントリー』の原作者だし、ライミ監督は昔からの友達だ。「それに気付いたからどうした」としかいわれないネタで、気付いた本人も「だからどうした」としか思わないネタだ。

 また、予告編で流れていたエルボーの「Grounds for Divorce」が本編では使われていないのには「詐欺だ!」と思った。あの曲、好きなんだよね。雰囲気も合ってたし……巧く作られてたなぁ。くそう、予告編め!

テーマ : 映画館で観た映画
ジャンル : 映画

tag : バーン・アフター・リーディング

2009-04-29

『おっぱいバレー』は、低脂肪牛乳みたいに薄味

 綾瀬はるかさん主演の『おっぱいバレー』を観た。
 題名から、笑い要素が8割の「おっぱいが見たいために頑張る男子中学生のスポ根もの」で、「おっぱいが見たい」を抜いたら大して工夫のない「スポ根もの」だろうと思ったら、本当にそのまんまだったけど、意外と「感動もの」でもあり、意外と面白かった。が……おっぱい成分が皆無なのはいけないと思いますっ!

 映画の出だしは、とても感動的。
 主人公の男子中学生5人組が自転車で走っている場面で始まる。主人公らは、「時速80Kmで走っている時の風圧を『握る』と、おっぱいの感触を味わえる」という迷信を実践していた。急勾配の長い坂道を全速力で駆け下り、風圧を「握る」。「この感触がおっぱい!?」と感動に打ち震え――自転車を制御できなくなり、坂の下へ――宙を舞う! まるで『E.T.』の名場面のように! 絶体絶命の場面で叫ぶ言葉はもちろん、おっぱーっい!
 ツカミは完璧。馬鹿映画だ。昔の東映子供映画の匂いがする。鈴木則文監督作品の、『伊賀野カバ丸』や『パンツの穴』に近いものを感じる。傑作の予感!

 しかし、綾瀬さんが登場すると、一気に映画のテンションが下がる。困ったことに、おっぱいの要である綾瀬さんが映画を盛り下げる要因になっている。
 「試合に勝てば、おっぱいを見せる」と約束したから頑張る。そんな話ならば、おっぱいを見せるか見せないかが重要な要素なのに、主演が綾瀬さんなので、「おっぱいを見せる」がないのは最初からわかりきっている。綾瀬さん演じる新任教師・寺嶋は、主人公らを叱咤激励する時、「私のおっぱいを見るために頑張りなさい!」という。どれだけ馬鹿な男子中学生だって、「綾瀬はるか」な教師が本当におっぱいを見せてくれるわけがないことくらい気付きそうなもんだ。寺嶋に絶対的な信頼感があるなら話は別だけど、新任教師だし、淫靡な雰囲気が漂ってるわけでもないから、おっぱいを易々と見せるようには見えない。
 それに、そもそも綾瀬さんにおっぱいな魅力がない。何で巨乳な人を採用しなかったんだろう。または、巨乳な特殊メイクを施さなかったんだろう。巨乳でないなら、おっぱいを強調した服装にしなかったんだろう。『おっぱいバレー』から想定されるあらゆる要素に綾瀬さんは全く当てはまらない。
 さらに、綾瀬さんの演技が下手だ。
 とにかく、綾瀬さんに「この人のおっぱいを見るためなら何でもしてやる!」という魅力が欠けている。その時点で失敗作と烙印を押してもいいと思う。

