2009-11-06

『プラン9・フロム・アウター・スペース』のリメイクは、『ドーン・オブ・ザ・デッド』風

 何となーく、以前に記事にしたエド・ウッド監督『プラン9・フロム・アウター・スペース』リメイクのことを今さら思い出したので、公式サイトを見てみたら、ありゃ、とっくの前に結構できてたんだ。そういや、09年09月09日にこだわってたの忘れてた。

公式サイト→PLAN 9

 予告編を見る限りでは、単なる走るゾンビ映画になっちゃってますなぁ。で、宇宙から変な謎の物体がやってきて。「えっ!? これがあの史上最低映画『プラン9・フロム・アウター・スペース』のリメイクなの!?」て感じな出来映え。

『PLAN 9』予告編


 おおー、普通だ……普通に駄目だ。何でこんな程度でリメイクをしようと考えたのか? やはり、元が元なだけに、「これなら俺でも簡単にリメイクできるぜ! しかも、史上最低なんていわれている作品だから、どれだけ下手糞なリメイクになって誰もケチをつけねーぜ!」という志の低さがあるんじゃないかと予想。
 ちなみに『PLAN 9』の公式サイトでは、原作を見ることもできたので、それも貼り付け。

『プラン9・フロム・アウター・スペース』を丸ごと

Plan 9 from Outer Space

 改めてじっくり鑑賞してみましょう……

 (鑑賞中)

 3時間後。
 うん、やはり素晴らしく駄目だ。何て時間の無駄遣い! 3時間も鑑賞時間がかかったのは、途中で何度も寝てしまったため。何度観ても(いや、複数回の鑑賞に堪えられる作品じゃないんだけど)、絶対に寝てしまう。これぞ最低映画。もっと駄目な駄作は山ほどあるけど、この愛すべき駄目さを醸し出している作品はそんなに多くない。そのリメイクである以上、『PLAN 9』も愛すべき駄目っぷりを踏襲しないといけないというか、気を失うくらいの凄い駄目さを目指すべきだと思う。
 監督をするジョン・ジョンソンさん(失礼だけど、名前からして駄目っぽいよねぇ)の他の監督作を見ても、どれも駄目っぽくて、しかしウッドさんほどの狂いっぷりのない普通な駄目さなので、せっかくの史上最低映画リメイクは期待を下回る結果になりそう。いや、原作よりも普通になっている分、リメイクには成功しているのか? うーん? 史上最低映画のリメイクの場合、もっと駄作になるべきなのか、普通に面白くするべきなのか……やっぱ、もっと駄作にすべきだ。

ジョンソン監督の予告編リンク→『The Vampires of Zanzibar
ジョンソン監督の予告編リンク→『Freshman Psych

 『The Vampires of Zanzibar』は見るからに酷いけど、嫌いにもなれないな……
 IMDbを見るとジョンソン監督は、『The Dark Tower』なる映画の監督をするようだけど、まさかスティーヴン・キングさんの『ダーク・タワー』ではございませんよね? 同名の全く別の映画ですよねぇ? だって、『The Dark Tower』の情報を見ると、主演が『Zombthology』なんて珍しいゾンビのバリューセット映画に出ている人だし、他の面子も『PLAN 9』絡みの人たちだし。そもそも確か『ダーク・タワー』の映画化はJ・J・エイブラムスさん手がけるから、絶対にジョン・ジョンソンさんなんかに声がかかるとは思えない。が、もしもキングさんの『ダーク・タワー』なんだとしたら、止めさせた方がよろしいのじゃございませんか、キングさん。

テーマ : 映画関連ネタ
ジャンル : 映画

tag : プラン9・フロム・アウター・スペース

2009-11-04

『私の中のあなた』は、空っぽの私の物語

 キャメロン・ディアスさん主演の『私の中のあなた』を観た。
 日本で大人気の「難病もの」なんだけど、そこはさすがに腐ってもアメリカ映画、邦画の「難病もの」とは違い、設定が正しく「現代的」であり、単なるお涙頂戴に終わっておらず、観る前から「これなら面白そう」と期待を抱ける。そんな「難病もの」は、邦画では『ちゃんと伝える』くらいしかないのだから、期待はかなり大きかった。

 2歳の頃に白血病であることが発覚した娘を助けるため、その両親は、ドナーが完全一致する移植用に遺伝子操作で新たに子供を“創る”。しかし、その“創られた”子が、自らの人権を訴え、姉への移植手術を拒否する訴訟を両親相手に起こす。両親は驚く。まさか妹は姉を助けたくないのか? 移植手術を拒否することは即ち姉を死なすことにしかならないからだ。しかし実は、姉妹には誰にもいえない2人だけの秘密の決意があった――

 粗筋だけ見ても、物語は掃いて捨てる前から腐っている邦画の「難病もの」と一線を画する。デザイナーズ・ベイビーを扱っているだけでも、邦画からするとSFみたいな設定だ。実際、『私の中のあなた』で重要なのはその設定。
 誰かを助けるために、身代わりとなって用意された存在。これは、たとえばスティーヴン・スピルバーグ監督の『A.I.』も似たようなものだ。だからたとえば『私の中のあなた』は、舞台が科学の発展した未来で、妹がアンドロイドで、姉の死後、妹にその脳を移植し、姉の肉体は死滅しても心は生きている――そんなSF設定だったとしても似たような内容で作れてしまう。つまり『私の中のあなた』は、SFでは特に珍しくもない使い古された設定で、その姿形を変えただけのものでしかない。なのに面白いと思えるのは、登場人物それぞれに視点を変え、立場の違いから事態がどのように見えるかを描き分けている語り口の巧さにある。
 物語は、日本じゃ考えられない話だけど、想像はできるし、考えさせられる問題を孕んでいる。長女を助けるために妹を“創り”、その身体をいじる、一見すると非道な両親は、もちろん非道なわけがなく、物凄い葛藤を抱えている。病気の姉、その姉を“助けるためだけ”に存在する妹、その両者の間で存在感を失っていく弟、子供たちも三者三様に悩みを抱えている。特に、妹が両親を訴えてからは家族間がギスギスしてしまう。が、みんな、良かれと思って行動している。少しでもみんなの幸せのために、最善の行動を採ろうとしている。家族の周囲にいる、親戚や医者たちも、解決には程遠いけど、最善を尽くす。素晴らしい人間ドラマだ。
 ありふれた物語をSF的設定で作り、見事な語り口で描いた物語は、とっても感動的で、また衝撃的だ。が、それは原作である『わたしのなかのあなた』の話。映画はお世辞にも成功しているといえない。

 まず、映画は原作の脚色に失敗している。意味不明の場面がかなりある。長男が夜の街を徘徊している場面など、長男絡みの場面は、その行動の説明が全くなく、「何じゃこりゃ?」と、原作を読んでいないと意味不明すぎる(特に長男が病院の屋上から絵を破いて捨てる場面は意味不明な上に非常識だ)。弁護士がいきなり癲癇でぶっ倒れるのも意味不明というか不要だ。何つーか、気分だけの場面が多い。それに何よりも結末。原作と全く異なっているんだけど(死ぬ人が違う)、あれじゃあ「私の中のあなた」という題名の意味がない。
 「私の中のあなた」は、単純に考えると、「死んでもあなたは私の中に生き続けている」という古今東西使い古されたありきたりの意味に捉えてしまうけど、実は違う。原作だと、文字通りの意味で、「私の中のあなた」なのだ。そして原題である「My sister's keepper」の意味を考えると、映画の演出は納得できるものじゃない。原題を直訳すると「私は姉の番人」となるから、これまた簡単に考えると「確かに、妹が姉の命を守ってるものなぁ」と思えるんだけど、原題の意味はそうじゃない。よくある兄弟の世話を巡っての親子喧嘩の内容みたいなものなのだ。
 「あんたのお姉ちゃんなんだから、助けるのは当然でしょ!」
 「私だって好きなことしたいよ! 私が好きなことしちゃ駄目なの!? 私はお姉ちゃんの番人なわけ!?」
 まあ、そんな感じの会話に登場するような、「私は姉の番人」であって、間違っても『ボディガード』みたいなものではない。つまり、鼻で笑って、「はっ、知ったことか」というような嫌味の意味がある。原題にはそーゆー辛辣な意味があって、同時に誰もが考える優しい意味もあって、原作にはそれがあって映画にはない。映画はただ単に甘々だ。

 SF要素、法廷劇の要素、「難病もの」、家族愛、恋愛、色んな要素が詰まっていて、とっても面白そうなのに、実際はとっても薄ぅ〜い印象しかない。特に法廷劇の要素が寂しすぎる。はっきりいって、なくても構わないんだもん。盛り上げるためのフックにはなっているけど、それだけ。途中から放置プレイ。すっごい中途半端。
 何でそんなことになってしまっているのかというと、登場人物や物語や世界がみんな優しいように描きたいから。いや、そりゃあね、優しい世界の方がいいですよ? でも、そんな起伏のない物語を面白くするのはかーなり難しい。やっぱ敵というか嫌な奴が登場してくれないと盛り上がらない。だのに、『私の中のあなた』にはそんな要素が全くない。悪い奴といえそうなのは、せいぜいで母親くらいなんだけど、それにしたって本当の悪人じゃないし。みんな優しい人ばかりで、この世は優しいのです、めでたしめでたし……って、そんなの面白いわけないじゃん!
 結論としては、結末を変えてしまってのが何よりも悪い。原作の辛辣さが全くなくなり、ただただ優しいだけの物語で終わってしまっており、後味がさっぱりしすぎていて何も心に残らない。
 俳優人の演技は、みんな結構良い。ところが、感動できるようでできない。キャメロン・ディアスさんは、演技派への道を歩こうとしているのか、頑張っているけど、ちょっと似合わない。丸坊主にする場面なんて、感動的から程遠かったし。ケイト役のソフィア・ヴァジリーヴァも、メイクに助けられた感じ。ハゲっつーとゴスってのはお約束過ぎて止めてほしかった。アナ役のアビゲイル・ブレスリンは巧いけど、存在感は全くなし。何に困って訴訟を起こしてんだかよくわからない存在感。弟に至っては不思議ちゃん。存在が全く機能していない。その他にも、断片的に語られる脇役陣(弁護士や判事)の挿話が無駄なのも駄目。結末の挿話に、弁護士の勝率に関する会話があるけど、あれもさぁ、「君のお陰で93%になったよ」とかにした方が良かったのにねぇ……
 とにかく、優しい優しい映画なわけですよ。「私の中の」というよりは、「夢の中の」て感じの。その原因は間違いなく脚本にあるけど、監督が何よりも悪いニック・カサヴェテス監督だもんなぁ。全体的にぼんやりとした、登場人物の誰もが優しいだけの、現実的でない物語になってしまっている。これがたとえばスパイク・ジョーンズ監督なら、原作通りに、結末も同じようにして、冷たいと思えるくらい衝撃的な映画に作れたろう。