 それでもギリギリで面白いと思えるのは、主人公ら子供たちの存在のお陰だ。しかしそれも中途半端。
 主人公らは馬鹿っぽく描かれているんだけど、その程度が弱い。主要メンバーは5人いるのに、皆いまいちキャラ立ちしてない。ぱっと見で面白く思えるのは、この手の物語の定番である、太っちょと天パの子くらい。他はいてもいなくても構わない。たとえば『ウォーターボーイズ』なんかと比べると、その弱さは一目瞭然。
 何で主人公らがキャラ立ちしてないかというと、大人キャラの物語を作らないといけないから。寺嶋は、ちょっとしたトラウマを抱えていて、それが物語の鍵となっているんだけど、邪魔にもなっている。大人同士のドラマを描かないといけないから、そこに余計な時間を費やしている。大人の場面でいらない部分を削れば、20分は短くできる。この手の物語はもっとコンパクトにして、あっという間に終わるくらいで丁度良いと思うのに。
 また、感動要素の大半が綾瀬さんのトラウマ解消に費やされているのも駄目。もっともっと子供たちにスポットを当てるべきなのに、子供たちの描写は物っ凄いテキトー。主人公らには番長みたいな先輩がいて、それが竹内力さんみたいな人なので、その先輩を使えばもっと物語が盛り上がるのに、放置。主人公らのリーダー格の男の子には幼馴染の女の子がいて、それが可愛い娘なので、その娘を使えばもっと物語が盛り上がるのに、これまた放置。

 原作は読んでないので映画と比較できないんだけど、映画は映画として、おっぱいを見せるべき――ハッピーエンドにするべきだったと思う。『スマイル 聖夜の奇跡』を観た時にも思ったけど、やはりこの手のドラマはハッピーエンドにすべきだ。綾瀬さんがおっぱいを見せられないのなら、そこを何とか工夫するのが脚本家の仕事だろうに。別に、観客に見せろといってるわけじゃないんだから。主人公らが見られればそれでいーんだし。
 主人公らが大ピンチの時に服の上からでもおっぱいを触らせたら無敵に強くなるとか、変な必殺技を登場させるとか(腕の動きにおっぱいの動きを取り入れた「おっぱいサーブ」とか)、馬鹿っぽい映画を作るなら、徹底しろといいたい。
 広く浅く楽しんでもらおうと欲張った結果、『おっぱいバレー』は、何もかもが中途半端で浅く薄味な映画になった。もっともっと面白くできたのに、もったいない。

テーマ : 映画館で観た映画
ジャンル : 映画

tag : おっぱいバレー

2009-03-06

『感染列島』には感心しない

 『感染列島』を観た。観る前から期待満々だったんだけど、それは見事に裏切られた。意外と面白かったからだ。『252 生存者あり』よりは。

 何というか、普通の駄作だった。お金をかけて、スターを何人も無駄に使って(本当に無駄)、CGも使って、無駄な海外ロケまでして(本当に無駄)、見事に何の変哲もない駄作を作り上げた製作者は凄い。しかし、もっと凄い駄作にできた筈だ! 私は、想像を超える駄作っぷりにむしろ楽しめてしまった『252 生存者あり』と並ぶ駄作っぷりを期待していたってのに!!
 『252 生存者あり』は凄かった。昨年は『ICHI』や『少林少女』など、一流の駄作があったけど、腹が立つの超えて凄いとすら思わされた駄作は『252 生存者あり』だけだった。並びかつ超えるものがあるとすれば、アメリカの『スピード・レーサー』くらいだ。あの凄さは小さなモニターなんかで見てもわからない。大きなスクリーンで見て初めて威力がある。作ろうと思ってもあれだけ見事な駄作はなかなか作れない。あれを腹を立てて見る人の気持ちがわからない。

 私の予想を裏切って、『感染列島』は普通に観られた。面白いと感じる部分もあった。もちろん、ツッコミどころは満載だ。パクリまくりの演出も、時代遅れの設定も、何もかもが上っ面だけで出来上がっている。
 まず、誰もが思い出すのは、ダスティン・ホフマンさん主演の『アウトブレイク』だろう。唾がびゅーんと飛んで人の口に入ったりする描写なんてそのまんますぎて笑ってしまった。基本構想は『アウトブレイク』の範疇にあるので、失敗箇所も『アウトブレイク』の範疇にある。つまり、病原菌によるパニックを題材にしながら、パニックそのものを描けてない点と、病原菌の恐怖が描けてない点が。病原菌を題材にした大成功作は『アンドロメダ…』がある。
 政府の無能ぶりを批判するのかと思えば、そうでない点もつまらない。徹底的に冷酷非常な政府高官を登場させるべきだった。そーゆー点では、『カサンドラ・クロス』にも劣る。結末の極悪さが素晴らしい映画だ。似たものでは、『ゾンビ』のジョージ・A・ロメロ監督の『ザ・クレイジーズ』も傑作だ。もちろん、『ゾンビ』シリーズだって『感染列島』に影響を与えている。どっちかというと『28日後...』だけど、私は南国の雰囲気からルチオ・フルチ監督の『ザンゲリア』を想起した。もしも『感染列島』が『ザンゲリア』を目指していたなら大傑作になっていただろう。
 誰もが指摘する点だろうけど、題名に「列島」と銘打ってあるのに、全く「列島」の描写がないのもいかん。字幕で日本の死亡者数が表示し、技術が5年は遅れてそうなCGで東京が廃墟になった描写を差し込み、とんでもなく大変なことになってますよ、と手抜きの演出。海外ロケの費用で少しくらいは「列島パニック」を描写しなさいよ。殆ど詐欺に近い。
 しかし、何よりの失敗は、2時間を超える上映時間の長さ。もっと刈り込んでいたら普通に面白くなっていた。いらない部分は、日本国外の場面全部、院内感染の場面の半分、爆笑問題の田中裕二さんなどの脇道の話の全て。それでかなり短くできる。上映時間が長いということは、伝えたいことが山ほどあるからなんだろうけど、伝え方を忘れているようだ

 この手のパクリ満載映画を観ていつも思うことは、とにかく上手にパクれ、ということ。映画の製作側が素人よりも映画を知らないんじゃないか、と思うことが多々ある。
 瀬々敬久監督は、同じロマンポルノを撮っていた滝田洋二郎監督と同じように多種多様な映画作りをしているけど、ロマンポルノ以外にまだ成功作がない。大作でも小作でも。悪人を使ったサスペンスなんかが巧そうな気がするんだけど、なぜだかそーゆーのは獲らないんだよな。だから、どーせなら、香港の『エボラシンドローム』をパクるべきだったね。病原菌パニック映画を作るなら、絶対に超えるべき存在が、「エボラエボラァ~」と喚きながら唾をペッペと吐き散らすアンソニー・ウォンさんの凶悪さだ(嶋田久作さんの役は結果的に凶悪なんだけど)。
 瀬々監督ともあろう人が、感動作にしちゃった時点で、『感染列島』の失敗は決まっていた。記憶に残らないんだもん。どれだけ悪かろうが、『エボラシンドローム』を観た人は一生忘れないだろう。ウォンさん1人に勝てない大作を作るなんて、無駄以外の何物でもないよ。

テーマ : 映画館で観た映画
ジャンル : 映画

tag : 感染列島

2009-02-19

『ヘルボーイ/ゴールデン・アーミー』は『もののけ姫』と『妖怪大戦争』

 ギレルモ・デル・トロ監督の『ヘルボーイ/ゴールデン・アーミー』を観た。
 前作には全く興味がなかったんだけど、今作は予告篇や雑誌の写真などで見ることができた怪物の造形が物凄く好みだったので、観ることに。