 とまあ、映画そのものが中途半端で批判してしまったけど、本当に批判すべきは配給会社(なのかなぁ?)だ。どこがというと、挿入歌の歌詞に字幕がないこと
 劇中には、何曲も挿入歌が流れる。登場人物が殆ど喋らない場面で、登場人物の心情や状況を代弁するように。その挿入歌の殆どに字幕がない。これにはね、「アホか!」と声(文字)を大にして怒りたい。
 『WALL・E/ウォーリー』の時にも似たような批判をしたから、『私の中のあなた』だけに限った話じゃないんだけど、もうちょっと挿入歌の歌詞にも気を配ってもらいたい。歌詞の意味がわからなきゃ、CMで流れているBGM程度にしか感じないでしょーが! 意味があって使われているってのに、何やってんのさ配給会社は! ケチらずに歌詞も字幕にしろ! 気になった人はサントラを買えってか?
 エンド・テロップで使われるヴェガ4の「Life is beautiful」にしたって、歌詞の字幕がありゃしない。手抜きとしかいいようがない。どうでもいい広告――「感動しました」を色んな有名人から集めたりするような――にお金を使うくらいなら、もっと映画の内容に気配りした方がいいと思うんだけどなぁ。まあ、そうしたところで映画が素晴らしく良くなるわけでもないんだけど。と、グチばっかだけど、それでも昨今の邦画の「難病もの」よりは何百倍も素晴らしいですよ

テーマ : 映画館で観た映画
ジャンル : 映画

tag : 私の中のあなた

2009-11-01

『あなたは私の婿になる』は、物凄い詐欺映画

 サンドラ・ブロックさん主演の『あなたは私の婿になる』を観た。
 アメリカが得意とする軽い恋愛喜劇で、女性のための恋愛喜劇だ。得意とするだけでなく、人気のあるジャンルでもあるから、安定感のある巧さで、物凄く無理のある設定と展開でも、なぜか面白く見られるのだから素晴らしい。

 物語――というか設定。ブロックさん演じるマーガレットは、社内で密かに鬼や悪魔とあだ名されるくらいのデキる女なんだけど、ビザの申請にミスがあり、外国人のために国外退去を命じられてしまう。このままでは積み上げたキャリアからも退去することになってしまうから、窮余の一策、奴隷同然にこき使っている部下のアメリカ人男と強制結婚し、難を逃れようとする。が、当然、事態は大混乱に陥る。
 という設定があって、展開は、大雑把にたとえるなら、『プリティ・ウーマン』みたいな感じ。『プリティ・キャリア・ウーマン』とでもいうか。ちっともプリティじゃないけど。つまり、王子様が現れて自分を救ってくれる話。『あなたは私の婿になる』でいうなら、高学歴で就職して働きまくって役職にまで辿り着いたはいいけど、気付けばいい歳で孤独で、結婚しようにも自分に見合うような相手がおらず、しかしそんな自分を幸せにしてくれる相手はどっかにいる筈だ! というシンデレラ物語を捨てきれない人が楽しむ物語。全世界に何億人といるだろう、そんな老若男女に一時の夢を与える映画。
 作り慣れたというか、使い古されたジャンル映画だけに、展開はパターン化されたツールが用意されているも同然で、新鮮味が殆どなく、しかしその代わりに演出は手堅く安定感があり、「たぶんこんな映画なんだろうなぁ」という予想を全く裏切ることなく、笑わせてほしいところで笑わせてくれ、泣かせてほしいところで泣かせてくれ、最後まで予想通り、想像通りの展開を続け、観客の期待を上回ることも下回ることもない。だから傑作には程遠く、長く記憶に残るような映画でもない。予定調和と批判してもいいんだけど、こーゆー映画は予定調和でいいのだ。観ている間だけ楽しませてもらえばいいのであって、その夢心地を観終わった後にまで引きずるようなものであってはいけない。誰だってこれが下らない荒唐無稽の夢物語だってことはわかっていて、だからこそ無理矢理な展開でも許して楽しめる。

 ブロックさんは熱演で、その力の入ったコメディエンヌぶりは、全裸を惜しみなく披露し、かつその大切な全裸で笑いを取るくらいのご立派さ。日本の女優にも見習ってもらいたいもんだ。
 わけわからないままに鬼上司と結婚する羽目に陥ってしまう、ブロックさんの相手は、ライアン・レイノルズさんで、役名はアンドリュー。こちらは冷静な常識人ぶりで、ブロックさんを引き立てる役。アンドリューなんて役名ピッタリな設定で、貧乏で能無しの部下かと思いきや、実は実家は富豪で、いいとこのおぼっちゃん。
 主人公らの名前がマーガレットにアンドリューという、物凄くありふれた名前であることから、ハーレクイン小説そのまんまって感じ。主人公らが出版社勤務という設定もハーレクインっぽい。上流っぽくもなく、下流っぽくもない。知性が溢れ過ぎもせず、アホ過ぎもせず。本を作るという、「夢を作る商売」という設定はハーレクイン小説を読む女性には馴染み易いし。ハーレクインっぽいキャッチコピーをそのまま使えそうだもん。「今ここにある危機」。じゃなかった、「今ここにある恋」か。どこの国でもそーゆーとこは似たり寄ったりだ。

 物語がベタにわかり易いなら、音楽の使い方だっても同じだ。
 男性ストリップ小屋の場面があって、そこで流れるのがフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドの「Relax」で、それに続くのが、MCハマーの「U Can't Touch This」。男性ストリップに「Relax」という組み合わせだけで笑ってしまう。「Relax」といえば私は『ズーランダー』なので、やはり「Relax」はアホな場面によく似合うなぁ、と思った。
 主人公が大好きな歌がロブ・ベース&DJイージー・ロックの「It Takes Two」。口ずさむ場面がある。エンド・テロップにもそれが流れる大サービスぶり。
 ブロックさんが森の中で腰振って祈祷する変な場面では、リル・ジョンの「Get Low」をブロックさんがカラオケする。
 もうね、音楽1つで笑いを取ろうとしていて、それが見事に成功している。30代以上の人にはど真ん中の選曲でしょう。と思いきや、ケイティ・ペリーの「Hot & Cold」なんかも使っていて、これまた超ど真ん中。本当にベッタベタ。

 とまあ、基本的に大好きな類の映画で、佳作狙いの佳作映画なので、不満は特にないんだけど、ないんだけどぉ、映画本編以外に大いに不満あり!
 まず、邦題。嘘偽り大いにあり! だってさぁ、「私があなたの嫁になる」話なんだよ? 婿? どこにもそんな展開ないよ! JAROに訴えてもいいレベルだよ!
 次いでチラシ! 嘘偽り大いにありすぎ! 「新・婚活=“草食系”男子部下&“アラフォー”バリキャリ女子の場合」と書かれているけど、どっこにも“草食系”男子は登場しない。レイノルズさんが“草食系”? いやいや、めちゃくちゃ肉食系だよ! 「婚活」と強調されているんだけど、誰も“婚活”なんてしてないし! 結婚したくて困ってる人なんて全く登場しないから!
 配給会社がチラシを作ってるのか知らないけど、いくら何でも嘘だらけすぎ! 酷いもんだよこれは! 普通に作っても面白くて客が入りそうなのに、「婚活」だとか「草食系」だとか「アラフォー」だとか今時の言葉を使えば客の関心を集められるとか思ってるようだけど、むしろ時代遅れっぽいし、ダサいんだよ! 女性客が飛びつくとか思ってんだろうけど、むしろ「婚活」と「アラフォー」なんて書かれてたら、女性客は観辛くないかい?
 せっかくの能天気なご都合主義ラヴコメってのに、邦題やチラシで大失敗しているよ! もうちょっと頭使え!!

 『プリティ・キャリア・ウーマン』と前述したように、マーガレット役には最初はジュリア・ロバーツさんが考えられていた。だから本当に『プリティ・ウーマン』のような感じなのだ。ただ、『あなたは私の婿になる』には、『プリティ・ウーマン』程の夢物語感はなく、面白味もない。主人公らの障害となるような要素が殆どないのが要因。忘れ難い名場面といえるようなものがないのも悪い。曲を聴いただけで映画を想い出せるような挿入歌がないのも悪い(エンド・テロップで流れる「It Takes Two」がテーマ曲だとしたら凄いけど)。
 全国一斉ロードショーの直球ど真ん中ラヴコメ洋画は久々だから、とっても楽しめた。大好きだ。でも、物足りない。だからか、『プリティ・ウーマン』というよりは、『能登の花ヨメ』に近いかもしれない。邦題とチラシの作り方がそんな物足りなさを悪化させてるし。配給会社のせいなのかわからないけど、そーゆー細かい部分で手抜きをしないでもらいたい。いくら能天気ラヴコメといえども、誠実な仕事を心がけてほしいもんです。

テーマ : 映画関連ネタ
ジャンル : 映画

tag : あなたは私の婿になる

2009-10-28

渡辺文樹監督が逮捕!?

 今朝の北國新聞の朝刊を読んでいて驚いた。
 渡辺文樹監督が逮捕されたんですって!