 期待は、予想通りに満たされ、少し裏切られた。
 まず、一言でいって、『もののけ姫』+『妖怪大戦争』。あ、『妖怪大戦争』はもちろん、三池崇史監督のでない、昔の方ね。実際、『もののけ姫』のダイダラボッチみたいな怪獣が登場するし、その怪獣が倒された後の展開も『もののけ姫』そのものだった。また、主人公のヘルボーイを『ゲゲゲの鬼太郎』の鬼太郎と交換しても物語は成り立つ。目新しさは皆無、面白さはまあまあ、迫力もまあまあ。
 魅力は、とにかく登場する怪物たちの造形の良さにある。そこは大評価。というか、そこにしか価値がない。怪物の造形に惹かれて観ようと思った人の期待は絶対に裏切らないだろう。が、期待を上回るものでもない。怪物の種類が思いの外少なく、大して活躍しないから。大金かかるからしかたないのかもしれないけど、もっともっと怪物(主に敵の)が大量に登場して大活躍してほしかった。ガス人間の上司が最も良かったなぁ。
 ファンタジー色が強かったのは予想外。アクション、ロマンス、ファンタジー、コメディの要素を揃えている欲張りな映画なんだけど、全てが中途半端。デル・トロ監督の前作『パンズ・ラビリンス』も中途半端だったし、『ブレイド2』も『デビルズ・バックボーン』も『ミミック』もそうだったし、もしかしたら「中途半端」はデル・トロ監督の持ち味なのかもしれない。秀才だけど、天才ではないというか。
 アクション場面でのカンフー映画っぽい演出は、ちょっと興醒めする。
 タイトルデザインも平凡だった。
 大好きなダニー・エルフマンさんが音楽担当なんだけど、記憶に残るような曲が一切なし。『スパイダーマン』以降は、あまり良い曲を作れていないと思う。というか、最近はテーマ曲が記憶に残ること自体少ない。大ヒットした『ダークナイト』だって、トレント・レズナーさんが音楽担当かと思ったくらいだったし。

 良くも悪くもない、平凡な映画。予告篇を見てワクワクしていた頃が最も楽しかったかも。うーん、もったいない。下手なロマンスやコミカル要素を一切排除して、街だけを舞台に「人間の仲間の怪物vs人間の敵の怪物」という図式でもっと単純に物語を作った方がスッキリとして面白かった。そんな物語は使い古されているけど、その典型といえる『もののけ姫』の方が何倍も映画として良くできているし。
 とはいえ、最近の『妖怪大戦争』や実写版『ゲゲゲの鬼太郎』よりは何十倍も面白い。『ゲゲゲの鬼太郎』をデル・トロ監督が撮れば遥かに素晴らしいものができるだろうに……日本の映画会社は今作を観て少しは恥を知った方がいいよな。

テーマ : 映画館で観た映画
ジャンル : 映画

tag : ヘルボーイ/ゴールデン・アーミー

2009-01-27

『誰も守ってくれない』はTVドラマに続きそう

 佐藤浩市さん主演の『誰も守ってくれない』を観た。TVドラマの『誰も守れない』が余りにも酷い出来だったので、ほぼ駄作決定と思っていたんだけど……打って変わって出来が良かったので驚いた! 『誰も守れない』の出来の悪さは何だったんだ!

 物語は単純。殺人事件の加害者側の家族を世間の目から保護すること、それだけ。一見、警察が人権に基いて世間の誹謗中傷から守ってくれるように思えるけど、実際は、家族個人個人から情報を引き出すための策でもある。だから、家族まとめてでなく、個別に別れさせて守ることになる。
 加害者側の家族を守るに当たって強制的に行われるあれこれの描写が「へぇ~」と思わせ、物語に引き込まれる。
 まず、名字が息子(犯人)と同じだと、それで加害者側の家族だとバレてしまい、世間から非難されるので、両親は離婚させられ、その場ですぐに再婚させられ、名字を換える(父方から母方の名字になる)。
 その後、娘は、入籍手続きを取らされる。もちろん息子は犯人なので、旧姓のままで放置。さらに娘は、義務教育免除がなされ、学校に行かなくても良くなる。
 これらの手続きは、役人がやってきて、荒っぽく説明をして、強引に書類にサインをさせて終わり。家族は、わけも分からずサインするしかない。淡々としたやり取りが、家族の置かれた最悪な状況を際立たせる。はっきりいって、単なる「トリビア」な描写でしかないけど、効果は抜群。
 そしてその後は……佐藤さん演じる勝浦刑事が志田未来さん演じる船村沙織を保護しつつ、逃亡する物語へと転じる。ここから、世間が沙織を徹底的に糾弾し誹謗し中傷し傷付ける描写が始まる。守る側の勝浦刑事にも暗い過去があり、それをついでに暴かれ、一緒くたに糾弾され、逃亡の旅へと出ることになってしまう。