 10月28日の北國新聞朝刊から全文引用。
「『天皇伝説』監督逮捕」
 金沢東署は27日、映画の宣伝ポスターを許可なく電柱に張り付けたとして、いしかわ景観総合条例違反の疑いで福島県二本松市太田、映画監督渡邊文樹容疑者(56)を逮捕した。
 逮捕容疑は、5月29日夕、金沢市内や内灘町内の電柱などに、自らが監督を務めた皇室テーマの映画『天皇伝説』などのポスター3枚を張り付けた疑い。
 同署によると、渡邊容疑者は調べに対し「記憶にありません」と容疑を否認する供述をしている。
 同署は今月2日に同容疑者の逮捕状を取り、行方を捜していたところ、福島県田村市内の民家にいるとの情報を得て、26日に捜査員を派遣していた。

 容疑が、ポスター3枚を張り付けただけ。たったの3枚くらい、見逃してやれよー。
 「皇室テーマ」と書かれているけど、『天皇伝説』は確かに皇室テーマの映画だけどぉ、実際は違うし。途中から何の映画かわかんなくなるし。たぶん、観た人の大半が「何だありゃ? あれでも映画か?」と首を傾げる出来。しかし、一応いっとくと、渡辺監督作品がみんな『天皇伝説』みたいなものじゃありませんから。『腹腹時計』なんかは、普通に一般的な娯楽映画の完成度があるから(いや、普通とはいえんが)。つまり、普通に作る技術力を持ちながらも溢れる情熱に任せてしまった結果、異常なテンションの『天皇伝説』が出来上がったのだ。そこには、皇室テーマよりも、娯楽映画を作ることへの興奮が限界値を振り切って詰まっている。本当に素晴らしい映画だと思うよ。
 警察は、市中に貼られたポスターをはがすのにコストがかかっただろうから、腹立ったろう。渡辺監督が悪いのは間違いない。でも、福島県に捜査員を派遣するコストはいらないんじゃないの? 皇室の批判くらい自由にさせてあげなさいよ。天皇陛下の人格を貶めるような内容じゃないんだからさ。

 棘の道をあえて歩んでいるから、自業自得とはいえ、渡辺監督も大変ですなぁ。しかし……「記憶にありません」はないでしょ! それじゃあ卑怯な政治家の答弁と同じだよ!

テーマ : 気になるニュース
ジャンル : ニュース

tag : 渡辺文樹

2009-10-28

はぁ? どゆこと?

 こんな人を中に入れるんだ?

産経ニュース→曽野綾子氏が日本郵政役員に

 上記リンク先から抜粋。
 日本郵政の社外取締役に作家で元日本財団会長の曽野綾子氏(78)が就任することが26日、明らかになった。
 曽野氏は、斎藤新社長をトップとする新経営体制で、利用者に近い立場から郵政民営化見直しを進める見通し。
 おいおい、曽野さんて。何で作家(文学者)を? 何の役に立つの?

 そもそも民営化の必要性って、郵便局とかの利便性向上は殆ど関係なく、政府による財政投融資の無駄をばっさりと切ることにあったんじゃなかったっけ? 大蔵省が郵便貯金を資金源に政府機関へ財投をしてて、財投の金利って高かったから、借りた方は赤字になり、その赤字は税金で補填し、高金利による儲けが郵貯に入っていた。要するに、税金を郵貯に流し込んでいた。でも、財投が無駄だらけだったから、改革され、そーなると郵貯にお金が流しこめなくなり、郵貯は国債のみの低金利で頑張らなけりゃならず、そのままだと経営が行き詰まりそうだから民営化にした。官営のままだと、食料自給率の低い日本が鎖国状態になるようなものでしょ? 間違っているかもしれないけど、私の理解はそんな感じだ。
 利権欲しさに動いている政治家や官僚などの邪魔をする改革だったわけだけど、小泉政権時代にこーゆー話がTVのワイドショーとかで前面に出ていた記憶はない。構造に問題があるのなら、そこに関わっている人々には問題のある人々がいた筈で、構造改革を進めると同時に、「問題のある人々」も挙げ連ねなければならないのに、「問題のある人々」が郵政民営化論争で登場することはなかった。
 で、今。既に片付いた筈の論争がまた始まっている。日曜日の朝にやっているTVの政治討論番組で、郵政民営化再検討の是非を問うていた。が、ごちゃごちゃと難しい問題はさて置き、とりあえず物凄くわかり易い疑問点は、「郵政民営化の小泉政権を支持していた人々は、どんな理由で今は民主党を支持しているのか?」ってこと。安部政権になった時、造反議員を戻したことに対して批判した人々がたくさんいたのに(あれで安部政権の支持率が下がったもんね)、今では民主党をたくさんの人々が支持している。今さら小泉政権を諸悪の根源のようにいう人々もたくさんいるけど、それは即ち国民は無責任だってことでもある。

 民営化後にゆうちょの利便性が低くなった、とTVの政治討論番組でいってたけど、それ、民営化となんの関係もないし。ただ単に経営方針が悪かっただけで、民営化したから利便性が下がったわけじゃない。だから民主党が批判するように、やるなら社長なり責任者の責任を問えばいいだけのことで、民営化を見直す必要は全くない。民営化の見直しをして、国民生活に何の利益を与えてくれるんだ?
 民営から官営にする必然性は、全くない。特に不況の今やることは全くない。それいうと小泉政権の構造改革も時期を間違えた、といえるけど、その間違いを今再び繰り返すこたぁない。真っ当に考えれば、ゆうちょ民営化の見直しを今急いでやる必要はない。貯金を我が物とすることを諦め切れない人々がまだまだいるってことか?
 そう考えると、元大蔵省の官僚を起用するのは、何とも変な感じだ。好き勝手に貯金を使って財投やってた時期の大蔵省の人なんだもの。どうしたって深読みしてしまうよ。

 で、曽野さんが何の役に立つの? 曽野さんは、私にとっては、変な精神論をいう古臭い人、という印象だ。
 3年前くらいから日本の格差や貧困の問題が目立ってきた時、曽野さんはことあるごとに、「日本の格差や貧困なんて、本当に貧しい国の人々を前にすると甘えでしかない」といっていた。飢えのために生まれて間なしに死が迫っているような子供がいる貧国に行ってみれば、日本の格差や貧困なんて論争は馬鹿馬鹿しい、と。いってることはわかる。確かに絶対値で比較すれば曽野さんのいう通りだ。しかし、生きる上での困難は、相対的に異なるものなので、単純に貧国の人々と日本の人々を比較していいわけがない。貧国の人々がみんな死にそうな苦しさの中に生きているのは、国が貧乏なんだから当然だ。しかし、経済的に成功している日本で格差と貧困が問題になるのは異常事態だ。だのに、自分は大変な現場を見てきたから真実を知っている、と批判するのは大間違い。現場を知っている人だけが正しいなんて大間違いだ。だから、映画『踊る大捜査線』で有名になった、「事件は現場で起きている」という台詞は悪影響を与えるので最悪だなぁ、と思ったものですよ。
 そんなおかしな認識をしちゃう人が、経営に何の助けができるっての? 無駄を省くための民営化だってのに、曽野さんの起用そのものが無駄だろ

 かんぽの宿売却問題や東京中央郵便局の建て替え問題にしたって、西川さんが悪かったわけじゃないし、そもそも西川さんはちゃんと黒字経営してたんじゃなかったっけ? 何でムキになってクビにしなきゃなんないの? 総務相だった鳩山(弟)さんは、「正義は我にあり」みたいなこといって国民の支持を集め、その鳩山(弟)さんを更迭した麻生さんは支持を離したんだから、馬鹿な話だ。麻生さんだって「実は郵政民営化には反対だった」といってたんだから、政府内で同意見の者同士が争ったことになるんだよな。
 この郵政民営化問題ほど、国民の支持を集めた政策(政党)が正しいとは限らないことをわかり易く証明するものはない。国民が支持したからってのを理由に実施した結果が、この馬鹿騒ぎなんだから。こんなどうでもいいことに振り回されているゆうちょの平社員は大変だなぁ。

テーマ : 気になるニュース
ジャンル : ニュース

2009-10-24

予想外に『仏陀再誕』が売れているのも仏力ゆえ

 『仏陀再誕』の興行成績が気になって調べたら、ななな何と、初登場2位! 信じられん! 信者か? 信者人気なのか!?

毎日jp→映画興行成績:「カイジ」がV2を達成 YUIの主題歌もヒット

 上記リンクから順位を抜粋

  1位 カイジ 人生逆転ゲーム
  2位 仏陀再誕
  3位 ワイルド・スピードMAX
  4位 私の中のあなた
  5位 あなたは私の婿になる
  6位 さまよう刃
  7位 ヴィヨンの妻〜桜桃とタンポポ〜
  8位 ファイナル・デッドサーキット3D
  9位 20世紀少年−最終章−ぼくらの旗
 10位 カムイ外伝

 あんな映画に……大人数が押し寄せているなんてっ! 日本は大丈夫か!? 私がいうこっちゃないんだけどね!!
 まあ、世界中の人間が『仏陀再誕』を観て笑い合えれば平和で幸せな世の中になると思いますよ。心底から。ええ。本気で。

 それにしても、だ。上記順位、最低だね。
 1位が『カイジ 人生逆転ゲーム』かよ。『仏陀再誕』の方が遥かにマシな出来なんだから。
 未だに健在な『20世紀少年-最終章-ぼくらの旗』は、何度見ても好成績なのが信じられん。だって、私が観に行った時は、劇場ガラッガラで、「こんだけつまんないんだから、これは大失敗したかぁ?」と思ったら大ヒットしているらしいんだから、不思議だ。怪しい宗教に騙されているような。つか、これこそ新興宗教の話だし、『仏陀再誕』の方が本当に物凄く遥かにマシ。
 『さまよう刃』も考えようによっては信仰に近い話で、これまた『仏陀再誕』の方がマシ。だって、法律のアレコレとかの議論はさて置いてしまって、かといって即「必殺仕置人」みたいな展開にもならず、あーだこーだと現代社会の歪をグダグダグダグダとグチってるだけの映画だからね。原作があるにもかかわらず、あそこまで酷くできるスタッフの力量に感心してしまう

 うーん。今のラインナップの中じゃ『仏陀再誕』がマシな映画に見えるんだから、今の邦画って凄いなぁ!
 もちろん、私だって『仏陀再誕』は大好きですよ! 頑張れ幸福の科学! 次の選挙は『仏陀再誕』の売り上げを使って大躍進だ!! 絶対に投票しないけど!!!

 ところで、映画が売れてるんなら、主題歌の「悟りにチャレンジ」もヒットしないかなぁ。有線放送とかでかかりまくって、iTunes Storeのダウンロード数が1位になって、TVの歌番組なんかに出たりして。コンビニで買い物している時に「悟りにチャレンジ」が流れてたら落ち着いて買い物もできやしないね。「ヤバイ! おでんの何を買おうかで悩んでいる場合じゃない! 悟らなきゃ!」とか。
 でも、本当に冗談抜きで、『仏陀再誕』が広く観られて、みんなが「悪霊」の存在を信じるようになると、世の中変わるね。何でもかんでも「悪霊」のせいにしちゃって、裁判員制度とかが機能しない、変な社会主義国家になる可能性が高いけど。

テーマ : 映画関連ネタ
ジャンル : 映画

2009-10-22

『仏陀再誕』は、笑顔を溢れさせる幸せな映画

 幸福の科学による映画『仏陀再誕』を観ました。幸福の科学映画はこれで6作目。最初の『ノストラダムス戦慄の啓示』から欠かさず観させて頂いております。毎作毎作、楽しませて頂き、『仏陀再誕』も期待しておりましたら、その期待を遥かに上回る素晴らしい出来で、幸福の科学映画の最高傑作であると断言できます。

 今の日本は根本からおかしくなっております。多くの自殺者、頻発する殺傷事件、政治不信……息苦しい世の中です。なぜ、こんなことになってしまったのか……誰もが「こんな世の中はおかしい」と思いながらも、どうにもならず、日本を疲弊感が覆い尽くしています。
 最早、絶望しかありません。日本はもう駄目だ……しかし、そんな時に『仏陀再誕』を観て、目が醒めました。感動と悟りの涙が溢れ、心から不安を流し落とし、今では期待感に満ちています。仏陀のおられる世の中に何の不安がありましょうか。そう、題名通り、仏陀は再誕されているのですから。

 『仏陀再誕』は単なる宗教映画ではありません。真実を伝える、アニメ形式のドキュメンタリー映画なのです。また、ミステリーあり、サスペンスあり、ラブロマンスあり、コメディあり、アクションありと、あらゆる要素が満遍なく盛り込まれた、誰もが楽しめる娯楽大作でもあります。
 珍しいのはコメディ要素。今まで幸福の科学映画にコメディ要素は殆どありませんでした。現代的な、若いアニメファンにも通用するアニメ映画を目指したようで、そのコメディ要素は、無理矢理割り込んでくる上に激烈にスベりますが、緊張を緩和し、映画全体にアクセントを与え、バランスを整えています。
 ミステリーとしては、まずは「誰が真の仏陀再誕者なのか?」というフックがありますが、「どうして現代は疲弊しているのか?」という社会的に大きな問題の解明を物語の主軸としています。『仏陀再誕』は、現代社会が抱えた社会問題の秘密を解き明かします

 『仏陀再誕』のパンフレットの解説に、こう書かれています(要約)。
 秋葉原のホコ天にトラックで突っ込み、12人もの大量殺傷した犯人は、途中から明らかに“やり方”が変わった。いわば「殺人剣=邪剣」の極意の動きで、現代人では決して真似のできない“技”だった。つまり、凶暴な目に見えない何者かが犯人に成り代わって犯行に及んだとしか思えない。
 そうした発作的な事件は後を絶たない。十数年前、「キレる子供たち」が話題になったが、今では大人も高齢者もキレまくっており、しかし事が終わると憑き物が落ちたようになっていることが多い。犯行時の自分が別人だったかのように。目に見えない凶暴な何者かが自分を瞬間的に支配する――その「凶暴な何者か」は、多くの場合、「悪霊」といわれる者たちなのだ。
 これだけ科学が発達している現代で、なにゆえに「悪霊」などという前時代的な怪物に現代人がもてあそばれているのか、生命の尊さが叫ばれているのに、なにゆえに不気味な事件が後を絶たないのか――その答えの1つが『仏陀再誕』なのだ。
 そう、現代の問題の全ては、「凶暴な何者か」の仕業で説明できてしまうのです
 劇中で、現代の問題として様々な例が絵で描かれる場面があり、その中に麻薬を描いたものがあります。麻薬といえば、最近の「のりピー事件」。『仏陀再誕』を観れば、のりピーは「悪霊」に憑依されただけであることが判明します。それを理解できない人々は、のりピーを批判しまくりました。劇中で仏陀は、「人間には、反省の道がある。どのような悪事を働いても、心から反省し、神仏に感謝すれば救われる。どのような悪人であろうと、仏弟子であり、皆にその資格はある」と我々を諭します。その教えからすると、のりピーを徹底的に批判し、芸能界追放を叫ぶような行為こそが非人道的であるとわかります

 深い信仰心こそが重要という指摘は、『人間革命』での丹波哲郎先生も仰っておりました。『人間革命』での丹波先生は、その後の『大霊界』のボケたお姿と異なり、演説中の迫力が大魔神もかくやと思わせる大迫力。そんな、仏力を得ると物凄い、という例は『仏陀再誕』でも示されます。
 物語は最初、主人公の女子高生にいきなり死者が見えてしまう力が授かり、それをどうするかに主軸を置いているのですが、中盤以降は、仏の教えを広めようとする仏陀と、地上を地獄にしてやろうとする悪魔の戦いに主軸が移り、UFOが飛び交うわ、大津波が日本列島を飲み込むわ、超能力合戦が繰り広げられるわ、最後には巨大化したり翼が生えたり天使が飛び交ったり菩提樹が咲き乱れたり巨大な象が登場したりと大賑わい。人類の科学レベルを超越した兵器を操る悪魔を、手を合わせて祈るだけで撃退してしまう仏陀の慈悲の力の強さに驚きの連続です。
 大合戦の後には、悟りの瞬間が訪れます。PS2と並ぶくらいの最新鋭のCGでそれが演出され、その美しさに思わず感嘆の声を漏らしてしまいます。天使の姿が「シーマン」のようにキモ可愛く、思わず手を合わせて拝みたくなるくらいです。

 映画は当然、ハッピーエンドを迎えます。前述しましたが、『仏陀再誕』はアニメ形式のドキュメンタリー映画ですので、そのハッピーエンドは実現することでしょう。先行き不安の現代ですが、『仏陀再誕』を観れば不安は払拭されます。
 作画は良く、キャラデザが『北斗の拳』っぽくもありますが、微妙に今風でもあり、若いアニメファンにも対応しており、音楽は当たり障りがなく、声優の演技は巧く、丹波先生には負けますけど、素晴らしい説教も楽しめます。声優で、重要な役柄を三石琴乃さんが演じており、三石さんといえば私は『セーラームーン』のうさぎ役か『ヱヴァンゲリヲン』のミサト役で、「もしかして幸福の科学と繋がりがあったりするのかなぁ?」と思えば、セーラームーンやエヴァンゲリオンも何となく仏陀の再誕っぽく思えて不思議。
 そして――映画最大の注目は、物語が終わった後から始まります。エンド・クレジットです。テーマソング「悟りにチャレンジ」には、生まれて初めての衝撃を受けます。そんなにも気軽に悟りを開けるのか、と浅はかな私に希望を与えてくれます。あと、アニメ映画にしては異様なほどに協賛会社(店)が多いことにも驚きます。皆、仏陀の再誕を信じて止まず、あれだけ多くの信者がいるならば、日本の将来はハッピーエンド間違いなしです。また、パンフレットを見ますと、企画・脚本を担当した大川宏洋さんは若干20歳の大学生だそうです。その若さでこれだけの感動作を作れることに、日本の将来の安泰さが表れています。
 出だしはピーター・ジャクソン監督の『さまよう魂たち』っぽいのですが、クライマックスまでには『マーズ・アタック!』と『幻魔大戦』と『ヱヴァンゲリヲン』をごっちゃ混ぜにしたような感じの『仏陀再誕』、人生に深い不安や悲しみを抱えた人でも、大爆笑しながら劇場を出ることでしょう。混沌とした現代にこそ観られるべき映画です。

続きを読む...

テーマ : 映画館で観た映画
ジャンル : 映画

tag : 仏陀再誕

2009-10-19

子供でも凄い

 湯涌温泉で、ジャズのイベントがあるので、近いこともあり、聴きに行ってみました。足湯を楽しみ、同時にジャズも楽しめるのです。しかも、タダ。貧乏人にはありがたい。

 湯涌温泉といえば、昨年の集中豪雨で大きな被害を受けました。温泉のパイプが寸断されたりして、経営的にも大変な目にあったそうです。此度のイベントはその復興記念というか、足湯と野外ステージを作った完成記念イベントでもあります。のんびりと足湯に浸かり、ジャズを聴く――たまらんですなぁ。
 肝心のイベントは、雨天のせいで肌寒かったけど、熱かった。アーティストは、ダイ・キモト&スウィング・キッズてスイスから来たジャズバンドと、JAZZ-21という金沢市の中・高校生によるジャズオーケストラ。どちらも子供集団