 正直、面白かった。余りにTVドラマが酷かったから、比較して良く見えたのかもしれないけど、普通に面白かった。しかし、何が良かったのかとなると、特に何もないのだ。加害者側の家族を守る警察の物語――そのアイデアを上回る映画的な面白さがない。
 「加害者の家族」という物語は、東野圭吾さんの『手紙』の方が面白い。どこまでもまとわり付いて来る「加害者の家族」という非難の種。何年経とうと消えない傷。「加害者の家族」が結婚し、子供が生まれれば、何の罪もないその子供までもが差別の対象となる、「加害者の家族」という罪。『手紙』はそこをちゃんと描いていて、とても素晴らしいと思った。多少は奇麗事な面もあったけど(特に映画版は)。『誰も守ってくれない』は、現象だけを追ってる。それはそれでいいけど、「加害者側の家族」というネタを扱う以上、もっと悲惨で残酷な「加害者」の部分を避けているのが良くない。見たいのは、「加害者」が何故にどのように「加害者」だったのか、だ。勝浦刑事関連の挿話を全部削ってでもそこを描いてほしかった。「加害者の家族」も被害者、ってのは誰だってわかることなんだから、不運にも「加害者」の側に回ってしまったことをもっと描くべきだった。唯一の幸福な場面である、スローモーションで描かれる導入部分を全部ばっさりとカットした方が良かった。
 ネットによる誹謗中傷の描写は、やりすぎだと思うけど、似たような展開は実際にあるから、時代性として評価できる。しかし、フジテレビが作っておきながらあれはないだろ。TVのワイドショーで散々やってる暴露は、ネットよりもマシといえるのか? 旧来の主要メディアがネットに負けた、というような描写が最後にあるけど、それはちょっと卑怯だろ。ネットの煽りを受けてさらに煽るくせに。そこら辺の描写にかなり及び腰なのが駄目。
 主役2人の刑事――勝浦刑事と松田龍平さん演じる三島刑事の人物造形は、今までのメジャーな日本の刑事ドラマと一線を画しているけど、アメリカ映画の刑事ドラマじゃよく見るタイプで、創りが浅いと思った。勝浦刑事は、『ダイハード』のマクレーン刑事っぽいかな。三島刑事は、存在自体が全くいらないし。また、特に駄目だと思ったのは、人物描写の掘り下げを、『誰も守ってくれない』では放棄し、TVドラマの『誰も守れない』で補った点だ。木村佳乃さん演じる精神科医の尾上令子なんて、『誰も守ってくれない』だけじゃ意味不明の存在だよ。他に、佐々木蔵之介さん演じる新聞記者も、全くいらない人物だった。彼なしでも物語は展開できた。
 カーチェイスも完璧な無駄だった。『ダークナイト』のハービー・デント検事の護送場面を百倍に薄めた感じ。
 手持ちカメラの“揺れ”が減ってたのは良かった。本当に良かった。やれば出来る子。

 一見は、とても良く、面白い映画に見える。その実、内容は薄い。一見でも良いものに見えるのは、あちこちのドラマや映画や物語から良い要素を拝借しまくっているからだ。その拝借のしかたが上手ではあるんだけど、その隠し方はもっと上手であるべきだった。だって、「ああ、この話は、ヒットすればTVドラマ化する気なんだろうな」と見えてしまうから。そう、最も引っかかるのが、TVドラマにする気が力一杯感じるところだ。勝浦刑事の「背筋が凍るな、おい」という口癖や、表立ってない裏設定が無駄にあるんだもん。
 この手の複雑になりそうな物語を2時間以内に収めたのは良かったと思う。思うけど、TVドラマの前日譚あっての説明省略だったりするので、評価し難い。
 上手なんだけど、上手じゃない。面白いんだけど、面白くない。記憶には、残らない。映画でなく、最初から最後までTVドラマとして作れば良かったのに。もしも、本格的に映画として作りたかったんなら、リチャード・ドナー監督の『16ブロック』を目指すべきだったね。