 スウィング・キッズは、スイス出身の、下は11歳、上は17歳と、正にキッズなバンド。子供ということで「どうせ大したことないだろう」とナメておりましたが、予想を上回る見事なスウィングぶり。聞けば全世界をツアーしているというじゃないですか。グレン・ミラー・フェスティバルなんかにも出演する本格派。スイスはジャズが普通にポップスとして人気あるのか、スウィング・キッズは「国民的ジャズバンド」らしく、「スイスで最も愛されているジャズバンド」という称号まで貰っているそうです。確かに、年間60回ものライヴを行っているくらいなので、子供といえども侮れません。
 ステージに登場した時は「楽器のオマケに子供が付いてきた」と思うくらいの子供が、演奏するとちゃんとしているんですから、驚きでした。雨天であることを忘れてしまうくらい、驚き、そしてスウィンギン。演奏内容は、鉄板の曲ばかり。ベニー・グッドマン楽団の「Sing, Sing, Sing」とか。観客的にはやはりスウィングの代名詞、グレン・ミラー楽団の曲が最も盛り上がってました。観客席で、小さなお子様の姉弟が、曲に合わせて手を取り合って踊っていたのが微笑ましかったです。
 スウィング・キッズは、今日が日本ツアーの最終日らしく、演奏後には温泉に入ってゆっくり休むそうです。10月5日から、京都、神戸、倉敷、香川、門司、若松、金沢ときて、東京で遊んでスイスに帰国。11歳の子からみれば過密スケジュールですよね。
 それに比べると、JAZZ-21は、年上ですけど、ちょっと迫力不足。決して下手ってわけじゃないんですけど、経験値の差でスウィング・キッズに劣っているような(スウィング・キッズの方が平均年齢は下ですけど)。まあ、子供といえども世界ツアーをこなしているスウィング・キッズの方が経験的に勝っているのはしかたありません。
 スウィング・キッズとJAZZJ-21の合同演奏もあり、出演者はこの2組だけでしたけど、楽しい2時間でした。

 ところで、主催者から、「足湯も楽しんで下さい」といわれたんですが、全っ然、楽しめませんでした。足湯の場所には屋根が設けられており、雨天ということもあって、足湯を楽しむ人が雨宿りも兼ねていたので、場所を譲る気配がなく、2時間ずーっと足湯に浸かったままの人もいまして。制限時間を設けてほしかったですね。裸足になっている人を横から「私も入りたいのでどいてもらえますか?」とせっつき辛かったし、結局足湯は楽しめないまま帰ってきたので。十分間だけ、とか制限時間が設けてあれば、足湯に浸かりたかった人は他にもいたでしょうに……

 YouTubeにスウィング・キッズの動画がありましたので、貼っときます。

 堂々とした演奏で、意外と音に厚みもあり、本当に子供と馬鹿にできません。ちなみに湯涌温泉の会場で最新アルバムのCDが売っていたので買いました。値段は2千円。AmazonやHMVで買うよりも安かったのでお徳でした。内容は、まあまあ。グレン・ミラー楽団の曲が収録されていたので、グレン・ミラー楽団自身の演奏と比較して聴いてみましたら、さすがに聴き劣りはありましたけど、子供であるハンデを考慮すれば、かなりの巧さです。
 動画の内容は、2008年のものなので、現在のメンバーとは少し異なっています。18歳で定年らしいです。日本人のオッサンが1人混じっていますが、それはバンドリーダーであるダイ・キモトさんです。

テーマ : 音楽のある生活
ジャンル : 音楽

2009-10-16

た、高っ!?

 『不思議のダンジョン 風来のシレン4』がDSで発売されることを昨日知りました。嬉しいやら、もうどうでもいいやら

参考リンク→『不思議のダンジョン 風来のシレン4』公式サイト

 公式サイトをつらつらと眺めますと、新要素がいくつも追加されており、「また余計なことしやがって……」と思ってしまいます。Wiiで出した前作「3」がとんでもなく評判悪かったってのに、よくもまあさらに続編を出そうと思いましたな。しかも、機種を変えて。普通、やるなら移植じゃない? 完全新作をあっちで出したりこっちで出したり、落ち着きねーなー。DSしか持ってない私にとっては吉報なんですけど、素直に喜べない。
 頼むから、余計な追加要素をせずに、純粋にバランス調整だけを徹底的に行った、シンプルな「不思議なダンジョン」を出してほしいものです。会社としては新規顧客を獲得しなきゃいけないのでしょうけど、「シレン」シリーズに限っては、新規顧客って大して多くないんじゃないでしょうか? 顧客の大半は昔からのファンといいますかマニアなんじゃ? 大半じゃないにしても、半分近くはいるでしょ。新要素を追加しないと飽きられる、というのは間違いなくありますけど、それにしたってゲームバランスを崩すというか面白くなくなるような追加要素ばかりなんですよね、DS以降の「不思議のダンジョン」は。単なる移植作ですら余計な新要素を追加して台無しにしていたし(DSの「シレン2」)。

 たぶん、多くの「不思議のダンジョン」ファンは、PC版『風来のシレン外伝 女剣士アスカ見参!』を完全移植してほしいと願っていると思います(私がそうだから)。余計な新要素の追加を一切せず、普通の完全移植を。また、多くの「不思議のダンジョン」ファンは、「アスカ」が最高傑作だ、と思っていると思います(私がそうだから)。だのに、なぜ「アスカ」を無視するんだ! チュンソフトは完全新作を出す前に、とりあえず「アスカ」の完全移植を行え! 完全新作を出すのは、入手困難になっている「アスカ」を完全移植してからにしろ! でなければ、「アスカ」を再販しろ!
 AmazonでPC版「アスカ」が何円で売られているか。
 最低価格 → 20,800円
 最高価格 → 42,800円
 たっけーっ! びっくりした。廉価版なんて、本当なら3千円くらいで買えるってのに……
 ドリキャスを持っていれば(かつまだ稼動可能なら)、ドリキャス用のを買えばいい。5千円以下で入手できる。ドリキャスという環境が限定されすぎているため、価格が安い。
 ちなみに、PC版の攻略本までプレミア価格で、7,480円。定価は2千円以下。
 私はどっちも定価で買ってまだ持っているので、今になって欲しくなったりしなくて良かった〜、と心底から思います。

 チュンソフトが「アスカ」を再販する気がないのなら、市場に出回っているのは中古が殆どなんだし、高値で中古を買ってもチュンソフトの利益にならないんだし、欲しい人は違法ダウンロード可能なら違法ダウンロードで入手すればいいんですよ(データが出回っているか知らんけど)。売る側にやる気がない著作権なんて無視したっていいと思いますよねぇ。
 でなければ、ダウンロード販売でもしてくれればいいのに。PC版「アスカ」なんてCD-R1枚で収まるデータ量なんですから、今時の回線速度なら負担になるようなものではないでしょ。それこそ、Winnyの開発者に無罪判決が出たそうですから、P2Pの技術を利用すればダウンロードにかかる負担は殆どないようなものでしょう。
 ホント、何とかならんのですかね。まあ、今さら7年前のゲームを再販しようとは思わんのでしょうなぁ。ダウンロード販売しても、殺到するくらい潜在人気があるとも思えないので、大して利益はないでしょうし。だからこそ、最も評価が高いと思われる「アスカ」の完全移植を希望するのですけれど。「シレン4」は、ちょっと、いや、か〜なり出来が心配だなぁ……それでも買いますけどね。

テーマ : ゲーム
ジャンル : ゲーム

2009-10-12

『しんぼる』は、観ていて辛くなる

 松本人志監督の『しんぼる』を観た。前作『大日本人』同様にとってもとぉ〜っても微妙な映画だった。
 真っ白な部屋に閉じ込められた何者とも知れぬ男が、状況を考えることなくウロウロとし、やがて脱出することに思い至り、新たなる何者かへと進化する、という物語。要は、映画『CUBE』を知的ギャグにした感じ。真っ白な部屋の壁中にある小便小僧のチンコや、対照的にカラフルな主人公の水玉模様パジャマなど、パッと見の映像の威力は『大日本人』よりも確実に強く、そこは松本監督も色々と考えたんだろうな、と思う。しかし、それだけで勝負できるのは映画の2割程度で、その2割は成功している。グッズの、キティちゃんとのコラボ商品とか、巧いなぁ、と思った。が、残り8割はほぼ失敗している

 まず、物語。どこかに閉じ込められてる話や記憶がない主人公の話や箱庭世界の話は、SFと幻想文学に古今東西たくさんあり、松本さん程度じゃ絶対に超えられない傑作も当然の如くある。箱庭的な映画なら最もわかり易いのはジム・キャリーさん主演の『トゥルーマン・ショー』か。ただ、『しんぼる』には物語らしい物語がないので、発想的に最も近いのはトマス・M・ディッシュさんの短編小説「リスの檻」だろうか。吾妻ひでおさんの『不条理日記』にも使われていた超有名な作品。で、そのような前例がある以上、松本さんはとんでもなく高いハードルを自分に課したことを自覚していると思うのだけれども、自覚が足りない上にハードルが高すぎたようで、お世辞にも成功しているとはいえない。
 松本さんによる主演の演技も、かなり駄目。TVの小さな画面ならいいけど、映画館の大画面で見るものじゃない。
 演出は、『大日本人』よりも巧くなっている。特にメキシコ篇の演出は、想像以上に良い。びっくりした。が、あの程度の演出ができる監督なんて掃いて捨てるほどいるので、即ち「松っちゃんすげー」とはならない。『大日本人』に比べて「ちょっとマシになったね」程度。
 演出で悪い部分は、ギャグ。全く面白くない。あのね、予想つくわけですよ、オチが。TVのバラエティー番組ならあれもありだけど、映画ではなしでしょ。醤油とか、オナラとか、6巻とか、むしろウザい。コメディ映画としては、致命的に面白くない。センスが古い。そして、致命的に言葉的なのだ。

 松本監督は『しんぼる』を「無声劇」と称しているけど、それならもっと映像で面白さを追求すべきなのに、全てがあまりにも言葉で表現できてしまっている。『しんぼる』には脚本といえるものがないんだけど、その代わりに生まれてしまったのは、箇条書きっぽい映画
 たとえばジャッキー・チェンさんの映画によるアクション場面(格闘場面だけでなく、身体を存分に活用したアクロバティック場面)は、言葉で面白さを表現できない。『プロジェクトA』の脚本に「十メートル以上の高さのある時計塔から落下し、『地球には間違いなく引力がある』とぼやく」と書かれていたとして、それは文章だけでも面白いかもしれないけど、実際に作られた映像はその何万倍も凄いし面白い。
 TVは、生まれた時から声があった。映画には、声がなかった。今さらどうでもいいことかもしれないけど、TVと映画の出自には、そんな微妙というには大きすぎる違いがある。「映画を知っている」ということは、それをわかっていることだと思うけど、松本監督はわかっていない。だから、どれだけ「無声劇」を作ったとしても、映画にはならない。
 オチをいちいち叫ばなくてもわかるんですよ、ギャグであることくらいは。拡声器で声を大にして叫んでも、面白くはならんのだよ。また、脱出方法を思いつく度に漫画風の演出を挿入するのも邪魔。そんな演出しなくても観客は馬鹿じゃないんだから、見てればわかるっつーの。何で言葉で説明するかなぁ? 観客を馬鹿にしすぎている。松本さんは映画批評をしていたのに、全くその批評眼が役立ってない。
 ギャグを生かすには下地が必要だ。『しんぼる』でのギャグには下地がない。まず、主人公が何者であるか――人間なのかそうでないのか――が不明なので、ギャグに信憑性がない。「ギャグに信憑性が必要か?」といわれそうだけど、そのわかり易い例には、たとえば『ドラゴンボール』がある。最初の頃の孫悟空は、拳銃で撃たれて身体に穴が空いても痛がるだけで死ななかったのに(『Dr.スランプ』の延長の世界設定だったから)、途中から死ぬようになってしまった(物語の質が変化したから)。その変化の分岐点でギャグの信憑性が大きく変化している。
 『しんぼる』の主人公は、人間なのかそうでないのか。人間なら、排泄はどうするのか? 食べ物も重要だけど(それこそ醤油なんかよりも)、飲み物はどうなっているのか? そーゆー部分をすっ飛ばしているから、全くギャグが活きてない。何でもありの世界観だとするなら、醤油が欲しいのにお寿司ばかりが飛び出てくるシークエンスは、食べ続けた末に喉が詰まり、「飲み物飲み物ー!」とスイッチを押しまくって苦労した末に飲み物が出てきて、ホッと一安心したら尿意をもよおして、「便器便器」とスイッチを押しまくって苦労した末に便器が出てきて、小便を出したらなぜかそれが醤油で驚いた、とかにすべきでしょ? 「床に落ちたお寿司まで食べるのはマナー的にも衛生的にもどうなんだろう?」という疑問もさることながら、数分間も食べる場面を映して引っ張る割にオチの出来が悪いし、何よりもテンポが悪い。
 しかしそれより何より問題なのは、『しんぼる』はTVで作られていても全然面白くないってことだ。

 何かスイッチを押したら予想外の事態が発生する――それはたとえばドリフのコントなんかでも散々繰り返された古典的なものだ。「予想外」はしかし、本格的に「想像外」であってはならない。ある程度は想像ができる「想像外」でないと視聴者は面白がれないからだ。その点で松本さんのコントはドリフよりも進化していて(現代的になっていて)面白い。が、その進化は、どこかの時点で止まってしまったようだ。
 『しんぼる』で最も困ったことは、「問題解決」の手続きが観客には容易にわかってしまうこと。オチが明確に提示されているのに全く話が進展しない、駄目なミステリーだ。展開として、部屋にたくさん散らばった色んな物を使っていかに出口の扉を開けるかが中盤の肝になっているんだけど、主人公はチンパンジー程度の低知能ぶりで試行錯誤を繰り返す。観客の殆どは、1分とかからずに「あれとあれを使えばいいのに……」と思いつき、イライラする。結果的にはその予想とは異なる手段で解決したりするんだけど、無駄が多すぎる。『しんぼる』が、「物凄い馬鹿が少しは頭が良くなる」を基本としているのなら納得の展開だけど、それならもっとベン・スティラーさんやアダム・サンドラーさんみたいに演じろといいたい。主人公がちっとも馬鹿に見えないのに、結果だけは馬鹿になっているんだもの。
 短時間のコントなら『しんぼる』みたいなものでもいいかもしれないけど、長時間の映画でやるなら、主人公は効率的に解答を見つける必要がある。そして、その上で、展開を盛り上げるために、観客の想像を超える無理難題を登場させなきゃいけない。でなければ盛り上がらない。『しんぼる』には、その部分が完全に欠けている。脚本がないことを「既存の映画」と異なるみたいにいってるけど、それって「既存の映画批判は受け付けませんよ」という逃げにしか聞こえないんだよなぁ。推敲に推敲を重ねた脚本がないから、箇条書きの映画だから、面白くないんだよ。つまり、『しんぼる』はとっても非効率的なんだよ。『しんぼる』の何が悪い、と訊かれたら、そう答えるだけでいい。非効率的だから、観ているのが辛くなる。

 効率の悪さは、メキシコ編にも表れている。本筋と全く関係なく展開しているけど、最終的に本筋と重なることは観客も予想していて、当然の如くその予想通りの展開になるんだけど、長々と引っ張ったくせにこれまた面白くない。というか、いらんだろメキシコ編。
 メキシコ編が終わると、展開は本筋のみになるんだけど、そこからは進化編となる。いわば『2001年宇宙の旅』のスターゲート状態。このスターゲートっぽい場面の酷いこと酷いこと。一言でいえば、ダサい。CGが安っぽすぎるし、4つ打ちのテクノ風BGMも安っぽいし、演出も安っぽい。この場面が最も辛かった。全ての要素が酷いんだから。この場面こそ漫画風に演出すべきだった。そしてそのまま二次元キャラとなった主人公が最後のスイッチを押すと、画面が(TV画面の)別番組に切り替わって(しかも早朝のカラーバー画面になって)終わる、とか。わざと安っぽさを強調とした『大日本人』と比べて明らかに失敗しているよ。 
 
 松本監督は、もっと面白いものを作れたんじゃないかなぁ。駄目な原因は、映画をよく理解していないのと、圧倒的に知識不足。あと、ちゃんと脚本を作らなかったこと。
 「リスの檻」として考えるなら、『しんぼる』は外部批評になる。松本人志を主体とした、外部のリアクションに対する批評的物語だ。つまり、単なる自己満足映画だ。それが物凄く面白いならいいんだけど、観るのが辛いような自己満足映画はオナニー映画と呼ばれてもしかたないだろう。松本さんが映画批評で貶すタイプの映画になっている。
 観ていてムカつくような映画でないし、「金返せ!」と激怒するような映画でもないけど、早く終われ〜早く終われ〜と願い続けた、非常に観続けるのが辛い映画だった。だってさぁ、チンパンジーが天井から吊るされたバナナを取るまでの試行錯誤を延々と見せる映画にすぎないんだもん。そんなの、面白いわけないよ。

テーマ : 映画館で観た映画
ジャンル : 映画

tag : しんぼる

2009-10-08

ミミガー

 「ミミガー」と「ブロガー」は似ている。形容でなく、言葉の響きが。これでもブロガーの仲間入りを果たしている気になっている私は、時々思う。「ブロガー」は「風呂上り」にも似ている。でも、「ミミガー」と「風呂上り」は似ていない。
 「ブロガー」と「ブラジャー」も似ている。中学生英語の教科書に、「Are you blogger?」と載っていて、その返答が、「No. I am brassiere」とかだったら笑える……かもしれない。「ミミガー」と「ブラジャー」は似ていない。ただ、「ブラジャー」と「風呂上り」は似ているかもしれない。
 何のことかというか、私はよく聞き間違いをするってこと。

 職場で、仲間とマクドナルドのチキンタッタの話をしていた。
 「チキンタッタって食べたことある?」と訊かれたので、「あるよ。でも、どうせ鶏肉を食べるなら、ケンタッキーフライドチキンの方がいい」と答えた。
 「ああ、でも、ここら辺にケンタッキーないしなー。買いに行くの面倒臭い。それに、お姉さんがいるから嫌い」
 「は? 店員がお姉さんだと嫌なの?」
 「はぁ? 何でお姉さんが関係すんの?」
 「いや、今いったじゃん、『お姉さんがいるから嫌い』って」
 「……いやいやいやいや、俺は、『骨があるから嫌い』っていったんだよ!」

 骨があるから嫌い → お姉さんがいるから嫌い
 ほねがある → おねえさんがいる
 ほねえ → おねえ

 聞き間違いにも程がある。しかし、たまに聞き間違えたままで会話が成立していることがある。
 「今日、昼食休憩取るの遅れたから、食堂ガラガラだった。おかげで余った料理まで貰えて、がむしゃらに食べたよ」といわれたので、
 「あー、良かったねー。でも、そんなに必死になって食べなくてもさ、のんびりした方がいいよ」といった。
 「でも、てんこ盛りだったから、食べ切る前に腹一杯で、大変だった」
 と、普通に会話が成り立っていたんだけど、その後、「がむしゃらに」は「カレーライスを」だったことが判明した。「」しか合っとらん。

 人間の脳というのは便利にできているなぁ、と感心させられる。足りなかったり、不明瞭な言葉を経験的に補おうとするのだから。
 今日は今日とて、「台風」を「バイク」と聞き間違えた。「台風のせいで電車が止まった」といわれた時は、「バイクのせいで電車が止まった」と聞き間違え、「大きな台風が直撃してるってのに、バイクなんかで走ってるから事故を起こしたんだ。馬鹿だなぁ」と思った。思った中に「台風」と「バイク」が揃っているにもかかわらず、聞き間違いに気付かなかった。馬鹿は私だ。そして、そのまま会話が成り立った。榎本俊二さんの漫画『ムーたち』に於ける、「奇跡だーっ」とまではいかないけど、意外と何とかなるものだ。
 ただ、問題は、こんな私が職場の総責任者になったってこと。カンヌ映画祭でいうところのパルムドールですよ? 私がパルムドールでいいんですか? 大丈夫なの私で? いや、こんなとこで私がいうことじゃないけど……

 さて、そんなことはいいとして、珍しく拍手コメントが付いていたので、コメント返しをば。
>しのさん
 奥さんに子供の世話を押し付けて『フィツカラルド』『地獄の黙示録』『宇宙戦争』を観たそうで、それはそれは有意義な時間の過ごし方だったと思います。映画なんて、考えれば考えるほど無意味で有意義な時間の無駄遣いです。だから駄作を観た時の挫折感も楽しい(ムカつくけど)。
 しのさんの仰る通り、カナザワ映画祭はまだまだ何年でも続けて欲しいものです。