テーマ : 映画館で観た映画
ジャンル : 映画

tag : 誰も守ってくれない

2008-12-25

『1408号室』の正しいやり過ぎっぷり

 『1408号室』を観た。スティーヴン・キングさんの原作を映画化したものでは、面白さは上位5本に入ると思う。
 私が惹句を付けるなら、部屋に入ると、そこは戦場だった――! そんな感じだ。ホラー映画を超越しているね。

 物語は単純。単なるお化け屋敷ものだ。お化け屋敷ミシュランの主人公が、「ここだけは行くな」と念を押された物件に興味を抱き、行ってみたら本当に大後悔する羽目になる、というそれだけのもの。そこにキングさんお得意の家族愛を隠し味に振りかけてあるので、何とな~く感動っぽい展開もある。
 キングさんのでお化け屋敷といえばスタンリー・キューブリック監督が映画化した『シャイニング』が代表作で、『1408号室』は元々は短編だから、長編の『シャイニング』に比べると、映画的にも『1408号室』は小粒。しかしまあ、小粒だからこそできる味わいがある。
 『1408号室』の魅力を一言でいうと、やり過ぎ。怖いを通り越して、呆気に取られるくらい、超やり過ぎ。出だしは小さなモーテルから物語が始まるから、『地獄のモーテル』っぽい気もするんだけど、件の「1408号室」があるホテルに入ると一変。『ポルターガイスト』と『CUBE』をディズニーランドのアトラクションにしたような物凄い演出展開が繰り広げられる。その一部分は、次のような。

 窓から出て隣室へ助けを請おうとすると、隣室がなくなっている。というか、窓の外が果てのない無限地獄になってる。
 「1408号室」の歴代の犠牲者が次々と現れ、再び次々と自殺する。
 壁に飾られた、海を描いた絵画から水が怒涛の如く溢れ出し、部屋の中で『ポセイドン・アドベンチャー』。
 壁を叩いても、誰も「252ぃー! 生存者ありぃー!」と助けに来てくれない。
 自分の偽物が現れる。
 部屋の中が氷点下になる。
 部屋から自殺を推奨され、あっちこっちに首吊り紐がぶら下がる。墓や棺桶まで用意してくれる親切設計。
 最後は爆発。

 文章にすると平凡な感じだけど、演出がティム・バートン監督の『ビートルジュース』に近いので、テンションが高く、最初は「ありえねー」と思っていたのが、途中から「やりすぎだよ!」になり、観終わる頃には力技で「これは正しい!」と思わされる。
 元々が簡単なアイデアで作られた短編小説を長編映画にしているわけだから、そこは余分なほどに肉付けしないと面白くならない。だから映画では、映像面が豪華アトラクション並みの演出となっている。同時に物語は、余韻のある原作通りに、余韻が残るというかわけわからんものになっている。
 こーゆー小粒な映画は、下手に伏線をちゃんと回収したりキレイにまとめたりするより、途中放棄するくらいの方が印象に残るので、『1408号室』の演出はとても正しい。実際、受賞はしなかったけど、アメリカの映画サイトのロッテン・トマトが選ぶゴールデン・トマト賞やイギリスの映画雑誌『エンパイア』が選ぶエンパイア賞、アメリカのSFファンタジー&ホラー映画アカデミーが選ぶサターン賞などのホラー部門でノミネートされていたから、人々の記憶に残るくらい印象深かったのは間違いない。
 殆どジョン・キューザックさんの劇団ひとりと化している高テンション映画なので、一般的な面白い映画として推薦できるかといわれたら少し悩むけど、大作でない地味なホラー映画としては、またキングさん原作映画としてもかなりの高水準映画であることも間違いなし。
 でも、見せ方が、ショットが凡庸すぎてTV映画レベルの画面のため、正直いって、年間ベストに入るくらい記憶に残るものではない。一室が舞台となっているだけに、もっと見せ方そのものに凝ってほしかったなぁ。

参照リンク→ROTTEN TOMATOES : 9th Annual Golden Tomato Awards
参照リンク→The Sony Ericsson Empire Awards 2008
参照リンク→The Academy of Science Fiction Fantasy & Horror Films