テーマ : 日記
ジャンル : 日記

2009-10-07

ちゃんとしていればどこでもいい

 ようやく貧困率の調査を行うようで、めでたいことです。

毎日jp→貧困率:政府として調査する方針固める 長妻厚生労働相

 上記リンク先から抜粋。
 長妻昭厚生労働相は4日、山井和則厚労政務官と協議し、格差問題の解決に本格的に取り組むため、国民の「貧困率」を政府として調査する方針を固めた。
 貧困率とは、全国民の平均的な年収の半分に満たない人の割合とされるが、政府は正式な指標として算出していない。06年に経済協力開発機構(OECD)の発表したリポートで日本の貧困率が先進国中、米国に次ぐ2位という悪い結果となり、貧困問題に取り組むNPO(非営利組織)などが政府に調査を求めていた。

 色んな手当て金や支援金を支払う際に絶対に必要不可欠な情報でしょ、貧困率は。
 はっきりいって、富裕層には子育て支援金も年金も給付しなくて構わない。だって裕福なんだし。年金を貰わなきゃいけない高齢者と、国が何の世話もしなくても構わないくらい裕福な高齢者の区別はされるべきだ。
 貧困率がはっきりわかれば――消費税の引き上げなんて話はなくなるかもしれない。貧困層にとって辛い税だし。所得税を上げるのが一番手っ取り早いのに、何でやらないんだろう? ちゃんとした累進税にすればいいだけなのに(富裕層からもっと多く取れ、ということ)。
 同じような話だと、失業率の調査も何とかしてほしいものだ。よく不況だってのに失業率が改善したりするけど、あれって、本当に改善されたのか、求職者が減っただけなのか区別できない。「失業者」になるには職探ししている必要があるそうで、つまり職探しすることに疲れて諦めたりするとその人は「失業者」でなくなる。そんな人が一時的に増加すると、「失業者」が減るから数字の上では失業率が改善されたように見える。絶対におかしい。何でその統計の改善をしないのだろう?

 そもそもこんなことを思ったのは、石川テレビでこないだから『モンスターペアレント』てドラマが再放送されていて、それを何となく見てたら、給食費の未納問題が取り上げられていたからだった。未納問題も貧困と関係し、統計数字の使い方に問題がある。
 ワイドショー番組でも未納問題は大々的に取り上げられてたりするので、「世の中には何と非道な親が多いことか」と思えてしまうんだけど、実際の未納率はたったの0.5%でしかない。1%ですらない。0.5%だと、生徒が50人いた場合、未納者は1人もいないことになる。生徒が百人に増えても未納者はまだ現れない。200人まで増えてようやく未納者が1人現れる。全生徒数が千人の小学校だと、未納者が十人。単純計算しただけの数字だから、実際は偏りがあるだろうけど、日本全国で大問題にしなきゃいけないような問題かなぁ?
 しかし、ワイドショー番組なんかを見ていると、「約20億円もの未納があるんですよ!」とかいってる。確かに、約20億円もの大金が未納ならそれは一大事、と思ってしまうんだけど、支払われるべき給食費の総額は約4千億円だ。そのうちの約20億円が払われていないだけ。わかり易く身近な金銭感覚に落とすと、親から4千円貰わなきゃいけないお小遣いが20円下がっただけのこと。問題がそんな単純でないことはわかっているんだけど、単純に考えて、ワイドショー番組なんかの影響力って怖いなぁ、と『モンスターペアレント』を見ていて思ったわけですよ。
 じゃあ0.5%の未納者が「モンスターペアレント」なのかというと、たぶん違うだろう。そこで貧困率や失業率の正しい数字が重要になる。0.5%のうち、失業者や貧困者は何%いるのか、ってこと。失業率の高い地方なら、当然のように未納率も高くなると思う。
 政府が子育て支援金を給付させれば、未納率は下がるに決まっている。給付しているのに未納していたら、それこそ親失格の烙印を押し付けても非難されることは絶対にない。その点から、子育て支援金を出すのはいいことなんだろう。

 数字がはっきりとしたら解決に近付く問題はたくさんあると思う。貧困率はその1つ。たとえば公共事業の無駄がちゃんと理解されるかもしれない。
 公共事業をして潤うのは一部の人だけだ。本当に困っている人を助けたきゃ定額給付金みたいなバラマキでもやりゃあいい。それをなぜか「有効活用してもらいたい」などと反対している人が多かったわけだけど、日頃は非難している政治家や官僚に「有効活用」してもらうと、公共事業なんかに使われてしまう可能性がある。それならその資金を貧困者に生活保護費か何かで直接渡した方がいい。でも、それにはコストがかかるし、「働いていもいない貧乏人を税金で助ける必要はない」という批判が出たりする。それに対しては、「公共事業に使われたら、もっともっと無駄金が使われるんですよ」といいたい。資材コストに、会社のお偉いさんコストなんかは、絶対に無駄でしょ。それなら貧困層に渡した方が遥かにマシだ。
 初めて民主党を応援したくなる要素が現れましたよ。

テーマ : 気になるニュース
ジャンル : ニュース

2009-10-05

後期高齢者オリンピック

 映画祭が終わって、いつまでもほげーと脱力しているわけにもいかないから、とりあえず久しぶりにニュースを見たら驚いた。東京オリンピックの誘致に失敗したことを初めて知った。
 そりゃそうだろ、と思った。

 驚いたのは、誘致失敗に対してでなく、誘致できると思っていたことに対して。つーか、今さら東京オリンピックを開催することに意義があると感じている人がいることに驚いてしまった。
 TV放送局がガッカリしているのは、当然のことではある。視聴率を稼ぐネタが消えたわけだし。でも、オリンピックやワールド・カップやWBCの開催の度に新型テレビが売れたり新型録画機器が売れたりしているから、オリンピック開催地は別にどこでも構わない筈だ。見る人は開催地がどこであれ、昼夜を問わず夢中になって見るだろうから、放送局は結果的に東京オリンピックが開催されなくても困ることなんて何にもない。まあ、日本で開催すれば、開催地の現地時間に合わせて深夜放送をする必要がなくなるから、視聴率を稼ぐ面で便利、というメリットはある。

 経済的には、メリットないでしょ? 経済効果を期待できるとかいってる馬鹿はいるんだろうけど、管理コストを考えるとそんなに経済効果なんてないと思う。まあ、開催場所の近隣の飲食店なんかは儲かるだろうけど、そんなミクロな経済効果はどうでもいいことだ。問題にしているのはマクロな経済効果だろうから、大した儲けはない。
 旅行代理店が儲かるかといったら、少しは儲かるだろうけど、今は不況だし、みんな家でオリンピックを見てしまい、利用者の減る可能性の方が高い。
 同じようにタクシー会社の売り上げも減る。みんな家でオリンピックを見てしまい、夜遊びしないから。
 開催場所の近隣宿泊施設の売り上げは上がるかもしれない。が、高級ホテルなんかは、いつもなら利用しないような客層がどっと増えてしまい、常連客が締め出されてしまって、結果的に困ったことになるかもしれない。
 飲食店は、開催場所の近隣では儲かるだろう。しかしそれ以外の飲食店は、みんな家でオリンピックを見るだろうから、つまり街から人が減るから、売り上げが落ちる。
 新たに作られる施設は、長野オリンピックの例から、オリンピックの後に有効利用が殆どなかったり、管理コストがかかったりして、これまた儲からない。
 家電販売店は儲かるか。地デジでなければオリンピックは楽しめない、とすればかなり地デジの普及率は上がるだろう。そうでもしないと地デジの完全移行は難しいでしょ。
 チケット販売店も儲かる。
 日本全体で見ると、今が不況だから、オリンピック支出を控えると思うので、儲からないと思う。

 鳩山首相も応援に行ったそうだけど、やるべきことは何よりも先に日本全体の景気回復だ。それができなきゃオリンピック需要なんてあり得ない。絵に描いた餅。
 そもそも日本で開催する意味がない。こないだ中国で開催したばっかなのに、その中国で色んな問題が噴出し、オリンピック開催そのものが疑問視されるくらいだったってのに、アジア圏が好意的に選ばれる感情はないと思うのだ。北京オリンピックのゴタゴタを見ていれば、誰だって「しばらくアジアはよそう」と思うでしょ。北京は駄目で東京は大丈夫、だなんて考えているのは日本の中だけ。世界の視野で考えれば、北京も東京も「アジア」で一緒くたにされてお終いだろう。
 前の東京オリンピックは、戦後復興とセットのようなものだったから、つまり控えるような支出がなかったから良かった。とにかく西洋国の真似をして上に昇ることだけだったんだし。しかし今の日本にそれはない。不況だから無駄な支出は控えなきゃいけないし、昇ることはもう無理になってしまった。オリンピックに夢や希望を見出すなんて時代遅れなことを信じる人も殆どいない。一丸となって頑張る必然性が全くない。落選して当然なんだ。
 それに、どこのオリンピックも同じだけど、結局は利権争いが目立つんだよね。それが貧国なら(前の東京オリンピックが開催された頃の日本とか)、開発にお金がばら撒かれて雇用にも繋がって良いかもしれないけど、今の日本にそんな良いゆとりはない。利権で太った者がさらに太るだけ。
 オリンピックは、一応は、開催することに意義のある国を選ぶことになっている。国民が積極的に賛同していて、開催することで開催地に大きなメリットがある国が選ばれる。日本は全くその基準に当てはまらない。賛同してないし、開催メリットがない。選ばれる理由が全くない。
 しかし何よりも結局は、IOCの関係者に“親切”にしてあげることが重要らしい(北國新聞の記事に書かれていた)。つまり、「袖の下」ってことか。そんなものを渡してまで開催するメリットは、今の日本には全くない。オリンピック開催より優先しなきゃいけないことがたくさんあるんだから。

 まあ、たとえ国民一丸となって賛同していても東京開催は無理だったろう。ハイテクを売りにしてたからだ。
 ハイテクが売りになるのは一昔前だと思う。金さえかければ、先進国ならどこでも真似できるし。石原都知事は昔の人なんだなぁ、とそこで強く思う。
 今の日本でやるなら、テーマを「高齢者参加」にすべきでしょ。ハイテク開催は当然として、開催スタッフだけならず、開催中は様々なところで高齢者を積極的にな参加・起用させ、日本型のよりよい高齢化社会を実現してみせる。どこの先進国でも高齢化社会は問題になるから、高齢化社会型オリンピックがあればとっても面白いと思うのだ。世代を超えた交流になるし、地域社会にもプラスになる。
 ハイテク開催なんてどこでも実現可能なことをやろうとした時点で東京オリンピック誘致は失敗したも同然だよ。