テーマ : 映画館で観た映画
ジャンル : 映画

tag : 1408号室

2008-09-19

『死化粧師オロスコ』は文部科学省が推奨すればいいのに

 今日(日付的には昨日)もカナザワ映画祭の映画を観た。観たのは、『死化粧師オロスコ』。内容は、読んで字の如し。死体に最後のオシャレを施す職人のドキュメンタリーだ。

 カナザワ映画祭のチケット、サポート賛同金を払ったら3回券を貰え、しかし仕事の都合で1本観られず、1枚余らるので、それは勿体ないから、今回は知人を誘っての鑑賞。ただしその知人、女性で、しかも残酷映像が苦手なため、どうやって誘うか考えた末、こういった。

「本木雅弘と広末涼子が主演の『おくりびと』みたいな映画だよ」

 問題なく誘えた。嘘はいってない。うん。

 釣崎清隆さんのことは前から知っていたし、写真集も持っているけど、釣崎さんのドキュメンタリー映画は観たことなかったので、楽しみにしていたんだけど、『ジャンクフィルム 釣崎清隆残酷短編集』は余りに出来が酷く、途中で寝てしまう始末で、こりゃあ『死化粧師オロスコ』も悪いかなぁ……と心配したけど、こっちは面白かった。
 プロフェッショナルな仕事を見せてもらえた。ショッキングという以前に、身が引き締まる思いだ。私は今就いている仕事を12年も続けているけど、それを今後もずっとやり続けていても、オロスコさんみたいなプロにはなれないと思った。状況も環境も違うけど、それだけではない。
 例えば、日本では今、食の問題がずっと続いている。毒素が入っているのは問題外としても、賞味期限が切れているくらいで大騒ぎするのは、とんでもなく馬鹿らしいことだ。みんな、オロスコさんの仕事ぶりを観ればいいのだ。

 もっとオロスコさんに密着し、インタビューを重ねたドキュメンタリーだったら良かったけど、ただ事象を撮っているだけの『ジャンクフィルム 釣崎清隆残酷短編集』よりは、題材が良かった分、最後まで飽きずに観れた。笑えるところもあったし。
 最初は衝撃的な映像も、見慣れると魚の三枚おろしをしているように見えるから、慣れって怖い。

 知人には、当然の如く、観終わってからすっごく怒られました。「最初、思わず逃げ出しそうになったけど、面白かった」といってたので、良かった良かった。結果オーライ。
 たぶん『おくりびと』は観るだろうけど、『死化粧師オロスコ』の後だと、生温い映画に思えそうだなぁ。『おくりびと』を観る人は、『死化粧師オロスコ』も絶対に観るべきです。レンタル店に置いてあるかどうか知らないけど。

テーマ : 映画感想
ジャンル : 映画

tag : カナザワ映画祭

2008-07-21

『ノーカントリー』は『宇宙戦争』だよ

 コーエン兄弟の『ノーカントリー』を観た。正直、よくわからない映画になっていた。
 7割は面白い。「面白いように作ってある」から。残り3割がわからない。「わからないように作ってある」から。だから困った。これはあれだ、皆々様方の思った通りでございます。そんな映画だ。

 卑怯といえば、卑怯。原作通りっつっても、原作をそのまま映画にしなくてもいいと思うのだが。よくこれでアカデミー脚色賞を受賞したな。作品の格、脚色の仕方、演技は……引き分けだけど、基本的に『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』の方が優れているのに……アカデミー賞も所詮は出来レースか。
 原作者であるコーマック・マッカーシーさんは、『すべての美しい馬』で有名だ。題名通り、美しく、詩的で、本当に素晴らしい小説。登場人物の内面描写を極力廃し、行動のみで示す、ハードボイルドな世界。そして、『ノーカントリー』の原作である『血と暴力の国』も同様に素晴らしい。
 最初は、『ノーカントリー』が『すべての美しい馬』と同じ作家によるものとは知らなかった。そもそも、『すべての美しい馬』は、映画版が余りにも酷い出来で、そのせいで原作を読まない人が多いと思う。是非、読むべきだ。同様に、『ノーカントリー』の原作である『血と暴力の国』も読むべきだ。はっきりいって、『ノーカントリー』と比べようもないくらい、素晴らしい。
 ついでに最近発売された『ザ・ロード』も素晴らしい。SFとしても、また相変わらずの暴力哲学小説としても。ピューリッツァー賞を獲っただけはある。