 無駄金を使って大きな大失敗をしたってのに、石原都知事は辞める意思がないそうで。よくもまあ偉そうにできたものだ。まあ、政治家はあれくらいのふてぶてしさがないと駄目だとは思う。
 が、東京住民は怒ってないのだろうか? TVのワイドショー番組なんかは徹底的に石原都知事批判をするべきなのに。新銀行東京の問題だって、石原都知事が原因なんだし、今こそまとめて批判すりゃあいいのに。
 オリンピック開催は、やはり政治的な問題が噴出するな。

テーマ : 気になるニュース
ジャンル : ニュース

2009-10-04

修正

 1つ前の記事の、記事名と内容を変更・修正。読み直してみたら何となく気に入らなかったので。
 内容を修正したけど、大幅修正という程じゃないし、主旨はそのままなので、既に読んでくれた方は無視して下さい。
 それにしても……我ながら相変わらず誤字脱字が多いなぁ……

テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

2009-10-03

威圧的な態度の映画祭

 1週間続いたカナザワ映画祭2009が終わって早1週間。祭りが終わって脱力して、もう1週間。毎日が映画日和だった1週間のせいか、濃密な1週間だったせいか、それから1週間経った今でも何となく脱力感が続いている。

 カナザワ映画祭2009は、際立って凄い映画がなく、斬新さもなく、3回目にして(今後も続くと想定するなら)最初の正念場だったと思う。他に比べて企画性のとても強い映画祭だから、アイデア不足とやる気不足で一気に元気がなくなるため、実施は大変だったろう。
 結果的にはとても成功していた。

 サウンド・フィルマゲドンの効果は、さすがにあった。百円でレンタルして、自宅でのんびりと快適に観られる映画を、わざわざ快適でもない環境で高い料金を払って観る価値を与えていた。
 『宇宙戦争』の、災害現場に居合わせているような地響きがある臨場感。
 『人間革命』と『続・人間革命』の、骨身に沁みるような大迫力の大声で説教されるとそれは娯楽になる丹波感
 『AKIRA』の、音楽効果によって生まれる、近未来なのに原始的な躍動感。
 『フィツカラルド』の、蒸気船が山を乗り越える地響きを感じられる異常感。
 『地獄の黙示録』の、暴力以外の何物でもない圧倒的な破壊による快感。
 私が感じたそれらは、自宅では味わえない、カナザワ映画祭という現場にいたからこそ得られた体感だ。そう、それがカナザワ映画祭2009のやろうとしたこと、映画革命だ!

 とても統一感のある映画祭でもあった。革命的――というよりは啓蒙的、いや、洗脳的、攻撃的な、アクセル全開な、わき見なし、浮気なし、でも一夫多妻制な映画祭
 カナザワ映画祭2009は、「新世界秩序」という言葉がテーマとなっている。サバイバルガイドを読むと、ガンジーさんの言葉が載っている。「あなたの夢は何か、あなたの目的とするものは何か、それさえしっかりと持っているならば、必ずや道は開かれるだろう
 確かに、そんな名言が良く似合う映画ばかりだった。進化、革命、信念、信仰、復興、そんな言葉がテーマとなっているような映画だけで組まれた映画祭。個別に1日1本ずつ観ていれば単なる娯楽で済むのに、関連付けて連続で観るとなぜかウザ異様な迫力を持ってしまう。しかもタイムスケジュールが絶妙で、1日1本だけ好みで観るよりも、1日中ずーっと連続で観た方が面白いように組んである。お好みで選んで観るも自由だけど、映画祭のオススメ設定で観たらもっと面白いですよ、と。
 3日目が最も濃くて疲れるラインナップだった。よくもまああんなラインナップを考えたものだ。朝から晩までぶっ通しで観た人は強者ですよ。

 カナザワ映画祭2009が素晴らしかったのは、サウンド・フィルマゲドンの効果もあるけど、何よりも選択設計の素晴らしさにあった。カナザワ映画祭3回目にして最高の出来だ。
 私たちは意外と「惰性」が好きだ。“意外と”というよりは、“何となく”大好きだ。PCや携帯電話を持っている人の何割が初期設定のまま使用し、大半の機能を使用していないか。カスタマイズしている人は大半ではないだろう。人間関係でもいいし、料理でもいいし、部屋の模様でもいい。「そのまま」でいい人はどれだけいるだろうか? たぶん、大多数の人は「そのまま」だと思う。選択肢はたくさんあるのに、「そのまま」を選ぶ人が圧倒的多数だと思う。だから選択設計者に位置する人は、色々考える。
 カナザワ映画祭は、正に選択設計の実践だ。Nudge的な感じ。さり気につついてきて、「そのままで観るより、ちょっと違う感じに映画を観たら面白くありませんか?」と指導してくれる。タイムスケジュールの組み方がその好例だけど、上映間隔の時間設定もそうだと思う。
 連日、映画と映画の合間は十分間くらいしかなく、映画が終わってトイレに行って戻ったらもう入場待ちの行列ができていて、慌てて並んだらもう入場が開始されて――それが一日中続く。どっこにも身体の休まる暇がない!
 私は3日目が最も数多く観た日で、『エッセネ派』、『ツァイトガイスト』、『ツァイトガイスト:アデンダム』、『ノストラダムス戦慄の啓示』を続けて観たら8時間だった。最初はまだのん気なもので、休憩時間には外に出てアイスなんか食べて――とか考えていたんだけど、実際はそんな暇なんてなく、飲まず食わずの8時間だった。さすがに辛い。辛いのに、観る映画がネオリベ批判の陰謀論ドキュメンタリー『ツァイトガイスト』や、幸福の科学のお祭り騒ぎ映画『ノストラダムス戦慄の啓示』なんだから、楽しむというよりは、己との戦いみたいになってくる。喉が渇いて腹も減ってるのに、『ノストラダムス戦慄の啓示』なんぞを観る。そんな行為、誰も褒めてくれやしないのに。
 観客にもう少し配慮してもよろしいのじゃございません? 映画と映画の合間をあと十分間は長くするとか、1日中観た場合の苦行状態は解消してほしいなー。
 がしかし、その苦行状態は楽しくもある。寝食を削ってでも映画を観るという、祭だからこその非日常なハイテンション状態が。ただでさえウザ異様な映画ばかりなのに、それを連続して観せられるという、「これ何責め!?」てな感じの脳内麻薬の溢れっぷりときたらもう! もしも上映間隔にもっとゆとりを持たせて快適に観られる時間設定にしたら、そんなカナザワ映画祭独特のハイテンション状態は作れないと思う。
 何となくお金に余裕があるから、ぶらりと快適に一日中観てしまう――そんな惰性的な鑑賞をカナザワ映画祭は許さない。世にも珍しい威圧的な態度の映画祭なのだ(映画好きに対してのみだけど)。

 正しいことも間違ったことも、理性的なことも感情的なことも、躁的なことも鬱的なこともごっちゃにして、区分けせず、是非を問うたりせず、そのまま提供する。しかし、その提供のしかた――選択設計のしかたは、絶妙。珍しい映画だけを集めたわけでなく、どこよりも早く新作を上映したわけでなく、目標は「映画を観る価値」を観客に提供すること。嫌なら観なきゃいいだけだ。
 「現場に来なきゃ味わえない楽しさ」はサウンド・フィルマゲドンで提供する。「映画を観る価値」は、単品じゃ無理だけど、関連付けて連続させることで提供する。この2つを実現できたことは素直に素晴らしいと思う。カナザワ映画祭はディレクション勝負の映画祭なので、必然的な進化といえる。昨年と違い、「この1本!」という際立った映画がなく、むしろ平凡な映画の集まりなのに、映画祭に飛び込んでじっくり味わってみるとちっとも平凡じゃなかった。
 たとえるなら色の重ね合わせみたいだ。「黄色い映画祭」を開催するとして、しかし上映する映画は「黄色」映画でなく、「赤色」映画と「緑色」映画で、全体を観終えた時に初めて「黄色い映画祭」が浮かび上がるというか。だから、1本だけ観ても真価は全くわからない。そんな印象から、前2回のカナザワ映画祭は凄かったけど、今年のカナザワ映画祭2009は、最初から最後までとっても充実した、間違いなく全国に、下手すりゃ世界規模で自慢できる映画祭だった。
 今後、カナザワ映画祭を続ける上での方向性は大体は見えてきた(ような気がする)。でも、ますます大変かもしれない。選択設計の素晴らしさは当然、選択設計者に頼ることになる。かなざわ映画の会小野寺代表は、いうなれば『マトリックス』のアーキテクトみたいなものだ。だからカナザワ映画祭は、このまま進むと、カリスマによるカリスマ映画祭になるかもしれない。それが良いか悪いかは、わからない。ただ、カリスマなんてものに祭り上げられるのはしんどいだろうなぁ、と思ったりもする。

 何にしろ、カナザワ映画祭2009は、映画との戦いを強いられる部分も込みで、とっても面白く楽しかったです。小野寺代表を含め、スタッフの皆様には感謝感謝です。
 色々とご苦労もあると思いますが、夢と目的を見失わず、今後も頑張って続けてほしいものです。いち観客として応援するだけですが、来年もまた、楽しみにしております。

テーマ : 映画関連ネタ
ジャンル : 映画

tag : カナザワ映画祭

プロフィール

Author:ばっどていすとさんどいっち
テクノ好き。
アンダーワールドのRez大好き。
映画大好き。
ジャッキー・チェンが生涯の英雄。
生涯1位作品は『ミミズバーガー』。
2位が『溶解人間』。
泣き虫で、馬鹿。
itsuka-omoi-dasu-bts@hotmail.co.jp

最近の記事
プルダウンリスト
プルダウンタグリスト
ブログ内検索
ブログ全記事表示

全ての記事を表示する

リンク
RSSフィード
By FC2ブログ

今すぐブログを作ろう!

Powered By FC2ブログ

FC2カウンター