 『ノーカントリー』は、テーマは結構、深遠。でも、そんなこと以前に、画面の面白さが優先。もちろん、ハビエル・バルデムさん演じる殺し屋シガーのことだ。シガーの描写は、原作とは全く異なるというか、映画向けにブローアップされている。
 「七・三分け」どころか「九・一分け」のおかっぱという強烈なヘアースタイルに、無表情。そんなシガーが、とにかく会う人会う人殺しまくる。買い物ついでに殺し、道を尋ねるついでに殺し、わけもなく殺す。殺し屋というよりは、正に「ナチュラル・ボーン・キラー」。しかも、武器が空気ボンベ。ホースの先を対象者の額に当て、ぶしゅっと圧縮空気をエアガンみたいに発射して殺す。硬貨大の穴が頭に貫通する。映画史上に絶対残る強烈なキャラだろう。強烈すぎて夢見そうだもん。

続きを読む...

テーマ : 映画感想
ジャンル : 映画

tag : ノーカントリー

2008-06-24

『フィクサー』はアクション抜きの『ボーン・アルティメイタム』

 ジョージ・クルーニーさん主演の『フィクサー』を観た。
 監督・脚本は、マット・デイモンさん主演の大ヒット作、『ボーン』シリーズの脚本を担当したトニー・ギルロイさんで、『フィクサー』が初監督作品となる。
 『ボーン』シリーズの脚本家が作ったからか、暗殺者と弁護士という主人公の違いはあれど、『フィクサー』は『ボーン』シリーズととても似ている。

 主人公マイケル・クレイトン(ジョージ・クルーニーさん)は、何者でもない。中年を過ぎ、老後の貯えを考えるようになって、何も持っていないことに気付いて焦るような、どこにでもいる人物だ。
 検察官を経て弁護士になり、キャリアは十数年にも及ぶというのに、「揉み消し屋(フィクサー)」として重宝されていても、その実は単なる「便利屋」扱い。貯えを心配して商売を始めれば、商売が軌道に乗る前に借金漬けになってしまう。
 描かれている物語は、数千億円もの大金が動く製薬会社と農家との巨額訴訟なのに、訴訟そっちのけで極めて個人的な視点で物語は進行する。はっきりいって、引き込まれるような物語はない。それが面白く思えるとしたら、語り口の勝利だろう。大ヒットを飛ばした脚本家だけはあり、引き込み方が巧い。サスペンス仕立てで観客を強引に物語へと引き込む。
 いきなり初っ端からクレイトンが爆破暗殺されそうになり、そこから数日前に話を戻して、何でクレイトンが狙われるに至ったのかを説明する。つまり『フィクサー』は、起承転結でいうところの「結」から始まるのだ。
 「ええっ! いきなり何なんだ!?」と観客に思わせてから「起」に戻って、改めて起承転結を進める。ありふれた手法だけど、効果的だ。ただし、それはミステリーやサスペンスに限った場合で、『フィクサー』はミステリーでもサスペンス(リーガル・サスペンス)でもない。

続きを読む...

テーマ : 映画感想
ジャンル : 映画

tag : フィクサー

プロフィール

ばっどていすとさんどいっち

Author:ばっどていすとさんどいっち
テクノ好き。
アンダーワールドのRez大好き。
映画大好き。
ジャッキー・チェンが生涯の英雄。
生涯1位作品は『ミミズバーガー』。
2位が『溶解人間』。
泣き虫で、馬鹿。
itsuka-omoi-dasu-bts@hotmail.co.jp

最近の記事
プルダウンリスト
プルダウンタグリスト
ブログ内検索
ブログ全記事表示

全ての記事を表示する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。